幕間:目指せ、凱旋!
「……エルヴィラ、お前、もうここにいなくていいわ。家へお帰り」
あの日、あのチャラい顔だけ吟遊詩人にはじめてのキスを奪われた挙句、主人である侯爵家の姫にそう言われて護衛騎士を解雇され、さらには、追い討ちを掛けるように「姫の想い人を寝取った」などと根も葉もない噂まで流されて……。
元、侯爵家姫君の護衛騎士エルヴィラ・カーリスの名誉は、今現在、地の底まで果てしなく落ちていた。
さすがに普段を知る戦神教会の同輩騎士は「そんなはずなどない」と否定してくれたが、教会からの正式な抗議も何もない現状では説得力などない。
だが、相手はこの“深淵の都”の“十大貴族”の一家なのだ。
いかに亡き祖父は戦神教会の名高き司祭で、父は現在司教を務め、長兄は勇猛たる騎士隊長であり……などと言っても無駄だった。
戦神教会は侯爵家とコトを構えたくないし、エルヴィラの名誉はすでに汚された後だったのだから。
父はカンカンだし、母もあの顔は怒っている。絶対怒っている。
父母を前に、エルヴィラは小さく溜息を吐いた。
このカーリスの家の娘がなぜそんな隙を突かれるようなことになったのだと、父母はめちゃくちゃ怒っている。特に母が。
だって、姫が襲われることは想定してても、まさか自分があんなことされる想定なんてしてなかったんだ。
そう言っても無理だった。
兄達や弟は、それでもどうにかとりなそうとしてくれたけれど、さすがに今回は相手が悪くて無理だったのだ。
いや、それよりも何よりも、エルヴィラの大切な乙女の……。
「うう、私のはじめて……」
婚約者どころか男性とのお付き合いすらなかったけれど、きっといつか戦神教会聖騎士長のベルナルド様みたいな渋かっこよくてしかも強い男を捕まえて、そこで人生の幸せを謳歌とばかりにキスから始まるあれこれを済ませるはずだったのに。
薔薇の咲き誇る庭園かなんか、とにかくすごくロマンティックな、すごく心臓にきゅんきゅんくるような素敵な場所で、ロマンス小説みたいにめちゃくちゃ甘い言葉を囁かれて求婚されて、自分はうっとり頷いて、重なるふたつの影とかなんとかで……。
なのに、あのクソ詩人が全部壊してしまったのだ。
考えたら、ものすごく腹が立ってきた。
あの男、許さない。絶対絶対許さない。あんなわけのわからないとばっちりでどさくさに紛れて奪っていった乙女のロマンスを返せ。
必ず捕まえて責任取らせてやる。
「ち、父上、母上! ならば、私は私の名誉を勝ち取ってくる!」
「エルヴィラ、それがどういうことかわかって言ってるの?」
じろりと母に睨まれて、エルヴィラは一瞬びくりと震えてしまった。
だが、こんなところで怯んでいては、このまま家で、引き篭もり生活を送らなければならなくなってしまう。
「ああ、母上! 私は絶対にこの手であの男を捕まえて責任取らせて、私の名誉を回復するんだ! カーリスの名にかけて、絶対だ!」
「……わかりました。そこまで言うなら、行ってらっしゃい」
「コンスタンス?」
きっぱりと言い切った母を、父はぎょっとした表情で振り向いた。
「コンスタンス、まさかひとりで出すと言うのか? だが、エルヴィラはまだまがりなりにも未婚の娘で……」
「クィンシー。エルヴィラも成人した、このカーリス家の血筋なのです。この子自らがやるというのであれば、この子自身に任せましょう。望むものがあるなら自らの手で勝ち取れ、というのが我がカーリス家の家訓です」
母はキッとエルヴィラへと視線を向けた。
「ですから、エルヴィラ、お前を勘当します」
「え、母上……?」
エルヴィラはまたびくりと震える。
さすがに、勘当までとは考えていなかった。
「コンスタンス……」
「エルヴィラ。カーリスの家の者が自ら宣言したのです。それが成せないうちに帰ることは、この母が許しません」
クィンシーは小さく溜息を吐いた。
こうなったコンスタンスは絶対に譲らない。それに、このまま家に閉じこもっていてもどうにもならないことは確かなのだ。
だが、ただ家から出すのでは、純潔を失った娘を追い出した、などと噂に新たな火種を投げ込むことになるのではないか。
「エルヴィラ。お前は身の潔白を証明し、汚名を雪ぐまでこの家に戻ることは許さん。自身が宣言したとおり、名誉を回復できるまで戻ってはいけない。
……穴だらけの理屈ではあるが、今はそういうことにしよう」
エルヴィラはぎゅっと拳を握り締め、頷いた。
わずかにうなだれた父の姿に、エルヴィラもしばし床を見つめる。
父があれこれと奔走してくれたことは知っている。
侯爵家がいちゃもんを付けたうえに変な噂をばら撒いてくれたせいで、いらぬ世話を掛けてしまったことだってわかっている。
だから、あのクソ詩人さえ首尾よく捕まえて戦神の祭壇の前に引きずり出せば、きっといろんなことが好転するのだ。
エルヴィラはぐいと顔を上げて高らかに宣言した。
「父上、母上、任せろ! 必ずやあの男を捕まえて責任取らせてやるぞ。戦いと勝利の神の猛き御名にかけて、絶対だ!」
「その言葉どおりとなることを祈っていますよ」
「ああ! だから父上も母上も待っててくれ、心配はいらないぞ!」
* * *
「エルヴィラ」
「兄上」
父と母の前を辞した後、さっそく自室に戻って旅支度を整えていると、次兄のオーウェンがやってきた。
「エルヴィラ、かわいそうに、あんな根も葉もない噂を流すなど……。いっそ、あの侯爵家の姫を神前に引きずり出して神の裁定を求められれば、詩人など捕まえるまでもなく、お前の身の潔白などいくらでも証明できるのだが」
「大丈夫だ、兄上。私だってカーリスの娘なんだぞ。詩人のひとりやふたり、さっさと捕まえて責任取らせてすぐに戻って来るさ」
力強く拳を握り締めるエルヴィラを、オーウェンはぎゅっと抱き締める。
「私がついて行ければよかったのだが……ああ、心配だよ。お前は都を出て長旅などしたことないだろう?」
「大丈夫だ、私は結構強いんだぞ。それに、もう不埒者に遅れをとることなんてない。兄上はここで、猛きものに私の勝利を祈っててくれ」
ぽんぽんと宥めるように自分の背を叩くエルヴィラに、オーウェンは小さく吐息を漏らす。ほんとうに、自分が代われればいいのに、と。
「エルヴィラ、これはせめてもの餞別だ。路銀の足しにするといい。あと、この魔法薬も持って行きなさい。道中、何があるのかわからないのだから」
「兄上……」
金貨の入った袋と魔法薬を渡して、オーウェンは再度吐息を漏らす。父から禁じられていなければ、絶対に付いていくのに。
「いいか、エルヴィラ。何かあったらすぐに戦神教会を頼るのだ。私宛てに連絡を寄越してくれさえすれば、すぐにでも駆けつけるから」
「あ……兄上ー!」
「父や母は、今回、お前に厳しくあたっているが、カーリス家の者は皆お前を信じているし、お前の味方でもある。忘れるんじゃないぞ。ソール兄上やセロンだって、皆、お前のことが心配でしかたないのだ」
「兄上、兄上、私、絶対負けないぞ。ちゃんと凱旋するからな!」
オーウェンにがっちりと抱き付きながら、エルヴィラは決意を新たにする。
——そうだ、絶対絶対、あの不埒な吟遊詩人を捕まえてこの“深淵の都”に凱旋し、高らかに、エルヴィラ・カーリスの勝利を宣言してやるのだ。
聖騎士長ベルナルド
→父クィンシーの同輩で、整えた髭が渋くてゴリマッチョでかっこいい、戦神教会聖騎士隊の隊長。妻子有。
■参考資料
カーリス家家族構成
ブライアン:祖父。猛将で名高い戦神教会の戦司祭。逸話が都市伝説のように伝わっている。故人。
ソフィア:祖母。ふんわりなおばあちゃんだが、カーリス家の影の支配者。
クィンシー:父。司教。脳筋教会において貴重な文官。婿養子。
コンスタンス:母。さすがブライアンの娘、という脳筋。実はちゃんと戦える。
ソール:長兄。騎士。剣と体力で勝負する脳筋。
オーウェン:次兄。司祭。シスコン。ちょっと分別のある脳筋。
エルヴィラ:長女。勢いとパワーだけで行動する乙女回路搭載脳筋。兄上使い。
セロン:末弟。聖騎士。兄弟中でいちばん高スペックな脳筋。