馬鹿じゃないから選んだんだ
「ん……」
背に誰かが触れる気配で、目が覚めた。
昨夜は誰か女の子でも引っ掛けただろうか……と考えたところで思い出した。
冷静になってみれば、“やらかした”という気持ちのほうが強いだろう。こんな面倒くさいのに手を出してしまうなんて、何を血迷っていたのかとも思う。
けれど、それでも不思議と嫌ではなかった。
「ちゃんと、いる……」
ぐりぐり頭を押し付けながら呟く声が聞こえて、起きたのかと身体をぐるりと捻った。だが、エルヴィラは変な笑みを浮かべつつ眠ったままだ。
は、と溜息を吐く。
日頃、自分は強いだ何だと豪語するくせに、どうしてこうも油断しきった顔で寝ているんだ。
一流の騎士を標榜するなら、人より先に起きているものじゃないのか。
「まだ起きないんだ?」
「ふ? え?」
ふっと笑いながら、僕は身体を起こした。
お腹のあたりにがっしりとしがみ付いた身体は、僕より頭ひとつ以上は小さいくせにやたらと重い。
どれだけ鍛えているのかと、呆れるくらいに筋肉が付いている。
その重たいエルヴィラは、僕を見上げたままぼんやりとしていた。
「まさか寝ぼけてて覚えてないとか言わないよね」
「え、あ……」
ようやく状況を呑み込んだのか、エルヴィラはたちまち真っ赤に染まる。夕焼けのような髪色と遜色ないくらいに真っ赤だ。目を泳がせて、あうあうと言葉にならない言葉を発して狼狽えてもいる。
そのくせ、腕は僕の身体にしっかり巻き付けたままだ。
「そんな顔をして、どうしたのさ」
「そっ、そんな顔って」
傲岸不遜な態度だってしょっちゅうなくせに、本当に今さらだ。
「昨晩は野の獣みたいに人を襲っておいて、今さら何を狼狽えてるんだよ」
「あ、だって、夜って、なんか、血が沸き立つっていうか、だから、なんか、すごく滾って、冷静じゃなかったっていうか……」
「満月の夜の獣人だって、君には及ばないくらいだったよね」
「そっ、そんなことはない、と……思、う?」
エルヴィラは、おろおろと周りを見回し、シーツの中に隠れようとする。
「エルヴィラ」
エルヴィラがパッと顔を上げた。
真っ赤なまま、いったい何だという顔でじっと僕を見返す。
「今から、もう一度してあげようか」
「え、あ、な、何を」
「もう夜も明けて、今は冷静なんだろう?」
エルヴィラの目が大きく見開く。じっと僕を凝視したまま、石化したように動かなくなってしまう。
「ほら、冷静にできるのか、試してみようじゃないか」
「え……あ……」
半端に起き上がろうと下に突っ張ったままの腕を払うと、エルヴィラはたやすく転がった。のし掛かっても、顔は驚いたままで固まっている。
キスをしても、固まったままだった。
「キスは?」
囁いてくすりと笑う僕を、エルヴィラは呆然と見返す。
「上達したんじゃなかったの?」
「あっ、今っ、今のは不意打ちされただけだ!」
「かわいくてかっこいい女騎士のエルヴィラ様のくせに、僕に不意打ちなんかされて、どうするのさ」
「うっ……」
エルヴィラは黙り込んで、じっと上目遣いに僕を睨みつける。
「それに、こんなに簡単に押し倒されちゃってていいわけ?」
「みっ、ミケだからいいんだ」
「ふうん? 僕相手なら、こんなに無防備でもいいんだ? 喉を食い破られるかもしれないのに?」
ぱくりと首を齧っても、エルヴィラはぴくっと身体を竦めるだけだった。
「いいんだ。ミケなら別にいいんだ」
「何がいいのさ」
「とにかく、ミケなら構わないんだ」
この、飼い主を疑わない犬みたいな信頼は何なのだ。
思わず呆れる僕を、エルヴィラは真っ赤な顔で見返している。
「君ってやっぱり馬鹿だよね」
「うっ、うるさい。私だってわかってるんだ。だから、馬鹿って言うな」
ついっと目を逸らすエルヴィラに、僕はとうとう笑い出した。もう一度キスをして、こつんと額を合わせて、「本当、馬鹿だね」とさらに続ける。
「何度でも言ってやるよ。君は相当な馬鹿だってね。こうやって自分を安売りするあたりが、特に馬鹿だよ」
パッと視線を戻したエルヴィラが、眉間にくっきりと皺を寄せた。
「安売りしたつもりなんかないぞ。私はちゃんと相手を選んでるからな」
「なら、選んだ相手が悪かったね。人を見る目が無い馬鹿だってことだ」
「悪くなんかない。お前こそ、自分を悪く言うのはやめろ」
ふっと鼻で笑い飛ばす。
馬鹿なだけじゃなくて、頭の中に花まで咲いていたのか。それとも、夜を共にして絆されたってことか。
いずれにしても、ちょろすぎるだろう。
「――君ってさ。日頃の態度を別にしたら、鍛えてるだけあってスタイルはいいし、据え膳としては上等なほうだよね」
にやにやと笑いながら、押さえ込んだエルヴィラからゆっくりとシーツを剥ぎ取っていく。むむむと唸るエルヴィラが、慌ててシーツを引っ張った。
「もう朝なんだぞ! 何しようっていうんだ!」
「何かなんて、君だってひとつしかないことくらい、わかってるんだろう?」
「こっ、この……この、エロ詩人!」
「えっ」
あうあうと、目を潤ませるだけだったエルヴィラが、何をどうしたのかあっという間に僕の手を解いてひっくり返し、押さえ込んでしまった。
体格では僕の方が上だというのに、どこをどう押さえ込んだのか、身体がまったく動かせない。
「驚いた。ほんとうに体術も使えたんだ」
「当たり前だ。私は騎士なんだぞ!」
「いつも抵抗しないくせに?」
うっ、と言葉に詰まって、エルヴィラはぐるぐると視線を回した。
「あれは……あれは、不意を打たれただけなんだ!」
やっぱりその言い訳かと、僕はついつい笑ってしまう。
「――あ、それ痛い。腕、痛めそう」
「えっ!」
怯んだ隙を突いて、僕は身体を捻って仰向けになる。エルヴィラを、ちょうど腹の上に跨がせた形だ。
眺めもなかなかにいい。
こうして軽く言うだけですぐ拘束が緩むから、馬鹿だと言われるんだ。
「だっ、騙したな!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな? ちょっと腕が痛いと思ったから、そう言っただけだよ」
「そういうのを、騙したって言うんだ」
「じゃあ改めて聞くけど」
ぐいと腕を引くと、エルヴィラはあっけなく僕の上に倒れこんだ。その身体を抱き締めて、指で背を辿りつつ、僕はとっておきの声で囁く。
「君は、ほんとうに嫌だと思ってるの?」
「う……」
エルヴィラは、困ったように眉尻を下げて、上目遣いに僕をちらりと見た。
「どう?」
「……嫌じゃ、ない」
ほら、馬鹿でちょろい。
僕はくるりと身体を返して位置を入れ替えて、キスをした。
「どう考えても、君は馬鹿じゃないか」
「そ、そんなこと、ない……」
そんな、うれしそうな顔をするから、馬鹿だと言われるんだ。
あふ……と欠伸をしながら、僕は未だにベッドに転がっていた。
太陽はもうずいぶんと高く昇っている。
エルヴィラも、ベッドに転がったままだ。
こんな怠惰なことをしているのも、とりたてて何かすべきことがあるわけでもなく、ただ暇だからだ。
とはいえ、そろそろ起きて昼飯を食べに行こう。
怠惰が過ぎて、さすがに空腹だ。
「あ、あの、ミケ」
伸びをしてベッドを降りる僕の腕を、エルヴィラが掴む。
「ん?」
「あの……ありがとう」
ほんのり顔を赤らめて、いったい何をもじもじしているのかと思えば……。
「――君は否定するけど、やっぱり馬鹿だよね」
エルヴィラはたちまち顔を顰めて、あろうことか、僕の横っ腹を一発殴りつけた。
あの時鳩尾に食らったものに比べればたいしたことのない一撃だったが、どうしてそうやって急所を狙うのか。
「なんで力に訴えるんだよ脳筋! いちいち殴るな!」
「馬鹿じゃないぞ! 私は馬鹿じゃないからミケを選んだんだ!」
「痛っ! だから暴力に訴えるなよ!」
「私は馬鹿じゃないんだ!」
エルヴィラはやっぱり面倒くさい女だと、僕は少し後悔した。
* * *
トゥーロから連絡が来たのは、採寸から二十日ほど過ぎた頃だった。
ようやく大まかなところができたから、調整をしたいと。
エルヴィラは、以前よりもずいぶんと距離が近くなった。だが、それでもどこか遠慮があるのか、いちいち僕に断りをいれてからくっついてくる。
こちらの様子を伺いながら距離を詰めてくる姿は、捨て犬か何かのようだ。
それでもときおり、“お付き合い”だの“恋人”だのという単語を出してくる。
適当にあしらって放って置くとすぐに黙るから、あまり面倒なことにはならなかったが、正直なところ、意外だった。もっとしつこく食い下がってくるんじゃないかと警戒していたからだ。
もちろん、食い下がられたとしても、とっとと逃げ出すだけなのだけれど。
「……親方。ほんとうに、いいんだろうか」
並べられた鎧を前に、エルヴィラはとても緊張しているようだった。ごくりと喉を鳴らしたまま、微動だにせずじっと鎧を凝視している。
鎖帷子にはじまり、兜やら胴鎧やらと作業台の上に所狭しと並べられた甲冑は、黒光りする金属でできている。
「へえ、ちゃんとひと揃いあるんだ」
さすがに黒鉄製の甲冑なんて、滅多に見られるものじゃない。
「あたりまえだ。鎧ってのは全部をちゃんと揃えて誂えなきゃしかたない。ちぐはぐに付け足したんじゃ、バランス悪くて動きにも影響が出ちまうからな」
トゥーロは得意げに語る。揃いの、しかもトゥーロ謹製の鎧だ。きっとそのバランスも素晴らしいんだろう。
促されるままにひとつひとつパーツを身につけるエルヴィラの目も輝いている。
「親方、まさかとは思うんだが、これ、この金属って」
なんだ、気づいていなかったのかと、トゥーロの説明を聞くエルヴィラを、ちらりと見やった。
少々重いけれど、鋼よりさらに硬く割れにくい黒鉄製の鎧は、ちょっと叩いた程度では凹んだりもしない。鎖帷子の妖精銀は軽くしなやかで、しかも僅かながら魔法耐性もある、不思議な金属だ。
あの数の金貨だけでこんな鎧一式が手に入るなんて、どんな幸運か。
「なあ、親方……私の手持ちは、こんな立派な武具の対価にとても足りないと思うんだが……」
「充分だと、最初に言ったろうが」
呆然と冷や汗ばかりをかいているエルヴィラに、トゥーロはにやりと笑った。
なぜ黒鉄にしたのか、思うところをあれこれと説明しながら、エルヴィラが身につけた鎧を揺すったり叩いたり調子を見ていく。
「ほら、剣はこいつだ。こいつを振って、ちょっと動いてみろ」
渡されたのは、ずっしりと重そうな両手剣だった。
エルヴィラは、感嘆に目を見開いたまま頷いた。そのままトゥーロの指示に従って、あれこれ型どおりの動きをなぞり始める。
あんなに重たそうなのに、よくもまあ、あんなに軽快に動けるものだと、眺める僕は感心しきりだ。
それからも、あれこれと細かく確認をしていって、トゥーロは最後に「紋章は決まったかね」と尋ねた。
「うん、決まったんだ」
エルヴィラはにっこりと返した。
いつの間に、決めていたんだろうか。
「私の紋は、“太陽を背に、剣とリュートを持つ天使”だ」
「ほほう? 何か由来はあるのか?」
「全部、今の私に導いてくれたものなんだ。戦いと勝利の神と、太陽と生命の神に仕えるアンジェ神官と、それからミケだ」
「ほほう」
トゥーロはにやりと笑って僕にちらりと視線を投げかける。何が言いたいのか、想像に難くない。
「では、仕上がりを楽しみにしていろ」
「もちろんだ。楽しみで仕方ない」
細かい意匠も詰め終わって、僕とエルヴィラはトゥーロの工房を出た。
「なんで僕が君の紋に入るわけ?」
街路を歩きながら尋ねると、エルヴィラはにんまりと笑う。
「いろいろ考えたけど、あれにした。猛きものとアンジェ神官とミケがいなかったら、今の私はいないからな」
「ふうん」
「それに、家の紋はあってもまだ勘当中だろう?」
「まあ、たしかにそうだね」
「――ミケを入れたのは、何かまずかったか?」
「いや、別に」
自分から尋ねたわりに気の抜けた返事を返していると、エルヴィラが僕をじっと見つめていた。
「なに?」
エルヴィラは首を振り、ブツブツと何やら呟きながら拳を握り締める。
いったい、何が何でもないなのか。
「そういえば、ミケの故郷ってどこなんだ?」
不意に尋ねられて、僕は思わず宙を睨んだ。
生まれ育った町と、それとも、今や彼だけが残るあの土地と、どっちを故郷と呼ぶべきなのか。
「なんで?」
「なんとなく、どこかなと思っただけだ」
エルヴィラは、とても“なんとなく”ではないという顔でそう返す。
「――北のほうだよ」
「北? 北方氷土に覆われた蛮族の住む凍れる地か?」
「あのね、僕みたいな文化人が蛮族なわけないでしょう。全然違うよ」
いくらなんでも北に行き過ぎだと呆れる僕に、エルヴィラは思い切り顔を顰めてみせる。
「たしかに、蛮族ならミケみたいなひょろひょろにはならないな」
「ひょろひょろって」
エルヴィラの判断基準はそこなのか。
「ともかく、北って言っても北方氷土なんかじゃなくてその手前だよ。ついでに、ここからだとずっとずっと東のほうだ」
「へえ。どんなところなんだ?」
「森がある」
「森か」
それだけで納得したのか、エルヴィラは東の空を仰ぎ見ながら「そのうち、行ってみたいな」と笑った。
僕は「そのうちね」と、ただ肩を竦めた。





