馬鹿で卑怯な女
「青野菜のオムレツって、葉っぱのソースなんだな」
「葉っぱって……まあ、オムレツ自体に野菜も入ってるけどさ。でも、僕は香草を刻んですり混ぜたソースのほうがメインだと思うね。香りもいいし、卵の薄い味付けにちょうど合うくらいの塩気もあって――」
「ソースだけだとめちゃくちゃしょっぱいぞ」
「あたりまえだろ。だから卵のほうにはほとんど味をつけてないんだよ」
「そうか!」
そして、夜はまたあの岩小人の酒場にやってきた。
どうにも気分が持ち上がらないのだから、この町で一番おいしいものを食べた方がいい、という理由だ。
昼間のことなど忘れたように、エルヴィラはいつもどおりだ。今も僕の目の前で、あれこれ騒ぎつつ、そして忙しく食べている。
「この炙った骨付き肉もすごいぞ。外側はパリパリでカリカリなのに、囓ると肉汁がしたたってくる! どうやって焼いたらこんな風になるんだ?」
「厨房に専用の焼き場があって、そこでじっくり時間をかけて炭火で焼いてるらしいよ。そのための仕掛けをわざわざ作ったんだってさ」
「へえ?」
エルヴィラの切り替えの早さには驚きだ。
もっとも、単純に覚えていられないだけという可能性はある。
「さすが岩小人だよ。魔道具じゃなくて機械なんだ。肉をいっぺんにいくつも串に刺してハンドルをグルグル回すと、必要な時間だけ炭火の前で肉が回り続けるらしい。仕組みはよくわからないけどね」
「すごいな。機械でこんなにおいしく焼けるなんて、初めて知ったぞ」
はしゃぐエルヴィラの声を聞きながら、僕は琥珀ビールを口にする。
どうにかこのままうまくはぐらかしてしまいたい。はぐらかしつつエルヴィラが飽きるのを待つか、それとも美味しいところ取りをして適当にあしらうか、もう一度酷い目にあわせて離れるように仕向けるか……。
けれど、いくら考えてもそのどれもに面倒くさい結果しか見えない。
それに、その程度でエルヴィラをどうにかできるとも思えない。
僕はいったいいつから袋小路にはまり込んでいたのか。
もうひと口ビールを飲むと、エルヴィラが僕を見つめていた。伺うように僕を見つめて、齧り付いていた骨付き肉を皿に置く。
「何?」
「まだ食べ足りないのかと思って。もうひとつ何か頼むか?」
「君、僕のことなんだと思ってるの」
「美味いものを食べてる時のミケは、いつも機嫌がいいじゃないか」
眉間に皺が寄る。
僕のことをなんだと思っているのか。お前のような考えなしとは違うんだぞ。
「君じゃあるまいし、僕がいつもそんな能天気なわけないだろう」
「だって、私が知ってる限りじゃ、ずっとそうだった」
もうひと口、ぐびりと琥珀ビールを飲み下す。
トゥーロのところへなんて、連れて行かなければよかったのか。
けれど、あの時点では、エルヴィラを護衛として連れて歩く予定だった。それがしばらくの間のことでも、壊れた武具を使わせるなんて言語道断だし、その辺で適当に見繕った間に合わせを使わせるなんてみっともないことも嫌だった。
結局、自分で自分の首を絞めただけかと、溜息しか出ないのだが。
「――風と旅を司る、あまねく世界を巡る尊きお方よ。僕に道を示したまえ」
僕はぐいと一息にビールをあおる。
それから宿に戻るまで、エルヴィラは妙にはしゃいでいた。
そんなにトゥーロの武具がうれしかったのかとも思ったが、どう考えても挙動不審というレベルでのはしゃぎようだ。
「まさかとは思うけど、念のためか」
次の間へ引っ込むエルヴィラの表情も、どうにも気になった。
ベッドの毛布を荷物で膨らませるという初歩的な細工をする。パッと見にそこに僕自身が寝ているように細工だ。あの初心な脳筋がどこまでするかは知らないが、念には念を入れたほうがいい。
そこまでやって、僕は長椅子に隠れるように横になった。
――深夜遅く、次の間の扉が開いたことに気づいて、その念の入れようが正しかったことは証明された。
気配を殺して伺っていると、エルヴィラがベッドへとそっと近寄ってきた。
いったいどうしてくれよう。
エルヴィラは、ベッドの細工には気付かないようだった。そのまま獣のように飛び掛かり、手応えのなさに変な顔をする。
僕はそれを見届けて、隠れていたソファから立ち上がった。
「まさか、本当にやらかすとは思わなかった」
「あ、え、なんで……」
間抜けな顔で立ち上がったエルヴィラは、僕とベッドを交互に見つめる。
「わからないと思ってるほうがありえない」
自分がそこまで挙動不審だとは思っていなかったらしい。
肩透かしを食らったエルヴィラは、悔しそうに唇を噛む。
「ともかく、こんなことをするようじゃ――」
「かくなるうえは、神妙にしろ!」
「“伏せ”」
こいつは学ばないのか。
おおかた、何もかも腕力でどうにかできるとでも思っているのか……ベッドを下りたエルヴィラを、僕は“命令”の魔術で床に這いつくばらせる。
「魔法とか、ずるい!」
「ずるいじゃないよ。なんなんだ。まるで発情した猫みたいじゃないか。ちょっと前はヤダヤダって散々泣いてたくせに」
どういう抗議だと少し前のあの出来事を思い出させてやれば、エルヴィラは途端に赤面して口ごもる。
そんなので、なぜ人を襲おうなどと考えるのか。
「――あ、あの時はあの時だろう。今は事情が変わったんだ」
魔術が切れてエルヴィラが立ち上がった。
どうやら、戦意は未だ継続中らしい。
「じゃあ聞くよ。僕を襲って本懐を遂げたらどうするつもりさ」
「もちろん、既成事実を盾に結婚を迫るぞ! あわよくば子供も作ってしまうつもりだ、任せろ!」
「何が任せろだ! 既成事実なんて作ったくらいで僕が結婚するわけないだろう。だいたい、そんな目的で子供まで作るとか、何を考えてるんだ」
身構えたエルヴィラは、油断なくじりじりと間を詰めてくる。隙がない。こんなところで騎士らしさなんて発揮しなくてよいのに。
「馬鹿じゃないぞ! それに、お前と私の子供なんだからふたりで育てようと迫るんだから問題ない!」
「問題だらけだ!」
反射的に怒鳴り返すと、エルヴィラは不思議そうに首を傾げた。
「なんでだ。子供ができるのはめでたいことなんだぞ?」
「それは結婚してからの話だろう?」
「順番なんて些細な問題だ」
「些細じゃないよ!」
噛み合ってない。
エルヴィラは、本気でそのつもりなのか、さらに間を詰めてくる。僕もエルヴィラから視線を外さずに、じりじりと移動する。
僕には詩人の魔法がある。
最悪、あの馬鹿力で押さえ込まれたところで相手はエルヴィラだ、魔法でどうにかなるだろう。魔術で拘束を逃れたらそのままベッドの荷物を掴んで、短距離転移で町を出てしまえば、しばらくは逃げられる。
それにしても、まさか今後ずっと、エルヴィラが近くにいるかぎり夜這いをされるのか。なら、やはり逃げ出さなければならない。
今、僕に使える魔術は何があった?
ここを逃れた後はどう身を隠せばいい?
僕は必死で考えを巡らせる。
今まで、ここまで身の危険を感じたことはない。
――なのに、ふと気がつけば、エルヴィラは構えを解いていた。
眉尻を下げて困ったような泣き出しそうな顔で、じっと僕を見つめている。
「そんなに私じゃ嫌なのか?」
「嫌とかそういう問題じゃないね」
そう、嫌以前の問題だ。
見た目も身体も悪くない。後腐れなくその場限りで済む相手なら、僕だって歓迎した。だが、エルヴィラはその対極に位置する女だ。
そこまで考えて、僕は思い切り顔を顰めて「なんでだよは、こっちの台詞だ」と思わず吐き捨ててしまう。
「男ならもっと他にいるだろう? よりによって、どうして僕なんだ」
「だって、私は、もうミケ以外とキスしたくないんだ」
「――何を」
どきりとした。
急に項垂れてぽつりと呟くエルヴィラの言葉には、紛うことなき真実が含まれていて……だからこそ、僕の心臓が掴まれてしまう。
「だから、はじめても、ミケがいい。ミケじゃなきゃ、嫌なんだ」
エルヴィラの目が潤んでいる。
こんなのは卑怯だ。卑怯だと思うのに――僕はぎりりと歯を軋ませる。
「くそ!」
腹立たしげに足音を響かせて、僕はエルヴィラの横に立つ。項垂れたままじっと佇むエルヴィラを抱き寄せて、額を合わせる。
「どれだけ追いかけられようと、僕が責任を取ることは絶対にない。これは、君の自業自得だ」
僕は、エルヴィラの返事なんて待たずにその唇を塞ぐ。
エルヴィラはされるがまま、おとなしく押し倒された。最初の時が嘘のように、抵抗らしい抵抗など皆無だった。
けれど、ふと気がつくと泣いていた。以前のようにしゃくりあげてはおらず、ただ、ぽろぽろと涙だけをこぼして。
やっぱり覚悟なんてないんじゃないかと、僕はつい笑い出してしまう。
「また泣いてるの? ここまで来て怖くなった? やっぱりやめる?」
エルヴィラは首を振る。
ぱちりと瞬きをして「そうじゃないんだ」と涙を払う。
「その、ミケが……他の女の人のところに行ってしまったらって想像したら、嫌だって思って……なんだか、悲しくなって……」
は? と僕は思わず瞠目する。何を考えているのかと思えば……あれほど雑で乱暴なくせに、こいつは、本当に卑怯だ。
笑えるくらい、馬鹿で卑怯だ。
「何を先走ってるのさ。そもそも僕らは恋人でも何でもないだろう?」
「いいじゃないか。だって、嫌なものは嫌なんだ」
抱き締めながら囁くと、エルヴィラは不満そうにぼそぼそと言葉を返す。潤んだ目でこちらを睨む表情は、まるで精いっぱいに威嚇する小動物だ。
僕はやっぱり笑ってしまう。
笑いながら、エルヴィラの頬に軽くキスをする。
「それじゃ、君のはじめてを貰う代わりにひとつ約束しようか」
エルヴィラははっとした表情で僕を見返した。
「僕を流れる血にかけて、君のことが嫌いになって、顔も見たくなくなるまで、他の女の子のところには行かないであげるよ」
「……え?」
「今のとこ、そこまで君を嫌いなわけじゃないからね」
「う、うん」
信じられないという表情のまま、エルヴィラは小さく頷いた。いつもこんな調子なら、ああも面倒くさくないのに。
僕の身体に回したエルヴィラの腕に力がこもる。
そんな約束をしてくれるなんて思わなかった。
エルヴィラの呟きに、僕はまたくすりと笑う。
「その代わり、もう絶対に止めない。交換条件だよ」
「大丈夫だ」
夏空のように真っ青なエルヴィラの目が、僕を真っ直ぐに見返した。空の遥か高み、強い太陽の輝く天上のような青い瞳だ。
何度もキスを繰り返して、身体に触れて……けれど、大丈夫だと言ったはずのエルヴィラが、突然身体を震わせて、慌てたように僕を押しやろうとする。
なんだ、結局無理なのかと呆れて見れば、エルヴィラはまた泣いていた。何か恐ろしいことに気づいたような表情で、大きく目を見開いて。
今度はなんなんだ。
少しイラッとする僕に、エルヴィラは「違う」と訴える。
「わた、私は、本当に、こういうのは、ミケがはじめてで、だから、淫乱じゃないはずなのに、どうしてか、こんなに……でも、ちが、違うんだ」
必死に何を言いだしているのか。
しばし考えて、あ、と気付いた。
“聖女の町”で僕が言ったことを真に受けて、未だに信じていたのかと。
「なんで僕の言ったことなんか真に受けているんだよ」
「だって」
「君は本当に馬鹿だな。“聖女の町”で僕が言ったことなんて、気にする必要ないだろう? ひとの身体がこうできてるってだけなんだから」
「ほ、ほんとに――」
まだ何か言おうとするエルヴィラの口を、キスで塞ぐ。
「いつも君が言ってるだろう? 気になることは全部僕のせいにすればいい」
「……うん」
ようやく泣き止んで、エルヴィラは小さく頷いた。
どうして、こんなどうでもいいことに限って気にするんだ。ほかにもっと気にすることがあるだろうに。
だから馬鹿だというんだ。
それから、順を追ってコトに及び……。
いつにも増しておとなしくなったエルヴィラを覗き込むと、へにゃりと間抜け顔で笑っていた。あまつさえ、「うれしい」などと呟いて。
僕は思わず息を呑んでしまう。
――どう考えたって、こいつは卑怯だ。
なぜこんな時にそんな顔で笑うのだ。そんな、心底幸せだという顔で。
「いつもならこんなことしないんだけどさ」
「え?」
だから、僕はエルヴィラに治癒の魔術をかけてやった。
ミケの言葉は、大概ブーメランです。
 





