勝手にしろ
「おう、いきなりだな歌姫の子。いつここに来たんだ」
奥から上がった太い声は、トゥーロだった。
僕の腰くらいの身長のずんぐりとした体に、倍以上に太い腕。以前訪れたときとまったく変わらずの赤ら顔は、鍛冶師ならではだ。もっとも、トゥーロの場合は、毎日浴びるように飲む琥珀ビールのせいでもあるのだろうが。
太い縄のように編んだ髭先は、炉の高温に炙られてところどころ縮れている。
「昨日着いたんだよ。もっと早く来るつもりだったんだけど、足止め食っちゃって。
はい、これお土産。“葡萄の町”の蒸留酒。もう20年くらい寝かせたってやつだよ」
「ほほう? それは良いものだな!」
ここを訪ねるときは、必ず良い酒を土産として持参することに決めている。トゥーロと知り合ってからの習慣だ。
「で、そいつはなんだ。見たところ騎士か戦士って格好だが」
「ああ」
トゥーロは、すぐに僕の後ろのエルヴィラにも気づいて、じろじろと値踏みするように眺める。
そのエルヴィラは、さっきからずいぶんおとなしい。どうしたんだと思っていたが、振り返ってみれば、ぶるぶる震えて目を潤ませていた。間抜けな顔で口をぱくぱく開け閉めしているようすは、まるで陸揚げされた魚だ。
「あ、あ、あ、あのっ! わ、私はエルヴィラ・カーリス。この吟遊詩人ミーケルの臨時護衛騎士だ! その、トゥーロ親方、あなたの噂はかねがね耳にしている。それに、あなたの作ったものを手にしたことも。あなたの作るものは、本当に素晴らしいものばかりだ。
その……素晴らしい職人であるあなたにお会いできて、とても光栄だ!」
「――お前さん、面白いのを連れてるな」
なんだってそこまで緊張しているのかわからないが、エルヴィラはガチガチにしゃちこばり、声まで裏返っていた。鼻息は荒く、顔も真っ赤だ。トゥーロは少し面食らった顔で、やれやれと肩を竦める僕をちらりと見上げた。
まあとにかく、こんなエルヴィラはなかなかお目にかかれない。僕はくっくっと笑ってしまう。
「面白いかどうかはともかく、トゥーロ、ひとつ付け加えておくと、彼女はあの“猛将司祭”ブライアンの孫娘だよ」
「なんだって? なぜそれを先に言わん!」
忘れていたように僕が付け足すと、トゥーロはたちまち目を見開いて大声でがなり立てた。こんな岩の中だからこそよく響く、頭にガンとくるほどの大声だ。
トゥーロはどかどか大きな足音を立ててエルヴィラに迫った。
じろじろと、まるで鍛えた武具の出来映えを確かめるように眺め回し……あのエルヴィラを怯ませることまでしてみせる。
「お嬢さん、ブライアンの孫娘ってのは本当かね? 顔をよく見せてくれ」
「戦神教会のブライアン・カーリス司祭なら、確かに私の祖父だが……まさか、親方は祖父を知っているのか?」
「ふむ……その目元といい色といい、確かにやつに似ておるな。あれはよい戦士であった。司祭にしておくには惜しいほどにな。
そうか、ブライアンの孫娘か」
トゥーロはひとりで納得し、頷いている。
エルヴィラが明らかに戸惑い顔でこちらを見るが、僕は肩を竦めるだけだ。
「あ、あの……親方」
「で、ここへは何を求めに来た? お前も戦うものなんだろう」
「え、え? まさか、作っていただけるのか!?」
「おうとも」
トゥーロは生粋の戦士が大好きだ。
それこそ、英雄譚で主人公になるような、勇敢で何事にも正面から立ち向かっていくような、典型的な戦闘バカとしか言いようのない戦士が。
だから、トゥーロがエルヴィラを気に入るのも予想通りだ。
興奮で顔を真っ赤にしたエルヴィラは、鼻息も荒く財布を取り出した。そしてそのまま、手近なテーブルの上に中身をすべてぶちまけてしまう。金貨と、未換金の宝飾品、持っている金目のものを何もかも全てだ。
僕は思わずおいおいと突っ込みそうになる。
これは間違いなく、後先も何も考えていない。
「私の手持ちはこれで全部だ。これで作れる剣と、できれば鎧を……」
「ふむ、どれどれ……なんだ、十分じゃないか」
トゥーロは山になったエルヴィラの全財産を確認すると、こともなげに言ってのけた。その言葉には僕も驚く。この手持ちでトゥーロ自らが剣も鎧もすべて鍛えるというのは、ずいぶんな大盤振る舞いだ。
「さっそく採寸しないといかんな。今つけてる防具は、それで全部か?」
「旅の間は、この上に胴鎧と、脚にも腿当てを。あとは兜だ」
「ふむ。剣はそれか。少し見せてみろ」
トゥーロはさっそくとばかりに武具を確認し始める。雑に塞いではいるものの、背中に大穴が開いたままの鎖帷子と、刃こぼれした剣をだ。
だが、すぐにその疵を見咎めて、トゥーロはじろりとエルヴィラを睨んだ。きっと、背に穴が開いていたことが気に入らなかったのだろう。
まさか、自分はまともに正面から斬り合うこともできないひよっこに先走ってしまったのか、などと言いたげな表情だった。
「この疵は?」
「それは、ハーピィとやりあった時に、そいつの爪で……」
「“ローレライ”だよ、トゥーロ。ただのハーピィじゃなくて、“ローレライ”とひとりでやりあって勝ったんだよ、彼女は」
「――何?」
トゥーロが目を剥いて僕を見る。
「ひとりじゃなかったぞ。お前だっていたじゃないか」
「僕は熱があったからね。歌ってるだけの、しかも、“ローレライ”の“魅了の歌”を無効化するだけで手一杯だった」
「それでも、お前の歌がなきゃ、私だって支配されるところだった」
こんなところでそんなことまで言わなくてもいいのに、と思う。上に馬鹿が付く正直なんて、美徳じゃない。
「なるほど、あの“水辺の魔女”か」
だが、トゥーロは聞いてなかったらしい。しみじみと剣を眺め、鎧の穴を確認して、もう一度「なるほど」と呟いている。
「さすがブライアンの孫娘か。こりゃ、しっかり作らんといかんてことだな」
「えっ?」
「エルヴィラ、こっちにおいで。お前さんにちょうどいい重さを測ろうか」
それから、トゥーロにあれこれ引っ張り回されるエルヴィラを僕は眺めていた。
身体中を採寸されて重りを持たされて、模擬戦までやって……トゥーロは夢中だし、エルヴィラも本当に武具一式が手に入るとあって興奮しきりだ。
とうとう、ひと月この町で待てと言い渡されたところで、ようやくすべてが終わった。
「あとは、お前さんの紋を入れることになるが」
「私の、紋……」
エルヴィラのためだけに作られる鎧だ。胸甲にはもちろん、エルヴィラの紋章が刻まれる。通常は家の紋章を元に自分を表す要素を加えるものだけど、エルヴィラはあいにく勘当中だ。
どうするのだろうか。
じっと考え込むエルヴィラに、トゥーロは「今すぐでなくて構わんぞ」と言う。
「紋を入れるのは最後の最後のだからな、それまでに決めておいてくれればいい」
「ああ、わかった」
トゥーロの工房を出たあとも、エルヴィラはどこか夢見心地なままだった。ふわふわと浮ついた足取りで、ずっとぶつぶつ何かを呟いている。
「よかったじゃないか」
そう、声を掛けると、エルヴィラがゆっくりと振り向いた。笑っているのか何なのか、くしゃりと顔を歪めて、「夢みたいだ」と返してくる。
「トゥーロは職人気質だから、どんなに金貨を積んでも気に入らない相手には絶対作らない。君はトゥーロに気に入られたってことだよ」
「そうなのかな。どうして気に入ってもらえたんだろう」
心底不思議そうに、エルヴィラは首を傾げる。本気でわからないのか。理由なんてひとつしかないだろう。
「そりゃ、君が“猛将司祭”の孫娘に相応しい騎士だからに決まってるだろ」
「え?」
「並の騎士や戦士は、そもそも魔法の助けも神の加護もないのにひとりで“ローレライ”に向かってくなんてことしない。
おまけに、それで勝つなんてことにもならないんだ」
「だって、ミケが来たじゃないか」
「君は、僕が来るなんて思ってなかっただろう?
だいたい、子供もすぐどうにかなるわけじゃなかったのに、ひとりで向かっていく必要なんてどこにもなかったじゃないか」
「え、あ……うん、たしかに、そうだった、かも?」
ぽかんと口を開けた間抜けな顔には、そんなこと欠片も考えなかったと書いてある。やっぱり何も考えてない馬鹿ってだけだった。
「呆れた。君、本当に馬鹿なんだね」
「別に、考えないわけじゃないぞ。子供を助けなきゃって思っただけだ。それにミケが間に合ったじゃないか。結果に問題はなかったぞ」
むうっと眉間に皺を寄せたのは一瞬で、エルヴィラはすぐにぱっと笑顔を浮かべた。あまりに屈託のない笑顔に、何か言ってやろうという気も失せるくらいだった。
は、と小さく溜息が漏れる。
「そういう君だから、トゥーロが気に入ったんだよ」
「そういう変な言い方をするな。都を出て初めてミケについてきてよかったと思ったんだぞ。嬉しくて頭がおかしくなりそうなんだ」
エルヴィラの声は弾んでいた。放っておけば、どこまでも昇っていきそうなくらい、気分も弾んでいた。
「君って、結構失礼なことを平気で言うよね」
「だってそうなんだから仕方ない。今ならお前にキスされたって許せるぞ」
「へえ? じゃあやってみる?」
「おう!」
いったい何を言い出すのかと笑ってしまう僕に、エルヴィラは笑顔のまま応戦してきた。自分が何を言ってるのか、本当にわかっているのか。
がさつな脳筋娘のくせに、なんだかおもしろくない。
僕はエルヴィラの腰に腕を回して引き寄せる。
自分より少し下にあるエルヴィラの顎に指を掛け、上向かせて笑う。
「それじゃ、本当かどうか試してみようか」
そう囁いて、エルヴィラの返事を待たずに唇を塞いだ。逃げられないよう、頭の後ろをしっかりと押さえて、角度を変えて、深く、深く……。
エルヴィラは一瞬だけ驚いたように目を見開いて、すぐに伏せてしまう。目を伏せたまま、僕のキスに応えてくる。
まるで、恋人にしているようじゃないか。
「驚いた。本当に上手くなったね」
目を細める僕に、エルヴィラはにいっと得意げな笑みを浮かべた。
その表情も、やっぱりおもしろくない。
「お前を使って修練を積んだと言ったじゃないか」
「──言うね。なら、もっと練習させてあげようか」
僕はまた笑って、もう一度エルヴィラの唇を塞ぐ。
抱き寄せられるままのエルヴィラが、僕を抱き締め返してきたことに驚いた。がさつな脳筋が普通の女みたいじゃないかと、僕はさらに深くキスをする。
エルヴィラの腕に力がこもる。
唇を離すと、僕を抱き締めたままなぜか幸せそうに微笑んだ。
「君、もしかして雰囲気に酔っちゃった?」
「違う。ちゃんとわかっただけだ」
「ちゃんと?」
何が“ちゃんと”なのか。
頭の悪い脳筋だから、雰囲気に騙されやすいということか。
けれど、微笑みを浮かべたまますぐに続けられた言葉に、僕はただ驚く。
「私はどうやら、ミケのことが好きなんだ。好ましく思っている」
「は?」
頭に浮かんだのは、あの日いきなり飲んだ“惚れ薬”だった。あれから三ヶ月も経っていない。効果は消えたというのは、嘘だったのかと。
「――悪い冗談だ。今まで散々酷い目にあったの忘れたの? 君、相当ちょろいって言われたことない? 虐められて悦ぶタイプなの?」
けれど、エルヴィラの笑顔は変わらない。確信までも持っているようだ。
「それ、錯覚だよ。ふたりで危険な目にあったりしたから、錯覚したんだ」
「なんとでも言え。事実は変わらないんだ。アンジェ神官だって、私が恋だと思ったらそれは恋なんだと太鼓判を押してくれているんだからな」
きっぱりと言い切ったエルヴィラは、どこか誇らしげに見えた。自信に裏打ちされた姿は、しっかりと根を張って立つ大木のように揺るぎない。
「だから、もう夫探しはしない。でも、お前にはついて行くからな」
「――冗談だろう?」
この期に及んで何を言いだすのか。
「僕は君の夫探しに協力するって約束で同行を許可したんだ。夫探しをしないなら、同行は必要はないはずだ」
「必要だ。だって、私はミケじゃないと嫌なんだからな。夫候補は見つけたけど、まだ夫になってくれるかわからないから、なってくれるまでついて行く」
黙り込む僕に、エルヴィラは笑顔のままきっぱりと言い切った。
「私はお前について行く。
どうにかしてお前が首を縦に振る方法を考えながらな」
「そこには僕の意思の入る余地がないように聞こえるんだけど?」
「――ミケは私が嫌いか? 顔も見たくない?」
「見たくないって言ったら、実家に帰ってくれるんだ?」
血迷ったあげくの世迷い言なんてごめんだ。キスだけで錯覚する馬鹿もごめんだ。女らしさの欠片もない脳筋なんて、もっとごめんだ。
「そしたら、ミケに見えないようについていく」
「なんだ、ついてくることには変わりないんじゃないか」
やっぱりか、と思わず空を仰ぐ。
溜息と供に一歩踏み出すと、つんと服を引かれた。ちらりと見れば、上着の端を掴まれたままだった。
僕の歩みに合わせて、エルヴィラも歩き出す。
「ミケが行きたい場所へ行くのは構わない。お前はどこかひと処に留まるのは嫌なんだろう? 私は勝手にミケの後ろにくっついて行く」
「気にするよ!」
だから気にするなと言われて、僕は思わず言い返してしまう。けれど、それ以上返す言葉が浮かばない。
どうしてこんなことになっているのか。
エルヴィラがこんなことを言い出すなんて思わなかった。僕はまた、はあっと大きな溜息を吐いてしまう。
「つまり、君がくるのを了承したほうが、面倒が少ないってことじゃないか」
「そうかもしれないな」
エルヴィラは楽しそうだ。だけど、僕は楽しくない。
これまで以上の面倒ごとがあるとしか思えない。
僕は、どこで間違えてしまったんだろうか。
エルヴィラのことだ。こっそり逃げたとしても、以前の宣言どおり、取り憑いた悪魔のように、しつこくどこまでも追いかけてくるのだろう。
「――勝手にすればいい」
「わかった、勝手にする!」
エルヴィラの気持ちなど知ったことではない。どうせ、構わず放っておけば、そのうち飽きて離れるだろう。
けれど、嬉しそうなエルヴィラの姿に、やっぱり何かを決定的に間違えてしまった気がしてならなかった。
 





