岩小人の職人
ぷはあと大きく息を吐いて、喉を滑り落ちる琥珀色の液体の余韻を味わう。
「ああ、やっぱりここに来たらこれだ」
少し香ばしくて甘味のある琥珀ビールは、この“岩小人の町”の名物だ。
濃い金や黒のよく見かけるビールとは違う。独特の、焦がした飴のような琥珀色に柔らかい苦味は、何杯でも飲めてしまうほどだ。
「少し甘いんだな」
ひと口含んで味を確かめると、エルヴィラも感心したように頷いてたちまちジョッキを空けてしまった。
「そうかもね。いつも飲んでる金ビールとか黒ビールとは作り方が違うんだって聞いたよ。この店の何代か前の主人が作り出した秘伝のやり方なんだって」
「口当たりも軽いぞ」
相当気に入ったのか、すぐさまトレーにたくさんのジョッキを持った店員を呼び止めるエルヴィラに、僕は顔を顰めてみせる。
「飲み過ぎたら置いていくから」
「このエルヴィラ・カーリスが、そんな無様なことになると思うか!」
「はいはい」
軽口を叩きながら、エルヴィラはコインと引き換えに受け取ったジョッキを掲げ、さっそく次のひと口を飲んだ。ぐびっと喉を鳴らし、ぷは、と息を吐いて、「しみるとはこのことか」などといっぱしのことを言ってのける。
「まるでオヤジだね」
「なんだと! うまいんだからいいんだ!」
呆れる僕にエルヴィラが食ってかかったところへ、「黒貝だよ」と、少し無愛想な店員が“黒貝のビール蒸し”の大皿をどんとテーブルに置いた。
積み上がった真っ黒な貝の山に、銅貨を数枚渡しながら僕の口元が緩んでしまう。これだ。これが食べたかったのだ。
その量に目を丸くしたエルヴィラが、「黒貝って、本当に真っ黒なんだな」と、ほかほかの湯気と一緒に立ち昇る貝の香りに鼻をひくつかせる。僕の口の中にも唾がこみ上げてくる。
このあたりで採れる、さまざまな野菜と一緒に蒸し煮にされた黒貝だ。
細長い殻からはみ出そうなほどにふっくらとした身は、いかにも食べてくれと語りかけてきているようじゃないか。
「やっと来たよ。やっぱり琥珀ビールを飲むならこれと一緒に食べないと」
ぱっくりと大きく口を開けた黒貝をひとつつまみ、その殻でスープも掬って僕はにまにまとにやけてしまう。
「この辺の川で採れるんだけど、ほかでは泥臭くてとても食べられたものじゃない。でも、この町では採れた貝を数日間、地底湖の湧き水にさらして泥抜きをするから全然臭みがないんだよ。おまけに、琥珀ビールを使った蒸し煮だから当然ビールに合う。
こうやって、殻をスプーンに見立ててスープを掬って身と一緒に食べるんだ」
「へえ」
殻に掬ったスープごと、貝の身を口に放り込む。
その貝殻の外側は墨のように真っ黒なのに、内側はきれいな真珠色だ。
ぐっと噛み締めれば、口の中で染み出た貝の旨味とスープが混ざり合って、おいしさのあまり身体が震えるほどだ。続けてビールを飲めば、背すじに何かぞくぞくとしたものが走り、身悶えもしてしまう。
ああ、この町に来てよかった。
真似をして貝をひとつとったエルヴィラが、同じようにスープを掬ってひと口にぱくりと食べる。
もぐもぐと確かめるように顎を動かし……たちまち大きく目を見開いて、何か信じられないものかのような表情で手に残った貝殻をじっと見つめた。
「――すごい! 何だこれ!」
「だろう?」
僕は会心の笑みを浮かべて、立て続けに貝をつまみ出すエルヴィラに頷く。
「うまい! 何だこれうまい!」
「この店の名物はこれだけじゃないよ。青野菜のオムレツに、塩漬け肉の煮込みもあるんだ。ほどほどにしないと食べられなくなるからね」
「そんなに?」
「だから、こんなに人がいっぱいなんじゃないか」
僕は、人いきれと料理の湯気に霞むホールの反対側を示す。
山の岩壁をくり抜いた食堂のホールはものすごく広い。ちょっとした王宮のホール並の広さはあるだろう。
なのに、そのホールいっぱいに並べられたテーブルはほとんど埋まっているし、そこかしこのテーブルでは、みっちり座った客たちが琥珀ビールのジョッキを掲げ、料理に舌鼓を打っている。
「店もすごいんだな!」
「名物以外の料理も全部、どれもおいしいんだよ。それで、人がたくさん来るからってどんどん店を大きくしてったら、こんなになったんだって聞いたよ」
「……大きくしすぎだとは思わなかったんだろうか」
呆れるエルヴィラに、僕はくすりと笑って肩を竦めた。
「まあ、岩小人の店だし、なんとかなると思ったんじゃないかな」
“岩小人の町”は、名前の通り、岩小人の興した町だ。
質の良い鉄と少しのミスリルが採れる鉱山を、岩小人が放っておくわけがない。山の中に縦横無尽に坑道を張り巡らせ、そのうち、職住は近いに限るとばかりに長年かけて町としても整えてしまった。
さらには、その岩小人と取引をする商人や鍛冶師までが集まって、山の外側に町を作った結果がこの町だ。
だから、この町は大きく分けてふたつの区画からできている。
岩小人の多い山中の区画と、それ以外の種族が住む、山の外区画のふたつだ。
それに、“岩小人の町”とは主に岩小人以外の種族による通称だ。岩小人の間にはちゃんと彼らの言葉で付けられた名前がある……というが、僕はまだそれがどんな名前なのか、聞いたことはない。
「この町にはしばらく留まることになるし、だから毎日ちょっとずつ、ここの料理を食べていくつもりだよ」
「お前、そんなにここの料理が好きなのか」
「種類が多いんだよ。どれも美味しいのに量もあるんだ。いっぺんに食べきれない」
「そうなのか」
エルヴィラは一瞬だけ呆れ顔になったが「うまいならしかたないな」と納得することにしたようだ。
「そういえば、君の武具だけど、どこかあてはあるの?」
「いや。とりあえず、明日、鍛治職人街を見てみようかと……」
ふと思い出し、ビールを飲みながら尋ねるとエルヴィラは首を振った。
あのハーピィとの一戦のせいで、エルヴィラの武具はずいぶん傷んでしまっていた。鎖帷子の背には大きな穴が開いていたし、剣にも幾つか大きな刃こぼれができてしまっていて、ちょっと研いだ程度では直せなくなっていたのだ。
家からの持ち出しでさほどいい品でもなかったからと言うが、武器も防具も無くては僕の護衛という仕事にも支障が出てしまうだろう。
しばらくは僕の護衛として連れ歩くのだ。つぎはぎの間に合わせではなく、ちゃんとしたものを持ってもらわないと困る。
僕が侮られることになるのだから。
「なら、トゥーロのところへ行ってみようか」
「お前の知り合いか」
きょとんと反射的に返したエルヴィラは、「いや、待て」と急に考え込むように眉を寄せた。むむむとひとしきり唸って、「トゥーロって、あのトゥーロか?」と呆気に取られた顔を上げる。
「なんだ、知ってたの」
岩小人の町の鍛冶師トゥーロは、一流の職人として知られている。
もし、“深淵の都”で彼の鍛えた武具を手に入れようとすれば、とんでもない数の金貨を要求されることになるだろう。
「も、もしあのトゥーロだと……確かに彼の武具が手に入るならとても嬉しいけど、私の手持ちで足りるか……」
「ダメ元で見に行ってみればいいじゃないか」
「そ、そうだけど」
まだ真実味が感じられないのか、ごくりとビールを飲み込んだエルヴィラが、何かもの言いたげにじっと僕を見つめる。
騙そうとしているとでも、疑っているのか。
「ちょっとした知り合いなんだよ。せっかくだし聞いてみよう」
「そうなのか?」
エルヴィラは僕をひたすらに見つめたまま、ジョッキのビールをあおった。
「あのトゥーロなのか? 本当の?」
「だから、そうだよ」
とても信じられない、と言いながら、エルヴィラは猛然と料理を食べ始める。
彼の作った剣のバランスは素晴らしかったとか、鎧の仕上がりは神の手の御技によるもののようだったとか、ぶつぶつと呟いては、まだ見ぬトゥーロの武具と料理の味のどっちにうっとりしているのか、よくわからない顔で吐息を漏らす。
少し呆れたけれど、まあ、気持ちはわからないでもない。
僕だって、歌姫のリュートを受け継いだときは、たぶん、エルヴィラのような顔になっていたはずだから。
「一応言っておくけど、作ってもらえるかどうかは知らないよ。それは君次第、トゥーロ次第だからね」
「あ、ああ、わかってる。でも、今は駄目だとしても将来があるじゃないか」
トゥーロは、頑固で偏屈な岩小人らしい岩小人としても知られている。
気に入らない者は王侯貴族でも容赦なく追い返すし、武具の受注は自分が認めた者からしか受けないのだ。だから、いかに知己である僕の紹介とはいえ、エルヴィラの武具を引き受けてくれるかどうかはわからない。ひと目見て門前払いを食らう可能性だってある。
なのに、単なる皮算用でどれだけ喜べるのか。
「前から思ってたけど、君って結構ポジティブだよね」
「そうか?」
「無駄に前向きっていうか」
首を傾げるエルヴィラに、僕はやれやれと吐息を漏らす。それが彼女の長所なのかもしれない。少し面倒くさいけど。
何を言ってるんだとでも言わんばかりのエルヴィラに、僕は笑って「そこが君の良いとこなんじゃない?」とビールを飲んだ。
翌日、エルヴィラを連れてさっそくトゥーロの工房を訪ねた。
トゥーロは岩小人だから、もちろん、彼の工房も岩山の中だ。
外の区画と中の区画を繋ぐ大きなトンネルの前で、エルヴィラはただただぽかんと口を開けて入口を見上げていた。
「この山の鉱脈を最初に見つけた岩小人の氏族長と、鉱山を守って小鬼たちと戦い勝利した、氏族の英雄の像だよ」
トンネルの入り口を守るのは、ふたりの岩小人の彫像だ。トンネルの天井に到達するほどに大きな像は、入口両脇の壁を直接掘り出したものだという。
氏族長と英雄、各々が巨大な戦鎚と戦斧を構え、害為すものは決して通さないという強い目でじっと見据えている。
「岩小人の姿をした、猛きものみたいだ」
「そうかもね。この像はこの町の守り神でもあり、勝利の象徴でもあるから」
入口から続く、巨大な通路も見事なものだ。おそらくは、“深淵の都”をはじめとするどんな都市の目貫通りにも勝るとも劣らないだろう。
天井は、鷲獅子の背に乗って飛ぶこともできるくらいに高く、両壁を掘りぬいた建物の入り口や窓、壁自体も、華やかな彫刻や色石で飾られている。
外の町が植物や花で飾るように、この町は石で飾っているのだ。
「妖精族の作るものが繊細で優美だとしたら、岩小人の作るものは緻密で豪放だとよく言われる。でも、これを見たらわかるように、岩小人の作るものには繊細さと優美さだってあるんだ」
「すごいな。これ、ここまで作りこむのに、何年かかったんだろう」
エルヴィラが、きょろきょろと周囲を見回しては感嘆の声を漏らす。
「さあ。100年や200年じゃ済まないだろうね。
幸いなことに、この町は“大災害”の影響をあまり受けなかったらしい。魔法嵐も、起きてもごくごく小さいものばかりなんだそうだよ。
だから、これほどのものが残せたと言われてる」
「へえ」
外とは全く違う町の光景に、エルヴィラはすっかり目を奪われていた。すっかり気もそぞろなエルヴィラの腕を掴んで、僕はどんどん奥へと歩く。
人混みのざわめきが、カンカンと金属を打つ固い音に変わっていく。
「このあたりから、鍛冶職人の区画なんだ」
外へ逃しきれない炉の熱がこもるせいか、このあたりは少し暑い。大きな送風装置を作ってまとめて風を取り込んでいるというのにこの暑さだ。万が一、それが壊れたりしたら、とても人が住めなくなるほどの暑さになるんだろう。
あたりの人通りも、商店の店先を冷やかす外からの種族は少なくなり、いっぱいに鉱石やら燃料やらを積み上げた手押し車を押す岩小人たちばかりに変わった。
「ミケ、あの、看板はなんだ?」
「あれは工房主の紋章だよ。あれを見て、誰の工房かを判断するんだ」
「へえ」
外の町で店が掲げる看板のようなものだが、板に描いた絵ではない。槌や炉床や武器などを組み合わせた紋章の形を模ってくり抜いた板を、さらに浮き彫りやら透かし彫りにして彩色してあるものだ。
暗がりでは目が利かない、岩小人以外の種族にも見分けられるようにと配慮した、特徴的な形の看板ばかりだ。
いくつもの看板の中から、ようやく、金床に槌と剣を交差させた紋章の看板を見つけて、僕は立ち止まった。
「着いた。ここだよ」
「ここが……」
ごくりと唾を飲みこんだエルヴィラが、ぐっと拳を握りしめる。まるでこれから殴り込みにでも踏み込むぞ、とでもいうかのような意気込みだ。
「なに緊張してるのさ。入るよ」
いきなり頓珍漢に暴れられても困ると、僕はエルヴィラの背中をぱんとひとつ叩く。とたんに、エルヴィラが「ああ」と我に返ったように頷いた。
それでもやっぱり緊張しているらしいエルヴィラは、なんだか面白い。僕は軽く笑うと、「トゥーロ、久しぶり」と声を掛けつつ工房の入口をくぐった。
琥珀ビール=いわゆるアルトビア
本場デュッセルドルフのビアホールではグラスにコースター乗っけてストップかけるまで、まるでわんこビールのように勝手にお代わりがやって来ます。
ムール貝のビール蒸しは超うまいです。
フランケンハイムも好きですが、個人的にはシューマッハ推しです。
 





