幕間:姫詩人
ミーケルの熱が下がったのは、ハーピィ騒ぎがあった日からさらに三日後だった。
ようやく怠さも寒さも熱さもなくなり身体がすっきりとしたが、体力は落ちたまま戻っていない。全部で六日間、ほぼ寝たまま過ごしていたのだから当然だ。
それでも、これでようやく念願の“岩小人の町”に向かえるとあってか、ミーケルはすこぶる上機嫌だ。
「あ!」
「あ、姫詩人の兄ちゃんだ! 元気になってよかったな!」
「……誰が、なんで姫なんだよ」
宿から外に出たとたん、ふたり連れの子供が走り寄る。
あのハーピィから助けたバートンと、連れのアリスだ。
「だって、姉ちゃんに姫抱っこされて戻ってきたし、姉ちゃんかっこよかったし」
戦いの直後、熱がぶり返してひっくり返ってしまったミーケルを、エルヴィラが横抱きにかかえて町まで運んだから“姫”なのだと言う。
ミーケルの頬がぴくりと引き攣った。
いつもなら荷物のように肩に担ぐくせに、どうしてその時に限って横抱きなのか。やはりエルヴィラは何も考えていないと、ミーケルは苛立たしい。
「姉ちゃん、お姫さまを抱っこしてる王子さまみたいだったんだぜ!」
「しかも抱っこしたまま、すげえ勢いで走って山下りるし、さすがだよな!」
「なー!」
「なー!」
顔を合わせて楽しそうに笑いあう子供の言葉に、ミーケルの眉が寄る。
姫とかなんとかやめてほしい。そういうのは求めてない。
眉間に皺を寄せたまま、引き攣った微笑みを浮かべたミーケルは、ふたりにぐいと顔を寄せた。
「そういうのは今すぐ忘れるんだ、いいね?」
「ええ?」
「なんでー?」
「兄ちゃん、顔だけ見たらお姫さまみたいにきれいなんだし、いいじゃんか」
「そうだよ。兄ちゃん美人だしさあ」
「うん、だから忘れようね?」
たちまち不満げに口を尖らせるふたりに、ことさらににっこりと笑う……が、そのミーケルの頭を、いつの間にか出て来たエルヴィラがぽこんと叩いた。
「何するんだよ。君の馬鹿力で叩かれて、頭の骨が歪んだらどうするんだ」
「お前の頭の骨なんかどうでもいいが、子供をいじめるのはやめろ」
ぶつくさと文句を溢し続けるミーケルに、アリスとバートンがくすくす笑う。やっぱ騎士の姉ちゃんはかっこいいなと言って。
ちぇ、とミーケルは舌打ちをする。ぷいと顔を背けると、不機嫌そうに、「もういいよ、行くよ」と歩き出した。
「じゃあな、ふたりとも。いいか、もう無茶な肝試しはするなよ」
「わかってるよ姉ちゃん。姉ちゃんも、姫詩人の兄ちゃんと仲良くな!」
「任せろ!」
エルヴィラはふたりに手を振ると、よいしょと荷物を担ぎ直して急いでミーケルの後を追った。
* * *
「ミケ、ミケ、なんでそんなに不機嫌なんだ」
すたすた早足気味に先を歩くミーケルに、追いついたエルヴィラが不思議そうに首を傾げた。ぴたりとミーケルの足が止まり、眉間に思い切り皺を寄せたままぐるりと振り返る。目を眇め、まるで「おもしろくない」と書いてあるかのような不機嫌な表情だ。
「君のせいで僕に変な呼び名が付いた」
「いいじゃないか。姫なんだぞ」
「どこがいいんだよ」
「アリスの言うとおり、姫だと思えばお前の勝手な言動にも腹が立たないんだ。すごく不思議だな!」
「――だいたい、なんで横抱きなんだよ。自分よりでかい男を横抱きにして山を走り下りる女なんて、聞いたことないね」
「だって仕方ないだろう。奴の爪のせいで、鎖帷子の背中に大穴が空いてたんだぞ。肩に担いだら、お前をほつれた針金に引っ掛けてしまうじゃないか」
「はあ?」
「さすがでかいだけあって、あの爪は馬鹿にできない鋭さだった。まあ、私の敵ではなかったけどな!」
ミーケルの表情がたちまち呆れたものに変わる。
「君、それ、鎧だけで……」
「それにお前はヒョロいから、軽いもんだったぞ! さすが姫だな!」
鎧だけで済んだのか、と確認しようとした言葉を遮って、エルヴィラは、ふはははとあの城で聞いたような高笑いを上げた。バシバシとミーケルの背を叩きながらひとしきり笑って、機嫌よくミーケルの肩をがしりと引き寄せる。
「ミケは女みたいに軽かったから、“姫詩人”というのも納得だ。アリスたちはなかなかうまいことを言うと思わないか」
「――ああ、そう」
やっぱり助けになんか行くんじゃなかった。
あのまま放っておけばよかった。
ミーケルの眉間の皺の数が三本に増える。
肩にがっちり掛けられたエルヴィラの腕を乱暴に振りほどくと、ミーケルはくるりと踵を返してまた早足に街道を歩きだした。
「おい、ミケ、少し速すぎるぞ!」
「君がどんくさいんだよ」
「何! なら勝負するか!」
「君みたいな体力馬鹿とする勝負なんかないよ」
「なんだと!」
ぎゃんぎゃん騒ぐエルヴィラを無視して、ミーケルは“岩小人の町”めざし、ひたすら歩き通した。
 





