屑の撹乱
もうすぐ“古城の町”というところだった。
ここ二、三日、ずっと調子が出ないなと思っていたのだ。
“古城の町”という名前は、低い山の頂上から町を見下ろすように建つ小さな古い城が由来となっている。“大災害”による天変地異で城主の血筋が絶え、そのまま放棄された荒城だ。
城内に残っていた宝も冒険者と名乗る盗賊にあらかた盗り尽くされ、中は荒れ放題であちこち崩れかけた危険な廃城となっている。
今ではわざわざ山を登ってまであの城を訪れるようなものもない。
その、古城の町が見えてきたなというところで、身体のどうにもならない怠さや重さが限界にきて……。
「あれ」
「うわああああああ! ミケが倒れた!」
ぐらり、と視界が傾いで、天と地がひっくり返った。いったい何が起きたのか理解する間もなく、視界が暗くなって、意識が暗転したのだった。
* * *
「相当熱いな」
「僕は寒いよ」
「当然だ。寝てろ」
むすっと顔を顰めたエルヴィラが、押さえつけるように額に濡らした布を置いた。
「喉乾いた」
「ほら、水だぞ」
「ぬるくなってるのなんか嫌だよ。それにもう水飽きた。果実水くらい出そうと思わないの?」
「我儘言うな、お前は病人なんだぞ」
「病人だから我儘言うんじゃないか。とにかく水は飽きた」
「つべこべ言わず飲め!」
乱暴に身体を起こされて、口元にカップをぐいぐい押し付けられた。これが病人に対する扱いなのか。
「君、病人には優しくしろって言われたことないの」
「性根が弛んでるから熱病になんかかかるんだって、爺さまが言ってたぞ。お前は間違いなく弛んでるから、熱病にかかったって驚かない」
「弛んでるからじゃなくて、脳筋じゃないからだよ。君みたいな脳筋は熱なんか出さないもんね。確かに」
「なんだと!」
「大声出されると熱が上がる」
むむむと眉間を寄せて、エルヴィラが唸る。
横に座り、僕を睨むようにひたすら座っているエルヴィラに、太陽神の神官のような看護を望んだところで叶うわけがないことは十分承知している。
「殺しても死なないくせに」
「僕は不死者じゃないよ」
「……なんで、なんでこの町には下級司祭しかいないんだ。“病の退散”の神術が頼めないじゃないか」
「仕方ない、小さい町なんだから」
不機嫌そうなエルヴィラがぶつぶつとこぼす。
僕に文句を言われたってどうしようもないことだろう。
それにしても、飽きた。
本当に飽きた。
性質の悪い熱病にかかってもう3日。
エルヴィラが処方してもらってきたという薬は効かず、熱はいっこうに下がらない。まさか、薬と偽って適当な草を摘んで適当に煎じて飲ませてるわけじゃないよな、と疑いたくなるくらい熱が下がらない。
いい加減、パン粥ばかりで食欲は減退するし、寝たきりで体力も落ちてふらふらだし、頭はぼうっとしたままだし、もしかしたらただの熱病ではなくもっとまずい病なんじゃないかとすら疑ってしまう。
せめて“岩小人の町”まで辿り着いていれば、太陽神の教会も“病の退散”の神術も期待できたのに。
「おいミケ、食事を持ってきたぞ」
「……またパン粥? もう飽きた。もっと美味しいものが食べたい。早く“岩小人の町”に行って琥珀ビールとか飲みたい。黒貝のビール蒸しが食べたい」
「わがままを言うな。お前は子供か」
もう嫌だ。パン粥なんか見たくない。
毎回毎回変わり映えのない味で、もうちょっと何か入れて味を変えることすらしないなんて、ありえない。
トレーに乗せられた薬だってそうだ。
こんな、全然効きもしないクソまずいもの、いったいいつまで飲み続けなければならないというのか。
「薬もやだよ。死ぬほどまずいのに口直しもないなんて、ありえない。蜂蜜か果物くらい用意しろよ」
「……熱が高いくせにうるさい奴だな。おとなしくできないなら、おとなしくさせてやろうか?」
エルヴィラが押し殺した声で目を眇めた。
そのまま何かを考えるような表情で、じっと僕を見下ろしている。
「――ちぇ」
はあ、と溜息を吐いて、僕は少し身体を起こした。トレーごと膝に乗せられたパン粥を、嫌々ながらも口に運ぶ。
いつもと同じ少々の香辛料とチーズだけの、ここ三日食べ続けているいつもの味にはうんざりする。
「治ったらこんな町さっさと出て、絶対琥珀ビールを飲むからね」
「治ったらな」
ふう、と溜息を吐くエルヴィラをちらりと見上げて、僕はゆっくりとパン粥を食べる。
食器を返してくると部屋を出たエルヴィラは、すぐに替えのシーツを抱えて戻ってきた。何か言う気力も無く、僕はぐったりと寝転がったまま、視線だけをエルヴィラに向ける。
「寝てるのも飽きた」
「文句を言っても無駄だ。お前は病人なんだからな」
食事をして熱が上がり始めたのか、また頭がぼうっとしてきた。
本当に、あの薬は効いてる気がしない。
「今、身体を冷やせるように風呂の用意をしてやるから待ってろ」
今度は、井戸と浴室を何往復もして水を用意し始めたエルヴィラをぼんやりと眺めた。護衛らしくなのか何なのか、なんだかんだ文句を言いつつもきっちりと世話をするエルヴィラは、根本的にかなりのお人好しなんだろう。
そのうち用意が終わったのか、また僕のところへと戻って来た。そのまま、何でもないという顔で僕を軽々と担ぎあげて、風呂場へと運ぶ。
はじめてではないが、エルヴィラに荷物のように担がれるというのは、やはりどうにも屈辱感を感じてならない。そもそも、自分より頭ひとつ背の高い男をかるがると持ち上げて運ぶなんて、どれだけ馬鹿力なのか。
「それにしても、君に担がれるってものすごい屈辱感だね」
「お前のひとりやふたり程度担げないようで、どう勲功を立てろというんだ」
「君、ほんと、自分が何言ってるかわかってないよね」
口だけは動くけど、身体を動かす気力はない。
エルヴィラの眉が寄ったが、それでも水風呂に入れようと、手際よく僕の服を脱がせていく。腰に穿いた下着一枚になったところで、このまま浴槽に浸けられそうになって、「待った」と声を上げた。
「なんで下着残すんだよ。君って服着たまま風呂に入る趣味でもあるの?」
「そんなわけない! 私はお前と違って慎み深いだけだ!」
「へえ?」
たちまち顔を真っ赤にして大声を上げるエルヴィラに、僕はにんまりと笑う。
「これでも私は妙齢の女なんだ、殿方を全裸にするなどできるか!」
僕を抱えたまま、ぎゃんぎゃん声を張り上げるエルヴィラを、にやにやと笑って見上げる。
「慎みとかどうでもいいよ。今さらだろ、そんなの。それより、服着たまま濡れたら気持ち悪いじゃないか。ちゃんと脱がせてよ」
「自分で……自分で脱げ!」
「怠くて怠くて、うまく動けないんだよね」
はあ、と大きく溜息を吐く僕に、エルヴィラはぐっと言葉に詰まる。
「僕が転んで怪我したらどうするのさ。僕の手は商売道具なんだよ。まんいちのことがあれば食い詰めることになるじゃないか」
「な、なっ……」
きっと怒鳴り返したいのだろう。エルヴィラの顔がますます赤味を増して、きりきりと歯を食いしばる音がする。
「くそ……病人相手だ……今日は我慢して手伝ってやる! ありがたく思えよ! 私と猛きものに感謝しろ!」
「あー、はいはい」
それでもやっぱり直視はできないのか、目を逸らしたままどうにか残りを脱がせ、風呂桶へと放り込んだ。
肩までつかると、少しひんやりと感じるくらいのぬるま湯が、身体からじわじわと熱を奪っていく。
あのまずい薬を飲むよりも、こうして身体を冷やしたほうが早く回復するんじゃないだろうか。そんなことを考えてしまうくらい気持ちいい。
どうにもならない怠さが少し軽減したような気がして、だんだんと眠気が増して来る。
「ミケ、そろそろ出るぞ」
大声で宣言したエルヴィラが、また浴室に入ってきた。
薄く目を開けると大きな拭き布を広げて、僕の腕を引っ張るように抱え上げる。浴槽から引き揚げた僕を立たせると、少し冷えたみたいだなどともっともなことを呟きながら布を巻きつけていく。身体を拭きあげ、髪の水分をしっかり取って、また僕を抱えると、今度は控室のベッドへと転がした。
寝かせるのではなく、転がすだ。
やっぱり荷物のような扱いだったことに文句を言おうかと迷ったけれど、どうにも怠くて眠くて、控室の扉を閉める音を合図にそのまま僕は眠ってしまった。
それからしばらく眠って、ふと、何か音がしたように感じて目を開けた。
きょろきょろと目を動かしていると、メインの部屋の扉が閉まる音が聞こえたから、そのせいで目が覚めたんだろうか……いや、扉の開け閉めだけではなく、金属の、鎧が擦れるような音もあった。
エルヴィラが鎧を付けて外に出たということか。
つい、顔を顰めて何事かと考える。
この小さな町に、不穏な噂や気配はない……はずだ。たぶん。
エルヴィラが何か余分なことに首を突っ込んだのか。なら、僕には関係のないことだし、放っておこう。
そう考えたけれどやはり気になって、そろりと起き出した。
裸足のままぺたぺたと歩き、そっと扉を開いて窺うと、テーブルの上の書付が目に入った。一体何かと確かめると……。
「――“城に行くが夕刻には戻る”、だって?」
本当に、エルヴィラは人の話を聞いてないし覚えていない。
なんで僕が道中“水辺の魔女”の話をしたと思っているんだ!





