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そもそものはじまり

 大陸の西の端には、“深淵の都”と呼ばれる巨大な都市がある。

 もともとは西の大国の王都でもあった町だ。だが、“大災害(ディザスター)”で王家の半数以上が失われた混乱に乗じて、現在“十大貴族(メイヤー)”と称される名門中の名門である十家の上級貴族に実権が奪われ、現在に至っている。


 その前後にも、“大災害”のどさくさに紛れて大国の一部だった大部分の町や領主が次々と自治を宣言しているし、今や、西の大国の正当なる後継と言えるのは、この“深淵の都”だけとなっている。



 * * *



 いったいどこからどこまでが住民なのかわからないくらいに日々雑多な場所からたくさんの人々が集まり、去っていく。

 大陸中の物品や情報が集まり、ここで手に入らないものはないと言われるほどの大都市だ。いったい、日々どれだけのひとがこの都市に出入りしているか、把握してる者なんていないんじゃないか。


 吟遊詩人ミーケルを名乗る僕は、この町へ来るなり伝手をたどり、さる貴族のサロンへと潜り込んだ。


 もちろん、この町に滞在する間、貴人の屋敷に招かれて上げ膳据え膳のおいしい生活を送るためだ。

 別に滞在費がないわけではない。辺境の田舎ならそれなりの宿で我慢もしよう。だが、こういう貴族のごろごろいるような都会であれば、上級貴族に囲われつつ顔と名前を売りつつ優雅に日々を送るというのも、吟遊詩人としての重要な腕の見せどころなのだ。


 そのサロンで侯爵家の奥方に気に入られた僕は、彼女の屋敷へと招かれた。何せ、“十大貴族(メイヤー)”の一家系である侯爵家の屋敷だ。最低ランクの客室だったとしても、そこらの貴族や領主の主寝室なんかより、ずっと快適な生活が送れるだろう。

 今回はなかなかの首尾ではないか。


 貴族の奥方の気まぐれに付き合いながらの上げ膳据え膳果てはつまみ食いと、なかなかに良い暮らしを堪能させてもらおうではないか。


 が。


「ミーケル、何か歌をお願い。甘くて蕩けるようなロマンスがいいわ」

「はい、姫さま」


 そろそろ面倒くさくなってきた。

 さすが、この家の奥方ほどであれば、僕のような詩人(ながれもの)相手の火遊びというものをわきまえていた。

 だが問題は姫だ。

 いかに熱を上げられようと、未婚の貴族令嬢に手を出すわけにはいかない。相手が純潔だろうがそうでなかろうが関係ない。“未婚の令嬢に手を出した”という事実が命取りになるのだから。

 かといって、こちらがそれとなく引けば、向こうがそれ以上に間を詰めてくるというありさまだ。線の引きどころをわきまえていない馬鹿の火遊びほど、始末に負えないものはないだろう。


 ——つまり、そろそろ潮時ということなのか。今回もわりあいにいい思いをさせてもらったし、そろそろ(いとま)を申し上げる頃合いか。


 そう考えていた矢先の出来事だった。




「だから、わたくしの愛人になりなさいと言ったのよ」


 未婚のくせに何が愛人か。そういうことは結婚してから言え。

 思わず心の中で突っ込んでしまったが、無理もないことだと言えよう。

 なにしろ、気のせいかと思って聞き流そうとしたら、再度繰り返されて、どうにも気のせいじゃなかったのだ。さすがの僕でも、馬鹿かとうっかり口にしそうになったくらいの世迷言だ。


 なのに、周囲の侍女連中が誰ひとりとして、この馬鹿丸出しの姫君を諫めようとしない。終わってる。いかに侯爵家の我儘いっぱいに育った姫の我儘だからって、ここまで許してどうする。へらへら笑って迎合するばかりの馬鹿ばっかり侍らせてどうするんだ。

 侯爵は親馬鹿ではなく馬鹿親か。


 ともあれ、とにかくこの場はのらりくらりと逃げるに限る。だが、どうやって? と部屋の中を見回して、姫の横に立つ女騎士に目が行った。

 ちょうどいい。もう、これ以上姫のたわごとに付き合うのはやめだ。


「あー……姫様、大変光栄なのですが、お受けできません」


 僕は渾身の微笑みで姫に笑いかけた。

 姫は一瞬顔を赤らめて、それから憤慨したように肩を怒らせる。


「まあ、なぜなのです? このわたくしが、お前を愛人としてそばに侍らせてやろうというのよ」

「いやあ、無理なので」

「何が無理なのです!?」

「だって、姫様、僕のタイプじゃないですし」


 ほんとうに趣味(タイプ)じゃない。むしろ、こういう勘違いした馬鹿は嫌いだ。

 この侯爵家の令嬢だから甘い言葉を囁いてやっただけだし、あれこれクソ面倒な我儘にも耳を傾けてやっただけだ。

 それとも、この姫は己の生まれなど関係なく、面の皮一枚の見目の良さだけで何もかもが許されてしかるべきとでも考えているのか。

 やっぱり馬鹿だな。

 馬鹿じゃなきゃこんなこと言い出さないのだろうが。


 魚のように口をパクパクさせる姫は「なら、お前はどのような者が好みだというのっ!?」と身体をわなわなと震わせる。

 屈辱感に顔を歪ませて、こんな表情では“都いち”と(うた)われた美貌も台無しだろうに、そんなことにも気づいていない。

 人とはこういう時にこそ、本性が現れるものなのだな。


「どのような、といいますとね」


 僕は、しかたないな、とにっこり微笑んで、ひとつ踏み出した。

 姫の前ではなく、姫の横に立つ赤毛の女騎士の目の前に。

 ふたりとも、呆気に取られた顔で僕をじっと見つめている。


 女騎士は、それでも自分の役目を忘れずに、騎士らしく身構えた。訝し気に戸惑いながら、けれど、もし僕が姫に対して何か手を出そうものならすかさず斬って捨てる、という意思とともに。

 騎士としては合格だろう。なかなか腕も立つようだし。


 僕は女騎士をしばし見つめ……それから、しっかりと抱きしめて唇を塞ぐ。


「んっ!? ふ、ん、んんっ!?」


 女にしては身体のどこかしこも筋肉質で固いが、唇は悪くない。胸のあたりも意外に柔らかい。ついでに、混乱しているのかそれともお気に召したのか、暴れることなく受け入れている。

 それをいいことにして、僕は、ついでに舌を差し入れて存分に感触を味わっておくことにした。

 慣れていなさそうな反応も、なかなか良いものだ。

 この屋敷にいるどの女とも違って垢抜けず、あまりパッとしないからとたいして気にも止めなかったが、惜しいことをしたかもしれない。


 周囲の誰もが僕たちの行為に唖然と言葉を失っていた。姫も、真っ白な顔色で大きく目を見開いたまま固まっている。女騎士本人も、魂が抜けたように白目を剥いている。

 ひとしきりキスを堪能し、ぺろりと唇を舐めて軽く啄ばむと、僕はにこやかに微笑んだ。とっておきの、詩人の力も使った魅了の笑顔だ。

 効果覿面で、たちまち、姫はまたかあっと赤面してしまう。


 「そういうわけで、姫様はタイプではないと申し上げました。ですから、姫様のお気持ちに応えることはできません」


 だからこの場を去らせろという意思を込めた言葉を舌に乗せ、歌うように告げてことさらに優雅に礼をしてみせる。姫も侍女たちも誰も彼もが赤面し、呆然とする中、僕はさっさとサロンから退室した。




 この、言葉に込めた詩人の力の効果が切れるまで、ほんのすこしの間だ。

 そのすこしだけの時間に、僕は急いで部屋へと戻り、いつ逃げ出してもいいようにとまとめておいた荷物を引っ掴んで、“短距離転移”の魔法を使った。こういう時のために習得しておいた詩人の魔法だ。

 町を出られるほどの距離は移動できないが、侯爵家のタウンハウスの敷地から脱出する程度なら十分だ。

 屋敷から適当な路地に出て、そのまま南地区へ向かい、南門から脱出する。


「ああ、こりゃ数年は都を避けたほうがいいかもしれないかな」


 門を出た先で後ろを振り返り、そう独りごちて……それからちょっと考えて街道を外れ、僕は南ではなく、北へと向かうことにしたのだった。




※ミーケルの言葉はだいたい自分へのブーメランです。

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