引っかかった
夕食には早かったが、軽く食事を済ませてから、約束の時間に店へ赴いた。酒場の支配人との打ち合わせでは、今日迎える予定の客や注意点なども簡単に確認する。
上級貴族がいるようなら、その貴族が好む曲を優先しなければいけないし、どんな目的で来るかによっても、演目を調整しなくてはならないのだ。
「本日、都より伯爵家のご長男が幾人かのお供と一緒にいらっしゃると連絡がありました。お忍びとのことですから大仰な出迎えなどはしませんが、くれぐれも粗相のないよう注意してください。
護衛の方も、周辺の者には特に注意を払うようお願いします」
「何か特別にこれをという曲は?」
「静かに休暇を楽しみたいとのことですから、寛げるものを中心に」
「わかりました」
いったいどこの伯爵家かと考える。
ここへ休暇を楽しみに来るような年齢の長男がいる伯爵家……と考えて、僕の脳裏にはすぐに2、3の家名が浮かんだ。その中で、実際にお忍びと称してここに来るような伯爵家の継嗣というと、ほぼひとりしかいない。
なるほど、これは少し面白いかもしれないなと、僕はエルヴィラをちらりと見た。彼なら、周辺のものに注意をと促されるのももっともだろう。なんせ、日ごろの行いが行いだ。
あまり期待はしていなかったけれど、もしエルヴィラがうまく彼の目に止まれば、面白がって手を伸ばしてくるのではないだろうか。
打ち合わせの後、控え室へと通される途中ちらりと覗いたホールには、案の定、挙動のおかしい者が混じっていた。穏やかにワインを味わいつつ談笑する身なりのいい紳士淑女に混じった、場違いな者がふたりほど。
その道のプロというよりは、思い余ったどこぞの若造が意気込んで、というところだろうか。手引きした奴もいるんだろう。貴族社会という場所で油断を見せた奴なんて、頭からバリバリ喰われてしまうものなのだから。
とにかく、手練れでなければエルヴィラひとりでどうとでもなるはずだ。僕の魔術だってあるのだから。
控え室に入ると、僕は念入りにリュートの調律を行った。僕の今後のために、あれを使ってうまくエルヴィラを彼の目に留めることはできるだろうか?
「気が付いたか?」
「え?」
「なんかちょっと不穏な雰囲気の奴がいたんだよね」
「不穏……?」
何のことだと首を傾げたエルヴィラは、眉を顰めてパッと後ろを振り返った。
「中に行ったらどいつか教えるよ。少し後押してみるから、君は気をつけて」
「後押し?」
「僕は詩人だよ? 君、腕はいいんだからきれいに場を納めてよね」
わけがわからないという戸惑うエルヴィラに、僕はまた笑った。
詩人の歌には、人を動かす力がある。
例えば、ある特定の人物の意識を一定の方向に向けるような力とか。効果はほんのわずか。今回なら「何かをするなら今だ」と背中を押す程度だ。もちろん、絶対に効くわけでもないし、押されたところでそもそも“何か”をするつもりがなければ空振りで終わる。
だが、あのふたりのようすなら、たやすく押されてくれるだろう。
「ああ……何かあるなら、最善を尽くすが?」
「頼んだよ」
いったいどういうことかと訝しむエルヴィラに、僕は小さくリュートを鳴らして「すぐにわかるよ」とくつくつ笑う。
演奏中、不審人物たちは、観察されていることにも気づかず、必死に問題の貴族を窺っていた。
従卒か侍従のようなお仕着せを着ているが、どこの家の者かを示すようなものは見当たらない。さらに言えば、所作がちっともそれらしくない。これでよくこの酒場に潜り込めたものだと、感心してしまう。やっぱり誰かの手引きがあったんだろう。貴族同士の確執なんて、よくありすぎて珍しくない。もっとも、手引きした当の貴族はここにはいないのだろうが。
しきりに袖を気にしているということは、そこに刃物でも忍ばせているのだろう。
背後に立つエルヴィラも、すでに彼らには注意を向けているようだ。
そのうち、問題の伯爵家の令息へと近づいていくことに気づき、しきりに僕へと視線を寄越す。僕がそれに応えるようにちらりと微笑むと、エルヴィラはいつでも動けるぞとでも示すかのように、わずかだけ腰を落とした。
僕は、ふたりの心をほんのわずか後押しするように、“今だ”と示唆の力を込めて音を爪弾く。
とたんに、ふたりは袖からナイフを取り出し、令息へと斬り掛かる。
が、エルヴィラが間髪入れず、近いほうへと飛びかかった。腰の短剣を乱暴に鞘ごと握ると、その柄元でしっかりと鳩尾を捉えて殴りつける。
思わず地母神の町で食らった拳のことを思いだし、鳩尾のあたりにえづくような不快感を感じたが、気を取り直して魔力のこもった言葉を紡いだ。
「“伏せろ”」
瞬く間にひとりを制圧したエルヴィラの目の前で、もうひとりの不審者がいきなり床に伏せた。そのうなじに吸い込まれるように、エルヴィラが短剣の柄を叩き込む。
驚いた顔の伯爵令息が目を瞠るその前で、エルヴィラは顔色ひとつ変えず、優雅に騎士の礼を取った。普段のあの雑さはなんだと思うくらいに、美しく。
やればできるくせに、なぜ普段やらないのか。
すっと立ち上がったエルヴィラは、倒れたふたりの襟首をむんずと掴み、もういちど礼をしてそのまま引き摺りながら奥へと下がった。
僕はその後を受け、また音楽を再開する。
今度は、気持ちを穏やかに、落ち着くようにと力を乗せて。
いきなりの出来事にぽかんとしていた客たちは、そこでようやく我に返ったのだろう。急にざわざわと騒ぎ出したけれど、僕の音楽に宥められ、すぐに鎮まった。
ことさらにゆったりと穏やかな旋律を奏でながら伯爵令息を窺い見ると、エルヴィラの出ていった扉のほうを眺めつつ、支配人に何か耳打ちをしているところだった。
どうやら、こちらもうまく気を引くことができたようだ。
* * *
「どうなることかと思った」
「あんまり腕が立つ刺客ではなかったようだね」
はあっと大きな溜息を吐くエルヴィラに、僕は笑って見せる。
「ちょっとこっちが突いたら、素直に動いてくれたし」
「え……まさかミケがやったのか」
「いや、他のタイミングで来られても迷惑だなと思ったから、やるなら今だって後押ししただけだよ」
「……そういう腹づもりだったんなら、先に言え」
最初にそう言っただろうと思ったが、きっとエルヴィラのことだ。聞いてなかったか聞いてもわからなかったかのどっちかなのだろう。まあ、目的は達成できたみたいだしと、僕は機嫌よく笑う。
「君ならなんとかできるかなと思ったし、実際なんとかなっただろう?
それにしても、君、結構馬鹿力だよね。大の男ふたり、あんな軽々引きずって出てくなんて思わなかった」
「……コツがあるんだ。それに担いだわけじゃないから。それにお前こそ、よく騒ぎにせずに治めたじゃないか」
「だから僕は吟遊詩人だと言ったろう? あのくらい訳ないよ」
呆れた顔のエルヴィラは、それでも少し得意げだ。首尾よく賊を倒せて満足だったんだろう。
「ミーケル殿、エルヴィラ殿。オットー様がお呼びなのでこちらへ」
「はい、ただいま」
酒場の使用人が僕らを呼びに来た。シェーンフェルト伯爵家のオットーというのが、今日、お忍びで来ていた令息の名前だ。都でも手の早さとマメさで名高い色男だ。今日のトラブルだって、おおかた女がらみだったんだろう。
だが、そうはいっても都の十大貴族に次ぐ大貴族である伯爵家の継嗣だ。待たせて失礼にあたってはいけない。
「君はチャンスだろう。しっかりやりなよ」
「……わかってる」
なぜかあまり気乗りしない顔で、エルヴィラは頷いた。
* * *
「やあ、見事な手際だったね、護衛騎士殿に吟遊詩人殿」
オットーは陽気にそう言って、椅子を勧めてきた。一礼して座る僕に合わせて、エルヴィラも腰を下ろす。
オットーは20を少し出たくらいの歳だったはずだ。
きちんと揃えた栗色の髪といい隙のない身なりと所作といい、落ち着いた穏やかな物腰といい、とても貴族らしい貴族だ。
社交界では女性からの評判は最高で、男性からの評判は最悪だ。未だ決まった相手はないというのに、この若さで愛人やら恋人やらはいったい何人いるのか。マメに尽くすタイプだからいいものの、そうでなかったらとうの昔に身を持ち崩してただろう。
「それにしても、こんなきれいで可愛いお嬢さんが、あんなに手際よく賊を仕留めてくれるとは、本当に驚いたよ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
緊張しているのか、お辞儀をするエルヴィラの表情は固い。
オットーはそんなエルヴィラにちらちらと視線を送る。思わせぶりに。これには、さすがのエルヴィラでも察したのだろう。自分が誘われていると。
「今回の礼を兼ねて、ぜひおふたりを私の屋敷に招待したいのだが」
「それはたいへんに光栄です」
上の空のエルヴィラを放って、僕はにこやかに応じる。
オットーは、またちらりとエルヴィラを見て、それから僕へと視線を戻す。
今度は、あからさまに。
「ですが、僕はしばらくあの酒場との契約で、少々時間を空けづらく……もちろん、オットー様のご招待ですから、なんとしても応じたいところなのですが」
もちろんただの言い訳だ。
上級貴族からの招待をこんな理由で蹴るなんて、普通ありえない。
「もしオットー様さえよろしければ、僕の護衛のエルヴィラを行かせます。
そもそも、あの賊を取り押さえたのは彼女ですし」
オットーは「もちろん、願ったりだとも」と破顔する。
茶番だ。オットーの狙いは、最初からエルヴィラだけを連れ出すことなのだから。
ようやくこちらに意識を戻したエルヴィラに、「それでいいね?」と確認する。
ぽかんと首を傾げるようすから、やっぱり聞いていなかったのかと思う。
「なんだ、オットー様の前だからって緊張してて聞いてなかった? 今日のお礼にと、君を晩餐に招待してくださったんだよ」
「え、えっ?」
「僕は残念ながら仕事があるから、君は僕の名代も兼ねて頼むよ」
とたんにおたおたと慌て始めるエルヴィラに若干の不安を感じないでもない。
「あ、私、その、作法とか……粗相をしてしまったら……」
焦って必死に言葉を探すエルヴィラに、オットーまでが微笑みを向けた。
「大丈夫ですよ、当日は気軽に楽しめるような形式にしましょう。間違っても、こんな可愛らしいお嬢さんに恥をかかせるようなことにはしませんから、ご安心ください」
「う、え……あ、あの、楽しみに、して、おります……」
ここまで言わせてはもう断れないと、エルヴィラはようやく観念した。
項垂れているのか頷いているのかよくわからないような恰好ながらも、オットーの招待を了承したのだった。





