幕間:騙されやすくてチョロい
「おいミケ。いったいどこへ向かおうっていうんだ。こっちは都へ向かう街道じゃないのか」
背後から呼び止められて、ミーケルはうんざりした顔で振り返った。
いったいどれだけ喋り倒せば気が済むのかという顔だ。
「またそれ? いい加減にしてくれないかな。僕はミーケルだって言ってるだろう? 犬とか猫じゃないんだよ」
「それなら私だって何度も言ってるぞ。犬猫だと思えば腹も立たないから、ミケと呼んでるだけだ」
思わず睨むように顔を顰めて、ミーケルは苛立たしげに吐息をこぼす。
「なんだ、堪え性のないクソ詩人だな」
「……君のそれ。言葉遣いもどうしたんだよ。猫被らなくていいのか」
ああもうまったく。
最初は怯える小動物のようだと思っていた態度も、今はただのふてぶてしい野良猫か何かになってしまったエルヴィラに、ミーケルは落胆を隠さない。
「なんだ、いちいちつまらんことを気にして、器の小さい奴だな。
いいか、私はわかったんだ。言葉遣いがどうとかなんて些細な問題なんだぞ。そんな小さなことを気にするような器の小さい男など、こちらから願い下げなんだ」
……アンジェという神官は、エルヴィラにいったい何を吹き込んだのだ。
あの夜、アンジェ神官に招待されたとは言うが、何があったかは絶対に話そうとしないエルヴィラをちらりと見る。
何をどうすれば、こうも開き直ってしまえるのか。所作はともかく、言葉なんてあれだけ直そうとしてたのがすべて元の木阿弥だ。そのくせ本気で夫候補を捕まえようと考えてるあたり、始末に負えない。
「おい、さっきの質問だ。この街道を進めば都に着いてしまうことくらい、私だって知ってるぞ。どうするつもりだ、侯爵家に捕まりたいのか?」
「……あのね、この街道だけが道じゃないってわからない?」
「なんだと!?」
なんだとじゃないよ、とミーケルはまた嘆息する。
「グローシャーの支流に沿っても道が出てるじゃないか。そっちへ行くんだよ。“葡萄の町”って聞いたことない?
あと君、声でかい。いちいち大声で騒ぐのやめてくれないかな」
「何、爺さまは声が大きいのはいいことだって言ってたんだぞ!」
いちいち大声で返答するエルヴィラに、ミーケルは思い切り顔を顰める。
“猛将司祭”か。孫娘がこの調子なら、さぞかし逸話どおりのとんでもない脳筋だったんだろう。孫を鍛えるにしても、もうちょっと性別に想いを馳せたってバチは当たらないだろうに。
「声がでかくていいのは戦いの名乗りのときだけだ。君がいつも戦うときなんだかんだ名乗ってるだろう? 大声はあれだけにしてよ。毎日毎日君が騒ぐから、耳がおかしくなりそうだ」
「軟弱な耳だな。それでも詩人か」
「繊細と言ってくれないかな。君みたいな黒鉄製じゃないんだから」
「私はゴーレムじゃないぞ!」
「誰もそんなこと言ってないだろう?」
こめかみをピクピクさせて、ミーケルは顔を引き攣らせる。
こいつ、やっぱりあの程度で済ませるんじゃなかった。生きてるのも嫌になるくらい堕としてやればよかった。なんで手加減なんてしてしまったんだ。
「おいミケ」
「……なんだよ」
「“葡萄の町”って、確かワインの産地だよな?」
「そうだよ、それがどうかした?」
「他にも何かあるのか?」
エルヴィラは、なぜか期待しているような顔で自分を見上げている。
ミーケルはふと思いついたように、少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「教えない」
「なん……だと。なら、何かあるんだな!」
「だから、教えないよ」
「ミケのくせにずるいぞ! 教えろ!」
「僕のくせにずるいって何がだよ。脳筋には絶対教えないから、着くまでずっと気にし続けてな」
ぎりっと唇を噛み締めて、エルヴィラが悔しそうにミーケルを睨みつける。
「くっ……後悔するなよ」
「何を後悔するんだよ」
「私に教えなかったことだ」
「それを何で後悔するんだよ」
「うるさい! とにかく、お前がその気なら、私は毎日騒ぎ立ててやるぞ。“葡萄の町”の名物とは何だとな。お前が嫌がってもだ!」
子供か。
それとも餌をくれと騒ぎ立てる動物か。
呆れた顔でミーケルはじっとエルヴィラを見る。
「……いいか。“葡萄の町”には、葡萄で作った肉がある」
「なに? それは、本当か?」
「昔、葡萄が好きで好きでしかたない魔術師がいたんだ。彼は葡萄を愛するあまり、何もかもを葡萄で作ってしまおうと考えた」
「それは、すごいな」
エルヴィラはごくりと唾を飲み込み目を輝かせる。
「やっぱり葡萄の味がするのか。葡萄の木の味じゃないよな?」
葡萄の木の味ってどんな味だよ、と考えながら、ミーケルは首を傾げる。
「さあ? 僕も食べたことはないからね」
なんせ、今ここで適当に作った話だしな、と内心だけで呟きながらミーケルはにっこりと微笑んだ。
「楽しみだな。葡萄の肉か、どんな肉なんだろう」
「わかったんだから、もう大声で騒ぐのは無しだよ」
「ああ」
エルヴィラは、機嫌よく、“自分の想像する葡萄の肉”についてあれこれ考えたことをひたすら喋りながら、足取り軽く歩いていく。
着いたら着いたで、騙しただのとうるさく騒ぐのだろうが、それはまたその時どうするか考えればいい。
……何しろ、こんな即興の話をころりと信じてしまうくらいなんだし。
「ちょっと、君の人喰鬼並の体力で進むのやめてくれないかな。何走ろうとしてるんだよ」
「だって、葡萄の肉が逃げたら困る」
「逃げるわけないだろ!」
無いものが逃げるわけあるか。