間章・とある名門の黒い噂
とある地下にある薄暗いバーのカウンター席で、二人の男がコソコソと話している。
――知っているか?
――何を?
――ブランシュタウナー家の噂。
――だからなんだよそれ。
――奴らは禁忌に触れているという噂だ。
――禁忌?
――あぁ。交霊師が最もやってはいけない禁忌の外法。新たな大怨霊を生み出しかねない許されざる行為……奴らは、
◆ ◆
「クソッ! クソッ! くそぉっ!! 僕に恥をかかせやがってっ! このくそ幽霊がっ!!」
まりなが友人たちに試験合格を祝ってもらい、自室で宴会を開いているとき。
まりなたちが住むぼろ学生寮とは比べ物にならないほど豪華な豪邸――ブランシュタウナー邸で、ひとりの少年の怒号が響き渡っていた。
言わずもがな、下校時に自身の英雄霊の攻撃を食らいかけて失禁するという大失態を演じた、シンドー・ブランシュタウナーである。
シンドーは現在顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべながら、実体化しているアルトリウスの脛をけりつけつづけていた。
そんなことをしてもアルトリウスは全身鎧を着ているし、何より英雄霊なのでたいした痛撃にはならないのだが……それでもシンドーは蹴りを繰り出すことをやめない。
――本当に子どもだなこいつは。
アルトリウスはそんな主の様子を見て、内心でそっと嘆息をする。
一度ビビらせてやれば、多少はおとなしくなるかと思ったが、プライドを傷つけられて寧ろ凶悪化してしまった。
おまけに、
「もう僕の許可なしに《英雄器》を。このエクスカリバーも僕があずかる!」
「わかっておりますよ主」
縛印を使って、『エクスカリバーを渡せ!』なんて馬鹿なことを言ってくる始末。《英雄器》はその英雄が英雄たる証明であり、それを奪われてしまえばアイデンティティーが崩壊し、現界の維持が困難になるというのに……そんなこともわかっていない自分の主が、本当に魔力だけのバカ者なのだと、アルトリウスは再確認してしまった。
――まぁ、鞘ならばともかく、エクスカリバーは我の魔力で編まれているがゆえ、取り返そうと思えばいつでも取り返せるのだが……満足するまで一応主に預けるという形式をとっておくか。と、アルトリウスは内心で首を振りつつ、今後どうやってこの少年を更生させるかと思案に暮れる。
さきほどからシンドーが発する怒号も、半ば聞き流している状態だ。
そんなアルトリウスの態度に気付いているのかいないのか、シンドーは一つ鼻を鳴らした後、
「フンッ! まぁいい! 来週はいよいよ、神階迷宮に潜るんだ。その使えない頭を少しでも使って、僕に勝利をもたらせよっ!」
「はいはい」
「じゃぁ、とりあえず兄様にお前を紹介してやる。本来ならお前みたいな亡霊が会えるような人じゃないんだからなっ! 感謝しろよっ!!」
「はいはい」
――まぁ、とりあえず今は私がどのような立場に置かれているのか、確かめる必要があるか。と、アルトリウスは現状自分が仕える主が、どのような立場にいて、どのような家族と共に過ごしているのか観察することにした。
人間の成長とは周りの環境に左右されるものだ。シンドーがこんな性格になった理由も、そこから割り出せるのではないかと、アルトリウスは考えていた。
だが、
「兄上ッ! 言われた通り、みごと《聖剣王》の召喚に成功しましたっ!」
「そいつは上々だ、シンドー。よくやったね」
「あ、ありがとうございますっ!」
「…………………………」
シンドーが連れてきた部屋の中を見て、アルトリウスは思わず絶句することになる。
シンドーが連れてきた部屋は、無数のモニターが並ぶ管制室のような場所だった。
その中では白衣を着た人間たちが慌ただしく動いており、無数の書類が飛び交っている。見たところ何かのデータを採取し、それを解析にかけているようだった。
おそらくここは研究室。魔道技術をさらに発展させるため、魔術師たちが日夜研さんに励む場所。
そこまでなら何ら問題はない。シンドーの兄、は屋敷の中に専用の研究室を持つほど勤勉な人物なのだろうと、アルトリウスも気にすることはなかった。
だが、その研究室で行われている研究そのものが問題だった。
モニターと、部屋の前面に取り付けられた巨大な窓から見えるものは、広大な白い空間。その中央には無数機械の集合体である黒い柱が存在しており、そこには、
『――っ!! ――っ!!』
頭に眼もとまで隠すヘルメットのようなものをかぶせられ、柱の中央あたりにはりつけにされた、ひとりの少女が悲鳴を上げていた。
「なんだ……これはっ!!」
あまりの惨状のアルトリウスが怒号を上げ、自身の魔力によってエクスカリバーを編みなおし、手元に顕現させる。
それを見たシンドーは「なっ! さっき奪ったはずっ!?」と悲鳴を上げるが、もはやアルトリウスにそんな言葉は聞こえていない。
薙ぎ払われた聖剣は、空間に鮮やかな軌跡を描き、目の前に歩み寄ってきた白衣の男――シンドーの兄、レイヴェル・ブランシュタウナーの首下につきつけられた。
「……だが、しつけはまだなっちゃいないようだね、シンドー。ダメだよ、せっかく僕謹製の縛印を与えてあげたんだから、きっちり兵器は管理しないと」
「す、すいません、兄上」
「っ!」
だが、そんな状況になってなお、レイヴェルはアルトリウスに見向きもせず、淡々と弟の失態を叱責した。そんなレイヴェルの態度と、いまだ悲鳴を上げることをやめない少女の姿に、アルトリウスは激昂する。
「答えろ人間っ! あの娘は英雄霊だっ! 敬われるべき貴様らの祖先だ! 敬意を払われるべき英雄だっ! それがなぜ、あんな惨状になっているっ!」
「うるさいなぁ。『少し黙れよ?』亡霊風情が」
「――っ!」
レイヴェルの言葉と同時に、どういうわけか召喚者以外には発動しないはずの縛印が、アルトリウスの行動を縛り付けた。
口を強制的に閉ざされ、呼吸がわずかに苦しくなったアルトリウスの剣先が、わずかにぶれる。
その隙を見逃さなかったレイヴェルは、にやりと笑いながら、
「この身の程知らずをどけてあげなよ、アンソニー・ビーンズ。殺すなよ」
「お……」
「っ!?」
影の中から現れた一人の英雄霊が、動きの止まったアルトリウスの剣を持っていた腕を、信じられない顎の力で食いちぎった。
血の代わりに吹き出る莫大な霊力。だが縛印に行動を禁じられたアルトリウスに、それを防ぐ術はない。
苦痛にゆがむアルトリウスの顔を、いやらしい笑顔のまま眺めながら、レイヴェルンは言う。
目の前に、明らかに正気の色をしていない目をした、本来ありえないはずの二体目の英雄が、アルトリウスの腕をむさぼっているにもかかわらず、平然とした顔で言う。
「まったく、英雄というのは度し難いよね。今のお前たちはただの亡霊でしかないというのに、《自分が自分である》というだけで、敬われるのが当然だと思い込んでいる。この時代におけるお前たちの立場なんて、僕達に寄生して生きるただの便利な道具でしかないだろうにさぁ」
レイヴェルはそういうと同時にニヤニヤとした笑みをけし、実験室の中央ではりつけにされた少女を指差した。
「あいつだってそうさ。日ノ本古代に小さな国を作って治めていた予言の巫女――妃御子なんて呼ばれちゃいるが、それって要するに護衛するだけの戦闘能力がないってことになるよね? 英雄霊の一番重要な存在意義――主人の護衛ができないってことだよね。そんな奴をどうして大切に扱ってやらなきゃいけないのさ。むしろすぐに消さないで。あいつの予言能力を有効活用してやっていることを、感謝してほしいくらいさ」
「き……さ、ま」
「おや? 縛印に逆らってまだ話せるとは……」
さすがは彼の大英雄。と、レイヴェルは少し驚く。だが、
「だけど、まぁ縛印に逆らえない時点で君はもう詰んでいるんだけどね。どれ、逆らう気概なんて微塵も残らないように、残った両手両足も落してしばらく放置しておこうか。アンソニィイイイイイイ」
「うぅお……」
まともに言葉も話せない、意思の疎通もできない最悪の食人一族――その魂が英雄として具現化した最悪の亡霊が、ためらうことなく動きの止まったアルトリウスの四肢を引きちぎる。
その惨状を眺めながら、アルトリウスの主人であるシンドーは言った。
「流石兄上っ! あいつ俺に召喚されたくせにやたら反抗的で生意気だったんだ! これで少しはおとなしくなるよっ!!」
「なにぃ、やっぱりそうだったのか。ダメじゃないかシンドー。せっかく君には《望む英雄を無理やり引っ張ってくる》術式を与えたのに……。君に素直に仕えているところを見ると、『ニセの現世降臨の理由を埋め込む術式』と、『召喚者に無条件に愛着を沸かせる』ごまかしの術式もうまく発動していたんだろう?」
「そこなんだけどさぁ兄上。どうもこいつ僕の性根を叩きなおすとか関得ていたみたいでさぁ」
「ははは、そんな無謀なこと考えていたのかい。彼の王様は」
「え、え? あ、兄上? それどういう意味?」
そんな会話を交わす狂った兄弟と、自分の両手両足をむさぼる殺人鬼の姿に、アルトリウスは戦慄する。
――なんだ……これは。我はいったい……どこに来たというのだっ!?
この世の地獄とした思えない光景に、響き渡る少女の悲鳴。そんな異常な光景に、王として強靭な精神を鍛え上げてきたアルトリウスの心も、さすがに悲鳴を上げる。そして、
「あっ、そうだ兄上。もうそろそろあの妃御子も使い物にならなくなってきただろう? 悲鳴以外の声も出せなくなったみたいだし。だったら、今度の神階迷宮探索の時に、僕にあれかしてよ。肉盾くらいにはなるだろうし、二人も英雄連れているなら拍もつくだろうしさぁ! あの予言能力は神階迷宮では色々役に立つでしょう」
「ん? まぁ、いいけど……。あのポンコツのほかにもう一体英雄を呼ぶつもりではあったしね。いいよ、好きに『使い潰してくるといい』」
「――っ!」
最後の最後に聞いた、英雄を人として扱ってすらいない二人の言葉に、アルトリウスはとうとう絶叫した。怨嗟と憤怒がこもったその絶叫を聞きながら、二人の兄弟はそれを聞き流す。
どうせ何もできやしないと。だが、
「許さん……お前たち、絶対に許さんぞっ!」
彼らはまだ知らなかった……英雄霊の本当の恐ろしさを。