英雄同士の小競り合い
放課後。日が傾き、後者の下駄箱からは多くの生徒が吐き出される。
さまざまな獣の耳や尻尾を揺らし、カラフルな頭髪を夕方の爽やかな風の揺らしながら、談笑して帰る生徒たち。
そんな流れにもまれるように、ベオウルフとまりなはそそくさと家路についていた。
といっても、現在姿が見えるのはまりなのみ。ベオウルフは現在、肉体を空気中に溶け込む霊力に変換して姿を消していた。
『もともと幽霊の体だとこういったところが便利だよな……。人ごみにもまれないし』
姿を消したベオウルフが見下ろすのは、人の波にもまれて今にも溺れそうなまりなだった。
「は、薄情ものぉ~。少しはご主人様を助けてほしいのですぅ」
『こんな人の多い時間に帰ろうとする方が悪い……。図書室なり食堂なりで時間潰せよ』
「そういうわけにはいきません。今日は近所のスーパーで特売が!!」
――仮にも神に仕えるべきシスターが、そんな俗っぽいこと言っていていいのか? と、ベオウルフは思わなくもないが、どうも話を聞いているとこのシスター、苦学生っぽい。
現在ベオウルフたちが帰ろうとしている場所も、漣高校に所属する生徒だけが借りることができる格安学生寮らしく、まりなはそこで日々爪に火をともすような一人暮らしをしているらしい。
『そんな思いするくらいだったら大人しく親御さんの所に帰ればいいと思うが……』
「そういうわけにはいきません! お父さんもお母さんも、私が立派なシスターになると信じて、この大都会に送り出してくれたのですぅ! シスターになるためには、《神聖術師》の資格が必要不可欠なのですぅ。高校でその資格が取れるのは、この学校だけなのですぅ!」
『大学行けば結構あるんじゃないのか?』
「大学まで進学するお金なんてうちにはないのですぅ!」
『おいやめろ。涙が止まらなくなるだろう……』
――いったいコイツの両親って何してんだ。と、胸を張ってあまり人様には自慢できないことを大声で言ってのける自身の主に、ベオウルフは霊体化しているにもかかわらず思わず目元を覆った。
そんなくだらない掛け合いを二人がしていた時。
「――っ!」
ベオウルフが何かに気付いた。
「そこから離れろ、主っ!」
「えっ? べ、ベオウルフさん?」
突如実体化し、自身を突き飛ばしたベオウルフに、「は、反乱!? やっぱり私が主では嫌だったのですかっ!?」と、とんでもないところに理論を飛躍させるまりな。だが、今のベオウルフにはその勘違いを正している時間はない。
学校屋上から落下してきた人物の蹴りを、鞘から引き抜いた魔剣で受け止めていたからだ。
「流石は《吸血剣》フルンティング。頑強さだけが売りな魔剣だけはあるねぇ」
「てめぇ……何のつもりだクソガキ」
声をかけてきたのは、フルンティングの腹をけりつけた英霊に抱えられた、金髪碧眼をした人族の少年。
年のころはまりなと同じ高校二年生といったところか。顔立ちは整っているが、全身からにじみ出る人を見下したような雰囲気が、妙にベオウルフの癇に障った。
「それにテメェもだ。どこの英雄霊かしらねぇが、見たところいっぱしの騎士だろうが。だと言うのになんだこれは? 公衆の面前で不意打ちしかけんのがテメェの騎士道かよ」
ついでベオウルフは、自身の剣に蹴りを受け止められ、舌打ち交じりに飛びずさり、地面に着地した騎士にも叱責を向けた。
これでも一国の王として、多くの騎士を率いてきたベオウルフ。それゆえに、騎士が突然の奇襲の直後、名乗りすらせずに舌打ちまで漏らすという態度は許しがたかったらしい。
「黙れ、誰が好き好んでこのようなまねを……!」
「おいおいアルトリウス。誰が口をきいていいといった? お前は僕の下僕だろうが! 勝手に口を開くなっ!!」
「――!」
だが、どうやらそれにも相応の理由があったらしいと、ベオウルフはすぐに悟った。
騎士の右腕に輝く紅い鎖の文様を見て、彼は思わず半眼に成り騎士――アルトリウスに降ろされた少年を睨み付ける。
「アルトリウス? まさか秀国の《聖剣王》か? はっ! 彼の常勝の王も、こんなバカに呼び出されたら、ただの凡骨に成り下がるみたいだな?」
「なんだと!? たかだかゲルマニアの成り上がり騎士風情が、この僕――シンドー・ブランシュタウナーを侮辱するのかっ!」
どうやら相当あおり体勢が低いと見える金髪碧眼の青年――シンドーの、顔に似合わない粗野な怒号にベオウルフは思わず眉をしかめた。同時に、
――いや、英雄にはなれそうもないお前みたいな小悪党なんざ知るか。とよほど言ってやろうかと思ったが、
「ま、待ってくださいベオウルフさんっ! 《ハウス》! 《ハウス》ですよっ!!」
「ぐえっ!?」
突如背後に突き飛ばしたまりながベオウルフに飛びつき、その行動を一切停止させる言霊を放ったせいで、その言葉を発することはできなかった。
それから数秒後。何をしても体が動かないと悟ったベオウルフは、まったく動かなくなった口の代わりに「どういうつもりだ?」と言う色をめいいっぱい乗せた目でまりなを睨み付ける。
もとより鋭かった瞳が、さらに不穏な色を増し凶悪になったベオウルフの睨み付けに、まりなはびくりと震えながら、それでも必死に首を横に振った。
「あ、あの人は現代では本当にすごい名門の出なんですぅ! 《ブランシュタウナー家》。歴代当主は、10万人の軍勢を一人で倒した聖人や、神代で語られた大英雄まで、多くの大英雄たちを召喚したことで知られていて……国連の役員になっている人までいる、この世界有数の権力者です。わたしなんかが睨まれちゃったら、あっという間に実家ごと潰されちゃいますからっ!」
お願いですから今は我慢してください! と、必死に自分に縋り付くまりなに、ベオウルフは内心で舌打ちを漏らしながら、
「――」
わずかに首を上下に揺らした。
――主を路頭に迷わすわけにもいかないしな。それにしても、見た感じ誰もが平等そうな時代でも、貴族みたいなやつってのはいるんだな。と、生前の嫌な記憶を思い出しながら。
元々一地方の騎士であったベオウルフは、その武勇を見込まれ先代国王から王座を譲られた、シンドーの云う通り成り上がりの王であった。
そのため、歴史と伝統を重んじる貴族院とは、何かと衝突が絶えない王でもあったのだ。だからこそ、ベオウルフは目の前で威張り散らしているシンドーがいけ好かない。
「隙さえあれば喉笛切り裂いてくれるのに……」
「殺人はどの時代に行っても駄目ですよぅ!」
物騒なベオウルフのつぶやきが聞こえたのか、まりなは離しかけた手を再び強く握りしめ、ベオウルフを抑え込む。
だが、そんなまりなの必死の努力など知ったことではないのか、
「おいコラ、無視するなぁあああああ!」
さきほどから完全放置を食らっていたシンドーが、顔を真っ赤にして怒号を上げた。
◆ ◆
突然始まった英雄同士の激突に、下校時の津波を作っていた生徒たちはすっかり四人から離れていた。今はにらみ合うベオウルフとアルトリウスを中心に巨大な人の円ができてしまっている。
そんな英雄同士のにらみ合いの中、自信満々というか、鈍いと言った方がいいのか……。英雄同士の敵意が激突する中心へと無造作に踏み出す生徒が一人。
さきほど怒号を上げたシンドーだ。
アルトリウスの前に出てきたシンドーは、ベオウルフの背後に隠れるまりなにニヤニヤとした笑みを浮かべながら話しかけた。
「やぁ、刑部。さっきの中間試験……正直驚いたよ。お前みたいな落ちこぼれが、まさかベオウルフなんて大物を引き当てるとはね」
いったいどんないかさまを使ったんだい? と、あからさまにまりなを馬鹿にしたような言動をとるシンドーに、ベオウルフの片眉がピクリと跳ね上がる。
――ファミリアの前で主人を侮辱するとは、こいつ本気でいい度胸だな。と、ベオウルフはまりなに気付かれない程度に殺気を飛ばすが、
「……」
「おいおい、守る価値なんてないだろコイツに」
「一応ファミリアだからな」
その殺気はシンドーの背後に控えていた、アルトリウスが放った闘気よって相殺された。
だからこそ、シンドーは英雄の殺気にさらされながらも、特に何も感じないかのように――いや、実際何も感じないまま無造作にベオウルフの間合いへと入ってくる。
「魔力を生成量も一般人に気が生えた程度。伝統的な固有術式を持っているわけでもなく、頭もいいわけではない。なにより……術式構築速度が致命的に遅いお前じゃ、英雄霊なんて呼べてお前の爺さんくらいだろうと思っていたけど?」
「え? いや今回魔法陣は先生が事前に用意してくださっていましたから、私の欠点である術式構築速度は関係ないと思って、必死に試験に臨んだのですが……」
「…………………………………」
至極まっとうなまりなの指摘に、シンドーはニヤケ面のまま氷結し、そのまま言葉を失った。
周囲の人間も「何言ってんだあいつ?」と言いたげな視線を交わしながら、事の成り行きを見守り続ける。
そんな得体のしれない沈黙が支配した空間の中、ただ一人――ベオウルフだけが平時と変わらぬ雰囲気で口を開き、
「何? ひょっとしてコイツ、うちの主人なみにバカ?」
い、いいやがったぁああああああああ! と、周りの人間の心が一つになる。だれもが思っていても口には出さなかったそのセリフを、ベオウルフはバッサリと言ってのけたのだ。
シンドーはその言葉を聞きブルブル震えながら、
「た、たまたま現世に這い出てきただけの三流英雄が。あまりブランシュタウナー家を馬鹿にするなよっ!」
「いや、バカにしたのはお前なんだけど……。実家関係ないだろう。かわいそうに……お前の事情に巻き込むな」
「僕を馬鹿にするってことは、ブランシュタウナー家を馬鹿にしたのと同義だっ!」
――こんな奴といっしょくたにされて、こいつの実家もいい迷惑だろう。とベオウルフは思ったが、今ですらトマトのように赤い顔をしているシンドーを、これ以上刺激するのはまずいと察してはいたのか、さすがにそれ以上の発言は控える。
「それであの……どうしていきなり攻撃を?」
そのあたりのことはベオウルフ以上にわかっているまりなも、当然腫物を扱うかのような慎重な態度で、シンドーとの会話に臨んだ。
気づかわれている。そうとわかるまりなの言動が、シンドーの自尊心をくすぐったのか、ひとまず冷静さを取り戻したシンドーは、ファサッと流れる金髪をかきあげながら、何とか余裕の笑みを取り繕った。
「いやなに。同じ古代英雄の使役者として、いろいろと英雄の使い方をレクチャーしてあげようと思ってね。何せ現代で中世以前の英雄を扱ったことがあるの人間は少ない。それこそ、完全なノウハウを持っているのは我がブランシュタウナー家ぐらいだろうからね?」
「そうなの?」
「えぇ。過去や未来から英雄を呼び出すとは言っても、時間的距離が開くと……つまり、現在から時代が離れていくにしたがって、その人物を召喚する難易度は上がるのですぅ」
「だったらなんでお前は俺なんて難易度が破格だろう存在を呼んだんだよ」
「べ、ベオウルフさんのサクリファイスしか手に入らなくて……」
――俺、いったい何をささげられて呼ばれたんだろう……。と、召喚と同時に消えてしまったらしい、自身を呼んだ生贄とやらが少し気になったベオウルフ。だが、今はそんなことを気にしている余裕はない。
「つまりなんだ? お前はまりなに、俺との生活の仕方でも教えてくれるのか? 俺が過ごしていた時代の知識をひけらかし、価値観の相違ができるだけ無いように、心を砕いてくれると?」
――もしそうならこいつは完全に善意で、俺達に話しかけたということになるが……それはありえんだろうな。と、ベオウルフは先ほどのアルトリウスの攻撃を思い出し、その可能性を否定する。
あの攻撃は間違いなく、こちらを害する目的で放たれたものだと、長年の戦士の完がベオウルフに教えていたからだ。
そしてその考えは、
「はぁ? なんでそんなことをしないといけないんだよ。稽古をつけてやるって言ってるんだよ」
シンドーが放ったその一言で、あっさりと肯定された。
同時に、今まで大人しくシンドーの背後に控えていたアルトリウスが、疾風のような速度でベオウルフを肉薄する。
「っ!」
「ベオウルフさんっ!?」
マリなの悲鳴がはるかに遅く聞こえる。それほど集中してアルトリウスの聖剣の一撃を見切ったベオウルフは、手をかけていたフルンティングの柄を力いっぱい握りしめ、即座に抜刀。聖剣の横っ面を殴りつけるように斬撃し、その一撃の軌道をそらす。
「ほう。流石は名だたる辣腕王。力だけなら押し切られそうだな」
「冗談抜かせよ聖剣王。お前その細腕のどこに、そんな力隠してやがったッ!」
側面をはたいただけだというのに、わずかに走る手のしびれ。ベオウルフはそれに冷や汗を流しながら、顔には不敵な笑みを張り付けまりなを後方に下がらせる。
「さがってろまりな。あちらさんは本気でやるみたいだ」
「そ、そんな!? 学内での魔術戦や暴行沙汰はご法度ですよ!?」
「あいつ結構権力持ってんだろ。握りつぶす手段くらい幾らでも持っているだろうさ」
そしてあいつの目的は……。
「自分以外の奴が、難易度の高い中世以前の英雄霊を呼んだのがそんなに不満か? つくづくケツの穴の小さい野郎のようだ」
「あまり無礼な口をきくなよ成り上がり。《英雄器》の解放を許可する。叩き切れ、アルトリウス!」
「……仰せのままに」
突如本格化した英雄同士の激突に、周りにいたやじ馬たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすかのように逃げ惑う。
そんな周りの騒動など知ったことではないといわんばかりに、聖剣を掲げる王と、魔剣を構える王は、
「勝利を導け――《絶対勝利の剣》っ!!」
「恨みを糧にしろ――《血装の剣》!!」
現在では再現不能といわれる神秘の武装に、ありったけの魔力を注ぎ込みながら激突した。