エピローグ
『ブランシュタウナー家の《英雄虐待事件》が発覚してからすでに一週間の時が経ちました。東都国際空港はいまだに戦いの爪痕を激しく残しており、現場の警察は日夜現場検証にいそしんでおります』
『一級探索者・朱辻真狩さんの協力があったとはいえ、一介の学生が《十魔長》レイヴェル・ブランシュタウナーを打ち破ったというのは異例のことですね。よほど連れていた英雄霊が強かったのでしょうか?』
『いいえ。確かに彼女が連れていた英雄霊は、かの有名なベオウルフであったということですが、同日迷宮で起こった《聖剣王反逆事件》において、彼はすでに満身創痍の傷を負っていたといわれています。その状態でブランシュタウナー家当主――レイヴェル・ブランシュタウナーと、彼が連れた大英雄《ヒュドラ殺し》を抑えた彼女の手腕は、まさに奇跡と言えるでしょうね』
『とはいえ、やはり英雄霊の虐待はいろいろ問題がありますからね。政府には、ブランシュタウナー家に強い対応を取ってもらうことが期待されますね』
「……」
連日報道される友人の名前に、私はやや呆れながら最近手慣れてきたフライパンをふるい、上に載っていた卵の膜をくるくると巻いていく。
――連日同じ話題ばかりして、いまの人たちは飽きたりしないのでしょうか? と、私が内心で小さく首をかしげていると、
「おはよう、妃御子。あら、またご飯作ってくれているの? わるいわね……」
私がお世話になっている部屋の家主であり、新しいマスターである葦原奏歌が、寝癖でボサボサになった髪をガリガリとかきながら、身を起こした。
1K部屋のぼろアパートでは、住んでいる人の動きがすぐわかる。
ここ一週間の経験で、どうも今のマスターは朝に弱いのだということを理解した私は、せめておいてもらっているお礼をしようと、こうして日夜朝食作りに励んでいるわけだ。
「それにしても、まりなは相変わらずぬけているわね。あなたの保護を頼まれたはいいものの、二体目の英雄霊の維持なんて自分の魔力量じゃ不可能だってことをすっかり忘れているんだから……」
そのせいで魔力なんてあっても使わない科学科の私に、面倒を任せることになるんだから……もっといろいろ考えて行動しないとダメよね? あのこ。と、まるで母親のような愚痴を垂れる今のマスターに、私は思わず苦笑いを浮かべた。
なんやかんや言って、この人がまりなさんを猫かわいがりしているのは、普段の態度からよく知っているからだ。
そうこうしているうちに、最後の一品が出来上がった。
マスターが好きな濃いめの出汁を使っただし巻き卵。
それと一緒に、事前に作っておいたご飯とお味噌汁を持っていき、私はマスターが部屋の隅から持ってきて広げた卓袱台の上に料理を広げていく。
「ねぇ、妃御子?」
「?」
そんなときだった、ほんの少し真剣な声音をだし、マスターが私に問いをぶつけてきたのは。
「今の生活、楽しい?」
「……?」
質問の意図がわからず、とりあえず楽しいので素直に頷く私。そんな私を見てマスターは顔をしかめた後、
「でも、あんなニュースを見ていたわけだし……人間に対する不信感がまだ消えないようなら、無理をしなくてもいいのよ。正規契約ではないあなたはもう、縛印に縛られることがない英雄霊なのだし……この世界にもうんざりしているなら、あなたは自由にわたしとの魔力ラインを切って、英雄霊の魂が保存されている場所に、戻ることだって可能なのよ?」
――あぁ。マスターは私があのニュースを見ていたのが気になって、こんなことを言い出したのですか。と、私はようやく突然の問いの意図に気付き、苦笑いを浮かべた。
そして、やはり未だに声が出ない喉のかわりに最近マスターが作ってくれた《文章朗読端末》のタッチパネルを叩き文字を打ち込む。
端末は打ち込まれた文字をそのまま声にして、スピーカーから吐き出す。
『今は楽しいです。あなたはわたしを傷つけたりしないし、精一杯気を使ってくれる。まりなさんも、幸美さんも優香さんも、とても楽しい人たちです。私は今、とても満ち足りた生活を送っていると思います。帰る理由なんてもうありません』
「……そう」
『それに、あの人は私が笑顔でいられる世界を作りたいと言っていた。だったら、私がこの世界で笑って楽しい人生を送ることが、あの人に対するなによりの弔いになると思うから……』
そこで私は、思わずしんみりとした雰囲気を放つマスターに苦笑いを浮かべ、
『だから、いままでの不幸なんて笑い飛ばしてやれるくらい、楽しい人生を送るんです!』
私は精一杯胸を張った。英雄霊の魂の保管庫で新しい眠りについているであろうあの人に、胸を張って「下界はとっても楽しかったわ!」と言えるように。
そんな私の姿を、マスターはしばらく唖然とした表情で見つめていたけど、
「ふふ、流石は英雄といったところかしらね。一週間前はあんなに憔悴していたのに」
いつも浮かべているやわらかい笑みをようやく見せてくれた。
私はそれにほっと安堵しながら、
『(∀`*ゞ)エヘヘ』
「……?」
「顔文字は発音されないから注意しなさいよ」
文字を打ち込んだはずなのに、いつまでたっても音を発さない端末にわたしが首をかしげる。そんな私の仕草に吹き出しながら、マスターは作ったご飯をかきこみ、
「さぁ、ちょっと寝坊しちゃったから早く着替えて学校に行くわよ。今日はなんたって……まりな生涯初の晴れ舞台なんだから!」
『がってんだー!』
平和な日常を過ごしていく。
◆ ◆
「うぅ、ベオウルフさん……どうしましょう!? 私どうしたらいいんでしょう!?」
「おちつけ、まずは深呼吸だ。一分間息を吸い続け、一分間息を吐き続けろ。それを繰り返すことによって人は……」
「落ち着くんですか?」
「ちょっと呼吸が苦しくなる……」
「完全にただの無駄骨じゃないですかっ!?」
「でもまぁ落ち着いただろ?」
「はっ! 言われてみれば確かに!? まさか今までの会話の流れがすべてベオウルフさんの掌の上!? ベオウルフさん……恐ろしい英雄霊!!」
「おいやめろ。アルトリウスのせいで、英雄霊関係の発言は最近厳しいんだから」
――反乱の意有りなんて勘違いされたら、ソコソコ面倒なことになる。と、ベオウルフは冷や汗をかきながらあたりを見廻す。
周りにはおめでたい白と紅色の幕が張られ、まりなをコソコソと眺めていた学生たちは、ベオウルフが周囲を見回し始めたことに気付くと、バツが悪そうな表情になり顔をそらす。
そんな中教員や生徒会役員だけは忙しく動き回っており、今回の式典の準備にいそしんでいた。
そして、いまリフトによって上げられた看板には《刑部まりな 漣学園特別功労賞授与式》のとの文字が書かれている。
「やぁ、刑部生徒」
「……久しぶりだな」
「あっ! 朱辻さん、シモンさんっ!」
「お前らも呼ばれたのか?」
「一応関係者だしね」
「……断ってもよかったが、戦友の晴れ舞台とあっては見逃すわけにもいかなくてな」
「あわわわ、きょ、恐縮です!!」
あんな事件があった後で、ブランシュタウナー家を壊滅させたというのに、まりなの言動はそれ以前の気弱なものとまるで変わっていない。
そんな彼女の姿を見て、真狩とシモンは苦笑いを浮かべ、
「もっとシャンと胸を張れ」
「……しかり。真狩の云うとおりだ。君は誰もが認める凄いことをした。だからこその今日の式典だし、君のことを多くの人が称える。だから今日くらいは、この学園の《英雄》らしく堂々としておけ」
「――っ! はいっ!! アドバイスありがとうございます!」
バシリバシリと、二人同時に勢いよくまりなの背中をたたき、手を振りながら去って行った。
そんな二人の背中を見送り、ベオウルフとまりなは顔を見合わせ、
「そう……ですね。勝った私たちが堂々としていないと、アルトリウスさんもあちらで文句を言うでしょうし」
「『我を倒した英傑が、高々式典くらいでうろたえるな。愚か者めっ!』みたいな」
「あ、似てます似てますっ!」
ベオウルフの声真似に、まりなはおなかを抱えて笑いだし、そして、
「もう……私は落ちこぼれなんかじゃないんですね」
「あぁ。それどころか、世界を揺るがす大事件を解決した、立派な英雄だよ」
一週間前に露見したブランシュタウナー家の英雄霊虐待事件。
第一級冒険者、朱辻真狩の通信連絡から突如として発覚したこの事実は、関係各所に激震を走らせ、日ノ本を一気に臨戦態勢に陥らせるほどの騒動となった。
当たり前だ。自身の国の英雄が不当な扱いを受けていた可能性があるとなれば、他の国連加盟国が黙ってはいない。
ブランシュタウナー家討つべし。という大義名分を得た他国の軍勢が、日ノ本に攻め入ってくる可能性すらあるのだ。
その可能性を少しでも潰すため、日ノ本の統治機構は様々な根回しを行い、その間にレイヴェルの逮捕が後手に回ってしまった……ということになっている。
実際警察の動きが遅れた理由は、レイヴェルが日ノ本上層部にもっていたパイプを使って上層部を混乱させたからなのだが……さすがに一個人の手によって国の統治機構が一時期麻痺させられたなどと口外できるわけもなく、日ノ本政府は事件解決後、総理大臣がまりなに土下座をしてまでその事実に関しては口を閉じるようお願いしてきた始末。
――それでいいのか日ノ本政府。と、ベオウルフは思わないでもなかったが、とにかくそれによって事件当時の日ノ本公的権力は、一切あてにならなかった。
そこでまりなたちは仕方なく、シンドーから吐かせた緊急時の避難経路に待ち伏せし、海外への逃走を図ったレイヴェルの迎撃を行ったわけだが……仮にも相手は世界で十本の指に入るといわれる大魔導師。その抵抗は激しく、ベオウルフたちは逆にあわや全滅というところまで追いつめられてしまったのだ。
だが、そこでまた奇妙なことが起こった。シンドーを説得したまりなのあの異常な迫力が、再びまりなの体に宿ったのだ。
それによって、シンドーと同じように戦意を喪失したレイヴェルは、遅れてやってきた警察にあっさり自首し、国際空港を半壊させ、世界に激震を走らせたこの大事件は、信じられないくらいあっさりと幕を下ろすことになったのである。
こうして《ブランシュタウナー家の醜態》と呼ばれた一連の事件は幕をおろし、その解決に尽力したまりなはこうして学校から表彰される運びとなったわけだ。
――噂では政府や国連からの表彰式も計画されているらしいが、それは今の主には黙っていよう。と、現状学校の表彰式だけでイッパイイッパイな自身の主の姿に、ベオウルフは内心でそう決意しながら、
「うぅ。私一人の力ではないのに……どうして私だけこんなに目立って」
「まぁまぁいいじゃないか主。あんたがやったことは紛れもない偉業の一つだぜ? 迫害された英雄の亡霊を救うために立ち上がった、ひとりの美少女シスター。俺の時代なら英雄譚の一本でも書かれていたろうさ」
「そんな大げさな……」
「おおげさじゃないぞ? お前はそれだけすごいことをしたんだ。もっと胸を張れ」
そんなベオウルフの言葉に、まりなは思わず目を見開き、
「そうですか……。じゃぁ私もようやく、ベオウルフさんの隣に立てる主になれたということでしょうか」
――そう考えると少しだけ、悪い気分ではないのです。
そう言ってはにかむ自身の主に、ベオウルフは「あたりまえだろうっ!」と、優しい笑みで笑いかけ、
「これより式典を始めます。みなさん、ご着席ください!」
学校のホールの中に響き渡ったマイク越しの放送によって、人の流れに規則性ができる。
まりなはそれに逆らうように前へ前へと進み出て、最前列の席に座った。
そこは今回の功労者が座るべき場所。
誰もが認めた凄い奴が座る席。そんな席に自分の主が座っていると思うと、感無量になるベオウルフ。
開会のあいさつは早々に終わり、まりなの名前が、
「刑部まりなさん。前に」
「はい!」
呼ばれた。
彼女はわずかに震える手足でぎこちなく歩きながら、賞状を持った中年男性――漣学園理事長のもとへといくために段上に登る。
そして、ちらりと背後を振り返り、
「がんばんなさいまりな」
いつのまにかやってきていた、妃御子同伴の奏歌に、
「頑張って~まりなちゃ~ん」
「刑部さん。緊張しすぎよ」
普通科生徒たちが座る列から、静かな式典会場を引き裂く声援を送ってくる寮の仲間。
「リラックスリラックス……」
「……真狩。座りながら寝てはいけない。風邪を引く」
もう式典に飽きてきたのか、花提灯を膨らませて寝言を呟く真狩を、必死に起こそうとするシモン。
好き勝手に自分を応援してくれる、寮の仲間や術者としての先輩。そして、
「胸を張れ、新しい英雄っ!」
静寂を切り裂く自身の英雄霊の一喝に、まりなの緊張は完全に消えた。
その背中はピシリと延び、歩く姿は百合の花を心がける。
威風堂々と言った様子でたたずむ少女の姿に、目の前まで来た彼女を見つめていた理事長はほんの少し目を見開き、
「ふふ。おめでとう。リトルヒーロー。君によって多くの人々が救われた。感謝しているよ」
「あ、ありがとうございますっ!」
最後にはにこやかに笑って、まりなに賞状を手渡してくれた。
まりなはそれをうけとった後、
「みんな、ありがとぉおおおおおおお!!」
あの事件を解決するために手伝ってくれたすべての人たちに、感謝の言葉を継げながら、受け取った賞状を高々と掲げた。
もう、彼女をおちこぼれシスターと蔑む奴はいない。
その光景に満足げに頷きながら、ベオウルフはこれからも騒動が絶えなさそうな予感がする日々に、ほんの少し苦笑いを浮かべるのだった
《完》
以上でこの話は完結となります。
ここからまりなは現代に生まれた聖女としての出世街道を歩んでいくわけですが、まぁそれは後々? 賢者の石当たりで出てくるかもしれません。
賢者の石の方との絡みを期待されていた方ごめんなさいT―T
一応ほかの物語でこの物語の補足はされる予定ですが、それが賢者の石になるか、はたまた別の物語になるのか……。まぁそれはいいでしょう。とにかくしばらくは賢者の石に専念……ん? なに? ゼウス? ギリシャ関係の話?
お、おいおい。そ、そんなもの描くわけないだろう(震え声)。早く鎌蔵編終わらせないといけないんだから(白目)。
ま、まぁ……また後日ということで!
次は賢者の石の更新ですよ、えぇ……多分。(ちょ




