我が真名の宿りし辣腕
『このように様々な伝説を残したベオウルフだが、彼の初めての伝説は幼少期に始まったといえるだろう。
近年解読された《ベオウルフ叙事詩》の序文には、このような記載がある。
【英雄ベオウルフ。《怪物殺し》《竜殺し》《巨人殺し》……総じて《異形殺し》と名高きかの英雄は、輝かしい人生を送った人物……とはいいがたい。
彼の持つ力はあまりに強大であり、彼を普通の人間とともに生活させることを許さなかった。
生まれて間もない赤子のころからその異常性は発揮されており、乳を与えようとした乳母の乳房を握り潰し、指をつかませた父親の指をへし折るといった、常軌を逸した膂力をその頃から発揮していた。
そのため彼は周囲の人間から『化物の子』『物の怪からの取り換え子』として畏れられていた。それはベオウルフの両親も例外ではなく、彼を恐れた両親は、まだ赤子だった彼を領地から離れた孤島に隔離。世話役の一人もつけず、彼が餓死するのを待っていたのだという。
だが、不思議と彼はことうの中ですくすくと育っていき、10歳の誕生日を一人で迎えることとなった。
そんなとき、彼が住んでいた孤島に、一人の魔術師が現れたのだ。
物心がついたころから、自分以外の人間というものを知らないでいたベオウルフは、その魔術師を大層警戒したらしい。
だが、その魔術師は誰もが畏れたベオウルフの両手を握りしめ、何度も何度も謝り続けたらしい。
いわく、『つらい思いをさせてすまない』『こんなことになるとは思わなかった』『このような異形の腕を授けた私を、どうか許してくれ』と。
そして、魔術師は言った。
『この腕は、きっと将来君の役に立ってくれる。だが、今の君にはこの力はあまりに強大過ぎる。だから時が来るまで、この腕を私の力で封じよう』
男はそういうと同時に呪文を唱え、ベオウルフの両腕にルーン魔術による封印を施した。
『強く生きろ、我が息子ノーマン。汝に雷と鉄槌による、天下無敵の加護があらんことを』
魔術師は最後にそう告げると、まるで宙に溶けるように消えてしまった。
それ以来、ベオウルフの凶悪だった両腕の怪力は鳴りを潜め、もう二度と誰かを傷つけることはなかったという。
これが、ベオウルフの本当の意味での伝説の幕開けであった。もはや魔術師は何者であったかは語るまでもない。
彼の英雄はあの―――(損傷が激しすぎて解読不能)の息子であったのだ。
それから彼の人生も、決して幸多きものではなかった。
自身を捨てた父と母とは永遠に和解できず、騎士になるためには一から功績をあげねばならず、
挙句の果てにはベオウルフの異常な力を恐れた時の権力者たちに、死んで来いと言わんばかりの命令を下され、何度も怪物たちと命がけの戦いを演じることとなる。
だが、それでも彼は英雄として名をはせた。数多の困難を乗り越え、艱難辛苦を叩きつぶし、自らの両手ですべてを切り開いた。
だからこそ、彼は将来《辣腕の王》と呼ばれるに至ったのだ。】
このことからわかるように、ベオウルフはただの人間ではなく、――-(コーヒーに汚され判読不能)の息子であったのだと、叙事詩では語っている。
このような半神半人の伝説は、さかのぼれば古代シュメルク時代の《財宝王叙事詩》のものにつながるものであり、ギリスアのデウスの変化譚や、彼の大王――アラクサンダラスと同じ系列のものだと推測することが可能で……』
(漣大学歴史学部西洋文学史教授 赤並大輔著『ベオウルフ叙事詩における、北欧神話とギリスア神話の関係性について』より抜粋)
まりなは自分めがけて疾走してくる黄金の斬撃に、体が氷結してしまっていた。
初めて叩きつけられる殺気に、それがこもった致死の攻撃。
まりなの体はそれに完全に威圧されていた。
――あ、これ死にました。まりなの体は本能的にそれを察知し、無駄な抵抗をやめてしまったのだ。
だが、彼女の強い理性が、それでも彼女が祈ることを辞めさせなかった。
黄金の光が間近に迫る中、彼女はそのまま微動だにせず、唯両手を組んで神への祈りをささげ続けた。
――我が主よ。どうか、どうかベオウルフさんを呼んでくださった時のように、今一度だけ私に力をお貸しください。哀れな子羊を救うためにも……!
そして、その祈りは神に届いた。
「英雄器――《|我が真名の宿りし辣腕《ノーマン・ネイリング=ベオウルフ》》!!」
先ほどまで満身創痍だったと思えないほどの速度で、ベオウルフがまりなの前に割り込み、
「おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
突如莫大な赤い魔力を帯び、内側からガンドレッドを破裂させた、赤い古代文字の刺青が入った両手で、黄金の奔流を受け止めたのだ。
「え!? べ、ベオウルフさん!! 無茶ですっ!?」
「無茶? バカ言うなよ、我が主……」
このままではベオウルフが消し飛ばされてしまう。そう心配したまりなは、悲鳴を上げてベオウルフにやめるよう指示を出そうとしたが、
「こいつが俺の最強英雄器だ。たとえ聖剣の一撃であろうと、負けることはありえねぇよ!」
気合い一発。ベオウルフの怒号と共に握りしめられた両手は、そのまま黄金の奔流を握り潰し、雲散霧消させた!
飛び散る飛沫に、雪のように降り注ぐ黄金の魔力。
そんな美しい光景の向こうでは、真っ赤に染まったベオウルフの腕を唖然として見つめるアルトリウスの姿があった。
そんな彼の間抜けな姿に、ベオウルフは思わず吹き出しながら、
「さぁ聖剣王」
「――っ!!」
「最終ラウンドだ。三分で畳んでやる」
幼少期に封印され、よほどの鬼気でもない限り使うことを禁じられた全力全開を発揮したベオウルフが、一陣の風となってアルトリウスに襲い掛かるっ!
◆ ◆
初めに振るわれたのは右の拳による単純な殴打だった。
格闘技のような洗練された動作ではなく、我流によって極められた破壊することだけを求めた愚直な拳。
普通なら避けることなど造作もないそれ。だがしかし、そこに込められた力と、それによって加速した拳の速度が今回は問題だった、
「ぐぅ!」
要はその加速は、アルトリウスの知覚速度を超えていた。
有り余るほどの筋力によって、見えないほどの速度で振るわれる拳。いくら愚直であっても、アルトリウスにそれをよけられるような余裕はなく、必然彼は聖剣でその拳を受け止め、
「ぐあっ!?」
「結構とんだなぁ、おい!」
先ほどまでのベオウルフと同じように、アルトリウスは宙を舞った。
「バカな!? ただの膂力でこれだというのか!?」
「おうよ。俺の最後の英雄器――《|我が真名の宿りし辣腕《ノーマン・ネイリング=ベオウルフ》》はいろいろと発動条件が難しい英雄器でな」
雪原に自身が叩きつけられたことに愕然とするアルトリウスに、ベオウルフは追撃を加えるために疾走。
力が戻ってテンションが上がっているのか、鼻歌でも歌いそうな軽やかさで、アルトリウスを肉薄する。
「こいつは俺の『所持していた魔剣は役に立たず、最終的にはあらゆる敵を素手で殺してきた』という逸話から発生した英雄器だ。発動条件はその逸話の通り、俺が仕える魔剣の英雄器をすべて、戦闘中に破壊する事。そして効果は至って簡単。幼少時代力が強すぎて、ある魔術師に封印されていた両腕を解き放つ事だ。それによって本来の筋力値を取り戻した俺の力はざっと、魔力強化を施したお前の……」
離している間にアルトリウスの眼前に到達するベオウルフ。その間にアルトリウスは何とか聖剣を構えて迎撃の体勢をとっていたが、
「50倍だ」
「なっ!?」
構えられた聖剣は見えないほどの速度で振るわれた手によって刀身を掴まれてしまい、微動だにしなくなった。
おまけに聖剣を捕まえた手は万力のように聖剣を締め上げているのか、そこからはギチギチという不吉な音が響き渡り始めている。
このままでは聖剣がおられる。そう判断したと思われるアルトリウスは、深く深呼吸をした後、
「《絶対勝利の剣》っ!!」
聖剣本来の名前を叫び、その力を解放する。
運命すら斬り伏せ、あらゆる敵を打倒するための力を与えるその聖剣の力を。
だが、
「なに……!?」
何も起きはしなかった。
ベオウルフから聖剣を引き離すために、迷宮の守護者が襲い掛かってくることも、突如雪が舞いあがってベオウルフの目に入ることも、足場が悪くベオウルフが雪に足を取られることも……何一つとして起こらず、ベオウルフはただそこにたたずんでいた。
その現象に、アルトリウスは一つだけ心当たりがあった。それは、
「まさか……私では、どのような偶然が起きようとも、こいつに勝つことはできないというのかっ!?」
アルトリウス最強の部下であった《湖水の騎士》ランロット。その一騎打ちでも起こった《いかなる手段をもってしても勝利不可能》という聖剣の判断に、アルトリウスは愕然とする。
だが、そんなアルトリウスの態度など知ったことではないと言いたげに、ベオウルフは、
「どうした、それで終まいか? なら、こっちもいかせてもらうぞ!」
「っ!!」
情け容赦なく、聖剣を握り締めアルトリウスのみ動きを封じ、
「テメェは間違いを三つ犯した……。一つはこの世界の人間たちの法を信じず、テメェの法律で人を殺そうとしたこと」
赤く輝く拳で、アルトリウスの鞘を殴り砕き、
「二つ目は、何の関係もない俺達を殺そうとしたこと!」
「ぐっ!!」
二発目の拳で、アルトリウスをまもっていた鎧を粉砕し、
「そして最後の三つ目は……復讐なんて利己的な理由で、テメェの聖剣をふるったことだっ!!」
最後の拳で、アルトリウスの顔面をぶち抜いた!
力を込めすぎたベオウルフの手の中で、黄金の聖剣が砕け散る。
とうとう他人の剣までぶち壊してしまった自分の両腕に、内心でわずかに呆れながら、ベオウルフは拳を振り切った。
白く染まる吹雪の雪原に、体を緩やかに回転させながらアルトリウスが宙を舞う。
「お前の聖剣は、守るための剣だっただろうが。国民を、国を、守るための剣だっただろうが。その誇りを忘れて剣をふるったお前はもう《聖剣王》ですらねぇ。ただの復讐狂いの大バカ野郎だ」
勝負は決着。宙を舞ったアルトリウスはそのまま雪の大地にたたきつけられ、動かなくなった。
「すこし、そこで頭を冷やしていやがれ!」
ベオウルフの悪態に、答えることもないまま。




