友のために
「うっ……ここは」
まりなが目を覚ますと、そこは広大な草原だった。
吹き渡る風がくるぶし辺りまで伸びた低い草をゆらし、のんびりとした印象をまりなに与える。
だが、
「目が覚めたか?」
「っ!!」
その景色に心を癒されている余裕など今はないのだと、まりなの眼前にあった岩に腰かけた人物が教えてくれた。
「あ、アルトリウスさん……どうして?」
「お前のような善良な娘を巻き込んでしまったのは、正直悪いとは思っているさ。だがそれでも、我にはなさねばならないことがあった。ゆえにどうか、安らかに死んでくれ」
「やらなければならないこと? ……それは、あなたの主を殺してまで、やらないといけないことなのですか!!」
「ん?」
明らかに憤っているまりなの大声に、アルトリウスはついつい首をかしげてしまっていた。
別にまりなが憤ったのが不思議なのではない。不思議なのは憤った理由だ。
「お前、自分が殺されることよりも、シンドーのことを心配しているのか?」
「当然です。聖書にはこう記されています『喜ぶものと喜び、泣くものと共に泣きなさい』と。人を思いやり、人を心配するのはイリス教徒として当然のことです」
「……そうか」
あの男にもそれくらいの善意があれば、こんなことにはならなかっただろうに。と、アルトリウスは、迷いなく自分に絡んできたシンドーの心配をするまりなに少し苦笑いを浮かべ、
「なら冥土の土産に教えてやろう。我がなぜこのようなことをしたのか。そして、我が今から成そうとしていることを」
アルトリウスは天を振り仰ぎ、そっと言葉を紡ぎだす。
「我はな、奴の実家であるブランシュタウナー家を、再起不能になるまで砕きたいのさ。そのために必要なことは、あの腐った家の一族郎党をすべて殺すことだ」
憎悪によってにごりきった、真っ黒な言葉を……。
◆ ◆
「なんてことをしてくれたんだっ!」
「ひぃ、ご、ごめんなさい! に、兄様はうまくやっていたから、僕もそのくらいならと……」
「ふざけるなよ、このクソガキっ!!」
「おちつけ真狩。このままではお前がそこのガキを殺しかねん……」
そのころベオウルフは、シンドーから事情聴取を終えひとまず事態の説明を、シンドー捜索班の面々を集めて行った。
ブランシュタウナー家の闇と、それによってアルトリウスが暴走を開始したことを……。
その話を聞いてもっとも憤ったのは、同じ英雄霊使いの真狩であろう。
現在彼女は怒りに顔を真っ赤に染め、般若も顔負けの憤怒の表情を浮かべている。そんな彼女がシンドーに襲い掛からないよう、背後から彼女の背中を羽交い絞めにしているシモンもまた、フードから覗く口元を不快気にゆがめていた。
そして、
「つまり、なに? まりなはあんた達のくだらないいざこざに巻き込まれたというの?」
「く、くだらないとはなんだ!? 僕の命がかかっているんだぞっ!?」
「今命を懸けてんのはあの娘よっ!!」
落ち着いた様子で話を聞いていた奏歌は、突如として声を荒げ、喚き声を上げるシンドーの顔面に回し蹴りを叩き込んだ!
「おいおい……奏歌はキレると怖かったんだな」
「い、いい音なったね……」
空中を縦回転しながら吹っ飛ぶシンドー。その際、シンドーの歯が二本ほど、あらぬ方向へ飛んでいった気がしないでもないが、ベオウルフは努めてその光景を無視する。
下手に口を挟んでとばっちりをうけたくなかったからだ。
「それで、どうしたらいいと思う? 俺としてはあんたたちの力を借りたいんだが……。とくにそこの板子童子とかいう真正鬼に」
「……お勧めはしないな」
そして、地面に立叩きつけられ意識を失うシンドーの背中を、「起きなさい、このエセエリート! 今まで馬鹿にしていたまりなに助けられて逃げてきましたなんて……よくノコノコとここに顔だせたわねッ!!」と、容赦なく踏みつけて追い打ちをかける奏歌はひとまず放置し、ベオウルフとシモンに宥められた真狩は顔をしかめながら会議を始めた。
「なんでだよ? 出会いがしらの不意打ちとは言え、アルトリウスを吹き飛ばした鬼だぞ? 援軍を連れてきてもいいとか抜かしてやがったし、この際主の安全にために来てもらうのは当然だろうが?」
「お前は本当に一国の王だった男なのか? たとえ本人がいいと言ったのだとしても、不利な状況に陥れば発言を翻す可能性だってある。なにより、かの大英雄が相手では板子童子殿も本気を出さねばなるまい。そうなってくると、人質になっている刑部の身が危ない」
「ぼ、僕本気の時は加減下手だから……。無差別に《恐怖》をまき散らして、周囲にいる存在を皆殺しにする可能性が……」
――それどこの核弾頭だよ。と、この時代に来てから仕入れた軍略兵器の名前を、目の前の大鬼にかぶせながらベオウルフは思わず顔を引きつらせる。
「おまけに板子童子殿を参戦させられない理由はもう一つあるぞ? 話を聞く限り、アルトリウスは相当こいつらを恨んでいる。下手をするともう《怨霊化》が始まっているかもしれん。板子童子が近づけば、こいつの鬼気に当てられてそのまま怨霊になり果てる可能性すらある」
「怨霊化……か」
恨みを持った亡霊が、呪詛にまみれながら周囲を殺し尽くす存在となる《怨霊化》。特に主に恵まれなかった英雄霊はそれに落ちやすいらしく、一度とある英雄霊が怨霊化した際には、《都市が一つ消え去った》と、記録には残っている。
降霊科の授業でその話を聞いていたベオウルフは、都市を一つ消し去った英雄霊の格を記憶の中から引きずり出し、
「あれ確か中位英雄だったよな? 大英雄のアルトリウスと比べるとかなり格が落ちていたはず……」
「中位英雄でさえそれだ。大英雄のアルトリウスの怨霊化なんてものが起きれば、この神階迷宮の階層1つが、死の大地へと変貌する可能性すらある」
「なんてこった……」
――つくづく面倒な奴が敵に回ったもんだ。と、ベオウルフは思わず頭を抱えた。
「そんなわけで板子童子殿の参戦も期待できない。同じく私も協力はできそうもない……。お前たち英雄霊同士の激突が始まるこの地域に、逃げてしまった生徒たちを放っておくわけにはいかないからだ」
「はぁ!? なんでだよっ!?」
「……話を聞く限り、英雄霊アルトリウスは広域破壊を得意とする英雄器を所持している。エクスカリブルヌスだったか? マスターの性能で大きく制限を受けているとはいえ、仮にも同じ大英雄――ベオウルフ殿と激突するのだ。奴も聖剣の出し惜しみはしまい。結果、その斬撃のためらいなく放たれ、周囲一帯を飲みこむことになる。その、流れ弾はどこに飛んでいくかわからんし、下手したらあちこちに逃げている生徒に直撃するかもしれん。真狩はそれを心配している」
「あぁ……。そうだったな。まだここいらには見付けられていない学生共がうろついているんだったか……」
――確かにそいつはまずいな。とベオウルフは頭を抱えたまま首を振った。
英雄同士の……ましてや英雄器の使用を自重しない英雄霊同士の激突は、大げさではなく地形を変える可能性すらある戦いだ。一般人ならそれに対する対応は退避一択であるし、万一逃げ遅れてしまったらちりも残さず消し飛ばされる。
いくら戦闘訓練を積んでいる学生たちとは言っても所詮は学生。ベオウルフとアルトリウスの激突の余波に耐えきれる人間は何人いることか……考えるまでもないことだ。
「ねぇ? そんなに問題があるなら、ここにいるバカにアルトリウスとの契約を破棄させて、さっさとアルトリウスの魂を送還してやればいいじゃない?」
どうしたもんか……。と、大人三人と、鬼一人が眉をしかめながら顔を突き合わせる中、シンドーをズタボロにし終えた奏歌は、もはや原型が残っていないシンドーの顔面を踏みつけながら、提案してきた。
しかし、
「そ、そんにゃほとひゃぼふもひゃった……」
「なんですって?」
「顔が変形しすぎてまともにしゃべれなくなっているじゃないか……。それはこいつもアルトリウスに追われていたときに試したんだそうだ。結果は失敗」
「おそらく、聖剣王の鞘の効果だろう。『自分に対して都合の悪い事象をことごとく無効化する』だったか? 現界に必要な魔力の供給源であるシンドーとの魔術パスは、いわばアルトリウスの生命線だ。それの切断はアルトリウスの都合の悪いこと。だから鞘の効果が発動して、契約を切れないようにしているんだろう。いくらか威力は落ちているらしいが、そのくらいは可能だろう」
「……つくづく厄介な英雄器だ。これだから大英雄という連中は。世の中の常識を軽々と超越してくるから困る」
真狩の予想にそっとため息をつきながら、シモンはフードの中から瞳をのぞかせ、ベオウルフを見つめた。
――おい、俺もその仲間だと言いたいのか!? と、ベオウルフはそんなシモンの態度に瞠目するが、シモンにとってはそんなやり取りなどどうでもよく、
「だが、仕事である以上しかない。真狩の代わりに俺が、あんたに力を貸してやろう」
「え!? いいのかっ!?」
「あぁ。もとより真狩もそのつもりだろう? 今回の一件、被害を抑えるためには俺の英雄器が必要不可欠だろうからな……」
「やってくれるか、シモン? 下手をするとお前が消滅してしまう可能性すらあるが?」
「……心配は無用だ真狩。伝説の英雄と比べれば見劣りするが、俺も一応は英雄霊の端くれ。伊達に厳冬戦争を生き延びてきたわけではない。必ず帰るさ」
真狩の不安そうな問いかけに、フードから覗く口元を不敵にゆがめながら、シモンは自分の愛銃を背中に顕現させ、背負った。
狙撃ライフルとしては短いそれは、小柄な彼に合わせて作られたオーダーメイドの品だと分かる。
幾多もの戦闘を彼とともに駆け、多くの敵を屠ってきたその銃器は、近代になってから作られたとは思えないほどの迫力を、その銃身から醸し出していた。
――魔力がこもっているわけでもなければ、特別な術式による細工が行われている形跡もないのにこの迫力か。銃がすごいのかこの銃にそれほどの威光を与えたシモンの方がすごいのか……。
ベオウルフは目の前に現れた新たな英雄器に、知らず知らずのうちにそんな思考を巡らす。
そして最後に、
「だったら、私もつれていきなさい」
「なに?」
奏歌が厳しい瞳のまま、ベオウルフの前へと歩み出てきた。
「正気か? 迷宮に入る前に、お前が言っていただろう。『英雄霊に普通の人間がついていけるわけない』と。つまりお前は、俺達とお前たちの差を正しく理解できている人間のはずだ」
「えぇ。そんなことは言われるまでもなくわかっているわ」
英雄霊は過去で偉業を成した人間の亡霊だ。それだけで一般人とは隔絶した才能、戦闘能力を有していることは明白。そのうえ亡霊になった偉人たちは、肉体をもっていたころの制限を完全になくしており、どのような無茶な運動・魔術行使にも耐えうる都合のいい肉体を魔力で形成することができる。
亡霊という人外になり果てたがゆえに、英雄はさらなる力を手に入れているのだ。
重戦車を片手でいなし、戦艦を両断し、戦闘機を置き去りにする。そんな埒外な力を持つ存在……それこそが英雄霊。ただの人間では勝てないと、かれらが言われる所以である。
「でも、私はただの人間ではないわ。近代武装に身を包んだ、将来立派な戦士になる予定の女よ」
「予定だろうが」
「ならその予定は今日に繰り上げね」
「ふざけんな。言葉遊びをしている余裕はないんだよ」
苛立たしげに舌打ちをもらし、何とか奏歌をあきらめさせようとするベオウルフ。だが、彼の眼じっと見つめる奏歌も、引くつもりはないようだった。
「私はあの子の親友よ。このまま何もせずにただのんびりとあの子の無事を待つなんてことは、できない」
「だが……」
「それに、ベオウルフ。あなた少し近代の兵器を舐めすぎじゃないかしら?」
「……それには俺も同意するぞ、大英雄」
そうかの援護は意外なところ……同じ英雄霊であるシモンから放たれた。
「俺の時代ですら相当なものが多かった。そして、現在迷宮探索に参戦している探索者のほとんどが、科学技術によって生み出された武装に身を包んでいる。それは彼らに魔術の才能がなかったということもあるが……同時にそれは、武器さえあれば今の人間は、英雄とさえ渡り合える力を持っているという証明に他ならない」
「………………」
まりなと一緒に受けていた授業も魔術に関してばかりで、ベオウルフは少々現代の科学技術に疎いところがあった。
シモンの言葉を否定する材料を持っていない。それは即ち、
「あぁ、クソッ! 矢面には絶対立つな。あくまで俺の援護にとどめろ」
「言われなくても。私もまだ死にたくはないの。そんな無茶はしないわよ」
奏歌の参戦を断れないということで……。ベオウルフは渋々うなだれつつ、いまだに自分から視線を外さない奏歌に、参戦許可を出さざるえなかった。
「さぁ、行きましょう、ベオウルフ。私の友人を怖がらせた罪は重いと、あの発狂王に教えてやるのよ」
怒りに燃える瞳を携え、最後の戦士がベオウルフと肩を並べた。
◆ ◆
「は、話はまとまったようだね。なら僕は朱辻さんと一緒にほかの生徒の捜索を……ぐえっ!?」
「お前はこっちにいないと話にならんだろうが」
「……人質としてこちらについてきてもらおう」
「いまさら五体満足で帰れるなんて、愉快な勘違いしてないわよね?」
「………………」
ついでに、ガタガタ震える人質一名が、三人の手によって連行されていった。