覆された何か
「…」
黒瑠の処置を愛斗がしている間、璃夜は運命が建物から出てくるのを黙って待っていた。
璃夜が脱出してから、すでに十分が経っていた。
そろそろ出てきてもおかしくないはずだ。
「なかなか出て来んなあ」
車の外で車にもたれかかって立っているキュウラは、ぽつりとそう言った。
狐面の無い素顔のその表情は、どこか悲しげだ。
再び静寂が訪れる。
運命とキュウラ、アリシアの関係はそういえば聞いていないな、と璃夜はぼんやりと考えた。
しかし、それを今聞く気にはなれない。
菖蒲やキュウラ、アリシアは運命と璃夜に何があったのかを知らない。
知らないまま、各々運命を心配していた。
決して聞き出そうとしないその優しさは、今の璃夜にとってありがたいものだった。
璃夜はその優しさに甘えるような形で、口を閉ざし続けた。
別に話しても良かったのかもしれない。
だが、今それを語るのは何となく憚られた。
「そうね」
璃夜が言葉を返すと、キュウラはアリシアにそっくりな栗色の瞳を見開いた。
返事をするのが意外だったらしい。
それに気づかないふりをして、璃夜は裏口のドアに目を向ける。
そのドアは、未だ開く気配を見せずにいた。
「予想が外れたか、あるいは…」
悪い方に傾こうとする思考を、璃夜は首を振って押しとどめた。
・
早く降りないと、皆を待たせてしまう。
それに、璃夜は自分の弾がもたらした結末を知らないが故に、心配になっているかもしれない。
運命は急いで階段を駆け下りる。
少し降りていったところで、運命は足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
階段に人影が現れたのだ。
そこにいたのは、運命にとって予想外の人物だった。
「ハルト…!?」
「久しぶりだな、京極」
運命は、思わず足を止めた。
目の前の人物は、にこやかな笑みとともに佇んでいる。
年齢の割におさない顔立ちも、それを助長する長めの黒髪も、運命の知る彼と寸分違わず同じだった。
ただ彼は、ここにいるはずのない人物だ。
「どうして、ここに…!?」
「それはこっちのセリフでもあるぜ。なんでお前がこんなことに首突っ込んでんだよ。……まあ、お前は“運命”になるため、なんだろうけどな」
彼は僅かに笑みを作って、運命を見た。
混乱していた運命は、それでも必死に状況を飲み込もうとする。
「質問に、答えろ」
怒気を含んだ声で問うが、ハルトは怯えることなく運命に一歩近づいた。
そして、口を開く。
「カイツ」
「…は?」
「カイツって組織で、世話になってんだよ。…お前の敵だよ、俺は」
カイツという組織名を、運命は知らない訳ではなかった。
裏の世界で活動する、秘密の多い組織だ。
クロウズやホウカーと似て非なる、その二つよりももっと過激な組織。
そのカイツに、ハルトが属しているということが信じられなかった。
運命の知るハルトは、巻き込まれ体質で自分から悪に染まることはない、心優しい少年だった。
そんな彼に、運命は救われたはずだったのだ。
「おい、冗談なら今のうちに訂正しろ……でないと…」
夢なら覚めてしまえ。運命は自分の頬をつねりたい衝動に駆られる。
「殺すってか?…ハッ、そりゃ無理な相談だぜ。俺を殺せば、いくらお前でもひとたまりもねえ」
殺気をにじませる運命にも全く動じず、ハルトは冗談でも言われたかのように笑った。
動作のひとつひとつに、息がつまりそうになる。
運命はわずかな悲しみを押さえ込んで、質問をする。
「何を考えている…?」
「この世界の改変を」
「何を望んでいる…?」
「この世界の幸福を」
「何を、している…?」
「んー……人殺し?」
以前の、平和ボケした日本人代表みたいな性格のハルトからは、天地がひっくり返っても出ないと思っていた言葉。
運命にはそれ以上聞くことが、何よりも耐え難かった。
「案外簡単なもんだ、ヒト殺しなんて。…なあ、運命。人間を変えてやるんじゃなく、人間を“入れ”変えてやれば、お前の望む世界は手に入るんじゃ…」
「黙れ!!!」
ひとりひとりを正すのでなく、全員殺して新しくやり直せばいい。
そんなことを語るハルトは、乾いたような笑みを貼り付けていた。
運命にとって、それは何よりの恐怖で、自分の信じる光が幻想だったような、そんな感覚だった。
「目を覚まさせてやる…!」
運命は脇差を構えた。
しかし、その刃は鞘に収めたままだ。
「無理だよ、お前には」
冷酷に、ハルトは告げる。
「お前には無理だ」
もう一度、だめ押しのように言った。
それでも運命は構えを解かない。
「なぁ、運命」
先ほどまでの冷酷な声とは全く違う、砂糖なんかよりずっと甘い声。
それだけで、運命は構えを解いた。
いや、意識的に解いたのではない。
しかしその甘い声は、麻薬のように運命を侵食していき、ついに運命は力を抜いてしまったのだ。
「こちらに、来ないか?」
思わず運命は頷いてしまいそうになる。
それをなんとか抑えこんで、運命は脇差をぎゅっと握った。
ダメだ、ハルトを救わないと。
救う?何から?
…カイツという、悪の組織から。
それを本当に、ハルトは望んでいるのか?
自問自答を繰り返しても、答えは白紙のままだ。
「全ての人間を救うなんて、ただの夢物語だ。でも、全ての人間が滅ぶのは、ただの“未来”だ」
その言葉に、声に、全てを委ねてしまいたくなる。
「全ての人間を滅ぼして、世界を新しくすれば、お前の夢物語も現実的になる。なあ、運命」
こちらに来ないか。
そう言ったハルトの表情は、───────
「運命!」
璃夜は、ようやく出てきた運命を見て、思わず大声を出した。
運命は俯いていて、表情が伺えない。
「よかった、無事だったのね」
運命からの返事はない。
様子がおかしいのに気づき、璃夜はもう一度その名を呼んだ。
「運命…?」
運命が顔を上げる。
その表情は、ひどく険しいものだった。
「悪い、後で皆に話がある」
「?…ええ、わかったわ」
璃夜はなんのことか分からなかったが、運命の表情から重大なものであると察し、了承した。
「ひとまず、家に戻るよ。早く乗って」
後部座席から降りた愛斗は、運転席に乗り込んで運命に促した。
車が走り出すと、璃夜は運命に話しかけた。
「さっき、話があるって言ったわよね。それって、出てくるのが遅かったのと関係あるの?」
ただ純粋な疑問だった。
「まあな」
「へえ……そう」
璃夜はそれだけ言って考えるように黙り込む。
「そうだ。…あの時は、助かった。…ありがと」
運命は、そんな璃夜の様子を知りながらわざとこのタイミングでお礼を言った。
少し照れながらのお礼は、運命の年相応な空気を醸し出していた。
数十分ほどで車は停止した。
まだ日が浅いにも関わらず、なんとなくこの家の外観をみると“ああ、帰ってきたんだな”と落ち着いた。
それが璃夜には自分のことながら少し不思議に思ったが、今は黒瑠をどうにかしないといけない。
菖蒲が未だ目を閉じ続ける黒瑠を抱え、家に入っていくのを見届けてから、璃夜は自分の背後にいる運命に話しかけた。
「すぐに話を聞いてほしいのなら、黒瑠の目覚めを待たずに話す?」
アリシアやキュウラもすでに中に入ってしまったので、この会話は2人だけのものである。
「…まずは、君に全て話そうか」
そうして運命は、璃夜と別れた後のことを一通り話し、こう言った。
「協力してほしい」




