そして黒猫は飛ぶ
璃夜を傷つけないと約束したとはいえ、ルシアが敵であることに変わりはない。
よって共に行動する訳にはいかず、彼は一人地下に残っていた。
ルシアしかいないその空間で、彼は顎に手を当てて独り言を呟く。
「最上階はコーマックか…昔から、あいつは何をしでかすかわからなかったからな。少し心配だが、どうにかなるだろう。……さて、俺はこちらでのことについて、納得させられるような言い訳を考えないとな」
本来なら言い訳を考えるのは大変なことである。
しかしルシアは、その大変なことをしなければいけない現状がどうしようもなく嬉しかった。
無意識のうちに柔らかい笑みを浮かべ、ルシアは静寂が占める空間に靴音を響かせた。
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「……っ」
最上階の大部分を占める一室に、盛大に響くのは金属がぶつかり合う不快な音だった。
京極運命は脇差一本で、M-SNOWYと渡り合っていた。
今は対等とはいえ、いずれ運命にも疲労が出てくる。
時間が経つほど有利になるのは、疲れを知らない機械であるM-SNOWYだ。
先ほど室内に入ってきたばかりの璃夜は室内を見回す。
初めに入った時は黒瑠のことしか見えておらず、こうしてしっかりと部屋の構造を見る余裕はなかった。
しかし、今は違う。運命のために、全力で思考を回す。
そこそこ広い室内には、外が見渡せるような窓があり、その前に机がおかれていた。
コーマックはその机に背を向けて座っている。
何か、この状況を覆せるものはないのか。
若干の焦りが、冷や汗となって璃夜の頬を伝った。
「まさか戦場に戻ってくる馬鹿がいたとはねー」
コーマックは、にやりと笑う。
璃夜はその額に銃口を向けた。
「おおっと、怖いなー」
しかし、おそらく彼を撃ったところで何も解決しない。
それに、この銃弾が届かない自信があるからこそコーマックは余裕を持っているのだろう。
M-SNOWYを止められなければ、意味が無いのだ。
璃夜は余裕そうにするコーマックに銃口を向けた。
しかし、コーマックに動揺する素振りはない。
目を細め、額に照準を合わせる。
この銃弾がまさか当たるとは、璃夜は思っていなかった。
しかし確証がない。
今打てる手が無かったため、そうするしかなかったのだ。
銃弾はM-SNOWYが運命との戦闘の合間に放ったナイフによってあっけなく弾かれる。
璃夜は舌打ちでもしたいくらいだったが、そんな少しの余裕さえない。
早く次の手を考えねばならない。
「M-SNOWYはすごいだろー?」
面白そうに笑っているコーマックに、無性に腹が立った璃夜は、それでも冷静に状況を分析する。
そしてコーマックが向かい合う机の上、パソコンに目を向けた。
おそらくM-SNOWYはパソコンからの命令で動いている。
画面が光っている、つまり電源が入っていることは先ほど確認している。
と、いうことはリアルタイムでパソコンから命令が送られている可能性がある。
人間でいうと、人体の外に脳があるような状態だ。
体を動かす司令や思考をパソコンに任せているとすれば。
突破口は、ある。
「運命、1分だけ持ちこたえられる?」
未だ激しい攻防を続ける運命に、璃夜は構うことなく問いかけた。
運命に余裕はないものの、その質問にはきちんと返答する。
「誰に、聞いてんだよ…っと!」
どこか楽しんでいるようにすら見える運命は、受け流して攻める、を繰り返す。
その答えを聞き、小さく頷いてから璃夜は部屋を出て行こうと扉に手をかけた。
「あれ、逃げちゃうのー?」
呆れのような感情を交えた声で、コーマックは引き止めようとする。
しかし、そんな挑発も意味を成さずにあっさりと璃夜は部屋から出た。
扉の閉まる音を聞き、コーマックは少しつまらなさそうな顔をする。
「つまらないなー。まあ、コイツが残ってるからいいけどさー」
コーマックは、ちらりと運命に視線を向けた。
運命はその視線に気付きながら、構う暇なくM-SNOWYの剣を防ぐ。
金属同士がぶつかる音だけが室内に響いた。
徐々に運命の体力が削られ、動きが鈍くなっていく。
できるだけ早く何とかしろよ、と内心冷や汗をかきながら、運命は思った。
璃夜が何とかしてくれると、塵ほども疑うことなく。
一方、璃夜は先程の部屋を出てから走り、階段を駆け上がって屋上に来ていた。
セミロングの黒髪が風に踊る。
璃夜はそれをうざったそうに耳にかけ、動きを封じた。
時間がない。
チャンスは一瞬。それを逃せば運命は生還できないかもしれない。
深呼吸で気合を入れる時間すら惜しい。
コーマックのいる部屋の丁度真上のところへ、璃夜は真っ直ぐに走っていく。
そして、躊躇いなく頭から落ちた。
運命は窓の外から見えた、重力に従って頭から落下する璃夜に驚き、そして感心した。
璃夜は窓の外から窓ごとパソコンを撃ち抜く。
窓の割れる音がしたと思えば、M-SNOWYの機能は完全に停止していた。
どうやら璃夜の予想は当たりだったらしい。
パソコンとロボットを一つの生命にしてしまうそのプログラムは驚嘆に値するが、今は仇となった。
「…ったく、度胸のあるやつだな」
運命は呟くようにそう言った。
口元に微かな微笑みを浮かべて。
「…へ?」
対してコーマックは、間抜けな顔を隠そうともせず砕け散ったパソコンを見ていた。
余裕の表情は跡形もなくなっている。
状況の理解すら追いついていないようで、何か対策を取ろうとする気配すらない。
彼に戦う意思は既に無いと判断した運命は、動かないM-SNOWYとコーマックを置いて部屋を出る。
案の定、コーマックが追ってくる様子はなかった。
運命は階段を飛び降りるような勢いで下っていく。
一方、無茶な飛び降りを敢行した璃夜は途中で木に引っかかって頭でなく足を下にし、速度を落としつつも植え込みに落下した。
左脚の痛みから、どうやら骨が折れたようだと他人事のように考える。
落ちた時、一瞬だが砕けるパソコンが見えた。
後は璃夜の予想が正しかったことを、祈るだけだ。
さてどうしようか、と璃夜は考える。
1人で立ち上がることすら難しい状況だ。
しかし対してその状況に焦る訳でもなく、璃夜はいたって冷静だった。
どこかに多分仲間がいるだろう、と自分から動くことを放棄した璃夜に、声がかけられる。
「全く、無茶するね」
どうやら落ちたのは裏口付近らしかった。
そこに止められていた黒い車から、愛斗が降りてくる。
「残念ながら、黒瑠達はまだ建物から出て来てないよ。まあ、そのうち来るでしょ」
愛斗は軽く璃夜を抱き抱える。
「あっ…」
いきなり高くなった視点に、思わず愛斗の服を掴んで璃夜は身を縮こませた。
「足、怪我してるんでしょ」
「そうだけど…」
何か言いたそうにする璃夜に、愛斗は少し不機嫌そうにする。
「何。…言っとくけど、しばらくは歩かせないよ。ドクターストップだ」
どうやら本当に歩かせない気らしい。
早々にそれを悟った璃夜は黙って抱えられる。
愛斗は黒い車の助手席に、上手く璃夜を座らせた。
「とりあえず絶対動かないでよね。本当は早く処置すべきだろうけど、今はもうすぐ出てくる黒瑠を優先するよ」
璃夜は静かに頷いた。
そうだ、と愛斗は思い出したように言葉を続けた。
「細かい傷ぐらいは処置できるでしょ。自分でやって」
消毒液を投げ渡された。
動くなと言ったくせに、と璃夜は複雑な気分になったが、言われた通りに落ちた時に木に引っ掛けたらしい傷の処置をした。
それから1分も経たないうちに、黒瑠たちは裏口から姿を現した。
菖蒲の背に体を預けた黒瑠は、まるで死体のようにぐったりと力無く、璃夜の不安は消えることはなかった。
「…来たか」
愛斗は車の後ろの倒していた座席に黒瑠を寝かせ、傷の具合を診ていく。
その手つきは的確で、本当に愛斗は医者なんだな、と璃夜は今更ながら思った。
…正確には闇医者なのだが。
「珍しいな、黒瑠がこんな怪我をするなんて」
愛斗がぽつりとこぼした言葉を、拾った者は無かった。




