予兆なき争いは何を意味する
璃夜と黒瑠がビルに潜入したその時。
残された皆は、思い思いの時間を過ごしていた。
不安は無い。
それは信頼でもあるが、同時に二人の強さを知る者としての確固たる自信でもあった。
「紅茶かコーヒー、どっちがいいでスカー?」
シエナはカップを取り出しながら、呑気にリビングの方へと問いかけた。
「ミルクと砂糖たっぷりの紅茶がいいってー!」
「自分はブラックコーヒーをいただくのであります!」
大きな声で返事をしたのは、二人で対戦ゲームをしていた駒希と菖蒲。
「紅、茶…」
ノアがギリギリ聞き取れるくらいの小さな声で言う。
「もう少し静かにできないのか…僕はいらないよ」
文句を言いながら、愛斗は一つ舌打ちをする。
部屋の隅で縮こまるオリオンだけが何も言わなかったため、シエナはキッチンから顔を覗かせ問いかける。
「オリオンはどうしマス?」
「あー…いらない」
わかりまシタ、とすぐにまたシエナはキッチンに引っ込んだ。
全員分の飲み物と砂糖、ミルクをトレーに乗せ、シエナが運ぼうとする。
と、その時────
「邪魔するぜィ!」
勢い良く開けられたドアの音をも掻き消すほどの大声。
聞き覚えのあるその声に反応したのは菖蒲だった。
「道化琉無!?」
その手にはダガーナイフ。
さらにその後ろから出てきたのは、缶バッジの二、三個ついた学生帽を被った計・ブラッドフィールド。
ベレッタM8000クーガーL typeP、という拳銃ニ丁にクロスボウ、さらにはH&K PSG-1という狙撃銃という重装備だ。
「此処は安全だとでも思っちゃったかア?」
琉無はにやりと、不敵に笑う。
「ざァんねん!」
ヒュッ、と風を切る音とともにダガーナイフが投げられる。
それはクロウズの全員の横に綺麗に突き刺さった。
「へえ。それは戦線布告と取っていいんだよねえ?」
額に青筋を浮かべながら、愛斗はソファから立ち上がった。
「殺す」
白衣のポケットからメスを取り出した。
手術の道具ではあるが、それは十分な凶器だ。
「決着を…つけるのであります!」
テーブルに足を置いて、刀を構える菖蒲。
今にも飛びかかりそうな雰囲気を醸し出している。
「え、ここでやるんでスカ?クロルさんに怒られまスヨ…」
「この、壁……誰が、直、す…と…!」
「うわア、ノアさんまで怒ってマス…」
ノアは俯いて拳を握り締めている。
前髪で目が見えないのが余計恐怖を感じさせる。
シエナは収拾のつかないこの事態に、ため息を吐いた。
「家、壊れませんカネ…?」
呟いた言葉は誰にも届かず、ただ静かに戦いの火蓋が切られた。
「あは、もう一回潰してあげるってー!」
先に動いたのは駒希。
真っ直ぐケイに向かっていった。
壁に立てかけてあった釘バットを素早く取り、殴りかかる。
スッ、と音もなく、ケイは最小限の動きでそれを躱す。
「前のようにはいかねぇぞ」
灼熱地獄も凍るような碧眼が、駒希を捉えた。
「数では君達の方が不利だと思うけど」
愛斗のメスが、光を反射してギラリと輝く。
「だぁれが二人で来たなんて馬っ鹿みてえなこと言いやした?」
舌を出して、琉無は指をパチンと鳴らした。
大きな音を立てて窓ガラスが割られ、沢山の人が侵入してくる。
これだけ騒いで何ともないということは、既に近隣の住民は言いくるめて避難でもさせられているのだろう。
クロウズの面々は、素早く状況を判断する。
「暴れ、ても…良さそう」
ノアの一言をかき消すように、戦闘が始まった。
「取り敢えず避難しましょウカ」
シエナは苦笑いしながら、未だ座っているオリオンに手を差し伸べる。
オリオンは、こくりと頷いてその手を取った。
菖蒲は愛刀、『斬業鬼丸』を構え、一直線に琉無に突っ込む。
太もものあたりを狙い、刀を薙ぐ。
琉無はそれを、鉄製のトランプで受け止めた。
菖蒲がトランプの方に意識を集中していると、ぱしゃん、という音とともに液体がかけられた。
「この匂い…ガソリンでありますか」
硫酸か何かかと思ったが、そうでもなかったらしい。
刀にまでガソリンがかかったが、手が滑って刀を落とす…何てことはない。
しかし。
にやりと璃夜が笑ったかと思うと、刀が一気に燃え上がった。
トランプに小さな凹凸があり、それで摩擦を起こし点火したのだ。
「なっ…!?」
「えぃやァッ!」
そんな掛け声が聞こえ、またもや菖蒲は液体を被る。
火はそれで消されていた。
燃えた刀にいち早く気付いたシエナが、キッチンで汲んだ水を菖蒲にかけたのだ。
「炎上マジックがパーじゃねェか!」
荒々しく叫んで、琉無はキッチンにダガーナイフを飛ばす。
キンッ、と小さく金属音がして、それは菖蒲の刀によって落とされた。
「相手は自分であります!」
その言葉に、琉無はにやりと笑った。
対角線上で繰り広げられるのは、駒希とケイの戦いだった。
少し離れた場所で雑魚を一掃する愛斗に感心しながら、ケイは発砲する。
ちっとも余裕の笑みを崩さない駒希に若干の苛立ちを感じていた。
振り下ろされた釘バットを避け、銃を仕舞ってボウガンに持ち変える。
攻撃直後の隙を狙い、矢を放った。
躱しきれずに矢は駒希の頬を掠め、赤い筋を作った。
血液が頬を伝い、滴る。
そんなことを気にもとめずに駒希はバットを構え直した。
「ちょっとは面白くなってるって」
獲物を狙う肉食獣のように、駒希は舌舐めずりをする。
その仕草に、ケイは不快そうに眉をひそめる。
と、次の瞬間にはケイの視界は木と、そこに打ち付けられた少し曲がった釘だけを映していた。
咄嗟にしゃがむ。
ブォン!と風を切る音が真上で聞こえた。
「…チッ」
ケイは一つ舌打ちをする。
駒希は好戦的に輝いた目を見開いた。
舐められている。
そう思うと、ケイはさらに不快になった。
駒希は、舐めてかかっていた。
それを後悔することになるとも知らずに。
駒希が異変に気付くのに、そう時間はかからなかった。
僅かだが、体が動かしにくくなっている。
倦怠感にも似たその感覚は、徐々に駒希を支配していった。
「だるい、だろ?」
勝利を確信したようなその笑みに、駒希は嫌気が差した。
しかし、そのときにはもう立っているので精一杯だった。
「効くまでにちったぁ時間を食っちまったが、人外にも効いて安心した」
業魔の血の覚醒は起きない。
あれは感情の爆発によって起こる現象だ。
既にこの倦怠感に思考を奪われている琉無は、もはや単純なことしか考えられないようになっていた。
「調査済み、ってー?」
それでも懸命に考える。
止まろうとする思考を無理矢理動かす。
「さぁな」
業魔の鬼は正しい道を妨げる。
その特性とも呼べる能力は、触れている物体、それも持ち上がるものでないと使えない。
それも調べた上だと言うのなら、ケイを侮るのは少々まずかった。
駒希はとうとう膝を折る。
ゆっくりと崩れ落ち、虚ろな目でケイを見上げた。
明確な敗北。
最初に掠めた矢に、毒が塗られていたのだ。
「油断大敵。強さを測り間違えたな」
冷ややかに、ケイは駒希を見下ろした。
琉無と菖蒲は拮抗していた。
琉無は大技を繰り出す隙を与えず、菖蒲に攻撃する。
それを弾きつつ、菖蒲はチャンスをうかがう。
琉無がダガーを投げれば、菖蒲はそれを避けて直後の隙を突こうとする。
しかし、琉無は大道芸人らしく口から炎を吐き、一定以上近づかせない。
戦況が変わる何かを求めているのは、お互いだった。
「ぐあっ」
そんな、大の男のうめき声が聞こえた。
男は琉無の方に倒れていき、琉無はそれを小刀程度の大きさの刃物で容赦なく斬り捨てた。
「はやく決着、つけなよ」
愛斗が怠そうな声で菖蒲に言う。
言われなくとも分かっている、とばかりに刀を構え直した。
そして無駄のない動きで琉無に斬りかかった。
ギィイィィィンッ
間一髪、琉無が血で紅く染まった刃物で防ぐ。
オレンジ色の火花が散って、琉無は攻撃を防げたことににやりと笑う。
しかし菖蒲は、防ぐことなど分かりきっていた。
「っ!?」
足払い。
予想出来なかった行動に、体制を崩した琉無は後ろ向きに倒れる。
菖蒲は、刀の鞘で琉無の頭を殴り、意識を奪った。
「負けてんじゃねーか、道化師。雑魚どももやられてるし」
忌々しげにケイは琉無を見た。
「どうするんだい?明らかにそっちが不利だけど」
愛斗の問いに、ケイは肩を竦めて答えた。
「賢く退散しとくよ。あ、そうそう」
緊張感の解けた空気の中、ケイは琉無を肩に担いだ。
「ここでひとつ耳寄りな情報だ」
ありがたく受け取れ、とケイは部屋のドアへと近づいていく。
部屋から出たところで、振り向いた。
「アリシア・アイオーン。あいつは────」
皆が絶句する中、ドアの閉まる音だけがやけに響いた。




