運命の少女
幼少期に閉じ込められていた、暗い地下。
これは夢だ、と璃夜は瞬時に理解した。
しかし身体は思い通りに動いてくれない。
酷く真剣な顔をした、兄。
それを見て、身体が動かない訳に思い当たった。
これはただの夢ではない。
この光景には見覚えがある。
つまりは、記憶。
「璃夜、────────。──、──────。」
上手く聞こえない。
聞き返したいけれど、口は動かない。
僅かながら記憶に残っている。
優しく頭を撫でた兄を、確かに見た。
この時兄は、何を言ったんだっけ?
璃夜の記憶はそこで途切れた。
カーテンから漏れる光が眩しい。
ソファの上で、璃夜は目を覚ました。
ぼんやりと霞みがかった頭で考える。
思うように思考が働かない。
考えていたことが段々別のことに変化していく。
そうじゃなくて。
璃夜は軽く頭を振った。
「眠い…」
眠気のあまり、また夢の世界へと飛び立つ寸前で、璃夜は昨日の出来事を思い出した。
そうだった。アリシアがいないのだ。
昨日、交代で留守番をしながら探し回ったが、結局アリシアはどこにもいなかった。
だから、交代で休むことにしたのだ。
嫌な想像が頭をよぎる。
もしアイオーンの者とバレて、囚われていたら。
そこまで考えて、璃夜は思わず少し笑ってしまった。
フランスに来る前の、以前の自分なら有り得なかったことだ。
こんなに、他人のことを心配するなんて。
璃夜はあまり他人と関わることなどなかったし、救いたいと思うような仲間も居なかった。
だからこうして、仲間と呼べる人達に出会い、助け合えることが、何よりも嬉しかった。
友情や愛情といったものは、こんなに嬉しいものなのか。
着替えると、丁度菖蒲が外から帰ってきた。
リビングには他に誰もいない。
冴えない表情を浮かべた菖蒲は、キッチンに立つとそこにあったスポーツドリンク(2リットルペットボトル)を一気に飲み干した。
「収穫は?」
結果を予想しながらも、璃夜は念のために質問する。
菖蒲は静かに首を横に振って否定した。
アリシアといたのは、ほんの僅かな時間だ。
それでも皆、必死に彼女を探している。
心配しているのだ。
アリシアは時々、酷く大人びた表情を見せることがあった。
主にそれは璃夜といる時で、必ず不安
が入り混じっていた。
皆それを気付いてはいたものの、知らないふりをしていた。
それは紛れもないアリシアの為だ。
彼女が抱えているものを、いつか話してくれると信じたのだ。
無理矢理聞き出すのは、どうしようも無くなったときでも遅くない。
そう、考えていた。
「何か、手掛かりさえあればいいのでありますが…」
第一印象で、菖蒲はいつも元気だと思い込んでいたのだが、案外そうでもないかもしれない。
璃夜は沈みきった菖蒲の声を聞いて、そんなことを考えていた。
喜怒哀楽が激しいのかもしれない。
そんな璃夜の思考は、現実逃避以外の何物でもなかった。
アリシアを一番に想っていたのは、おそらく璃夜だ。
他のことを考えないと、自分が何もしてあげられなかったから、アリシアは何処かへ行ったのではないのか、なんて自責の念に駆られてしまう。
アリシアが胸に秘める強い意志を、一番知っていたはずなのに。
重荷を聞き出す機会は、いつでもあったはずなのに。
ぐるぐると巡る思考を振り切るために、璃夜はコーヒーを淹れて一口で飲んだ。
灰色のパーカーを羽織り、リビングのドアに手をかけた。
「菖蒲は此処にいて。私も外に出てくるわ」
「では、これを」
何かが投げられて、反射的に受け止める。
四角く硬い感触。
最新型の携帯だった。
連絡用、ということだろう。
「いってきます」
また帰ってこられるように、そんな願いを込めて言った。
玄関を開くと、少し外は暗かった。
といっても、璃夜が寝過ごして夕方になっていた訳ではない。
雲で太陽が隠れているせいだ。
土地勘が無いため、適当に歩く。
少し湿っぽい空気を肺に取り込めば、大きな溜息が漏れた。
璃夜は空を見上げて、ポツリと呟くように言った。
「アリシア」
ふと目の前をそれらしき人影が通った気がした。
璃夜は慌てて視線を道に戻した。
風に揺れるふわふわのキャラメル色の髪が、曲がり角に消えた。
無事だった。
その事実で頭が一杯になる。
キャパオーバーを起こした脳が、一瞬真っ白に染まる。
「アリシア!」
色を取り戻した脳が思考を再開する。
追いかけようと曲がり角の先を見れば、もうすでに影も形もなかった。
閑散とした道に、立っていたのはただ一人。
活動的な印象のある女性だった。
少女と呼んでも差し支えないかもしれない。
青みがかった黒色の髪は、肩口ほどで切り揃えられている。
横髪に止められた多くの白いピンが、相当に目立っていた。
「どうしたの、お嬢さん。日本人…だよね?」
日本語で話しかけられる。
凛とした声に、正義感を感じた。
「ええ。茶髪の女の子を見かけなかった?」
璃夜は周りを見ながら問いかけた。
「知らないなー。探しているの?」
細められた紺色の瞳が、訝しげに璃夜を捉えている。
誘拐やストーカーとでも疑われているのだろうか。
「そうよ。此処を通ったはずなんだけど」
璃夜は負けじと相手を睨んだ。
「そんなに睨まれてもねえ。見かけたら教えるよ。君の名前は?」
軽く流された睨みに、多少に不満を覚えた。
答えるかどうかを一瞬迷ってから、
「渡 璃夜。探してるのは、アリシアって子」
睨んだ目はそのままに、名乗った。
敵意剥き出しの璃夜に、彼女は軽く微笑んで見せた。
白い歯が覗く。
「僕は京極さだめ。運命って書いて、運命って読むんだ」
「日本人には見えないけど」
「色々あってね」
そう言う運命の瞳からは、強い意志を感じた。
一歩だけ、運命が近づいた。
「本当に、君はアリシアを探しているのかな?」
「…どういう意味?」
にやり。
そんな効果音が似合うであろう、からかうような笑み。
「アリシアのことが好きだから、きっとアリシアも自分のことが好き。なんて子供みたいに信じてて。それが間違いかも、って気付いてるのに、知らないフリして。いなくなって、一応は探してるけど、今思うと信頼されてないんじゃないか、とか思ってみる。なら、信頼されてないなら、どうして探す必要がある?ってね」
運命の言葉は、璃夜の心にひっかかりなくストンと落ちた。
でもそれを、認めたくない。
子供みたいだなんて、知っていること。
認めると、大事なものが失われる気がした。
「信頼の無い友人は、友人とは呼べないかしら?」
表情を動かさずに、辛うじて紡いだ言葉はそんな疑問。
璃夜は結局、否定も肯定もしなかった。
「いーんじゃない、偽りだらけの友情関係。だってそれは、これから沢山知っていけるってことだろう?」
運命は微笑むと、片手を上げて璃夜とすれ違っていった。
ふわりと香ったのは、シトラスのような柑橘系。
香水だろうか。
ふと振り返るが、そこには誰もいなかった。
行動の真意が掴めない、不思議な人だ。
璃夜は前を向いて、歩き出す。
アリシアは、大切な仲間だと。
そう自分に言い聞かせながら。
ポケットから、僅かに振動が伝わってきた。
携帯が着信を知らせている。
璃夜は迷わずそれを取った。
「もしもし」
語尾がちょっとぎこちない声が聞こえた。
『こちらシエナですけド、璃夜でスカ?』
ええ、と肯定する。
もしかしてアリシアが見つかったのかも、と思ったが、それならもう少し明るい声のはずだろう。
となると一体、何の用だろうか。
『一度戻ってきテ。もしかしたら、アリシアはホウカーに攫われたかもしれなイ』




