遭遇と開幕
傾きかけた太陽が照る。
雲は数える程しか無く、ちっとも涼しげのない青を彩っていた。
こんな日には遠足でも、と言いたいところだが、生憎今は命の保証さえない状況だ。
璃夜は眩しさから目を細めた。
と、同時に狙撃手のいたビルから何かが落ちるのを見た。
そろそろいいだろうと作戦を始めることにする。
視線を上から下に移す。
高速で動く地面が目に入った。
落ちれば、死ぬ。
すぅ、はぁ、と深呼吸を一度だけして、窓から身を乗り出した。
風が、肩ほどまである髪を攫っていく。
一度窓から離れた璃夜は、髪を結って再度身を乗り出した。
決行の前に璃夜は、一度菖蒲を振り向いた。
「本当に、やるのでありますか」
心配げな菖蒲の声に、璃夜はいつもと変わらぬ落ち着いた声で返した。
「もちろん」
それ以外の答えなど、生憎持ち合わせていない。
璃夜は流れていく外の景色を見た。
日本とは違うそれをもう一度、生きて見るために。
璃夜は菖蒲に足を持ってもらい、逆さ吊りになって車体の下を覗き込む。
菖蒲が少しでも下に下げれば、頭が地面に当たり、致命傷を負う。
しかし、方法はこれしかない。
電車を挟んだ向こう側に様々な建物が見えた。
璃夜は全く恐怖を感じていなかった。
それは菖蒲を信頼していたから、ではない。
恐怖に耐性があった、というべきだろう。
幼少期の璃夜は、常に両親に恐怖しながら過ごしていた。
今でも脳裏に焼きついた、その記憶。
薄れることなど、ましてや消えることなど、あり得ない。
そんな中でも璃夜が生きていられたのは、兄のお陰。
でも今は、その兄はいない。
銃を握って生きるしかない。
揺れて安定しない姿勢で、璃夜は赤いランプの点いた爆弾に標準を合わせる。
不安定な場所からの射撃は、手慣れたものだ。
空気抵抗が痛いくらいに体にかかる。
琉無に負わされた傷が痛んだ。
でもこんな痛み、あの頃に比べれば何ともない。
これをミスすれば、自分だけじゃなく多くの人の命が失われるのだ。
璃夜は緊張するが、その標準は決してブレない。
この1発、たかが緊張などで外すことは許されないのだ。
パッ、と切り替わるように向こう側の景色が青になった。
大きな川に架かった橋を渡っているのだ。
ここなら、市街地への被害も無くて済む。
すっと眼を細める。
手と銃が、一体化するような感覚。
撃ち慣れた銃でなくとも、璃夜には関係ない。
銃しかなかった。
ナイフや剣などに興味はない。
人の命の重みがかかった引き金を引く快感が、忘れられなくなっていた。
この引き金には今、違う意味での命の重みがかかっている。
この銃で、殺すのではなく助けるのだ。
心地よい重みがのしかかる。
たまには、こういうのもいいのかもしれない。
僅かに微笑み、そして────
璃夜は一思いに引き金を引いた。
乾いた、しかしどこか心地よい銃声が響き、見事に撃ち抜かれた爆弾が川の上で爆発する。
鼓膜を震わせる爆音。
煙は消えることを知らず、ただただそこに留まり続ける。
しばらくしてから、菖蒲は璃夜を引き上げた。
脅威は去った。璃夜の手で、皆を救ったのだ。
ふっと口元が緩む。
それにつられて、菖蒲も微笑んだ。
緊迫していた空気が和らいでいた。
しだいに電車の速度は緩まり、やがて完全に停止する。
終点の、ひとつ前の駅だった。
そこで皆が降りていく。
当然だ。あんな事件があった後で、何もなかったように運転再開などできるはずがない。
二人は、私服警官の拳銃を盗んだりそれを撃ったりと、色々ヤバいことをしているのですぐに撤収することにした。
既にパトカーが来ていたが、上手く視線を掻い潜り抜け出す。
駅から出ると、璃夜が電車から見ていた景色が身近に感じられた。
駅の外の見慣れない景色を楽しみ、璃夜と菖蒲は少し散歩することにした。
平和な町の空気を、璃夜は肺いっぱいに吸い込んだ。
「もう…」
小さな声で、菖蒲が何かを言った。
璃夜は、右を歩いていた菖蒲の方を見る。
よく聞き取れなかったが、璃夜が口を開く前に菖蒲が言葉を紡いだ。
「もう、あんなことはやめて欲しいのであります…。心臓が、止まるかと…」
元気な菖蒲にしては珍しく、声も小さい。
下を向く横顔を長い黒髪が遮り、表情を隠している。
「あんなこと…?」
対して璃夜は、至って普段通りで聞き返した。
思い当たることが無く、首を傾げる。
「自分がもし、手を離していたら…もし、間違えて頭を下に付けてしまったら…危ないことは、やめて欲しいのであります!」
いつも通り、大きな声が悲しそうに震えていた。
頑なに顔をあげようとしない菖蒲が、小さく思えた。
璃夜は目を見開いた後、笑みを漏らした。
「ふふっ…」
嬉しかった。自分の身を案じてくれたのが。
信頼されているような気がしたのだ。
まだ仲間になったばかりの璃夜を、こんなにも大切に扱ってくれる。
それだけが、何よりも嬉しかった。
「ありがとう、菖蒲」
でも、と付け足す。
「殺し屋は、危険と隣り合わせよ?」
回避できない、と苦笑する。
「クロウズにいる限りは、殺し屋では無く便利屋であります」
そういえばそうだっけ、と考えるが、璃夜が殺し屋であることに、違いはない。
菖蒲の心配は今後も続きそうである。
「助けて!」
フランス語を叫びながら走ってきたのは、典型的なフランス人の容姿を持った、日本でいうと中学生くらいの男の子だった。
璃夜よりも少し年下だろうか。
焦げ茶色をした、少し長めの髪を揺らしながらこちらに走ってくる。
「どうしたの(qu’est-ce-qui se passe)?」
璃夜は横髪を耳にかけながら男の子に尋ねる。
「こ、殺される…!」
彼は青ざめた顔で震えていた。
それよりも、返答が日本語だったことに驚く。
「何かあったのでありますか?」
菖蒲は周囲を警戒しながら少年に問いかけた。
しかし、震えるばかりで一向に口を開こうとしない。
アリシアの時のように追われているのかもしれない、と思った璃夜は、菖蒲に連れ帰ることを提案した。
「…このままここに置いていく訳には行かないので、その案に賛成であります!」
璃夜は、少し高い少年の頭をそっと撫でた。
「行こう?」
こくり、と頷いたのを確認すると、すぐに手を引いて歩き出した。
この少年は追われている。なら、急いだ方が良いだろう。
菖蒲はしきりに周りを見て、警戒しているようだった。
幸い菖蒲が帰り道を知っていたので迷わずに帰ってこれた三人。
「おかえりー…って、その子、どうしたの?誘拐?」
ドアを開けた瞬間に、目に入ったのは足を組んでソファを陣取る黒瑠。
少年を見た途端、面白そうに眼を細めた。
「まあ、あがりなよ」
その言葉で、事情の説明の為に黒瑠の向かい側に座る。
真ん中に少年を座らせ、璃夜はその右側に腰を下ろした。
何故か家にいるのは黒瑠だけのようだ。
なんども説明するのは少々面倒だが、仕方がないと割り切る。
「誘拐な訳がないでしょ。追われてたみたいなの」
璃夜は簡潔に事情を説明すると、少年に向き直った。
「名前、年齢、所属。あと何故追われてたか」
戸惑うように視線を彷徨わせる少年は、僅かに肩を跳ねさせた。
「ははっ、それじゃあ面接じゃないか、璃夜」
璃夜は、煩い、という風に黒瑠を睨むが全く気にする様子がない。
「答えてくれるでありますか?」
菖蒲は子供受けしそうな笑顔を浮かべる。
少年も幾分か表情を和らげた。
「オリオン・ヴィクストロム。あと三ヶ月で15歳。元ホウカー。ホウカーから追放されて、殺されそうになった」
へえ、と何かを企むような笑顔を見せた黒瑠は、背凭れに預けていた体を起こす。
机に肘をつき、両手を組んでその上に顎を乗せた。
「どうして追放?この二人がクロウズだと知って、声をかけたの?」
探るような物言いだった。
無理もないだろう。
14歳の少年とは言え、ホウカーだというのだ。
スパイだった場合、最悪は殺さなくてはならない。
意外なことにオリオンは、怯えることなく黒瑠の眼を見つめ返して頷いた。
「クロエ・アディ。彼女がホウカーに入ったから、捨てられた」
クロエの名を聞いて、璃夜は思考に耽った。
恐らくクロエは、ルシアによって引き込まれた。
あんなにルシアに好意を寄せていたのだ。
裏切っても不自然なことはない。
恋は盲目、とは誰の言葉だったか。
その通りだ。
かつての仲間を裏切る程に、彼女は周りが見えなくなっている。
いや、きっと周りだけじゃない。
もうあの赤い目には、ルシアしか映っていないのだろう。
そう思うと、恋というのが怖くなった。
「クロエ、か。まあいつかは裏切ると思ってたけど」
そんな黒瑠の発言に、菖蒲は大きく目を見開いて驚いた。
「はは、どうしてって顔だねえ。まあ、クロエがルシアに恋してるのはあからさまだったからね。あの情報収集のプロが、全く情報を掴めないなんておかしいと思わなかった?」
クロエはネットに出回らない情報を集める天才として、裏では有名だ。
それが、一つも情報を得られないというのは不自然極まりない。
「だから、最近はルシアの調査に専念させるという名目で、クロエを切り離してたんだよ。ちなみに、マナとノアも知ってるよ」
まあ、でも、と余裕そうな笑みを消し、苦笑する黒瑠。
肩を竦め、
「今回はしてやられた、って感じかな」
負けを認めた。
「オリオン。君のことは、まだ信頼した訳じゃあない。まずは色々と調べてから、かな」
分かっている、と頷くオリオン。
出会った時ほど顔色は悪くはないが、良くもない。
タイミング良く、後ろで玄関ドアの開く音がした。
「もう帰ってたのかい?」
煙草の匂い。
「早いってー」
間延びした声。
愛斗と駒希が帰ってきたのだ。
「そういうマナは遅かったじゃないか」
「煩い、殺すよ」
その言葉には十分な殺気が含まれていて、その場の全員が凍りついた。
やりすぎた、と思ったのか、それともただ呆れただけなのか、愛斗は一つため息を吐いた。
「オリオン。君がここに来るであろうことは知っていたよ。だから、少し調べさせてもらった。確認も含めて報告するけど、いいよね?」
驚愕せざるを得なかった。
黒瑠でさえも、目を見開いていた。
この男は今、何と言った?
知っていた。
オリオンが、来ることを。
何故?
何の予兆も無かったはずだ。
予知なんて、アリシアにしかできない。
そこまで考えて、璃夜は口を開いた。
「アリシアに、聞いたの?」
それしか考えられないだろう。
しかし答えは、璃夜の予想とは反していた。
「違うよ、ただの…推理だ」
まとめると、こういうことらしい。
愛斗は、この連続自殺事件に何か裏があると踏んで、ずっと秘密裏に調査していた。
そこで得た情報が、人員の入れ替え。
一部の人にしか知らされていないことで、誰が入り誰が抜けるのか、全く情報には無かった。
しかし愛斗は、最近のクロエの行動はおかしいと感じており、後をつけると彼女はどうやらホウカーのルシアとよく密会しているようだった。
そこからクロエが怪しいと判断、今回のトレインジャックでそれは確信になった。
そこで抜ける人員を調べると、最近全く使われていない情報屋、オリオンが出てきたようだ。
「話を進めよう」
愛斗は立ったまま書類を読み上げる。
「オリオン・ヴィクストロム、14歳。ホウカーに所属していて、カメラ・アイ保持者。ホウカーでは目立った活躍は無かったようだね」
確認するように視線を上げた愛斗に、オリオンが頷いた。
「カメラ・アイ?」
何となく想像はつくが、璃夜にとっては初めて聞いた言葉だった。
黒瑠が簡潔に説明する。
おそらく早く話を進めるためだろう。
そう思うと申し訳なくなった璃夜だが、分からないものは仕方ない。
「見たものを映像として覚えられるんだよ。カメラみたいに、細部まで。ああ、全部を詳細に記憶する訳じゃないよ?写真として頭に置いておく、って感じかな?」
それでカメラ、か。
璃夜は納得して、続きを促した。
「身長は157㎝。出身はフランスで、8歳の時から情報屋をしているんだね。情報は全て」
そこで愛斗は言葉を区切り、資料を机に置いた。
自分の頭を指差して、続きを言う。
「頭の中にある」
オリオンの頭には、一体どれだけの資料が入っているのだろうか。
一体彼は何を考え、何を目的に行動しているのだろうか。
思考が読めない。オリオンという人格が、分からない。
「違いはある?」
黒瑠の確認に、ゆっくりと首を振る姿は年相応の少年らしいとは言えなかった。
冷静で、無表情で、その瞳からは感情が感じ取れない。
機械のような冷たさに、璃夜は複雑な気持ちになった。
ここに連れてきたのは不味かっただろうか。
そんな思考が璃夜の脳内を巡った。
「おそらくスパイだなんていうことは無いね。暫くは監視がいるだろうけど、問題無いかい?」
監視。嫌な響きではあるが、仕方の無いことだろう。
疑われるのは当然だ。
むしろ、元とはいえ敵組織の者をおいてくれるだけで幸運なことだろう。
オリオンは、躊躇うことなく頷いた。
基本的に無口な性格のようだ。
「じゃあこれで、決定かな」
パン、と乾いた音を立てて手を鳴らし、黒瑠は話をまとめた。
「あとの三人はいつ帰るってー?」
駒希が時計を見ながら疑問を口にした。
「何処に行ったの?」
そういえば、と今更ながらに璃夜は思い出した。
しかし望んでいた答えは返ってこず、さあ?と皆首を傾げるばかりだった。
「あれ、もう皆帰ってるんでスカ?」
全員の顔を見回してそう言ったのは、シエナだった。
どうやら帰ったようだ。
その後ろから、ノアが顔を出す。
「ん…あ、れ…?アリ、シア…は?」
「君らと行ったんじゃなかったのかい?」
ノアと愛斗の言葉に、璃夜はまさかと眉をひそめた。
「先帰るって言ってましたケド。いないみたいでスネ…」
沈黙が降りた。
嫌な予感は、皆しているようだ。
一刻も早く、アリシアを見つけなければいけないかもしれない。
アイオーンを狙ってのことか。
はたまた、クロウズを狙ってのことか。
どちらにせよ危険なのに変わりは無い。
璃夜は、勢いよくソファから立ち上がった。




