生存への緒
クロエは笑っていた。
その事実は揺がしようがなく、彼女に悔いが無いことを物語っていた。
『っ!?…何だ、これ…ああ、駄目だっ!璃夜!聞こえ……?璃……』
酷い砂嵐が携帯から聞こえた。
「愛斗…?」
不快な音に思わず携帯を遠ざけた。
ブツン、と何かが切れる音がして、それから明瞭な声が飛んできた。
『電波ジャック成功ってな!!』
数十分前に聞いたばかりの、無邪気な琉無の声だった。
「どうしたのでありますか!?」
心配げな菖蒲の声に、ふと現実に戻った。
「爆弾は真ん中の車両の下。主犯はクロエ・アディ。愛斗との電話がジャックされて、今は道化琉無の声がする」
璃夜は簡潔に情報を伝える。
視界の端で菖蒲の目が見開かれているのを捉えた。
「とりあえず、爆弾の車両に行くわよ!」
止まっていても埒があかない。
行動しなければ。
今こうして話している間にも、タイムリミットは刻々と近づいているのだ。
璃夜は駆け出した。
『にゃはっ!今更もー遅いってんだ!大人しーく殺されりゃいーんだぜい!』
琉無の楽しそうな笑い声が、耳に流れる。
その不快感に奥歯を噛み締め、それでもヒントを探すためにその話に耳を傾ける。
「殺されるなんて御免よ」
『その威勢がいつまで持つのかなァ?』
璃夜は僅かに笑った。
もうすぐあの車両だ。
「…ははっ」
そう思い通りになると思うなよ。
そんな気持ちを込めた笑い。
殺されてやるつもりなど微塵も無い。
それはきっと、菖蒲も同じだ。
助けると誓ったから。
璃夜は正義の味方などではない。
しかし、一度交わした約束を破るような不誠実な人でもない。
たった一つの約束の為、必ず生きてみせる。
それは覚悟のような、暖かい何かだった。
『生きてたらそれはそれでまだ楽しめるし、まあ頑張ってみればいいんじゃねェかィ?』
ごく微量の期待を含んだ声色に、璃夜は、
「上等よ。必ず貴女を殺してみせるわ」
一瞬の静寂の後、電話の向こうから大きな笑い声が聞こえてきた。
『うん、待ってる』
挑発とも取れるその発言に、璃夜は心を昂らせながらも平静を装う。
会話しているうちに、問題の車両に着いた。
「皆さん!もう爆弾は見つけたのであります!しかし…」
璃夜は菖蒲の言葉を手で制した。
「必ず、必ず無事に皆さんを帰します」
真っ直ぐな瞳で、璃夜は人々を見た。
菖蒲は驚いた。
これは、初めてみる一面だ。真っ直ぐで、優しさがある。
もう一度言おう。
璃夜は、決して正義の味方なんかではない。
自分が助かる過程で、皆を救うことになると知っていたから。
爆弾解除に協力してもらうため。
しかしまだ、解除方法が見つかった訳ではない。
どうしたものかと頭をひねる。
タイムリミットは刻々と近づいている。
『黒猫とまた勝負したくなっちゃった!ここで死なれるのはちょいと勿体ねーぜ。爆弾解除は出来ねーケド、生き残る方法を一緒に考えてやらぁ!』
道化琉無は、そう言った。
それは、ありえないこと、否、ありえてはならないことだ。
敵に塩を送る、とまでは行かなくとも、塩のある場所を一緒に考えてくれている。
それは一時休戦の、まるで仲間同士のようなこと。
璃夜は声にこそ出さなかったが、内心ではとても驚き、同時に感謝していた。
自由な琉無だからこそなせることなのかもしれない。
これが露見すれば危険にさらされるのは琉無だ。
普通ならそんな危険を冒してまで、敵と戦うためだけに敵を救うという行為をしようとは思わない。
「案外いい人、なのね」
『自分勝手なだけでィ!』
明るく笑う琉無を、璃夜は認めることにした。
「あれは…っ!」
菖蒲は窓の外を見て、おどろいたように声を上げた。
切羽詰まったようなそれに、璃夜は戸惑いながらも問いかける。
「一体、どうしたの?」
自らも視線を同じ方向に移動させようとして、
「みなさん、伏せて!!」
菖蒲の鋭い声が飛ぶ。
必死の形相に伏せるべきだと判断した人達が座り込む。
勿論璃夜も、咄嗟にしゃがんだ。
激烈な銃声。
聴覚を、破壊の音が支配した。
璃夜、菖蒲は思わず目を瞑り、耳を塞いだ。
それでもなお聞こえる、平衡感覚が狂いそうな程の爆音の嵐。
必死にそれに耐えると、やがて静寂が訪れた。
そっと目を開けると、視界に映るのはパニックに陥った人々。
やはりというべきか、至る所から悲鳴が上がっている。
「きゃあぁっ!」
「何なんだ、クソッ!」
「うぇええん!」
泣き出す人、恐怖する人、怒る人、現実逃避を試みる人。
様々な人間模様が見られる。
璃夜は、風通しの良くなった窓からそっと外を覗いた。
遠くのビルの屋上で、チカリと何かが反射した。
それはおそらく、狙撃銃のスコープだ。
この電車は、あのビルの周りを暫く回るように通るはずだ。
つまり、暫くは狙撃の危険が伴う。
「琉無っ!一度電波ジャックを中断しなさい。1分後に再開していいから!」
叫ぶように命令すると、すぐに愛斗に繋がった。
『璃夜!?聞こえるかい?』
「ええ。スナイパーをどうにかして欲しいの。円柱形の一番高いビルの屋上よ!」
早口に用件を伝えられた愛斗は、思わず舌打ちをしたくなった。
そこまで電車が進んでいると、あと20分もしない内に終点だ。
『10分で片付ける!』
状況を脳内で素早く整理し、もっとも近い位置にいるはずの駒希を向かわせた。
『健闘を祈るよ』
計ったようなタイミングで、再び電波はジャックされた。
『はいはァ〜い!変わりまして琉無だぜィ!』
底抜けに明るい敵の声が響く。
「何か案は、」
『黒猫が銃で撃てばいいんじゃねィかな?』
言葉を遮るように、琉無が提案する。
一見適当にも聞こえるが、璃夜はそれにほぼ答えに近いヒントを貰い、閃く。
「ありがとう、琉無」
璃夜はそれだけ言うと、電話を切った。
作戦決行は10分後。
菖蒲にも手伝って貰わなくてはいけない。
「菖蒲、こういうのはどう?」
緩む口元を隠しもせず、璃夜は菖蒲に説明した。
「それで構わないのでありますね?失敗すれば…」
不安げにささやかな抗議をする菖蒲に、不敵な笑みを送る。
「大丈夫よ。10分後に決行するわ。それとも、他にもっと良い案があるっていうなら聞くけど?」
菖蒲はニッと笑って、
「了解であります!」
声を張り上げた。




