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硝煙と黒猫  作者: 黒雪姫
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閑話 黒に恋するクロエ・アディ

クロエ・アディは諜報員だ。

そしてルシア・セスナの前では、一人の女でもある。

これは、クロエ・アディの恋物語。

決して叶うことのない、悲恋のお話─────

彼女とルシアが出会ったのは、それはそれは大降りの雨の日だった。

急に降り出したその雨に、何の備えも無かったクロエは一つ息を吐き、近くのカフェへ駆け込んだ。

適当に目に付いた二人席に座る。

その日着ていた薄いベージュのダッフルコートは雨に濡れ、水を吸ってより濃い色へと一部変わっている。

クロエはその時すでに“クロウズ”に入っており、敵対している“ホウカー”のメンバーの一人であるルシアとの接触を命じられていた。

人目を惹くルビーの瞳は、店内でも浮いていた。

さらりと流れる天然物の金髪は、照明の光を受けて光沢が増している。

その金髪も今は薄っすらと濡れており、少し肌に張り付いていた。

クロエはダッフルコートを椅子の背もたれに掛ける。

店でかかっている音楽は、雨音で掻き消されていた。

いつも、騒がしくない程度に人が来るこの店内も、若干の賑わいを見せている。

天気予報もこの雨を予測出来なかったらしい。

そのため、いきなりの雨にクロエと同じく何の備えも無かった人がこのカフェに次々と入ってくるのだ。

取り敢えずでコーヒーを注文する。

コーヒーが運ばれてくるまでの数分で、席は満席になっていた。

それでもなお人の波は収まらないようだ。

止むどころか雨足が強くなってきている気さえする雨に、クロエは何処かで傘を買おうかと考えた。

しかしこの前、白地に黒い水玉模様の傘を購入したばかりである。

新しく買うのも気が引ける。

折り畳み傘でも持っていれば、と少し後悔する。

「相席、いいですか?」

男性特有のバリトンの声に顔を上げると、まず目に入ったのは漆黒だった。

服装も、瞳も、髪も、漆黒。

その顔には見覚えが。

──ルシア・セスナ!?

驚愕を何とか誤魔化しながら、どうぞ、と呟くように言う。

相手はそれを気にした様子は無かった。

向かい側の席に音もなく座る。

彼はクロエと同じくコーヒーを注文する。

対峙するクロエの鼓動は非常に早まっていた。

ドクン、ドクン。

まだこれは恋では無く、動揺しているだけだった。

「急に、降ってきましたね」

それがクロエ自身に向けられた言葉だと気付くのに、クロエは数秒かかった。

「え、ああ。そう、ですね」

相手は自分のことを知っているのだろうか。

不安がよぎる。

「折角ですし、お話しませんか?嫌なら構いませんが」

クロエは主に諜報を担当しているので、“クロウズ”でもその存在を秘匿されている。

そのことを思い出し、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

鼓動だけは、治ることは無かった。

「嫌、ではないですよ」

戸惑いながらも、クロエは何とかそう返した。

「俺はルシア・セスナです。貴女は?」

ルシア・セスナ。間違いない。

この男は、クロエが接触を命じられていた敵である。

正直に名前を答えるかは迷ったが、嘘をついてバレるのも問題だ。

「クロエ・アディです」

悩んだ末、本名を答える。

向こうも本名を名乗ったのだから、これでいいはず、とクロエは自分を納得させた。

「お仕事は何をされているのですか?」

見惚れるような優雅な微笑を向けられたクロエは、多少ぎこちない笑みを返す。

さて、何と答えようか。

情報屋、と素直に答えてもいい気がした。

何せ相手も裏の人間なのだから。

クロエは覚悟を決めて、口を開く。

「情報屋まがいのことを」

ルシアはさして気にした様子も無い。

「これは驚いた。貴女も裏の人間なんですか」

「ええ、まあ。貴方の職業は?」

今度は逆に聞き返す。

少しでも情報を探り出したいものだ。

「便利屋、ですかね」

あまりいい情報は出そうにない。

際どい質問をしてもさらりと流されてしまいそうだ。

「便利屋、ですか?」

クロエの所属する“クロウズ”のリーダー、黒瑠も確かそんなことを言っていた。

「はい。最近は依頼が少ないですけど。一度の仕事で内容によって収入が違いますから、大変ですよ」

そう言って苦笑する。

笑顔の多い、素敵な人だとクロエは思った。

ルシアは話しやすく、一緒にいて居心地の良い人だ。

ついつい緩みそうになる気を引き締める。

「最近話題になっている“ホウカー”や“クロウズ”って、知ってますか?」

本題に入るために、クロエは問いかけた。

相手の表情を伺う。

一瞬だけ、ルシアの表情が固まった気がした。

けれど、敵視したくないという思いからかクロエは気付かないフリをした。

「ええ、まあ。便利屋集団…でしたっけ」

注文していたコーヒーが届く。

それを啜って舌を湿らせてから、クロエは口を開いた。

「厳密には少し違うと思いますよ。金の為なら何でもする、それが便利屋です。ですが、この二つのグループは、貪欲に金を求めている訳じゃない」

ほう、とルシアが興味深げに息を吐いた。

それでちょっとした愉悦感(うれしさ)を感じ、クロエは更に語りだす。

「そもそも依頼自体を受けることが少ないんです。グループとして、ではなく個人では別ですが。では何が目的なのか…と言いたいところですが、こればかりは私も知りません」

クロエは苦笑して肩を竦めてみせた。

「実に興味深い話でしたよ。情報量として、そのコーヒー、奢らせてください」

微笑して、ルシアはそう持ちかけた。

当然クロエは手のひらを向けて遠慮する。

「い、いえ、そんな。ただ勝手に話しただけですし」

申し訳ない、と押しきろうとするが、伝票を取られてはそうもいかない。

何度も抗議したが、笑顔で躱される。

結局ささやかな口論は、クロエが折れて終わりを迎えた。

「アドレス、交換しませんか」

ひと段落ついたころ、いつの間にか弱まっていた雨にルシアがもう行ってしまうのでは、と危惧したクロエは控えめに申し出た。

「ええ、構いませんよ」

互いの携帯を出して登録を済ませた。

クロエは携帯に追加されたアドレスを、少し眺める。

「では、これで」

ルシアは席を立っていく。

「また今度」

クロエは躊躇ったが、その言葉を選んだ。

次も会えますように。

しばらくして、本当にコーヒーを奢られていたことに驚きながら、クロエは店を出た。

外に出るともう雨は止んでいた。

雲の隙間から漏れ出る光がまぶしくて、クロエは目を細めた。

報告など、もう頭には無かった。

翌週、天気予報を信頼せずに晴天のなか、折り畳み傘を持ったクロエは何処へともなく歩いていた。

「おねーさん一人?ね、俺らと一緒に遊ばない?」

厄介なことになった、とクロエはため息を吐いた。

目の前には男性二人組。

戦闘向きではないクロエは、壁際に追い詰められてどうしようかと悩んでいた。

「おねーさんさ、裏のヒトだよね。情報屋の。君の流した情報で、俺の知り合いが殺されちゃったんだけどさー」

どー責任取ってくれるワケ?と迫ってくる。

ここは人通りのない路地裏。

表を歩いていたら、男に引き込まれたのだ。

いっそ大声を出してやろうか。

などと半ばやけくそ気味に考えていると、少し前に聞いたあの声がした。

「情報屋が情報を売るのは当たり前だろう」

クロエは胸を高鳴らせた。

漆黒の彼、ルシアがそこにいた。

「なに、おにーさん。救世主気取りですかー?」

男は静かにナイフを取り出していた。

思わず息を飲んだ。

しかしルシアは、軽蔑するような眼差しを男に向ける。

「この世に救世主など存在しないさ」

一瞬だった。

男二人が気絶し、倒れるのは。

怜悧な瞳で睨んだそれに、ルシアは何を思ったのだろうか。

クロエは、それを恐ろしいとは思わなかった。

助けてくれた。

その事実だけが、鼓動を高鳴らせる。

「…大丈夫ですか」

ふわっと微笑んで、ルシアはクロエと目線を合わせた。

「は、い…」

ドキドキ、ドキドキ。

抑えようのない鼓動を感じながら、その漆黒の目に見惚れていた。

ああ、私は。

クロエは確信する。

敵に恋したのね。

後悔などしていない。

こんな素敵な人に出会えたんだから。

ゆっくりと目を伏せて、もう一度開いた時には、クロエは微笑み返していた。

敵だから、なんて諦めるつもりはない。

愛の光なき人生は無意味である。

そう言ったのはドイツの人だったっけ。

本当にそうだとクロエは感じた。

こんなにも、世界が違って見えるのだから。

まるでこれまでの人生が、この人に出会うためにあったような気さえする。

「ありがとう、ございます」

助けてくれて。そして、この世界に輝きをくれて。

例えこの恋が報われなくても、私は簡単に終わらせる気などない。

クロエは、初めて気を狂わせるほどの恋を味わった。

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