ホウカーの思惑
走りながら、二人は琉無のことを考えていた。
菖蒲の蹴りを、彼女は噛んで止めてみせた。
しかし、それはなかなか出来ることではない。
まずそんな発想が出るとは思えない。
出たとしても、それを実行しようとはしないだろう。
靴、つまりは地面についているのだ。
泥は付着していて当たり前。
それを口に入れようというのだ。
生理的嫌悪は、拭えないだろう。
普通なら、の話だが。
琉無は実行してみせたのだ。
なんの躊躇いもなく、笑みさえ見せながら。
琉無の異常さを感じ取れる。
こんなこと、璃夜にとっては初めてだった。
殺せと言われた人を、淡々と殺すだけの流作業のような仕事ばかりだった。
誰かと戦うことなんて、一切してこなかった。
表しようのない高揚感を、璃夜は感じていた。
自分より強いかもしれない人との、本気の殺し合い。
少しでも間違えれば命を落とすスリル。
それが璃夜を、興奮させた。
今までになかった感情だった。
璃夜はちらりと後ろを見た。
大丈夫、ついてきてはいないようだ。
しかし、油断は禁物。
琉無以外にもホウカーがいる可能性だって否めないのだ。
走るスピードを緩めずに、ユーゴのところまで辿り着く。
肩で息をする二人を見てユーゴは驚いたが、菖蒲の服にべっとりと染み付いた血を見て血相を変える。
「し、止血!?それとも消毒!?ああ、どうすれば…」
と頭を抱える次第だ。
その慌てっぷりに、璃夜はため息を吐いて宥めにかかった。
「落ち着いてください。今日は一度解散しましょう」
そう言って出血を隠すために菖蒲にパーカーを着せる。
「ではまた」
璃夜はくるりと背を向けて、去ろうとする。
ユーゴはその小さいながらも頼もしい背中を、黙って見送った。
人混みに紛れてその姿が見えなくなり、漸く自身も動きだすのだった。
璃夜はあくまで冷静だった。
琉無と交戦した時も、そして逃走中である今も。
終始冷静な態度を崩さなかった。
決して慢心はしない。
璃夜は少し特殊な戦い方をする。
故に誰かと組んで戦うのは、得意ではないのだ。
璃夜は、相手の次の一手を常に先読みする。
考え得る全ての行動に対し、対策を練る。
そしてその中の一つが確定した時点で、その場合に考えていた動きに出る。
頭の中で、複数のことを考え、実行しているのだ。
全ての未来を予測し、相手の動きで未来を確定させる。
まるで未来予知のような現象である。
しかし誰かと組んで戦うと、相手だけでなく、仲間の攻撃、防御パターンを予測しなければならない。
それは璃夜にとって、重荷にしかならないのだ。
琉無の戦いもいい例である。
菖蒲がいたために、菖蒲が次に何をするか、そこまで思考が追いつかず、出遅れてしまうのだ。
仮にもし、璃夜と共に戦うのに適した人がいるならば、それは璃夜が理解し尽くし、次の行動を容易に推測できる人物だろう。
璃夜たちは帰る為に電車に乗っていた。
人はまばらで、多いとは言えない。
親子やら、兄弟やら、友達やら。
楽しそうに会話している。
その中に、私服警官みたいなのがいて焦った璃夜は、しかし顔が出回っていないので大丈夫だろうと割り切る。
電車での会話は、もっぱらホウカーについてだった。
警官に聞かれる可能性があったが、年の近い女二人だとゲームの話としか思われないだろう。
「挑発にしか思えないのであります」
確かにそうだと思っていた璃夜は、腕を組んで頷いた。
「今後の方針をよく話し合う必要があるわよ。はあ…予備の弾、持っとくべきだったわ」
迂闊だった、と唇を噛む璃夜。
菖蒲も菖蒲で悔しそうだった。
「ああいう相手は行動が読み辛いのであります」
菖蒲は強い。
道化琉無相手でも、遅れは取らない。
もし相手が琉無でなく、決まった武器しか使わないような人だったら、菖蒲は余裕でねじ伏せるだろう。
しかし琉無には統一性がない。
常に全てを意識しておかなければならない。
「…おかしい」
窓の外を見て、璃夜は呟いた。
それは菖蒲も見ていたようで、眉を寄せた。
止まる駅を、素通りしていったのだ。
そのとき、車内に狂ったようなアナウンスが響いた。
『コの電車ハ、モウ止まリマセん。地獄直行便で、ゴざいマす。アは、ははハハハは!』
トレインジャック。
運行中の列車を乗っ取ること。
また、これは和製英語である。
璃夜は咄嗟にスピーカーを見る。
菖蒲は周囲の状況を確認していた。
幸い乗客は少ない。
『助かリたケレば、ナんてイいまセンよ?だッテ、皆死ンじゃウんデスかラ!!爆弾ガ爆発スるのは終点、せいぜイあガケよ!』
アはハ、と声は笑う。
璃夜は冷や汗が流れるのを感じた。
他の乗客が息を飲むのがわかった。
『クロウズちゃン、我々ホウカーは、君ラ二人を始末すルたメニ、全員殺シちャうんだヨ?我々は、何処にデモ潜んデるンダから』
甲高い、狂ったような笑い声が響く。
間違いない。
狙いは璃夜と菖蒲だ。
自分たちが、一般人を巻き込んだ。
菖蒲の行動は迅速だった。
黒瑠に連絡を取り今の状況を伝え、半狂乱の乗客を宥める。
璃夜は小さな男の子が、大粒の涙を流しているのを見た。
親の方も混乱していて、男の子に見向きもしていない。
こういうのは親としてどうかと思うが、この状況では仕方のないことだろう。
璃夜は男の子の小さな身体を、しゃがんで抱き締めた。
ゆっくりと背中をさすり、優しい声音で噛んで含むように言葉を紡ぐ。
もちろん伝わるように、フランス語で。
「大丈夫。お姉ちゃんがなんとかするわ。ちゃんと帰してあげるから、ね?」
嗚咽を漏らし震える背中に、璃夜は助けると誓った。
らしくない、というのは自覚している。
でも、なんとなく年下には弱いのだ。
連絡を終えた菖蒲が、息を吸うのが聞こえた。
「落ち着いて欲しいのであります!」
その言葉に車内が静まり返る。
菖蒲のよく通る声のおかげだろう。
「まず車内に爆弾がないか確認を。確認したら自分に報告をお願いするのであります!」
犯人は乗り込んでいない可能性が高い。
璃夜も動こうとすると、菖蒲が携帯を投げ渡してきた。
携帯と菖蒲を見比べ、どうすればいいのか戸惑う。
しかしそれが振動しているのに気付き、慌てて電話に出る。
菖蒲は爆弾を探しに別の車両へ行ってしまった。
「も、もしもし」
『その声、もしかして璃夜かい?こっちでも調査しているよ。終着駅に爆弾が仕掛けられてる可能性も考慮して、今は駅に郷間が向かってるよ』
こんな状況でも落ち着いたこの声は、愛斗だ。
少し不安が和らいだ。
いつでも変わらぬ口調が、耳に心地良い。
「屋根に爆弾が無いか、確認できる?」
事態は一刻を争う。
真剣な表情で、璃夜は愛斗に問いかけた。
『……今確認した。無さそうだ』
何処から見たのか気になり窓の外に目をやるが、諦める。
実際は衛星から送られてきた画像を愛斗が見ているだけなのだが、それは璃夜の与り知らぬことだ。
さっきの報告で、大方場所が絞られてきた。
屋根にあった方がまだマシといえたかもしれない。
それなら狙撃で狙うこともできる。
車内にももしなければ、可能性は電車の下。
厄介だ、と璃夜は舌打ちしそうになった。
「犯人は?」
『まだ特定できてない。粗方の状況は聴いたよ。もしかしたら道化琉無と交戦した際に、どちらかに発信機をつけられてるかもしれない。手際が良すぎる』
璃夜は近くに寄っていない。
となると、つけられたのは菖蒲。
念のため自分の服を見るが、無さそうだ。
『電話は切らないでね。唯一の情報源なんだから』
了承の返事をして、璃夜は策を練ることにした。
限られた時間内で効率よく動かなければならない。
考えている時間でさえ惜しい。
「電車の下、かもしれない。爆弾らしきものがないか、できる限りでいいから探してくれない?」
かもしれない、ではなく璃夜はほとんど確信していた。
何故か、と問われれば勘だとしか言いようがない。
しかし、璃夜はその己の感覚を信じていた。
『指図されるのは気に食わないけど、仕方ないな』
渋々、といった風に答える愛斗だが、やはり頼りになる。
ちょうどそのとき帰ってきた菖蒲は、璃夜に発信機の話をされると、もしや、と小さく呟いた。
黒いプラスチックの塊、発信機をポニーテールの結び目から取り出した菖蒲は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「違和感には気づいていたのでありますが…まさか発信機だったとは」
他にもないか、探したあとに璃夜は発信機を踏みつぶした。
バチッ、と放電のような音がした。
「菖蒲、スリとかできる?」
少し目を見開き驚いていたようだったが、頷いた。
「討魔の技に似たものがあったのであります」
じゃあ、と璃夜は微笑んだ。
電話越しに聞いていた愛斗は、ろくでもない頼みごとをするんだろうとため息を吐いていた。
「あの人の懐から拳銃スってきて。代わりにこの銃でも入れてきて」
そういってスコーピオンを一丁渡した。
あの人、と璃夜が指定したのは私服の警官。
こういうのは不得意なのでありますが…などとブツブツ言いながらも、菖蒲は自然にその人に近付き、そして素通りしていった……ように見えた。
その後を璃夜が追う。
今ので本当にやったのだろうか、と半信半疑だ。
追いつくと、そっと手に置かれたのはベレッタM92。
ユーゴと同じ拳銃だ。
あの一瞬で、菖蒲は気付かれずに取ったのだ。
璃夜は少なからず驚愕した。
不屈、という技だ。
本来は起死回生を狙う技で、勝てないと思った相手の武器を取ることで有利に立とうとするものである。
『あったよ、爆弾』
電話から衝撃的な一言が聞こえた。
「何処!?」
璃夜は食いついた。
一刻も早くこの状況を打破しなくてはいけない。
『中心の車両の下。電車全体の、ど真ん中。爆破の半径はちょうど電車を飲み込むくらい』
璃夜は不思議に思った。
チャンスなのに、どうしてそんなに愛斗の声が沈んでいるのだろうか。
『あと、犯人がわかった』
言いたくなさそうに渋る。
しかし、ようやく決心したのか、再度口を開いた。
『犯人は…』
電車が駅を過ぎた。
駅のプラットホームには、ぽつんと一人、人が立っていた。
髪の長い女性。風に靡く金色の髪。
ルビーのような赤い瞳。
その唇は緩やかに弧を描いていた。
僅かに口が動き、言葉を発したのがわかる。
スローモーションのようだった。
彼女は─────
『クロエ・アディ。クロウズを、裏切った』
口の動きは、“さようなら”。
クロエは、別れを口にしていた。




