170話
浴槽に背中を預け、目を閉じて温かい湯を堪能する。
日に2度の入浴は温泉旅行の様で少し楽しい。
耳には3人の笑い声が入ってくる。
大分落ち着いたのだろうと思う。
「クエーカー、か……」
今以上に稼ぐには国の外周を目指す必要が有る。
と言うか、王都が一番安全なのは当然だからだ。
王都周辺に強いモンスターが出没するなら遷都するのが普通だしな。
「クエーカー、どんな所なんでしょうね?」
体を洗い終えたエミリーが湯船に身を浸しながら問うた。
「さて、4人ならどうにでも成るだろうさ。繊維の街なんだろう? ならお洒落な服が沢山有りそうだな」
いかにお洒落をしても俺には見えないが、女の娘にはお洒落して楽しんでほしいとは思う。
俺自身がお洒落をしたりしても意味が無いが。
また服を選んでもらうとしよう。
頭から汗が滲むのを感じてそろそろ上がるかと考えていると、左隣にアンが腰を下ろした。
このタイミングで立ち上がると避けたと拗ねられそうだ。
小さく鼻を鳴らし大人しくもう少しだけ浸かっておく。
次の街の事よりもこれから数日、3人のLv上げの段取りも考えなければならない。
今日の事も有るし、ゴブリンやコボルトの様な二足歩行のモンスターは避けた方が良い。
俺でも連想するのだし、3人は精神的にダメージを負いそうだ。
「ネイル・ボアは――相性悪いか、バイト・アリゲーターの方が良いか」
魔法攻撃が効き難そうな鉄の毛皮よりは鰐の方が無難に思える。
「うおっ? ジュリア?」
明日からの予定を考えていると胡坐の上に誰かが座ったらしい。
驚いて目を開けるとジュリアが何を血迷ったのか、足の間に収まっている。
「そういうのは止めなさい!」
慌ててジュリアを避けさせて湯船から逃げ出した。
太腿に柔らかな物が触れ、ドキリとした。
分かっているのか分かっていないのか。
それとも女の意地なのだろうか?
ジュリアは時折、こちらが引く程の突進をしてくるから困る。
溜息交じりに体を拭き、ウォッカで全身を消毒してからバスローブを羽織って浴室から逃げ出した。
ソファーに腰掛けて盛大に溜息を吐いた。
「まったく、ジュリアは度が過ぎてないか?」
15歳、まだ子供にしか思えないのだが、それでも女なのだろうなと溜息が漏れる。
今夜は2階の部屋で寝る事にしよう。
ちょっと色々と危険だと思うから。
そんな事を考えているとそれなりの時間が経過していたのか、3人が揃って浴室から出てきた。
「お待たせいたしました、タツヒト様」
エミリーがおかしそうに声を掛けてくる。
子供の悪戯に慄いて逃げ出したのだ、笑いもするだろう。
「いや、じゃあ、俺は下で休むから。戸締りはちゃんとしてな? おやすみ」
そう言い残すと足早にドアを開けて部屋を出た。
後ろ手に閉じたドアの向こうではアンが「あんな悪戯するから」とか、エミリーが「ジュリアのせいでタツヒト様逃げちゃったじゃない」と小言なんだか、責めている声が聞こえる。
怖い怖いと呟きながら廊下を渡り、階段を下りて2階の部屋に飛び込んだ。
燭台の明かりの無い真っ暗な部屋だったが、いい加減慣れてはいる。
ドアに鍵をかけてベッドに横たわる。
3人のメンタルケアで俺がメンタル的に疲弊しているのはフェアじゃない様な、仕方が無い様な。
何とも言えない気分で目を閉じた。
疲れは感じていなかったが、多少のストレスは感じていたのだろう。
直ぐに眠りに落ちた気がする。
コンコンコン。
不自然な、人為的な音に意識が一気に覚醒する。
シーツを跳ね除けてインベントリから竜骨刀を出して腰溜めに構える。
音の出処はドアでは無かった。
目を細めて視線を窓に向ける。
コンコンコン。
再び窓の木板が叩かれる。
不審人物だが、夜盗の類ならノックはしないだろう。
そうなると、こんな事を仕出かす人間は一人しか心当たりがない。
溜息を吐いて、そして嫌がらせを込めて抜き身の竜骨刀で窓の閂を外して開けてやる。
「うわあ、危ないなぁ」
窓が開いて外の月明かりに人影が浮かんだ。
切っ先が顔の前にある事に驚いてはいない様だ。
図太い神経をしているらしい。
「で? 女神ちゃんが夜更けに、窓から寝室に何の用かな?」
刀を鞘に納めつつ、眠りを妨げられた不快感に顔を顰めながら問い質した。
「いやぁ、騎士団の移動に便乗もしないし、傭兵達を無事に撃退したのか確かめに、ね?」
「見ていたくせに良く言う。敵意の無い視線だったから無視したけど」
傭兵達の遺体を鰐に食わした辺りで感じた視線はこの娘か、その一派の物だろう。
何の理由が有って俺達を監視しているのかは分からないが、今の所害は無い。
と言うよりも、この娘は明らかに俺より何倍も強い。
そんな気配がしている。
この世界でこんな気配を持った人間は社会構造的には騎士団の上層部とか、諜報部の上の方だろうと予想は付く。
監視体制から考えてもそのどちらかだと思っている。
「俺達を監視する理由が分からないんだがなぁ?」
腹の探り合いは面倒だし真偽を図る事も出来ない為、直球で疑問を投げつけた。
このミューズと名乗る娘の言葉には害意が無い事から、協力者か部下の勧誘だろうとは思うが。
「強い人間は大募集してるからね。お兄さんは良い線行く、そんなタイプだから今の内に接触を持っておく方が良いでしょ」
何をもって良い線なのか分からない。
こんな視界に問題を抱えた人間が王国に役に立つとは思えないし、根本的に王国民でも無い俺には関係が無い話だ。
「お兄さん、今Lvいくつ?」
「33だが?」
「へぇ――、Lv以上に鋭いね」
“鋭い”と言うのは読みが、か? それとも感覚が、か?
どちらにせよ相手からは好評価らしい。
「ねえ? そろそろうちに来るつもりに成らない?」
「……うちがどこなのか分からないし、聞いたら面倒な事に成るから聞かないが、今は断らせてもらうよ。知っての通り、3人娘と一緒なのでね。4人で葡萄畑とワイナリーを持って暮らすのが目標でね」
下手な断り方をすると敵認定されかねない。
こう言う手合いには率直に、むしろ愚直に思う処をぶちまけた方が安全だと思う。
まあ、安全だと確信する材料の相手の表情が全く手に入らないのが一番怖い。
ミューズに感付かれない様に表情を押さえながら心の中で呟いた。
でも、ドット絵。