未恋 -未来の恋物語-
時は25××年。
世界は大きく変わっていた。
便利でなにも不自由のない生活、仕事も家事もなにもかも、アンドロイドがやってくれる。
至れり尽くせりの毎日。
だと、思ってた。彼に出会うまでは。
もう何十回、何百回も通った見慣れた道。
人工的に植えられた桜の木に色とりどりの花々。そのさきの小さな洋風の家に彼はいる。
褐色の髪に、なにもかも見透かしてしまいそうな真っ黒な瞳。テレビ画面のなかでしか会えないアイドルよりも、よっぽど綺麗な顔をしている。私の大好きな彼。
「こんにちは、クレイド」
「こんにちは、エリンさん」
にっこりと笑って挨拶すると、彼は眩しいくらいの笑顔で答えてくれる。この笑顔が見たくて、いったい何度ここへと通ったことだろう。
「セリシスにご用ですか?」
「ううん、違うわ」
セリシスとはこの家の主で、エリンの幼なじみだ。
「では、なぜここに?」
「さぁ、なんでだと思う?」
「……すみません。わかりません」
質問を質問で返されて、彼は困ったように首をかしげた。褐色の髪が動きにあわせてサラサラと動く。
ああ、困っている顔さえもかっこいいわね。
「本当にわからない?」
「ええ、わかりません」
降参、とでも言うように肩をすくめてみせる彼に、私はグイッと顔を近づけた。びっくりしたクレイドが後方によろめく。
「わたし、あなたに会いに来ているのよ?」
「え?」
「わたし、あなたのことが好きなの」
「好、き……?」
「そう、好きなの」
じっと瞳を見てそらそうとしない私に対し、クレイドは明らかに戸惑っていた。
大好きな黒い瞳がそわそわと動き、声になることのない言葉が口元をわずかに動かす。口元に軽く握られた拳をあてて、しばらく考えたのち、彼はためらいがちに言った。
「…申し訳ありません、エリンさん。『好き』というワードはまだ私の中にインプットされておりませんので……お返事はセリシスに意味を尋ねてからでもよろしいですか?」
彼らしい返事に、エリンは落胆のため息をついた。
「……お願いだから、『好き』の意味をセリシスに聞くのだけは止めてちょうだい」
「なぜですか?」
どうせまたバカにされるに決まっている。クレイドを好きになるなんて、不毛なだけなのだから。
「なんでもよ。クレイドには分からないかも知れないけど、告白って女の子にとって凄く勇気のいることなのよ」
それをバカにされてはたまらない。
「『告白』? 『告白』とは何ですか?」
「……」
なんだか悲しくなってきた。
好きで好きで、抑えられなくなった感情。私が彼を愛してるって知ってほしかった。だから玉砕覚悟で告白した。でもこれって、普通の玉砕よりもずっと惨めじゃない? 好きという気持ちさえ理解してもらえないなんて。
あ、まずい。なんだか泣きそうになってきた…。
「クレイド、悪いけどお茶の用意をしてくれるかな」
いつのまに来ていたのだろう。背後から聞きなれた声が聞こえてきた。
「今日は天気がいいからね。バルコニーで三人でお茶でも飲もう」
言いながら、私の涙がクレイドから見えないように胸元に引きよせる。くそぅ、柄にもなく格好いいことしやがって。
「セリシス、いらっしゃたのですか」
「うん。頼むよクレイド。そうだな、今日はダージリンが飲みたい気分だ。入れてくれるかい?」
「はい」
小さく頷いて、クレイドが私たちから離れていくのが気配で分かった。完全に気配がなくなったのを確認して私はセリシスを突き放す。
「……いつから見てたのよ」
「え? 僕はなにも見てないけど?」
噛みつくように言った私の言葉を、目の前の男はすっとぼけた態度で誤魔化そうとする。いつもそうだ。
「じゃぁ質問を変えるわ。いつから聞いてたの?」
「やだなぁ、僕は盗み聞きなんて趣味じゃないからね。ちょっとしか聞いてないよ」
ほらやっぱりね。『ちょっと』は聞いてたんでしょう。
「だから、どこから聞いてたのよ」
「たしか……『こんにちは、クレイド』からかな?」
つまり最初からって事じゃない! エリンは心底嫌そうに息を吐きだした。
「わたしが振られる現場を見ていて楽しかった?」
もうどうでもいい。やけくそになっているせいか、口から出るのは可愛げのない言葉だけだ。
「別に楽しくはないなぁ」
緊張感のない声で答えながら、セリシスが不思議そうに私の顔をのぞき込む。
「あいつのどこがそんなに好きなの?」
私は鼻をシュンッとすすって答えた。涙は止まったけど、まだ余韻が残っている。
「かっこいい」
「あー、確かにね。でも僕だって結構いい線いってると思うんだけど」
「優しいし」
「僕の優しさ、伝わらない? いつもいつもエリンのために頑張ってるのになぁ」
「……セリシスみたいに調子よくないし、変態じゃないもの」
「あー…、それは否定できないかも。僕、エリンの泣いた顔大好きなんだよねぇ」
本当の変態だったのか。ぎょっとして顔を上げると、にっこりと笑ったセリシスと目があった。
「でも笑った顔はもっと好きなんだよなぁ」
意外な言葉にびっくりしている隙に、うっかりセリシスの腕のなかに呼び戻されてしまった。
「結局僕ってエリンなら何でも大好きみたい」
「…へらへらした顔で恥ずかしいこと言わないでよ」
「いやぁ、でも事実だからどうしようもない」
あはは、と笑いながらセリシスは抱きしめる腕に力をこめた。
少し呼吸が苦しい。胸がドキドキしてるのは、泣いたばかりだからよね?
「でも僕があいつに勝っているもの一つだけあるよ」
セリシスの吐息が、耳元にかかってくすぐったい。
「僕はエリンと同じ時間を生きていくことができるよ。一緒に泣いて、笑って、歳をとっていくことが出来る」
確かに、クレイドとは出来ないことだ。最後のはとくに…だって彼は……。
「僕にしときなよ。エリン」
「……」
「アンドロイドとの恋なんて不毛なだけだよ」
涙がまたひとつ、頬を流れていった。