Episode 7 見えない亀裂
翌朝、リオスはけたたましいアラームの音で目を覚ました。
時刻は早朝6時。ミレイスの訓練を受けることを聞いたシエルが貸してくれた、彼女の髪色と同じピンク色の目覚まし時計のボタンを、布団の中から伸ばした手で手探りで見つけると鬱陶しそうに叩き、リオスは大きく伸びをした。
昨日は食堂で食事を済ませた後、タイムテーブルを確認して早めに床についた。おかげですっきりと目覚めたリオスはベッドから這い出ると、昨日と同様に洗顔と着替えを済ませ、部屋を出て訓練場へ向かった。昨日と違うのは、纏っているのが軍服ではなく、訓練用の黒一色のシンプルなウェアである点。訓練場へ行くとすぐ、ミレイスの指導による訓練が始まるという話であるし、訓練場に更衣室はない。着替えるのは全て、自室からということになる。
黒いウェアを纏った姿のまま訓練所へ真っ直ぐに歩いていくと、同じように訓練に向かう途中であるらしいステラとシエルの後ろ姿が見えた。
「ステラ、シエル! おはようっ!」
「あ、リオス君! おはよっ!」
「おはよう。その様子だと、よく眠れたみたいね」
振り返って答える2人も部屋で着替えてきたのか、昨日のような軍服姿ではなく、リオスと同じ黒地の訓練用ウェアの上下を着用している。男性のリオスと違うのは、ノースリーブのタンクトップが女性特有の身体のラインを描いているということで、柔らかなイメージが、本来感じられるであろう軍人特有の泥臭さを見事に相殺していた。
「アンタもこれから訓練?」
「うん。僕も皆と同じように始めるって、ミレイスさんが」
「そっか。じゃあ、一緒に行こっ!」
頷いたリオスが2人の間に立ち、3人は並んで歩き始めた。まだ早朝ということもあってか、廊下ですれ違うスタッフの人数は少ない。実際、この時間に目立った仕事があるのは朝食の仕込みがある食堂勤務のスタッフや清掃業者などの雑務の他、敵の接近に常に目を光らせているであろう管制担当者と警備くらいのもので、後は担当部署に缶詰めになっているはずであるので、それも納得ではあるのだが。
「そういえば、アンタの訓練メニューってどうなってるの? 私達は副隊長のがあるからそれをこなすことになるけど……アンタにはまだそういうのないでしょ?」
「うん。僕、ACMで戦うことは出来ても武器の扱い方とか全然解らないから……。だから当分の間は、ミレイスさんがマンツーマンで指導してくれることになったんだ」
「そっか。いくら最新鋭の兵器が使えても、戦い方まで達人クラスだとは限らないもんね」
ルイアナ基地で、あのレーネという少女とあれほどまでに戦えたのも、全てはグロリアスという頼れる愛機の存在があったからに他ならず、戦いそのものにおいてリオスは全くの素人である。ミレイスが教官となり教え込むことで、力の扱い方を少しでも学ばせようという――おそらくはゲイル辺りのものであろう意図が見えたが、これから先様々な任務をこなすことになるであろうことを思えば、少しでも強くなっておくことにはリオスも異論はない。部屋の内線へかかってきたミレイスの電話での申し出に、二つ返事で了承した。
今日はその訓練初日。ステラやミレイス曰く相当ハードだということだが、果たしてどれほどのものだろうか。興味半分、恐怖半分といった心境のリオスは、いよいよ訓練場へ続く扉の前まで来ると、意を決してそれを開けた。
昨日見たものと全く変わらない、開けた訓練スペースの中央で、ミレイス=エルティアーズは静かに鎮座していた。目を閉じ、じっと黙したまま動かないミレイスにどうしたものかとリオスが戸惑っていると、その両脇からステラとシエルが先に訓練場へ足を踏み入れた。
「……来たか」
目を瞑っていたはずのミレイスが、変わらず目を閉じたままそう声を発した。するとステラとシエルが言葉なく一礼し、リオスも慌ててそれに従う。
するとミレイスはそこで漸く目を開け、立ち上がると朗らかな笑みを浮かべた。おそらくはこれが、クラスタ基地において訓練を始める前の習慣のようなものなのだろうとリオスが納得していると、ステラ達2人が歩き始めたので、リオスもその後に続く。
「副隊長、ライとホークさんは?」
「ホークなら、いつもどおり屋内闘技場で筋トレの真っ最中だ。ライは……知らん」
「あはは。また寝坊してるんですね、ライ……」
呆れたように溜め息を吐くミレイスに、苦笑するステラ。今もそれなりに早朝であるはずだが、おそらくはそれよりももっと早い時間から既に訓練に勤しんでいたのだろうホークという人物。教官であるミレイスはともかく、他の隊員が来る前から自主的に鍛えるというところを見ると、なかなかの努力家のようだ。
それとは対照的に、ライという人間はミレイスとステラの口ぶりから察するに、おそらくは遅刻の常習犯なのだろう。苛立ち気味に吐き捨てたミレイスの溜め息からは、諦めが見て取れた。
「お、遅くなりましたああぁぁーーーっ!」
と、噂をすればなんとやらという奴で、リオスの後ろから息を切らせた少年が騒がしく滑り込んできて、リオスの右隣に立っていたシエルの傍で止まる。
「遅いぞ、ライ」
「す、すみません副隊長……遅刻しましたぁっ」
荒くなった息を必死に整えていたライであったが、そこへミレイスの静かながら迫力の篭った言葉が投げかけられ、まるでばねか何かのように瞬間的に背筋を伸ばしたライは慌てて弁明を試みる。が、それが効果があったかは甚だ疑問で、ミレイスは呆れたように大きくため息をついた。
「そんなことは見れば解る。罰として野外訓練場20周だ!」
「そ、そんなあぁ……」
「ま、これもいつものことよね……」
「あ、あはは……」
おそらくは全力で走ってきたのであろうライは、訓練前だというのに早くも息切れしている。そこへ更に、だだっ広い庭程もある訓練場を20周もしろと言い渡されたのだから、へなへなと座り込んでしまった彼の心境も理解できなくはない。が、シエル曰く今に始まったことではないらしいし、そもそも寝坊をしない努力をすればいいだけの話であるので、リオスはただ苦笑を浮かべるだけにとどめた。
「……さて。それではステラとシエルは、昨日メールで送ったメニューどおりに訓練を開始しろ。リオス、君は私と来い」
「はい!」
立ち上がり、泣く泣く野外訓練場へ駆け込んでいくライを尻目に、何事もなかったかのように、ミレイスは手馴れた様子で指示を飛ばした。敬礼して大きな声で返事をしたステラとシエルは、早速、先程ホークという人物が筋トレをしていると言った屋内闘技場へ駆けていく。闘技場と言っていたから、組み手でもやるのだろうか。そんなことを考えながら駆けていく彼女らの背中を見つめていると、「早くしろ」とどやされてしまい、リオスは慌ててミレイスの後に従った。
そうして連れて行かれたのは、金属質の床に一直線に引かれた白いラインが何本も連なった場所。奥には幾つもの標的が連なって置かれており、標的同士の間には柵が施されていた。
「あの、ここは……?」
「射撃訓練場だ。まずはここで、射撃の精度を高めてもらう。これが訓練用の銃だ。試しにそこの線から撃ってみろ」
「はい」
真っ黒に塗られた自動銃を手渡されたリオスは、ミレイスに指示された白線の縁に立つと同時に銃のセーフティを外し、目の前の標的目掛けて銃口を向けた。ACMのライフルが特殊なのか、それともこの銃の型が古いだけなのか、やけにずっしりと重く感じる銃身を固定しようと、ホルダーを握っていない方の手で銃の下部を押さえ、引き金に指をかける。
一瞬の静寂の後、リオスは引き金を引いた。銃声が鳴り響き、銃弾が標的の中心を狙って飛ぶが――。
「……あれ?」
「……はぁ」
リオスの放った銃弾は的はずれな方向へ飛んで行き、標的に掠りもせず、最終的に標的の上を被っていた屋根を貫通して小さな風穴を開けた。思った以上のノーコンぶりにリオス自身思わず間抜けな声を上げてしまい、ミレイスも今日何度目かも解らぬ溜め息をつく。
「……お前、思った以上に酷いな」
「あはは……な、なんかすみません」
ミレイスの言葉にも、苦笑しながら謝るしかないリオス。彼としてはそれなりに中央を狙ったつもりであったのだが、どこがどうずれたのか、銃弾は標的に掠りもしなかった。おかしいなぁ、などと呟きながら再び数発発砲してみるが、辛うじて標的の右上を掠めた弾が1発あった程度で、尽くが標的に命中することすら叶わない。ルイアナ基地に潜入した際には、あれほど手際よく動けたというのに。疑問に思うリオスだが、格闘術と射撃術は分野として大きくかけ離れたものだ。射撃については所詮こんなところだったのだろうと結論づけていると、傍で見ていたミレイスもその様子についに見かねたのか、歩み寄ってリオスの姿勢を背後から矯正し始める。
「いいか、銃身はこう、身体はこうだ。見たところ狙いは悪くないが、撃つ瞬間の衝撃に身体が持っていかれている。それで射線がぶれ、結果的にノーコンになっているのだろう」
「な、なるほど……よーし」
ミレイスの言葉を教訓に、リオスは再び標的へ向けて狙いを定めた。今度は銃に添える手により強い力を込め、更に身体が崩れないようによく踏ん張りをきかせて――。
「……はっ!」
気合一発、掛け声と共に放った銃弾は真っ直ぐに標的目掛けて飛んで行き、今度こそ標的に命中した。さすがにど真ん中とまではいかないものの、先程からのノーコンぶりに比べれば明らかな進歩に、リオスは飛び上がって喜ぶ。
「やった! 当たった、当たりましたよミレイスさんっ!」
「いちいち1発当たったくらいではしゃぐな。全く……」
呆れたように苦笑するミレイスだが、内心では彼女も驚いていた。今日初めて触れた本物の銃で――しかも、まともな武器自体数日前に初めて握ったばかりというのに、少し教えただけでもうコツを習得したばかりか、それを実践して見事命中してみせた。これでは多少はしゃいだとしても無理はないか、などと考え、ミレイスは内心で舌を巻く。
「ここでの訓練は、シンプルにとにかく標的に当てられるようにすることだ。床の白線は、徐々にターゲットから遠くなるように引かれている。ある一定の距離をクリアしたら徐々に遠いところから撃つようにしていけば、自然と射撃精度も向上するだろう。……まあ、今日は初日だ。あと数発撃ったら次へいくぞ」
「了解です!」
ミレイスの言葉に頷くと、リオスは意気揚々と再び銃を構える。再び、青空に渇いた銃声が数発鳴り響いた。
☆★☆★☆★☆
「ふっ、はぁっ!」
「なんの! とぁっ!」
所変わって、ここは屋内闘技場。紅い屋根にメタルグレーのシンプルな外観と同様、青みがかった銀色の壁と床で覆われた屋内では現在、2人の人影が組み手を繰り返していた。空色と桃色、2つの相反する色の髪を振り乱して組み合うのは、ステラとシエル。フィールドとその外とを分ける白線の外側では、ホークがダンベルを片手に筋トレに励みながら、2人の戦いを観戦していた。
男同士の汗苦しい試合とは違い、声だけ聞けばなんとも可愛らしい高音が飛び交う戦いだが、いざフィールドの中へ視線を移してみれば、いかにそのイメージが貧弱であったか思い知らされることになる。力技になりがちな男の戦いとは違う、技と技の緻密な駆け引き。それが今、このフィールド上で繰り広げられていた。
「やぁっ!」
「甘いぃっ!」
「え……にゃっ!?」
と、そんな熾烈な戦いにも、決着の時は唐突に訪れた。ステラが放った正拳突きの勢いを利用して、シエルがステラの身体を投げ飛ばし、床へ叩きつけたのだ。幸いフィールドの床は柔らかい物質で出来ているから怪我はしないが、それでも痛いことには変わりないのか、涙目で起き上がったステラは打った箇所を手で摩った。
「ううぅ、痛いよぉ……」
「はい、私の勝ち。約束通り今日のランチ、奢ってもらうわよ」
「むー、私の方が運動神経よくないんだもん。不公平だよ~……」
どうやら、組み手の勝敗に昼食を賭けていたらしい。白兵戦でこそこれだが、ことCAの操縦技術に限っては悔しいことにステラの方が上であることをシエルは認めている。ぼやくステラが恨みがましい視線を送るが、こればかりは負けてやるわけにはいかぬと、どこ吹く風といった様子のシエルは彼女の視線を歯牙にもかけず、すたすたとフィールドの外へ歩いていった。
「お疲れさん」
「ありがとうございます」
と、その時、対戦を観戦していたホークが労いの言葉と共にタオルを投げて寄越した。礼を言いつつそれを器用にキャッチしたシエルは、フィールド脇のベンチに腰掛けて汗を拭う。
未だうーうーと唸りながら、それでもいつまでもフィールドの中にいる気はないのかすごすごと引き下がってきたステラはシエルの隣に座ると、そこに置いてあった自分のドリングを手に取って、思い切りストローを吸い上げた。清涼感のあるドリンクが喉を伝って流れ込んできて、熱くなった身体に一時の安らぎを与えてくれる。
とりあえず、これで屋内闘技場でのメニューは終了。次は、今リオスのいるはずの射撃訓練場での訓練となるはずである。賭けなどしていたが、あれも立派な訓練メニューだったのだ。
少し休んだ後、射撃訓練場へ向かうか。そう考えていた3人の耳に、闘技場入り口のドアが開く音が届いた。
「ここが屋内闘技場だ」
「うわぁ、凄い……」
ミレイスの凛とした声に続き、少年らしい高音域の声でリオスが興味深げにきょろきょろと辺りを見回す。それを見たステラは嬉しそうに手など振っていたが、それとは対照的にホークがドリンクを飲みながら横目に睨んでいるのを、シエルだけがその目に捉えていた。
「リオス、君には今からここで私と斬り合ってもらう」
「斬り合うって……剣でですか?」
「……そう苦い顔をするな。安心しろ、木刀でやるから危険はない」
斬り合う、と聞いて驚きと恐怖とが交じり合ったような苦い顔をするリオスに、ミレイスは壁際の棚に立てかけられていた木刀を2本とり、1本をリオスへ投げて寄越す。シンプルな作りの普通の木刀だ。恐らくまともに受けても、精々打ち身程度のものであろう。安堵にリオスはほっと息をついた。確かによくよく考えてみれば、ただの訓練で真剣を使うはずもない。先程行なった射撃訓練が本物の銃を使ったものであったので、いつの間にか妙な先入観を持たされてしまっていたらしい。
先にフィールドの中に入っていたミレイスと対面するようにリオスが立つと、どちらからともなく2人は構えた。
「……ほう、構えはなかなか様になっているな」
「ど、どうも」
構え、とはいってもリオスとしては取り敢えずミレイスの構えを見よう見真似で剣を向けてみただけで、そこからの動きなど全く考えていない。
2人の様子を見ていたステラ達3人も、射撃訓練場へ行くのはとりあえず置いておいて、2人の戦いを観戦しようと目を向けている。
「いつでもいいぞ。遠慮なくかかってこい」
「はい……てりゃああぁぁぁぁっ!」
木刀の柄を両手で持ち、声を上げてリオスはミレイスへ切りかかった。袈裟懸けの斬撃。ミレイスはそれを軽々と受け止め、横に受け流した。
「わわっ!?」
体勢を崩されたリオスは、たたらを踏みながら慌てて体勢を立て直す。そこへすかさず、ミレイスの木刀が上段から降りおろされ、慌ててリオスは横に跳んで躱した。空を切った木刀を引戻し、ミレイスはニヤリと笑う。
「身のこなしも問題ない。素質はありそうだな」
「くっ……!」
そう言って木刀を構え直しながら、ミレイスは好戦的に笑った。一方のリオスは、あまりの実力の差に歯噛みする。
つい最近武器を得たばかりの素人と、正規の訓練を受けた軍人。違うのは当然のことなのだが、そこは彼も男。勝てなければ悔しいし、しかもそれがミレイスのような女性ともなれば、悔しさも男性相手の比ではないだろう。
「ああぁぁぁっ!」
再度雄叫びと共に、今度は胴を横薙ぎに狙う。これがACMの剣であれば、リオスの斬撃はすぐにでも敵の胴を真っ二つにしたことだろう。けれど、今行なっているのは模擬戦。使用しているのも木刀で、ACMのシステムによるブーストも受けられない。
故に、ミレイスは易々とそれを受ける。まるで木ノ葉でも払うかのように木刀でリオスの剣を流すと、ミレイスは上段から真っ直ぐにリオスの脳天目掛けて木刀を振り下ろした。
「……っ!?」
窓から差し込んでくる陽光を眩しく反射するプラチナブロンドの髪に、当たるか当たらぬかという寸前の距離で止まった木刀を見つめたまま、リオスは動かなかった。――否、動けなかった。そこからどう動くべきなのか、それすらも分からなかった。ただ唯一理解できたのは、自分が負けたということ、ただそれだけ。
「……やはりまだ甘いな。動きはいいが、それだけだ。力の振るい方もまだ荒削りだし、剣筋にも若干ぶれがある」
「はい……」
木刀を降ろしたミレイスの言葉に、力が抜けたリオスはその場にへたり込んで、がっくりと肩を落とした。
よもや、ここまで完敗するとは思ってもみなかった。彼女は女性だし、ある程度は力押しでなんとかなるかもしれない――そんな偏見が多少なりともあったことは認めるが、それでも油断はしていなかったし、彼なりに全力で打ちこんだつもりであった。しかし、結果はどうだ。リオスの斬撃は尽くいなされ、まるで柳に風と言わんばかりに受け流された。そして返しで放たれた斬撃は鋭く、パワーはなくとも確実に相手を打ち倒す力があったように見えた。もしこれが木刀でなく真剣で、あの剣がそのまま振り下ろされていれば、まず間違いなくリオスは死んでいただろう。
「確かに、お前のACMは大した武器だ。だが、その性能に頼ってばかりではいずれ行き詰まる。CAや凡人程度ならともかく、報告にあった少女のような敵が相手の場合、最終的に命運を分かつのは己が腕となろう。精進することだ」
「はい。頑張ります」
ミレイスの言葉を噛み締め、リオスは頷いた。確かに彼女の言うとおり、武器の性能が同等以上の戦いにおいて勝敗を分けるのは、使用者の力量。この前出会ったレーネという少女は、力量こそ荒削りであったとはいえ、単純な力と武器性能ではリオスと互角か、もしくはそれ以上であったように思えた。今後も彼女のような相手と戦場で邂逅するかも解らないのだから、技量を磨くことは急務だ。勝つために――何より、リオス自身が生き残るために。
いい返事で返したリオスに、「うむ」とミレイスは頷いた。
「さて。それでは十分解ってもらったところで、早速次の模擬戦を行うとしよう。相手は……」
ミレイスは、続いてベンチで休憩しつつ2人のやり取りを傍観していた3人へ視線を送った。どうやら次は、3人の誰かと模擬戦をさせるつもりらしい。
(ステラやシエルとは……出来ればやりたくないなぁ)
心優しいリオスは、女性を殴ることになるかもしれないことに僅かに顔を顰めた。ミレイスも女性だが、全く歯が立たなかったのだ。ステラとシエルもミレイス程ではないだろうが正規の軍事訓練を積み重ねてここにいるわけで、いざ模擬戦となって手加減できるかどうかは未知数だ。ミレイスのように寸止めが出来るほど手慣れているわけでもないし、内心で祈りながらリオスはミレイスの判断を待つ。
「ライにやってもらうのが一番なのだが……やむを得んな。では、シエ……」
「俺がやります、副隊長」
そうして、やがて決断したらしいミレイスが、ここにいないライの代わりにおそらくはシエルを指名しようとしたのであろうその時、その言葉を遮る声があった。ベンチから少し離れた壁際でドリンクを吸っていたホークが、ゆっくりと立ち上がる。
「ホーク、お前か。だが、最初でいきなりお前相手というのは……」
「それを言うなら、始めから副隊長が相手をするというのもいかがなものなのでは?」
「む、なるほど。それもそうだな」
ホークの言葉に納得したようにミレイスは頷いた。そして邪魔にならぬよう退くと、ホークが険しい表情で自分を見ているのに気付き、リオスはその無言の威圧感にびくりと身を震わせる。
「では、2人とも所定の位置につけ」
ミレイスの指示で、両者は先程と同様、真正面から向かい合った。一層鋭くなったホークの視線にびくびくしていると、「構え!」というミレイスの声が聞こえ、リオスは仕方なく構えを取った。
「……始めっ!」
「はあぁっ!」
「うわっ!?」
開始の合図と同時、突っ込んできたホークの木刀をリオスは慌てて躱した。刺突の構えで突き出された木刀は虚空を貫いたが、それでホークの攻撃は終わらなかった。すぐにくるりと向きを変えると、今度は袈裟懸けに褐色の剣を振るう。
今度は、受けた。途端、びりびりと衝撃が木刀を伝わってリオスの腕を揺らす。
(なんて重みだっ……!?)
思わず表情を苦痛に歪めたリオスは、身を捻ってホークの木刀から逃れると、一旦距離をとった。いかにリオスが素人とはいえ、一度鍔迫り合えば、あの剣をまともに受けてはならないことくらいは理解できる。そうして様子を伺っていると、リオスは不意に、男から向けられる殺気にも似た針のような空気が気になって、問いかけた。
「……あの、僕何かしましたか?」
リオスの問いに、ホークは僅かに眉を顰める。
「どうして? 僕が貴方に会うのは、これが初めてのはずでしょう?」
「……ステラを助けてくれたそうだな。だが、俺は生憎隊長程お人好しじゃないんでね。それだけで、はいそうですかと信じられる程、優しい性格は持ち合わせてないんだよっ」
彼のその言葉だけで、リオスは彼から感じた殺気のような雰囲気の正体に気がついた。おそらく彼は、リオスのことを未だに信じられずにいるのだ。ゲイルも言っていたではないか。まだこの基地には、リオスのことを信じきれない人間がいるのだと。おそらく彼もその1人なのだろう。
再び襲い来る重い斬撃を、リオスは横っ飛びに避けた。空気を切る程がはっきりと聞こえる程の剛の剣。受ければおそらく、一撃で武器をもっていかれる。そんな確信的なリオスの感覚は決して間違ってはいない。あの時、最初に彼の剣を受けた時から消えていない腕の痺れが、それを如実に伝えている。
「そらあぁっ!」
猛撃のラッシュに見舞われ、リオスは回避に専念した。あれほどの剛剣、受ければ最後と理解しているからこそ、そうするしかない。だが逃げてばかりいても、状況が改善されることはない。唯一の救いは、ホークの剣は重みこそあるものの技に関してはミレイスのそれを大きく下回っており、素早く動くリオスを捉えきれていないということだが、状況が長引けばリオスもいずれ疲弊する。体力の限界が訪れたその時、待っているのは敗北だけだ。
フィールド外で腕を組んで観戦していたミレイスもまた、それを見抜いていた。
(ホークに勝つには、手立ては1つ。それに気づけるか……?)
少なくとも今のままならば、リオスは間違いなく負ける。力もスタミナも上回っているホークが圧倒的に有利だ。だがミレイスとて、何の考えもなく先に自分との模擬戦を経験させたわけではない。後は、彼がそれに気づくか否かだが――。
「……ふふ、どうやら心配はなさそうだな」
フィールドの中にいるリオスの表情を見て、ミレイスは微笑みを口元に浮かべた。そして、確信する。やはり彼には、才能があると。少なくともこと戦いにおいて、彼は目覚しい進歩を遂げている。射撃においても――そして、剣技においても。
ミレイスが呟いた直後、リオスの動きが変わった。それまでの回避一辺倒から、徐々にホークの剣へ自らの剣を合わせ始めている。けれどそれは、彼の剣を真っ向から受け止めるための行動ではなかった。
(剣の腹を相手の剣筋に斜めに挿入。そこから刃を腹に滑らせるようにして――)
リオスの思考どおり、ホークの木刀の下部にリオスの木刀が潜り込む。そして剣の進行方向に力を逃がし、彼の斬撃を受け流した。
「な、に……!?」
ホークの目が、驚愕に見開かれる。斬撃は確かにリオスの剣に当たっていた。けれど、手応えをまるで感じなかった。まるで布を押しているかのような抵抗感のなさに、漸く自分の剣が〝受け止められた〟のではなく、〝受け流された〟のだと理解する。
「ちぃっ、まぐれだまぐれっ!」
怒鳴るホークの眼前に、リオスの上段よりの斬撃が襲いかかる。今度は、リオスが攻勢に転じた。様々な角度から、滅茶苦茶に木刀を振り下ろす。その軌道はやや様になっている程度で、ミレイス程の人間から見ればまだまだ素人の域を抜け出ていないと言わざるを得ない。けれどあまりの猛撃に、今度はホークが防戦に専念する番となった。
「こん、のっ!」
斬撃が途切れた隙を見計らっては、ホークもまた反撃する。けれど、それもまた全て受け流され、一度とて決定打を与えるに至らない。
(この動き、まるで副隊長のっ……!?)
剣を幾度となく合わせながら、ホークにはリオスの姿にミレイスの影が重なって見えていた。あれは彼女だ。幾度も訓練で手合わせしている彼には解る。あの、攻撃を柔軟に受け流し、反撃の好機を伺うスタイルは紛れも無く、ミレイス=エルティアーズ自身のもの。スタイルだけではない。その技法も、姿勢も、何もかもが彼女と被って見える。
(盗んだっていうのか……あの短時間で、1回手合わせしただけでっ……!?)
だとしたら、驚異的な成長速度である。急に目の前の少年が、ホークにはまるで化け物か何かのように見えて、ホークは思わず叫びを上げて突進した。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
それは、傍目から見ても無謀な突撃。ステラとシエルの2人も、冷静さを失ったホークの姿を見て息を呑む。だがそんなホークの叫びにも、リオスはもはや動じない。冷静に彼の動きを見極め、最小限のモーションで彼の木刀を、真正面からではなく、刀身に滑らせるようにして力を後方へ受け流す。
その瞬間、リオスは身体を捻った。突撃で後方に流れたホークの身体と入れ替わるようにして、くるりと背後に回り込む。
「……ッ!?」
そこで漸く、ホークは己の失策に気付いた。今、彼の背中はがら空き。体勢を立て直している暇もない。次のリオスの攻撃を防ぐ手立ては――もう残されていない。
「だああぁぁぁぁっ!」
気合と共に大上段から振り降ろされた一打が、ホークの背を強く打ち付けた。
☆★☆★☆★☆
「ホークさんに、勝っちゃった……!?」
試合が終わっても、ステラとシエルは尚、それくらいしか言葉を発することが出来なかった。それほどに、彼女らにとっては意外な結末。少なくとも、軍隊格闘においては彼女らハミルトン隊員の中でも手練れの部類に入る彼に、あれほどの圧倒的な勝利を収めることが出来るなどと、思ってもみなかったのであろう。
「ふっ、予想以上だな。この調子ならいずれ相当の……。だが、問題は……」
一方、同様に一部始終を見ていたミレイスだが、こちらはさして驚いてもいなかった様子で、何やら楽しそうにほくそ笑んでいた。が、ふとちらりとホークの方を見、険しい表情を作る。
ホークは呆然とくずおれていた。自分が負けたことが信じられないのか、それとも――。いずれにせよ、精神的にも大きな衝撃を受けたらしいホークは未だ動けずにいた。
「あ、あの……」
予想以上にショックを受けているホークの様子に、リオスは勝利の余韻を味わうこともなく恐る恐る声をかけようとする。
しかし、その時。ミレイスの身に付けていた携帯デバイスに通信が入り、その着信音にリオスの声は遮られた。仕方なく口をつぐむと、ミレイスは通信に応じる。空中にモニターが投影され、ゲイルの姿が映し出された。
「はい、こちらミレイス=エルティアーズ」
『俺だ。ちょっと面倒なことになってな。前線部隊の奴らと一緒に、至急司令室へ来てほしい。リオス、君も一緒にだ』
「僕も、ですか?」
「了解しました」
疑問の声を上げるリオスだが、ミレイスがさっさと通信を切ってしまい、子細は解らなかった。何があったのか、それを知るには司令室へ行くしかない。
「話は聞いたな。訓練は中止だ、司令室へ向かうぞ」
「私、ライ呼びに行ってきます!」
ミレイスの言葉に、ステラとシエルは頷いた。と同時にステラは、罰を言い渡され今頃は外を走っている真っ最中であろうライを呼びに、走って飛び出していく。ミレイスはその後から闘技場を後にし、シエルもその後に続いた。
「あの……ホーク、さん……?」
一方、話の途中で我に返ったらしいホークも立ち上がり、2人の後に続こうと歩き出した。恐る恐る話しかけるリオスの言葉にも、全く答えることなく。
その態度に、リオスは悲しげに顔を俯かせた。確かに彼の言うとおり、自分はまだ受け入れられない部分が多くあるのは事実だろう。しかし、ここまであからさまな敵意を向けられたのは、この基地へ来て初めてのことだ。少なからず気分が落ち込んでしまうのは、致し方のないことか。
「リオス」
と、いつまで経っても出てこないリオスを案じたか、ミレイスが戸口のところから声をかけた。顔を上げると、先程と同じ凛とした顔が見える。
「……行くぞ」
「……はい」
おそらく彼女も、全てを察しているのだろう。リオスのことも、彼――ホークのことも。けれど彼女は、何も言わなかった。ただ一言だけを発して踵を返す彼女の後を追って、リオスは歩き出す。
勝利した喜びも感じる間もなく、立ち込めた暗雲。心に靄がかかったような思いを感じながら後にした闘技場のドアの閉まる音が、妙な存在感をもってリオスの心を揺らした。