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Episode 6 クラスタ

 

――双眸の向こう側に見える世界は、紅の炎に包まれていた。無残にも破壊された建造物は崩れ落ち、瓦礫の山が燃え上がる炎に包まれ、粉々の灰燼と化す。


(何だ、これ……?)


 その凄惨な光景を、リオスは朧気に見つめていた。けれど、ぼんやりとした思考に反して目の前の惨状に対する認識は、不可思議な程はっきりとしている。まるで、以前にも同じ光景を見たことがあるかのように。

 すると、燃え上がる街の上を突如、巨大な影が覆った。街1つ軽々と飲み込む程巨大な影をも生み出した、黒い巨人。山程の大きさはあるだろうかという巨躯は、街の中央に悠然と佇んでいた。禍々しく天を仰ぎ、咆哮する巨人。己こそがこの世の覇者なのだと、そう誇示するかのように叫びを上げる魔人はしかし、まるで本当に全ての支配者であるような威圧感を放っていた。

 やがて、燃え盛る街も魔人も、全ての景色が朧気に遠ざかっていく。その代わりに目の前に現れたのは――どこか見覚えのある、白い天井だった。




☆★☆★☆★☆




「……夢、か」


 カーテンの隙間から差し込む陽の光や、それによって薄ぼんやりと照らされている室内を一通り寝惚け眼で見渡して、リオスは小さく欠伸をした。軽く伸びをし、布団を退けて寝ていたベッドの端へ腰掛ける。

 遮るものがなくなったことで、室内の空気がやけにひんやりと冷たく感じ、リオスは自分の身体がじっとりと汗ばんでいることに気付いた。無理もない、それだけリアリティのある夢だったのだ。多少身体にそれが表れていたとしても、何も驚くことはなかった。


「それにしても、今の夢……」


 何故かリオスは今の夢を、ただの夢で片付けてしまってはいけない気がした。とはいえ、己の記憶と考えるのはあまりに突拍子もなく、現実的に考えて無理のある内容であることも事実である。結局のところ自分で考えてもすぐに答は出ないであろうと結論づけたリオスは、ベッドから降りて部屋の中にある洗面スペースに向かった。

 昨夜ゲイルに宛てがわれたこの部屋は元々他の兵士の私室になるはずであったのだが、その兵士が突如他の隊へいくことになり、ずっと空き部屋になっていたらしい。長い間使われていなかったためか、部屋へ戻ったリオスを待っていたのは溜まりに溜まった埃との戦いであった。そんなこともあり、ゆっくりとベッドに入ることが出来たのは、部屋に元々あった時計が深夜の時刻を刻んだ頃。昼間のこともあってすっかり疲れていたリオスは、そのまま寝入ってしまったのだった。

 洗顔を済ませたリオスは汗に濡れた服を脱ぎ、真新しい軍の制服へと着替えた。寝巻きに使っていた、昨日まで着ていた服は纏めて籠の中へ入れておき、テーブルへ無造作に置かれていたグロリアスを首にかけると、リオスは部屋を出た。


『おはようございます、マスター』


「うん、おはよう」


 紅いコアを点滅させて朝の挨拶をするグロリアスへ微笑んで返しながら、リオスはゲイルの執務室を目指した。昨夜作業が終わった直後、タイミングを見計らったように部屋の内線へかかってきた彼からの電話で、朝起きたらすぐに部屋に来るように言われていたのだ。何でも、基地内部の案内に加え、今後の方針についてきちんと伝えておく必要があるとか、そういう話であった。

 一度訪ねたことがあるためか、ゲイルの執務室へはそう迷わずに着くことが出来たが、部屋の目の前の壁にもたれ掛かって手持ち無沙汰にしている人影を見つけて、リオスは立ち止まる。


「えっと、君は……」


「あ、リオス君やっと来た! もう、私待ってたんだからね?」


「え、あぁ、その……ごめん」


 確か自分に用があったのは、彼女ではなくゲイルであったはずではなかっただろうか。そんな考えが頭を過ぎるも反射的に謝罪の言葉を述べたリオスに、空色の髪の少女――ステラ=クレイフォードは、楽しそうににっこりと笑った。


「ほら、行こ?」


 彼女の手招きに応じて、リオスは彼女と共に執務室に足を踏み入れた。すると、ドアの開く音で気付いたか、デスクで書類にペンを走らせていたゲイルは一旦その手を止めて、リオス達のいる出入口に向けて顔を上げた。


「おお、やっと来たか。よく眠れたようで何よりだな」


「あはは……す、すみません」


 ニヤニヤと笑うゲイルに、遠回しに寝坊助だと言われているとすぐに気付いたリオスは、反論出来ずに頬を掻く。隣でステラがくすくすと笑っていることに頬を赤くしていると、さて、と前置いてゲイルは立ち上がった。


「君は今日から、この基地に住んでもらうことになる。部屋も、食事も。ある程度手当も出そう。だが、無論タダでというわけにはいかん」


「はい」


 リオスとて、元よりただ飯喰らいになるつもりは毛頭ない。そんなことになれば心苦しいし、何か仕事を与えてもらえるのなら願ってもないことだ。リオスのいい返事に気をよくしたか、ゲイルは口元に笑みを浮かべると、リオスに何かを投げて寄越した。


「これは……?」


「君の仕事に必要なものだ。大事に持っておけよ」


 渡されたもの――手の中にあるカード状の何かを、リオスはまじまじと見つめた。

 いつの間に撮ったのか、リオスの顔写真も載ったカードの表面には、何やら番号など訳の解らぬ表記が並んでいる。それも記憶喪失の弊害なのか、文字の読めないリオスには何1つ理解出来なかったが、隣で覗き込んでいたステラが「あ!」と声を上げた。


「あの隊長、これって……!」


「そうさ。それはな、君が我が軍の一員であることを示す身分証明証だ。昨日、君が部屋の片付けをしている間に急ピッチでこしらえさせた」


 あまりに手が早いゲイルの行動と、何気なく入隊を強制させられた展開の速さに、リオスはおろか、隣で聞いていたステラすらも、驚きと呆れに声も出ない。とりあえず、夜分遅くに彼の要請を受け入れた兵士には後で礼を言っておかねばならないな、などということを考えながら、リオスは深く溜め息をついた。


「まあそんなわけで、明日から君には我がハミルトン隊の隊員として任務にあたってもらう。一応は命の危険もある軍務だ、報酬はそれなりのものを用意させてもらおうと思う」


「あ、あの、隊長。昨日の今日で軍人なんて、幾らなんでもかなり無理があると思うんですけど……。リオス君、ちょっと前までは全くの素人だったわけですし」


「戦闘力は申し分ないし、軍人としてのノウハウも今後学んでいってもらえば大丈夫だ。それに、細かい戦略的判断に迫られるような仕事は彼には回さん。心配は要らんさ」


「むうぅ……」


 ゲイルの説明に、ステラは反論できずに唸った。確かに今ゲイルが言ったことは殆ど事実で、荒事だけ任せていれば軍務の素人であるリオスにも手っ取り早いのは理解できる。けれど、リオスがスパイと疑われた時と同様、理解することと納得することは別問題。ステラとしては、せっかく命を拾った彼を、再び死地へ送り出すことになるこの措置が納得できないのだろう。

 そんな彼女の心情を理解してか、苦笑を浮かべたゲイルは諭すように言った。


「そう睨んでくれるなよ。俺だって、最初は食堂で厨房の手伝いでもしてもらえばいいと思ってたさ。けどな、まだこの基地の中には、彼のことを疑っている人間も少なからずいるんだ。そういう奴らを黙らせるには、〝前線に出して見張らせる〟とでも言わないと納得してくれなくてな」


 確実な情報のない今回のようなケースの場合、疑い始めるときりがなく、たとえ1人が納得したとしても必ずしも全ての人間が受け入れてくれるとは限らない。けれど、どれだけ疑念があったとしても、一応表面上は皆ゲイルの決定に従っている辺り、彼――ゲイルが、どれ程この基地の(みな)に信頼されているのかが解る。

 けれどリオスは――否、だからこそと言うべきだろうか――唐突に気になった。彼がどうして、自分を信頼してくれる気になったのか。その理由が。


「あの……ゲイルさんはどうして、僕のことを信じてくれる気になったんですか? テストは確かに指令どおりこなしましたけど、だから僕が敵じゃない、なんて断言出来るものじゃないでしょう?」


「そうだな……まあ、理由はいろいろあるんだが。一番の理由は、その目だな」


「……え?」


 あまりにも予想外な答えに、リオスは一瞬訳も解らずきょとんと固まってしまう。そんな彼の様子に気付いてか否か、顎に手を当ててゲイルは尚も語る。


「俺はそれなりに人を見る目はあるつもりだ。お前の目は、スパイとして誰かを騙そうって奴の目じゃない。得体の知れない世界に放り込まれて、怯えて小さくなってる奴の目だ」


 ゲイルの言葉は、リオスの内心を的確に捉えていた。記憶をなくし、誰が敵か味方かも解らぬ世界にただ1人放り込まれた。それがどれほどの恐怖と孤独を伴うものか、傍で聞いていたステラには想像もつかなかった。

 物心ついた頃から家族が、守ってくれる存在がいた彼女には、知り得るはずもない想いだった。


「だが、そんな中でもお前は、ステラを救ってくれた。俺の仲間を、身体を張って守ってくれた。この基地を、皆の命を預かる隊長として、信じるのにそれ以上の理由がいるか?」


「ゲイルさん……」


 なんとお人好しな、と、基地の司令官という地位にありながらのこの発言には批難が浴びせられてもおかしくない。しかし彼はそれを、堂々と言ってのけた。それだけ、基地の仲間との絆を大切にする男なのだろう。

 リオスと、彼の隣で、嬉し涙に目をうるうると潤ませているステラの視線に今更ながらどこか気恥しくなったのか、ゲイルはくるりと踵を返し、先程まで座っていたデスクに再び腰を下ろした。


「ほら、解ったら行け。今日はいろいろなところに顔を出してもらわなきゃならないんだからな」


「……はい!」


 元気よく返事をして退出していくリオスに続き、一礼をしたステラの姿がドアの向こう側に消えていくと、漸く部屋は元の静けさを取り戻した。

 ふと、書類を片付けながら飲んでいたコーヒーが目に入る。つい先程まで立ち上っていた湯気は見る影もなかった。口をつけてみるが、やはり温い。


「……ったく、柄じゃねえっての」


 苦笑しながら、いつになく苦いコーヒーを一気に喉へ流し込むと、ゲイルは再びペンを手に書類へ目を走らせた。




☆★☆★☆★☆




「ここがメンテナンスルームだよ。うちの基地の兵器開発とか、修理なんかもここでやってくれてるんだ」


 そんな説明と共にステラにまずリオスが案内されたのは、まるで工場のようになっているエリアだった。中で様々なロボットアームが動き、CAのパーツらしきものを組み立てているのが、今2人がいるデッキのようなスペースからも窓越しに確認することができた。

 そんなリオスが立っている場所には、多くの人間が計器のコンソールを前にキーボードを叩いている。おそらく彼らが、このメンテナンスルームのメカニックなのだろうとリオスが興味深げに辺りを見回していると、2人の存在に気付いた1人の男が歩み寄ってきた。


「よっ、ステラ」


「こんにちは、主任さん」


 朗らかな笑みを浮かべた男性。他のメカニックも同様だが、白衣を着ている辺り、メカニックというよりは研究者か何かのようにも見える中年の男で、清潔感のある白衣の白とは裏腹に、銀の髭をたっぷりと生やした髭面は、どこか不精に見えなくもない。

 

「リオス君、紹介するね。こちら、このメンテナンスルームの主任のデイビッドさん」


「デイビッドだ。よろしくな」


「あ、はい……リオスです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 デイビッドが差し出した手に応じ、リオスは握手を交わした。するとデイビッドは、何やら思い出したような顔をすると、合点がいったとばかりに頷く。


「そうか、お前のことか。隊長が嘱託兵に任命した記憶喪失の少年、ってのは」


「しょくたくへい?」


「特別な能力を持った人を、非常時や正当な理由がある時に限定して、軍人として認めてもいいっていう制度のことだよ」


「とはいっても、軍とは国防の要だ。スパイによる情報漏えいの危険性を加味して、よほどの非常時で人手が足りない時くらいにしか適用されない措置だし、実際には軍人の半分の権限も与えられないがな。多くは駒として戦場で使い捨てられて終わるが……まあ、あの隊長ならそんなことはしねえだろうから、安心していいぞ」


 ふとデイビッドが口に出した言葉の意味が解らず、思わず聞き返したリオスの問いにステラは丁寧に説明してみせ、何年も現場にいる人間であるからこそ知り得るのであろう実情を、デイビッドが補足した。要するに今の自分は、軍人として戦うことは出来るが、軍人としての権限の多くを持ち合わせない、まさしく戦うことしか出来ない存在となったというわけだ。そういう言い方をすれば非人道的な位置づけととれなくもないが、先程執務室でゲイルと話したリオスは、彼の意図を理解していた。おそらくこれも、まだこの基地の中にいるという自分の存在に否定的な人々を納得させるための措置なのだろう、ということだ。嘱託兵がデイビッドの言うとおりの存在なのだとすれば、必要以上の権限も与えられず、いつ戦場で死ぬかも解らない。リオスがもし本当にスパイなのだとすれば、まさしく飼い殺しだ。


「で、今そいつを案内している最中、ってとこか」


「はい!」


「ふん、なるほどね。そういえばお前の兵器、ACM……だったか。データを見せて貰ったんだが、何しろ使われてる技術に未知のものが多くてな。帝国のものとも違うようだし……まあ細かい話は置いておいて、ここではまだ修理体制が整ってねぇから、戦場に出てもなるべく壊さないように頼むな」


「確約はできませんけど……解りました、善処します」


 リオスの返事に「そうしてくれ」と言うと、他のメカニックに呼ばれ、デイビッドはそちらの方へ歩いていく。リオスとステラはそんな彼らの仕事の邪魔にならないようにと、静かにメンテナンスルームを後にした。




☆★☆★☆★☆




「次は訓練場だね」


 そう言って次にリオスが連れてこられたのは、クラスタ基地が有する訓練スペースだった。戦場ではCAが主力兵器となっている昨今だが、それでも己自身の身体を使った白兵戦の可能性がなくなったわけではない。射撃の腕を磨くための射撃訓練所や格闘戦訓練を行う屋内施設、更に実際にCAに乗っているかのような臨場感で訓練が出来るシミュレーターなど、様々な訓練施設が揃っている。ちなみにステラとシエルが訓練をしていてはみ出してしまったというCAの実習訓練スペースは、今リオス達がいるスペースから見て奥にある。

 とはいえ、そう言えば良く聞こえるかもしれないが、クラスタ基地は所詮は地方の基地に過ぎない。規模はそれほど大きくはなく、面積も精々中程度のものでしかない。それでもステラ達隊員は、任務のない時にはここで訓練に汗を流すのだ。


「やっと来たか。遅いぞ、クレイフォード」


「すみません、ミレイス副隊長。リオス君が寝坊しちゃって……」


 と、ここも興味深げに辺りを見ていたリオスの耳に、聞きなれた声が聞こえてきた。ミレイス=エルティアーズ副隊長。地位は確か――中尉。

 ステラの釈明を聞くと、ミレイスは溜め息をついた後、好戦的な笑みを口元に浮かべた。


「全く、初日からだらけすぎだ。明日から私がみっちりしごいてやらねばな」


「え? どういうことですか?」


「何だ、隊長から聞いていないのか? 明日から、お前の訓練は私が見ることになったのだ」


「え……えぇっ!?」


 あまりに唐突な話に驚いたリオスは、思わず素っ頓狂な声を上げた。隣で聞いていたステラも事情は聞いていなかったらしく彼と同様に驚いていたが、ただ1つリオスと違うのは、彼を見つめる視線に憐憫のそれが入り交じっているというところだろう。

 彼女のそんな視線だけで、ミレイスは表面的な印象どおり――言い方は多少悪いが、鬼教官なのであろうと予想のついたリオスは、有り余るやる気を表すように右拳と左手のひらを何度も打ちつけているミレイスに、ただリオスは渇いた笑いを浮かべるしかなかった。




☆★☆★☆★☆




 それから暫く、ステラに連れられてのクラスタ基地巡りが続いた。訓練場の後は居住区や、ゲイル以外の兵達が事務作業を行う事務室を案内され、今2人は食堂にやってきていた。

 時刻は昼。昼食を求める隊員達で溢れかえっている食堂の一角に、リオスとステラは揃って腰を下ろした。


「どうかな。少しはこの基地のことも解ってきた?」


「うん。まだ完全にとはいかないけど、助かったよ。ありがとう」


 カウンターで受け取った今日のランチを口にしながら、リオスは隣の席に座るステラへ礼を述べた。彼女のおかげで、施設のことだけではなく、この世界のこともある程度理解することができたのだから、有意義な時間であったと言えよう。


「ああ、疲れた……」


 と、2人仲良く昼食を食べていたその時、そんな草臥れた声音が目の前から聞こえてきて、その声の主――シエルを見たステラはにっこりと笑った。


「シエル、お疲れ様!」


「ミレイス副隊長に扱かれちゃって、お腹ペコペコよ……アンタはいいわよね、そいつの案内のおかげで訓練免除されて」


 確かに言われてみれば、桃色の彼女の髪は、汗に濡れてしっとりと濡れている。相当厳しい訓練なのだろう。明日は我が身かと思えば受ける前から気落ちしてしまいそうなリオスであったが、表情にはなんとか出さずに済んだ。

 そしてふと隣を見れば、いきなりそいつ呼ばわりしたシエルにステラが慌てたようにリオスを見ていたが、気にしないで、とリオスは肩を竦める。


「で? アンタ、身体の方は大丈夫なの?」


「あ……うん。このとおりだよ」


「そ。早く治るといいわね、記憶喪失」


「ありがとう。どれだけかかるか解らないけど、頑張るよ」


 にっこりと笑いかけながら言うリオスに、シエルの表情も綻んだ。

 自分とステラが運び込んだとはいえ、得体の知れない謎の人物。報告書作成の手解きをしている時にはそれほどざっくばらんに話していたわけではなかったから、一体どんな人間なのだろうと思い話してみれば、何のことはない。ただの気の良さそうな少年ではないか。さり気なく会話に加わったように見せかけてリオスの人格を探っていたシエルだったが、どうやら杞憂であったらしい。

 少なくとも好意的か否かで言えば、及第点と言えよう。


「聞いたわよ。明日からアンタも訓練に参加するって」


「そうなんだけど……その様子だと、随分な鬼教官みたいだね」


「優しい人ではあるんだけどねー。確かにちょっとスパルタなところはあるかな」


 草臥れたシエルの様子からして、彼女――ミレイスの指導が如何程のものであるかは想像に難くない。きっと、明日からはハードになる。そう確信したリオスは、まずは腹ごしらえだとばかりに、昼食に出された魚のマリネを口へ運んだ。




☆★☆★☆★☆




 マルディア帝国軍は、実力主義である。

 基本的に野心ある気風を是とする帝国では、国軍に志願する人間も、とりわけ上昇志向のある人間が殆どであった。故に、実力主義に則って能力のある者が相応の地位につくというのが常であり、その一軍の将ともなれば、それだけ途方もない実力を備えた戦士であるということである。

 この男――〝死神〟タナトスもその1人であった。

 戦場で彼に出逢えば、まず命はないと言われる銀髪の死神。それが彼の通り名であり、いわくのように語り継がれる伝説でもあった。〝ポーン〟以上に黒く塗り固められた彼のCAは、普通なら扱いづらいことこの上ない大鎌を振るいながら戦場を駆け抜ける。彼の通った後には塵1つ残らない。まるで、身体ごと冥府へ連れ去ったかのように。――御伽噺ではあるまいし、さすがにそれほどのことが出来るはずもないが、要はそれほどの実力者であるということだけは否定しようのない事実なのである。

 

「……やれやれ」


 そんな超エリートとも言える彼は、帝国軍総司令部から出てきたところで、途方もなく巨大な電子扉の前で大きくため息をついた。

 ここへ来た彼の本来の目的は、今後新たに己の手足になる新たな機体を正式に受領すること。しかし、先日の王国軍によるルイアナ基地侵攻への防衛失敗の責任を問われ、彼自身が言っていた〝上司からのお小言〟もついでに拝聴することになってしまったのだ。

 それもやむを得ないことではある。何せ本来なら秘密戦力という位置づけにあった彼女、レーネの存在を王国へ晒してしまったばかりか、そうまでしても基地を奪還されてしまったのだから、むしろお小言で済んだだけよかったのかもしれない。

 けれど、やはりそれでも思い通りにならないと溜め息の1つでもつきたくなるのか、端正な顔立ちを疲労に歪めながら、タナトスは歩き出した。

 西方は砂漠地帯も多いが、帝国軍総司令部のあるここ――帝都〝バルミール〟は水も豊かで、緑も多い温暖な地域に属している。適度に照りつける陽光に、まるで本物の死神のように眩しげにしながら、タナトスは総司令部を出た。


「やあ、死神」


 と、タナトスが司令部の敷地の出入口となっている門を出た正にその瞬間、彼に話し掛ける声があった。タナトスは確認せずともその声色から声の主を知ったのか、先程電子扉の前で吐いたのとは比べるべくもないほどの大きな溜め息をつく。


「……何の用だ、フォーリ」


「おやおや。その調子では散々絞られてきたようだな、うん?」


 嫌味たっぷりな嗤いを隠そうともせずタナトスに絡むこの男、名はフォーリ=ツァンベルグ=プロゲスカウル。ブロンドのロングヘアはオールバックにされていて、顔もそれなりに整ってはいるが、ニヤニヤと厭らしく下品な笑みを浮かべた顔からは、高貴な心などを感じ取ることは出来ない。地位はタナトスと同格だが、実際の力は彼に遥かに及ばない。実力主義の帝国軍らしからぬ高待遇を受けている彼だが、地位格差が生まれる社会においてその手の不正が行われることはそれほど珍しいことではない。実際に彼、フォーリの正体は典型的な親の七光りという奴で、実力がなくともタナトスと同等の権力を獲得するに至ったのも、有力貴族たる彼の父の便宜や、多額の金の移動のおかげであったことは間違いない。

 そんなフォーリは何が気に入らないのか、事あるごとにタナトスへ向けて突っかかってくる嫌味な男で、今日もタナトスが小言を聞かされるのをどこからか聞きつけ、門の前で待っていたのであろうことは想像に難くなく、タナトスとしては態々そんな時間を割いてまで嫌味を言いに来る彼の心境が理解できなかった。


「ふん、相変わらず鼻だけはいいようだな」


「何だとっ」


 いつもは適当にあしらうのだが、彼の言うとおりこってりと絞られてきた直後でそれほど機嫌のよくなかったタナトスは、挑発に挑発で返す。フォーリもタナトスを待ち受ける手間に反し気が短いのか、易易と彼の挑発に乗ってしまった。


「貴様っ! 由緒あるプロゲスカウル家の御曹司たるこの私に対して……!」


「それがどうした。帝国の掟は、実力主義。強いものだけが生き残る世界だ。親という虎の威を借るだけしか能がない狐に、無礼も何もあったものか」


「こ、のっ……」


 いつになく辛辣な答えを返してくるタナトスに内心驚きつつ、フォーリは顔を真っ赤にして怒りを露にする。

 一触即発の空気が漂う――が、今にも組み合いが始まりそうな雰囲気を、1人の男の声がかき消した。


「おうおう、何だまたやってるのか」


 豪快な声音と共に現れたのは、その声に遜色ない大柄の男。筋骨隆々な肉体を惜しげもなく晒す、道着のような服を纏っている。オーダーメイドではあるが、これでも一応は正式な軍服である。浅黒い肌をした頭部に生えた黒髪は跳ね放題につんつんとしていて、どしどしと足音を立てて歩く度にゆらゆらと揺れている。

 男の姿を見て、苛々とした態度を隠そうともしていなかったタナトスは、一先ずそれを内に収めた。


「ゴーラス、お前は引っ込んでいろ。私は今から、この無礼者に引導を渡すのだから」


「そうかい、なら存分にやってくれ。タナトスが、これから陛下直々の司令を拝命するんだって聞いて尚出来るなら、だがな」


「な、何ぃっ!?」


 ゴーラス、と呼ばれた男がさらりと言って見せた言葉に、フォーリだけでなくタナトスまでもが微かに眉を顰めた。ゴーラスの言う陛下、というのは紛れも無くこのマルディア帝国の現皇帝のことであり、マルディア帝国最大の権力者のことを指している。その皇帝陛下の勅命となれば、当然の反応と言えるだろう。

 悔しげに表情を歪め、従者と共に逃げ帰っていくフォーリを尻目に、ゴーラスはやれやれと肩を竦めると、丁寧に封のされた一通の封筒を差し出した。


「ほれ、これが書簡」


「む」


 言葉少なく皇帝直筆の書状を受け取ると、タナトスはそれをその場で広げ、無言で目を走らせる。

――と、その時だ。


「これは……!」


「何だ、どうした?」


 タナトス程の地位にある人間であれば皇帝陛下直々の命令が飛んでくることは間違いではないのだが、その内容に珍しく驚いた様子のタナトスに、思わずゴーラスも内容を訊ねる。

 ゴーラスの視線の先にあるタナトスの表情に浮かぶのは、驚き――そして、歓喜。まるで長らく見失っていた捜し物を見つけたかのような歓喜に、彼の口元は歪んでいたのだ。


「……はっ、ははははっ……全く、陛下も中々味のある真似をして下さる……はははははっ……!」


「おい、一体どうしたってんだよ」


 いよいよ話が見えないゴーラスに、タナトスは笑うのを止め、封筒の中に同封されていた書状と、1枚の写真を人差し指と中指で挟み、ひらひらと揺らして見せた。


「〝鍵〟の片割れの所在が、解ったそうだ」


 彼の手にある写真。そこに映っているのは、ルイアナ基地でレーネと交戦している――リオスの姿であった。


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