Episode 3 試金石
ジルバニア国軍の中でも、ここ、クラスタ基地はある種特殊な場であった。
通常、基地には司令官を筆頭とした上で部隊分けが成され、それぞれの隊に隊長が任命される。しかし、クラスタの場合は事情が些か異なる。
まず、他の基地にはあって然るべき部隊区別というものがない。隊はゲイル率いるハミルトン隊のみで、基地の司令官も、最も権限の大きいゲイルが兼任している。ゲイルやハミルトン隊、その他の基地のスタッフ達はいわば、一枚岩。
故に、他の基地のように目的ごとに隊を分けるといった柔軟な対応が難しいという欠点がある一方、基地に所属する全員が一枚岩でことに当たることが出来る強みがあった。
そんなクレスタに新たな人間が居着くというのは長らくなかったことで、ステラの手によって運び込まれる少年を見る度、廊下を行く基地のスタッフ達は好奇の視線で彼を見ていた。
「……なるほど。よく解った」
執務室で前線メンバーからの報告を受けたゲイルは、防衛に成功したというのにどこか浮かない表情でそう返事をした。
確かに、勝つことは勝った。けれどその内容は、今後へ大いに課題の残るものであったことは間違いない。
あの少年がいなければ、敵の指揮官機の基地への侵攻は免れなかっただろう。そもそもあの少年の存在自体がイレギュラーであるのだから、今後も彼に頼りきりというわけにもいかない。早急に敵機のデータを纏め、新たなる強化を機体へ施さねば、今後の戦いも生き抜くことは出来ない。彼ら前線部隊の報告やデータが、それを如実に物語っていた。
「少年は今どうしてる?」
「アイナ先生によればただ眠っているだけとのことでしたので、今は独房に」
「そうか……」
ゲイルが問うと、彼のデスクの正面に横一列に並んでいた前線部隊の面々の中で、ゲイルから見て一番右の位置で直立不動を貫いていたミレイスがそう答えた。
それに対するゲイルの反応といえば、仕方ないか、といった様子で溜め息をついたくらいであったが、それに過敏に反応したのは他でもない、彼を医務室へ運び込んだあの少女達である。
「独房、って……」
「ち……ちょっと待って下さい! 彼はまだ怪我もしていますし、それにいきなり独房だなんて……」
「お前達の気持ちは理解できないわけではない。が、今彼は非常に微妙な立場にいる。敵を退け、我が軍を守ったとはいえ、まだ彼が敵でない保証はどこにもない」
ステラとシエルの抗議を、憮然とした態度で跳ね除けるミレイス。
彼女の言い分は正しかった。2人が彼を発見した状況と、機密兵器の所持という2点から察するに、彼が元いた境遇は明らかに普通ではない。まだ実際に彼から話を聞けたわけではないので何とも言えぬ状況ではあるが、念には念を入れ、身柄を拘束しておくのは決して間違った対応ではないだろう。
しかし、理解は出来ても納得など到底出来ず、2人は俯いた。特にステラは、1度彼に命を救われているのだ。そんな彼を問答無用で独房に放り込むことに、良心が痛まぬはずはなかった。
そんな2人の考えを悟ってか、ゲイルはしれっと目を瞑っているミレイスを一瞥し苦笑する。
「まあ、あくまでも一時的な措置だ。彼の目が覚めて、無罪と解ればすぐに釈放するよ」
「そう、ですか……」
「けど、隊長。実際問題、どうやってそれ証明するつもりっすか? 何かアテでも?」
釈然としない様子で相槌を打つステラの横でライがそう問いかけると、ゲイルは微妙な空気を振り払うような笑顔を浮かべて答えた。
「それなら問題ない」
ゲイルは木製のデスクの引き出しから書類を1枚取り出して、5人によく見えるように掲げた。それを見てまず表情を変えたのは、ミレイス。ゲイルに届けられる報告書等の書類の類は彼女も一度目を通しており、〝それ〟がどういうものなのかも当然彼女も知るところであった。
「隊長、それは……!」
さすがにいかがなものか、と若干批難の色を含んだミレイスの言葉にも悪びれた様子もなく、ゲイルは悪戯な笑顔を浮かべた。
惚けているように見えて、時になかなかの曲者へ変貌するのは今に始まったことではないが、いちいちそのたびに溜め息をつくな、というのは無理な話である。
案の定、ミレイスの口からは盛大に溜め息が発せられ、いかに彼女が苦労しているのかを物語っていた。
「試金石にはちょうどいいだろ。上手くいけばこっちの厄介事も減って、一石二鳥だ」
「うわ、隊長狡い」
聞こえるか聞こえないか、という微妙な声量で放たれたライの嫌味も華麗に無視し「以上、解散!」と言い残すと、ゲイルは各々複雑な思いを抱く面々を置いて、書類を手に執務室を後にした。
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独房、といっても、ハイテクノロジーな設備を備えたクラスタ基地のそれは、そこまで前時代的な牢屋ではなかった。
白塗りの格子は特殊金属で出来た特別製で、鍵は最新式の電子ロック。セキュリティだけなら、どれだけ高級なホテルのドアにも引けを取らない。
しかしさすが独房というだけあって、部屋の暗さも相まってか、独特の冷たさと重苦しさは変わらなかった。
そんな独房の中に、今まさに渦中にいるあの少年の姿がある。
独房というだけあって、中にベッドはない。硬くて寝心地の悪そうな、冷たい床の上に直接その身を横たえて、少年は静かに眠っていた。
「う……ん…」
やがて、身動ぎと共に綺麗なプラチナブロンドの髪を揺らしながら、少年の目がゆっくりと開く。朧気に視線をさ迷わせていた少年は続いて小さく伸びをすると、寝惚け眼を擦りながら半身を起こした。
「あれ……ここ、どこ?」
童顔に合った高音が少年の口から発せられ、言葉となって紡がれる。
無人の独房には少年の問いに答える者はなく、代わりに部屋のドアロックが開く音が辺りに響き、鳶色の髪の青年が姿を現した。
「おお、ちょうどお目覚めか」
「貴方は……?」
青年―――ゲイルは、少年の独房の前まで来ると、しゃがみこんで朗らかな笑みを浮かべる。
見慣れぬ顔の登場に、少年は不思議そうに首を傾げた。
「俺の名はゲイル。このクラスタ基地を守る司令官だ」
「軍人さん? 初めまして、僕は……」
「……ん? どうした?」
朗らかな笑顔を浮かべて、己も名乗ろうとする少年。しかし何故か突然言葉に詰まり、訝しげに訊ねるゲイルの問いにも首を傾げるばかり。
もしや。そんな予感が小さくゲイルの中に湧き起ったその時。少年の口から、それを裏付ける言葉が発せられる。
「……あの、貴方にこんなことを訊ねるのは自分でもどうかと思ったのですが……」
「何だ?」
「その……僕って、誰なんでしょう?」
困ったように言う少年に、「頭が痛いのはこっちの方だ」と言いたいのを抑え、代わりに盛大に溜め息をつくゲイル。そんな彼の心の内は露知らず、少年は頭を抱える青年の姿をきょとんとした様子で見つめていた。
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CAとは、機械である。メタリックな装甲の内部には、沢山の金属部品やケーブルの類が詰まっている。それらの不具合を解消するのが整備士の仕事だが、戦いの際の細かな癖等は、実際にそれを操るパイロットにしか解らない。機体を動かすメインシステムやOSの微調整は、基本的にパイロットが行うことになっていた。
「へー。じゃあ彼、何も覚えてないの?」
「うん。覚えてるのは、〝リオス〟っていう名前だけ。どこから来たかとか、自分のことは何も解らないって」
黒塗りの計器類が所狭しと並べられたコックピットの中で、ステラとシエルは通信器越しにあの少年のことを話していた。
ステラは照準に、シエルは駆動系の制御に関するOSをそれぞれ微調整するため、視線はそれらに関連するボタンやキーへと向けながら、通信機から聞こえてくる相手の声へ返事を返す。
「記憶喪失かぁ……大変よね」
「それにね、あのACMも変なんだって。ACMはCAの性能をそのままに極限まで小型化することを目標としているらしいんだけど、ただでさえ小型の装備があそこまでの性能を発揮するなんて普通じゃありえないって」
「うわ、それじゃあミレイス副隊長があの子を危険視する理由も解らなくはないわね……」
「うん……でもね、隊長達ってば酷いんだよ! 隊長達、あの子の記憶喪失っていう証言も、どこまで信じられるか解らないって……!」
「仕方ないでしょ。本当に記憶喪失かどうかなんて、証明のしようがないんだから。誤魔化そうと思えばいくらでも出来るし、本当に記憶喪失だったら何も答えようがないし……」
憤慨するステラだが、そんな彼女へシエルは、ミレイスやゲイルの言動も仕方ないと諭す。
そもそも、いかに科学技術の発展した世界だからといって、人間の嘘まではまだ完全に発見するに至っていないのが現状である。嘘発見器のようなものがないことはないが、それですら「もしかしたら嘘をついているのかもしれない」ということが解る程度。
要するに、彼に関して何の情報も得られていない現状では、彼の言い分を信用するにも疑うにも、不十分と言わざるを得ないのだ。
「だからね……それを証明するために、立候補しようと思うんだ。私」
「立候補って、何に?」
唐突に何を言い出すのか、と思わず通信機へ目を向けるシエルに、確たる思いを胸にステラは答えた。
「今度の任務の……彼の同行者に、だよ」
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翌日。リオス=コーネルドと名乗る少年を乗せた軍用トランスポーターが、クラスタ基地を出立した。
トラックの形をした軍用車両だが、荷台は装甲車等のそれより遥かに大きい。その理由は至極簡単で、中にCAを積み込めるようになっているためであった。
朱の色の塗装されたCA、〝ファウスト〟2機が並び立つコンテナの前にある細長い座席に腰を下ろすリオス=コーネルドは、次々に後方へと流れていく窓の外の景色を目で追っていた。
見渡す限りの荒野。辺りに草木はなく、あるとしても萎びた野草や刺々しいサボテンくらいのもの。
風化により自然に形作られたのであろう茶色の岩山が幾つも突き出ていて、それが緑のない土地に、蒼天に映える美しさを与えていた。
「岩と砂ばっかりだ……」
「長いこと、帝国との戦いが続いてるからねー」
リオスが思わず呟くと、隣に座っていた少女がいつの間にやらにこにこしながら横顔を覗いていて、その呟きに答えていた。声の方向を見た瞬間目の前に彼女の顔が飛び込んできて、リオスは目をぱちくりとさせて驚く。
空色の髪をサイドテールにした少女は、そんなリオスの様子に一層屈託の無い笑顔を浮かべた。
「え、えと……?」
「初めまして、リオス君。て言っても、私は一度君に会ってるんだけどね」
「え……?」
少女の言葉に、リオスはここ数日のごく短い記憶を辿った。けれどよくよく考えてみれば、自分は先程独房から解放されたばかり。その後この車に乗せられる前に会ったのは、基地の司令官という男性―――確か、ゲイルと名乗っていたか―――と、武装した警備兵だけである。
では、この少女とはどこで出会ったのだろうか。リオスが首を傾げていると、クスクスと笑いながら少女は言った。
「ほら、貴方が戦場でCAを庇った時だよ。あの機体ね、私が乗ってたんだ」
「僕が、戦場で……?」
はて、と首を傾げるリオス。その様子から、少女は少年にあの時の記憶がないことを悟った。
無意識であったのか、記憶を失ったのがあの時だったのか―――いずれにせよ、覚えていてくれなかったことに若干の寂しさを覚えつつ少女が苦笑すると、その隣にいた黒髪の女性が仰々しく咳をする。
「ステラ、任務中だぞ。私語は感心しないな」
「あ……す、すみません、ミレイス副隊長っ!」
凛とした女性の声が車内に響き、少女が慌てて頭を下げた。隣にいるのだから当然声も聞こえているであろうくらいのことは予想がつくだろうに。
それほど自分の顔が可笑しかったのだろうか、などと曲解したリオスが自分の頬を触っていると、ミレイスという女性は今度はリオスへ視線を向けた。
「君もだ。この任務は、君が我々の敵か味方か、それをテストするためのものだ。君の立場は今、非常に危ういのだということを忘れるな」
「は……はい」
ミレイスの言い様に、リオスは表情を険しくして頷いた。それを見た少女―――ステラは、ミレイスの方を批難の篭った視線で睨んだが、当の彼女の方はといえば、それにも全く動じずに腕を組んで目を瞑った。
ステラは納得いかないようであったが、リオスは彼女の言わんとすることは理解していた。確かに彼女の言うとおり、今の自分の立場は非常に危うい。自分が発見された時のことや所持していたACMのことはゲイルから粗方耳にしていて知っていたが、そのような状況であれば疑わざるを得ないことくらい、自分でも理解できる。
そう、だからこそのこの任務。右も左も解らない己に課せられた、最初の試練なのだ。
やがて装甲車は、予定されたポイントに到着した。悪路をものともしない装甲車が凸凹の荒野を行く道中は振動も酷かったが、それが漸く止んだところで、リオスの座っていた座席の脇に備え付けられていたハッチが開いた。
「では、行こうか」
「はい」
まず最初にミレイスが立ち上がり、ハッチの外へ出る。続いてリオスが立ち上がると、彼の対面側に座っていた警備兵が4人、同時に立ち上がり、彼を取り囲んだ。
ステラが何か言いたげにしていたが、前後に2人ずつの警備兵を伴って、リオスはハッチを降りていく。
仕方なく最後にステラが出てくると、外で待っていたミレイスが口を開いた。
「いいか、これより作戦を開始する。目標はあそこに見える、ルイアナ基地。以前の帝国の侵攻の際、タラム要塞と共に敵の手に落ちてしまった我が軍の基地だ」
と、ミレイスが右手で指さした先に、小さくではあるが黒く大きな建物が見えた。レーダーに引っかからない遠くからでも見えることから、相当の大きさであることがここからでも確認できた。
「我が国のものであった頃は、タラム要塞への補給線の中継地点として用いられてきた。帝国の手に渡ってからも侵攻の前線基地として用いられており、ここを奪還することは戦術的にも重要だ。どうか各自、気を引き締めて事にあたって欲しい」
「はっ!」
ミレイスの言葉に、隊員達がびっ、と一斉に敬礼する。
軍隊特有の、一種の暑苦しさを覚えたリオスは思わず一歩引いてしまったが、ミレイスの「では、作戦開始!」という言葉に我に返り、懐からネックレスを取り出した。
作戦前に、ゲイルから返還されていたネックレス。元々は自分のものだというが、リオスにはやはり全く身に覚えがない。
しかしこのネックレス、ACMと呼ばれる兵器だそうだが、リオスにはどう見てもただの装飾品にしか見えない。
これで本当に大丈夫なのだろうか。そんな不安さえ頭を過ぎり始めた―――その時。
『我々の出番ですね。宜しくお願い致します、マスター』
「……はい?」
どこからともなく突然聞こえてきた声に、リオスは思わず声を上げた。その声に、己の持ち場につこうとしていたステラが振り返る。
「どうしたの、リオス君?」
「あ、うん。えっと、ステラ……だっけ? 君、今何か言った?」
「え? ううん、何も言ってないけど」
ステラが不思議そうな顔をして首を横に降るのを見て、リオスは思わず首を傾げた。
今この場にいるのは、リオスとステラの2人だけ。他の隊員達は既に己の持ち場についている。
では、今の声は一体どこから聞こえてきたのだろうか。
2人して首を傾げているところへ、再び先程と同じ声がした。
『ふふふ、ここですよマスター。マスターの手の上です』
「手の……」
「上って……!」
声の言うとおり、リオスとステラはリオスの手の上を見た。左手は下がっている上、そもそも何も持っていないのだから、声の主があるとすれば必然的に右手となる。
そして、その右手の平の上には―――。
「もしかして……君が?」
『はい。マスターは今記憶を失っていらっしゃいますから、改めて自己紹介しますね。私の名はグロリアス。マスターをお守りするようプログラムされた、直接装着式機動兵器です』
リオスの声に、手の平に乗ったネックレスの紅い宝石のような部分が発光し、先程と同じ声が聞こえてくる。
女性の声だった。リオスはなんとかその声から何か思い出せないかと試みるも、叶わない。おそらく、今自分の周りにいる中でこれまで一番身近な存在であったろうに、思い出してあげられない。申し訳なく思えて寂しげな笑みを浮かべている横から、ステラはACM―――グロリアスへ詰め寄った。
「凄い、意思を持つ兵器なんて初めて見たよ!……そうだ、貴方なら、昔のリオス君のこと知ってるんでしょ? 話してあげたら、リオス君の記憶も戻るかも……」
『……残念ながら、それは不可能です。マスター同様、私の記憶領域も一部破損が確認されています。現在は基地の皆様のご尽力でどうにか正常な機能を維持することが出来ておりますが……』
「そっかぁ……」
いいことを閃いた!と目を輝かせていたステラだが、即座にグロリアス本人から否定されてしまい、がっくりと肩を落とす。
その様子に、リオスは気にしないで、と彼女の肩を叩いた。彼にしてみればむしろ、彼女がそこまで考えてくれたこと自体、嬉しいことであったから。
「とにかく今は、この作戦を成功させることだけを考えようと思う。作戦が成功すればきっと疑いも晴れて、記憶を取り戻す手掛かりも探しやすくなると思うから」
『頑張りましょうね、マスター!』
「よーし、私も頑張ろっと!」
改めて、今回の任務を成功させることへの意欲を示した3人。
直後、いつまで経っても持ち場に現れないリオスとステラに対するミレイスの怒鳴り声が聞こえてきて、2人は慌ててそれぞれの場所へ向けて駆けていった。
リオスと別れ、装甲車のコンテナに収納されている自分の〝ファウスト〟のコックピットに滑り込んだステラは、機体のシステムを立ち上げながら、ふとリオスのことを考える。
己の命の恩人を、あろうことか己の仲間が疑っている。理屈は理解できても、それはステラにとって到底納得し難いこと。
(今回の作戦だけは……絶対に、成功させてみせる)
心の内で静かな決意を固めるステラの目の前に開けた、モニターの中の大空。
雲1つない青空を、ステラは眩しげに手で仰いだ。