Episode 12 衝突
辟易するほど埃っぽい通気口をひたすら匍匐前進すること十数分、リオス達は音で気づかれないよう慎重に出口の蓋を開け、真っ白な床に足をつけた。ずっと狭い通気口の中を進んでいたためかすっかり凝ってしまった節々を軽く捻ると、リオスは先行して曲がり角の向こうの様子を伺っていたホークの下へ、足音を立てぬよう留意しつつ駆け寄った。先ほどから際限なく続いている爆音と、基地全体を揺るがすような振動のおかげで、よほどのことがない限りは見つかることはないはずだが、念には念を入れねばならない。
「ホークさん」
声をかけると、ホークは自分の口元の前で指を立て、それを遮った。そして無言で目配せし、先を見るように促す。恐る恐る、ホークの身体の下から顔を出してみる。曲がり角を曲がった先は真っ白な通路がずっと続いていて、その途中にリオス自身も足を運んだことのある司令室の電子扉が見える。どうやら、司令室のすぐ傍まで気付かれずに接近することには成功したらしい。
扉の前には、両側を固めるようにアサルトライフルを携行した兵士が2人。ビリビリという震動に落ち着かない様子を見せながらも、廊下の先へ目を光らせている。
「……やっぱり、司令室の近くは警備が厳重ですね」
「どうします?」
すると、リオスとは逆、ホークの頭上から顔を出したステラとシエルがそう口々に言った。非常時だ、今はこの中で一番階級が上であるホークに指揮権がある。3人は、ホークの言葉を待った。
「……やむを得んな。行くぞ」
「え?」
リオスが声を上げる間に、ホークは角から飛び出した。即座にその後に、ステラとシエルが続く。
「な、何だ貴様らは!?」
警備の兵士2人が、それに気づかないはずがなかった。が、兵が携行していた銃を向け、撃つまでのタイムラグの間に一気に肉迫したホークの拳が兵士の胴に減り込み、たまらず兵士は意識を手放す。
「この――」
「「ていっ!」」
もう1人の兵士も銃を構えるが、背後に回っていたステラとシエルの手刀が首筋に炸裂し、こちらもあえなく昏倒した。
「これで一丁上がり、だな」
「なんて無茶な……」
パンパン、と両掌を払うホークに、角から出てきたリオスが呆れて嘆息する。
「これしか方法がなかったんだ、仕方ねぇだろ」
「まあまあ、結果オーライってことでいいんじゃない?」
「そういうものかなぁ」
ステラの言葉にどこか釈然としない様子で苦笑いすると、リオスは司令室の扉へ向き直る。
「さて、いよいよここからが正念場だ」
「早く奪還しないと。隊長もきっとこちらへ向かっているはずです」
「そうだな。……よし、行くぞ!」
電子扉のロックを解除し、リオス達は一斉に司令室へと踏み込んだ。銃を構え、応戦の構えを見せる。が、そんな彼らに対して、銃弾はおろか拳の一発すら降りかかってくることはなかった。それどころか、中の様子は想像していたとおり――否、想像していたよりも遥かに酷い有様であった。
「対空! どうなっている、浴び放題だぞ!?」
「味方CA、半数が大破!」
「敵遠距離攻撃機の位置、未だ特定できません!」
焦りに満ちたオペレーター達の悲鳴が木霊する。モニターに映る外の様子は、見るに堪えないものだった。青いカラーリングの〝ファウスト〟が、どこにいるのかも解らない爆撃機へ向けて闇雲に火器を撃ち、その隙をついて〝ポーン〟が胴を両断する。かと思えば、敵機に必死に食らいつこうと懸命に応戦していた機体は、どこからともなく飛来したミサイルが直撃し爆散する。前からも上からも集中攻撃を受け続けた中央軍は、今や瓦解寸前にまで追い詰められていた。
「一体、こりゃあ……!?」
「むっ!? き、貴様らっ、何故こんなところにいるっ」
漸くその存在に気づいたらしいヘイルが銃を向けるが、ホークが素早い対応を見せる。銃口が火を噴く前に彼の手を叩いてそれを叩き落し、足で器用に拾い上げて彼の蟀谷へ突きつけたのだ。
「動くな!」
事態に気づいた数名の兵士が銃をとろうとするが、ホークの一喝で動きを止めた。一瞬で形勢逆転。正規の訓練を受け、前線で戦い続けてきた戦士故の能力。不測の事態に対応する手腕は大したものだとリオスは思った。
「貴様、こんなことをしてただで済むと……!?」
「おいおい、今はそんなこと言ってる場合か? ここで全員消し炭になりたくなきゃ、俺達を戦場へ出せよ」
「そんなことが承服できるか! 貴様ら今すぐ全員独房にぶち込んで……」
今まさに自分の命そのものへ銃口が向けられているというのに、ヘイルは愚かなプライドからくる怒りで喚き散らす。しかしそれも、外の爆撃によるものだろうか、突如部屋を襲った震動に掻き消された。
「だから、んなこと言ってる場合じゃねえだろうがっつってんだよ! 俺達なら目の前のCA部隊くらいなら引き受けられる。てめえらはその内に遠距離攻撃機を見つけて破壊しろ!」
「くっ……若造が偉そうに…」
眉間に皺を寄せ、怒りを露わにするヘイル。しかしそこへ、また1つどこからかミサイルが飛来して基地のすぐ目の前へ着弾する。震動が辺りを強く揺らした。
「ヒューバー機沈黙! 閣下、このままではCA隊が全滅します!」
「敵CA、来ます!」
オペレーター達の切羽詰まった声が聞こえてくる。もはや一刻の猶予もないことは火を見るよりも明らか。けれどヘイルの中で肥え太った自尊心は、今だ踏ん切りがつかないらしい。最後の一押しとばかりに、ホークは胸倉を掴んで声を荒げた。
「さあ、どうする。俺達を出してこの場を乗り切るか! このまま仲良くくたばるか! 選べ!!」
☆★☆★☆★☆
『意外に粘りますな、敵は』
クラスタ基地上空に滞空するタナトスの傍らにホロウィンドウが開き、体格のいい老将の姿が映し出される。タナトスはその言葉に「ああ」と短く返すと、視線を眼下へ移した。確かによく粘っている。小さいとはいえあの要塞を落とした連中なのだから、そうでなくては困るところだが。だが、タナトスの意識は将の言葉へ返事をしつつも、別の方へ向いていた。
(何故、奴は出てこないっ……!)
眼下にある基地に、あの金髪の少年がいることは解っている。要塞攻略の際に明らかに戦力として投入していることからも、敵がその戦闘能力をある程度評価していることは明白であり、なればこそ、このような危機的状況下で、確実に戦力として数えられるであろう彼を遊ばせておく理由はない。にも関わらず未だにその姿を確認できないのは指揮官が無能なのか、彼自身に何らかのトラブルがあったのか。
いずれにせよ――。
「……つまらんな」
タナトスにとって、これ以上の退屈はなかった。まるで心待ちにしていたご馳走を、食す間際に取り上げられたような気分だ。たとえ極上の獲物でも、食らえないのでは意味がない。
だが、タナトスとて帝国の一将校であるという自覚はある。私情に駆られてこの場を放棄するなどということはしない。出てこないと解った以上、ただ淡々と、基地攻略を目指すのみ。敵戦力が弱体化している現状は間違いなく好機であるし、国境に面したクラスタを制圧できれば帝国の利になるのは確実。ならば、今はこれ以上の不満は吐き出さず飲み込むべきだろう。そう思いせめてもの溜飲を下げる手段として、目を閉じて溜め息をつく。
が、そんな時、彼の耳にインカムから警告音が届いた。熱源の接近を示すアラートだ。はっとして、タナトスはバーニアを前方へ向けて噴かす。つい数秒前まで自分がいた空間を空色のビームが通り過ぎて行くのを見て、タナトスの口元が大きく歪んだ。
「……っは」
喜びを堪え切れず声が漏れる。ギラギラと燃える眼光はビームの出所を追い、純白の騎士甲冑を捉えると一層強く輝いた。
「待ち侘びた……待ち侘びたぞ、〝鍵〟よっ!!」
黒き死神は飛んだ。ただ真っ直ぐに、狩るべき魂へと。
☆★☆★☆★☆
「あれは、人間……?」
基地を出たリオスはグロリアスを起動させ、迷いなく真っ直ぐに上へと飛んだ。敵攻撃機の位置を探るためである。上空から攻撃しているということならば、飛行ユニットを搭載している機体のいない当基地でそれに対抗できるのはリオスだけ。そうでなかったとしても上空からなら広く隅々まで見渡すことができ、敵の位置を把握することもできるだろうと考えた。そうして飛んでいた矢先、リオスの視界に黒い人影が写り込んできた。敵CAではないかと予想したが、次第に姿がはっきりしてくるにつれ、それが勘違いであったことに気づく。大きさは明らかに人のそれであり、麗しい銀髪が風に揺れて靡いている。だが、何よりリオスの目を引いたのは、その身に纏うどこか機械的な漆黒の鎧と大鎌、そして背から蝙蝠の羽根のように伸びる大きなウイング型のバーニアだった。
(まさか、あれが帝国軍の……)
ゲイルは言っていた。リオスは、帝国の領土から続く川で見つかったのだと。もしリオスが帝国領から流れ着いたのであれば、所持していたACM〝グロリアス〟は、帝国製ということになる。もしや、あれがそうなのだろうか。もしそうならば、地上の友軍を攻撃していた張本人の可能性もある。いずれにせよ見逃すわけにはいかない。
リオスはライフルをとった。上空の敵に狙いを定め、引き金を引く。銃口から空色のビームが迸り、上空の敵に向けて大気を引き裂いて迫った。気づいた敵が、僅かににバーニアを噴かして身をかわす。瞬間、呆けていた敵の目に冷たいものが宿るのを感じて、リオスの背にぞくりと戦慄が走った。
バーニアが火を噴く。一気に加速した敵は、大鎌を上段に構え一息に振り下ろした。咄嗟に構えた長剣と衝突し、激しく火花が散る。
「この時を……この時をずっと待ち望んでいたっ!!」
獰猛な獣のように笑い、男は鍔迫り合いのまま刃を押し込んでくる。勢いに気圧されたリオスの刃の方が、押されていた。
「貴様を殺す! それこそが……今の俺の存在理由だっ!!」
「なんだ、こいつっ……!?」
男の目に宿る狂気にも似た何かを真に当たりにし、背筋に悪寒がようなものが走るのを感じたリオスは男の腹を蹴って、その勢いで大きく後方へさがり距離をとる。剣を構えた次の瞬間、崩れかけた体勢を瞬時に立て直した男が一気に迫ってくるのが見えて、リオスはライフルを片手で構え乱射した。当たらなくてもいい、せめて牽制になればと放たれた熱線はしかし、男の勢いを削ぐには至らない。再び鍔迫り合いに持ち込まれたリオスは、ライフルを手放すと、今度はしっかりと力を込めて受け止めた。
「何なんだ貴方はっ……!」
互いの得物を覆うエネルギー同士が反発を起こし、再び激しく火花が散る。迸る閃光に照らされたリオスの表情が歪んだ。陽光を反射してぎらりと凶悪な煌めきを放つ大鎌の刃のその先が、リオスの銅を刺し貫く時を今か今かと待ち兼ねるかのように震えているのが、恐れの宿った瞳に映る。
リオスは飛んだ。鍔迫り合いを再び強引に解き、激しい打ち合いに発展する。遥か上空で繰り広げられる、剣戟の応酬――。閃光が幾重にも弾け、その度に甲高い音が辺りに響いた。
「ハハ……フハハハハハハッ! そうだ、そうでなければな!!」
男の声に呼応するかのように、段々と激しさを増していく打ち合い。永遠に続くかと思われたそれは、しかし唐突に終わりを迎えた。側面から打ち込まれた男の大鎌。咄嗟に剣の腹で受けるも、勢いを殺しきれずリオスは吹き飛ばされた。衝撃で剣を取り落としてしまい、丸腰になった隙をついて男は大鎌を大上段に振り上げる。
――やられる!
襲い来る恐怖に目を閉じかけ――。
次の瞬間、リオスの視界は眼下から轟音と共に吹き上げてきた閃光で、塗り潰された。