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Episode 10 帰還

 

 帝国軍は撤退した。

 その後、傷だらけのリオスを回収したハミルトン隊は、一度ルイアナ基地へ身を寄せていた。多大な犠牲を払った、ルイアナ基地防衛戦。ゲイル達前線部隊の中には幸いなことに欠員は1人として出ていないが、防衛のために駐留していた戦力は壊滅。きちんとした防衛体制が整うまでは、少しも戦力を裂くわけにはいかなくなった。

 彼らは孤軍。だが、敵がその事情を汲んでくれるはずもないのだから。


「喜ぶ気には……なれないよな」


 破壊された旧兵器の機体から回収された遺体の列を見て、ゲイルはそう苦々しく呟いた。青い袋に入れられたそれらの中には真っ黒に焼け焦げたものや、何らかの衝撃により原型をとどめない程激しく損傷したものもあった。視界に入れることすら憚られる程の凄惨な光景が、基地の訓練場に広がっていた。傷ついたリオスの手当てのため、新人達は先にクラスタへ帰したのだが、これを目の当たりにした今では正解だったと言えそうだ。

 心痛む光景を前に、せめてもの手向けになるようにとゲイルは両手を合わせ、祈りを捧げた。


「こちらでしたか」


 ゲイルが目を開けると、いつの間にか漆黒のタブレット端末を片手に持ったミレイスが隣に立っていた。さすがの彼女も仲間の亡骸を前に心を痛めているようで、悲痛な表情を浮かべていたが、それでも平静を保ち毅然と職務を全うしていたのであろう彼女に、ゲイルは心の内で賞賛の言葉を贈った。


「……解ってはいるんだがな。だが、これだけの被害を目の当たりにすると、少しでも多く戦力を置いとくべきだったと思っちまう」


「……隊長だけの責任ではありません。帝国の動きも早かった。せめて中央が戦力を少しでも派遣していれば、こんなことには……」


「過ぎたことさ。帝国軍を2回も撃退したんだ、今はそれで良しとしようぜ」


 はい、と頷きつつもミレイスの表情は未だ晴れない。彼、ゲイルが作り上げた〝家族〟。そこに居心地の良さを感じていたからこそ、彼女も彼らの死を心苦しく感じているのだろう。それはゲイルも同じ――否、ゲイルこそが、誰よりも深い悲しみに包まれているに違いなかった。


「隊長も少しお休みください。後のことは、私が処理しておきますので」


「そうか? じゃあ、遠慮なく休ませてもらおうか……」


 正直なところ、この場で一番参っていたのはゲイルだったのだろう。大きくため息をついて、ミレイスの申し出に素直に応じようと頷いた――その矢先だった。ゲイルの腰に着いた無線機のコール音が、突然けたたましく鳴った。目を見合わせるミレイスへ向けてやれやれと肩を竦めてみせると、ゲイルは無線機の通話ボタンを押し、スピーカーを耳へ押し当てる。


「はいはい、こちらゲイル。何か用か?」


『あ……よかった、隊長出てくれたぁっ』


 心底安堵した様子のステラの声音に、ゲイルは苦笑する。まさか敵襲でもあるまいに、大袈裟なやつだ、と。けれど彼女の口から語られた言葉は、ある意味敵襲よりも深刻な告白だった。


『隊長、大変なんですっ! 中央軍が、バスカーク准将がっ!!』


「……何だと?」


 一難去ってまた一難。思わず頭を抱えたくなるのを抑えるゲイルの隣で、通信を聞いていたミレイスが静かに眉を顰めた。




☆★☆★☆★☆




 ステラの口から基地の現状がゲイルの耳に届く数時間前、リオスとハミルトン隊の新人達を乗せた装甲車型の大きな軍用車は、定刻どおりクラスタ基地に到着していた。以前リオスがルイアナ基地奪還作戦に向かったのと同じ道を使用したため、振動の大きい悪路による長旅で、ただ座っているだけだというのにステラ達はへとへとに疲れ切っていた。

 見渡す限り荒野ばかりが広がる大地の中に、ほんの僅かではあるが草がちらほらと見えるようになってきた。こうなればルイアナ基地が近づいている証拠で、ぼーっと窓の外を眺めていたステラが途端に目を輝かせる。


「シエルシエル! 見えてきたよ!」


「やっとか……あー、お尻痛い……」


 窓の外を見つめたまま言うステラの言葉に、シエルはやや腰を浮かせて、長時間の悪路ですっかり凝ってしまった臀部をさすった。ステラとしては悪路以上に、リオスを治療してやれることへの喜びの方が大きかったのだが、ステラ自身この悪路ですっかり草臥れていたのだから、余計な口は挟まないことにした。

 そんな少女達の対面側の座席に座っていたホークは、車に乗り込んで以来ついに一言も口を利かなかった。その気まずさが更に少女2人を精神的に苦しめ、疲労の一因となっていたことを、この男は果たして気づいているのだろうか。相変わらず近づいてくる基地の外観を見て歓声を上げているステラからふと正面に視線を移したシエルは、そんな恨み節を心の内で呟きつつ、訝しげに仏頂面のまま動かないホークを睨み付けた。正面からだろうが関係ない。これほど上の空なのだ、どうせ自分のことなど目に入っていまい。そんなシエルの予想は正しく、車が止まるその時まで、ホークが彼女の視線に気づくことはなかった。

 彼らを乗せた車は、基地の前まで来たところで不意に止まった。


「……?」


 そのことに、ステラは首を傾げ、シエルは訝しげに眉を顰めた。おかしい。帰還する旨は予め通信で基地に伝えておいたはずであるし、これほどまでに近づいているのだから、軍用車の認識番号は一定の距離まで接近した時点で管制室にて即刻照会されているはずだ。だのに格納庫のハッチは開かず、車は目的地を前にして立ち往生。こんな馬鹿な話があろうはずもない。


「どうした、何があった?」


 どうやらホークも、事態の異常さに気づいたようだった。さすがに沈んでいる場合ではないのか、俯き気味であった顔を上げ、外の様子を伺う。


「解りません……止まってしまったようです」


「どういうことだ……!? おい、運転席! 何があった!?」


 壁際にかけられていた運転席へつながる直通の内線通信機を取り出し、ホークは怒鳴った。通信機の上に小さなホロウィンドウが現れ、気の弱そうな兵士の顔が映し出される。彼の表情もまた、困惑に歪んでいた。


『わ、解りません。管制とコンタクトできないんです』


「何だと……!?」


 いよいよ異常事態であることを、漸く3人共に確信した。単純な通信系統のトラブルならそうと言うはずであって、コンタクトできないなどという回りくどい表現は使わないだろう。考えられるのは、コールしても誰も出ないか、或いはコールそのものが受け入れられていない場合のいずれかだが、いつもは近づいただけで開けてくれる鋼鉄のハッチが未だに行く手を遮っている現状を鑑みれば――また、そもそも管制室は数人体制で詰めているのが常であるということを考えると、いずれにせよ何かが起こっているとしか考えられなかった。

 

「……仕方ねぇ、外から手動で開けるぞ。シエルは着いてこい。ステラは万が一に備えて待機。いいな」


「は、はい!」


「了解!」


 腰のホルスターから拳銃を引き抜き、ホークは早口に「ハッチ開けろ!」と通信機へ向けて告げた。ホークに続いてシエルがそれに倣ってハッチ近くに銃を片手に陣取り頷き合うと、ハッチが開くと同時に飛び出した。

 車の外には誰もいなかった。シエルはホーク主導の下、基地のハッチに駆け寄る。ハッチの横には小さな電子端末が取り付けられていて、ホークはキーを手早く叩いてパスワードを入力し始めた。


「ホークさん……もしかして、この基地のパス全部記憶してるんですか? 確か40桁近くあったはずなんですけど。しかも定期的に入れ替わるし……」


「当然。そうでないと、不足の事態に対応できないからな」


「うわぁ……」 


 淡々とパスワードを入力していくホークは、端末から目をそらさぬまま、呆れた様子のシエルの言葉に答えた。そう、これくらいは当然だ。ホークはこの基地を――敬愛するゲイルの束ねるこのクラスタ基地を、彼は愛しているのだから。

 けれど――そんな彼を、感情に任せて傷つけてしまった事実は拭い去ることはできない。脳裏に焼き付いた、腕を落とされたゲイルの〝ファウスト〟の姿が意識の表層へ鮮明に蘇り、ホークは表情を歪めた。


「……情けねぇ」


「え?」


 聞き返すシエルに「何でもねえよ」と返すのとほぼ時を同じくして、端末からピー、という電子音が鳴って、ゆっくりと音を立てながらハッチが開き始めた。壁際に隠れ注意深く中の様子を伺い、何もないことを確認したホークの目配せで、一気に中へ突入した。

 格納庫の中は静まり返っていた。いつも忙しなく機体の整備に追われているメカニックはおろか、人っ子1人見当たらない。そんな普段とは違う異様な光景もさることながら、照明が落ちて暗い闇に包まれた格納庫の雰囲気が、ただならぬ威圧感を醸していた。


「誰も……いない?」


 人っ子1人の気配すら感じられないシエルがそんなことを呟いた、その時だった。格納庫の照明が突如として灯る。反射的に身構える2人の前で基地側の電子扉がスライドして、中から武装した兵士が続々と格納庫内に侵入し、2人とその奥に見える軍用車へ向けて携行しているアサルトライフルを向ける。皆一様にバイザー付きのヘルメットと同デザインの軍服を着用し、統率された動きで2人と軍用車を取り囲んだ。


「なっ、中央軍……!?」


 兵士達が着込んでいる青い軍服を目にしたホークが驚愕の言葉を口にする。よく見れば、バイザーの向こうに見える顔も見慣れぬもの。少なくとも、このクラスタに勤める兵でないことは明らかであった。

 唐突な事態に言葉を失う3人を他所に、一際大きいサイズのライフルを携えた男に1人の兵士が歩み寄って何事かを告げると、男は大仰に手を上げて、シンプルにただ一言だけを口にした。


「連れて行け」


 男の言葉に、すぐさま兵士達が2人を、その背後の開いたハッチの向こう側にある軍用車を取り囲んだ。兵士達の行動にシエルが動こうとするのを、傍らにいるホークが止める。あの車の中にいるのは、待機しているステラだけではない。全身に傷を負い、今尚目覚めないリオスが寝たままなのだ。ホークに諌められて尚、彼らの身を案じるシエルは悔しげに俯いた。これほどの量の銃口を向けられて、たった2人で反抗しようということがどれだけ無謀か、いかにルーキーでも理解できぬはずはなかった。

 背中に銃口を押し付けられたまま、2人と、車から降ろされたステラ、そして軍用車の運転手をしていたクラスタ兵士の4人は連行された。途中で何人かの人間に出くわしたが、それらは皆彼らと同じ中央軍の軍服を来た見慣れぬ顔で、基地の見知った仲間は一度として見かけることはなかった。おそらく、どこかに軟禁されているのだろうことは容易に想像できた――が、ホークはそれとは別に、中央軍が何故このような凶行に走ったのかがどうしても解らなかった。この基地の誰かが軍法違反を犯したというのならまだ理解できるが、それでもこの基地の人員全員を拘束するというのは馬鹿げている。

 では、一体何故――。


「止まれ」


 言われるままに立ち止ったその場所は、司令室の目の前だった。我が物顔で中へ入っていく男に不快感の籠った視線を向けながら後に続いたホークの目に飛び込んできたのは、兵士達に銃を突き付けられ、身動きのとれない司令室勤務の基地兵士達と――。 


「准将、連れて参りました」


「ほう、来たか」


 いつもゲイルが座っている司令官席の椅子にふんぞり返っていた、恰幅のいい男の姿だった。彼の配下であろう兵士達以上に横柄な男の態度には、不快感を通り越して嫌悪感すら覚え、ホークは歯を強く噛みしめる。


「よくぞ戦場から舞い戻ったな、ハミルトン隊の諸君。私の名はヘイル=バスカーク、地位は准将だ」


「……中央のお偉いさんが、こんな田舎町に何の用で?」


 間違ったことは言っていない。事実、王都アーカディアスと比べればクラスタなど、比較するのも烏滸がましいほど辺境の田舎。王都勤務の重役が、わざわざ出向くほどの価値があるような場ではないのだから。

 実際、権力闘争や家系に拘る国軍上層部の連中には、本来見向きもされないはずだった。


「君たちが2度に渡り帝国軍と交戦し、退けたことは私の耳にも届いていてね。僅かながら、助力しようとこうして出向いてきたのだよ。何か問題があるかね?」


「助力……!? ならどうして、基地の人間を拘束するようなことをするのですか!」


 ホークの隣で聞いていたシエルがそう反論する。ヘイルの言うことは表面上は孤軍で苦戦する友軍の増援に駆けつけた良き将だが、言うこととやっていることが全く噛みあっていない。シエルの視界の端に映る管制官は、突き付けられている銃口にとらわれ、先ほどからまともに動けていない。増援どころか、かえってこの基地の人員の行動の自由を奪い、束縛している。

 これではまるで――占領ではないか。


「君達は実によく働いた。あの帝国軍相手に、よく戦ったと褒めてやろう。……だがね、もう君達の力は必要ない。これからは我々が責任をもって、見事国土を守ってみせようじゃないか!」


「今更何をのこのこと……! アンタはただ、手柄と栄誉が欲しいだけだろうが!」


 大仰に両手を広げて高らかに言うヘイルの言葉と凶行を、決して認めるわけにはいかない。しかし四方から銃を突き付けられては何もできず、ホークとシエルは悔しげに睨み付けるしか出来なかった。せめてもの恨み節もどこ吹く風。その態度は――無言の嘲笑は、ホークの言葉を肯定していることを示していて、余計にその事実が彼の神経を逆撫でした。そんなことのために、この男は基地を――!

 実際に、権力に任せてこういった愚行を平然と行う貴族然とした輩が上層部には蔓延っているとは噂で聞いていたが、まさかこれほどとは知らなかったステラはその彼らの後ろで不安げにやり取りを見守っていたが、ふと横を通ったストレッチャーに乗せられた少年の姿が視界に入り、目を見張った。


「リオス君ッ!」


 ボロボロの身体のまま、リオスは未だ深い眠りについているようだった。ステラは駆け寄ると、彼の身体を固く抱きしめる。戻ってくるなりこの事態に巻き込まれたステラが唯一心配していたのが、彼の身の安全だった。だからこそ、ふと心配になる。このヘイルという准将は、リオスをどうするだろう。武力と権力で無理やり基地ごと押さえつけるような人間だ、素直に治療を許可してくれる保証はどこにもない。

 けれどヘイルには彼がただの民間人にしか見えなかったのか、思いの外簡単に治療を許可した。ストレッチャーに乗せられたまま医務室へ運ばれていくリオスの姿を見送ると、彼女の気持ちを案じたシエルがそっと肩を叩く。無言で首肯したシエルの微笑みに込められた思いを理解したステラもまた、弱弱しく頷いた。


「……さて、君達ももう下がりなさい。何、軍務なら気にすることはない。我々が責任をもって全うさせていただくよ。くっ、ははははははははっ!」


 兵士達に連行されるホーク達。廊下まで届くほどのヘイルの耳障りな高笑いが耳の中に響いて、無念と不快感に、ホークは一層強く歯を噛み締めた。




☆★☆★☆★☆




 中央兵士達に連れていかれた先は、使われていない空き部屋の1つだった。てっきり牢にでも放り込まれるかと危惧していたが、どうやら杞憂であったらしい。しかし去り際の兵士の1人がしっかりとドアロックをしていったので、状況としては牢と何も変わらない。窓も人が通り抜けられるほどの大きさはなく、事実上の密室である。しかもそのドアロックも、態々パスワードまで変えていく徹底ぶりである。

 通信機器は全て取り上げられ、外部との交信も不可。こうなっては、ルイアナに留まっているゲイルに助けを求めることもできない。


「お手上げか……」


 壁際に適当に置かれた、布団が乗っているだけの簡素なベッドに仰向けに倒れこんだシエルが、眩しげに真っ白な照明を見上げそう呟く。ここから出ることもかなわず、外部との連絡手段も立たれた。そのような状況でできることなど何1つない。シエルの言葉は、状況を簡潔かつ的確に表わしている。

 椅子に座り俯いたままのホークは、彼女の言葉に何の反応も示さなかった。ただ表情は悔恨に歪んでいて、時折身を震わせるだけ。よほど悔しいのだろう。自分の家とすら思っていたこの基地が、あのような男に土足で踏み荒らされるのを、黙って見ていることしかできない今の自分が許せないのだ、彼は。シエルには、彼の気持ちがよく分かった。たった数ヶ月いたひよっこの彼女でも解る、ゲイルを初めとしたクラスタ基地の兵士達の暖かさ。着任の挨拶の際、ゲイルはシエル達2人を家族と呼んだが、たった数ヶ月共に過ごしただけでもその意味は痛いほどによく解った。だから、悔しいのはシエルも同じだったが、それ以上に信じていたはずの味方に裏切られるという事実に対する衝撃の方がもっと大きかった。


「……お手上げじゃ、ないよ」


 と、窓際に寄りかかっていたステラが唐突に発した言葉に、シエルとホークは反射的に彼女を見た。そこには、いつものようにおっとりとした彼女の姿はない。少しばかり恐怖は滲んでいるが、それでもできる限りのことをしようという、彼女なりの勇気が、その決意の表情に表れていた。


「お手上げじゃない……? それって、どういう……」


 シエルの疑問の言葉への答えの代わりに、ステラは懐からきらりと照明を照り返して煌めく1つのネックレスを取り出した。


「それって……!」


「まさか、あいつの……!?」


「そう、グロリアスだよ」


 赤く輝くネックレスは、ステラの声に呼応するかのように彼女の手の中で発光する。


「お前、それいつの間に……」


「さっき、リオス君に近づいた時に。機密ということだったので、持ってたらリオス君が危ない目に遭うんじゃないかと思って、それで咄嗟に……」


「アンタ、ボケっとしてるようで意外と大胆なところあるわよね……。でも、そっか。確かにそれがあれば、外にいる隊長達と連絡を取ることも……! やるじゃん!」


 シエルの純粋な賞賛に「えへへ……」と照れ臭そうに頬を赤く染めて笑うステラ。すると同時にグロリアスのコアが一層強く発光し、凛とした女性の声が部屋に響いた。


《お話は聞いていました。ゲイル=ハミルトン大尉への通信回線を開きます》


「うん、お願い」


 通信用のホロウィンドウがステラの目の前に出現し、旧時代の電話の形のアイコンの下にSOUND ONLYという文字が表示された。鳴り響くコール音。もし、これでゲイルが出てくれなかったら――ふと、そんな不安が思考を過ぎる。秘匿回線でもなんでもないこの通信は、いずれあの准将も察知するだろう。そうなればグロリアスも取り上げられ、せっかくのステラの勇気が無駄になるばかりでなく、リオスの身をも危険に晒すことに繋がるのだ。ゲイルには絶対に出てもらわねばならない。ステラの緊張が伝染したのか、傍で見ているシエルやホークが固唾を呑んで見守る中、コール音が数回鳴り――。


『はいはい、こちらゲイル』


「あ……よかった、隊長出てくれたぁっ」


 安堵に思わず胸を撫で下ろしかけ――しかし当初の目的を思い出したステラは表情を引き締め、本題に入った。


「隊長、大変なんですっ! 中央軍が、バスカーク准将がっ!!」




☆★☆★☆★☆




「う、ん……」


 気怠げな呻き声とともに、リオスは目を覚ました。目を開いてまず飛び込んできたのは、白く清潔感のある天井。以前にもどこかで見た覚えがあると、そんなことを思い返し、リオスは目を擦り起き上がった。 

 途端に体に走った痛みに、思わず顔を顰める。鈍い痛みが意識の覚醒を早め、漸く完全に覚醒したリオスは今自分がいる場所を見回した。そこはかとなく漂う薬品の匂いから、そこが医務室であるとなんとなく推察する。同時に自分が大怪我で担ぎ込まれたことをも悟ったが、それにしては不釣合いなものの感触を手首に感じ、リオスはその正体を見て顔を顰めた。


「なんで……?」


 どこか古いイメージの外観の電子錠式の手錠が、手首で鈍い光沢を放っていた。おかしい、罪人扱いはもう終わったのではなかったのか。それとも自分の扱いを快く思っていない基地の誰かが、こんな悪趣味な仕打ちをしたのだろうか。ルイアナ基地防衛へ出撃する前のホークの態度も相まってそんな思考に陥ってしまう自分が嫌になって、勢いよく仰向けに倒れ込むと同時に背中の傷が痛んだ。そう小さくはない痛みにリオスはひとしきり悶絶した後、深いため息をつく。


「あら、目が覚めた?」


 と、そろそろ状況の説明が欲しいと思っていたところで、ベッドを覆っていたカーテンが開いた。現れたのは女性で、さらさらと流れる赤いロングヘアが美しい。女性の年齢を推測するのも失礼なことだが、おそらくリオスの知る限りでは、ミレイスが最も近いものと思われた。眩い程純白な白衣を、多少肌蹴ながらも着こなす女性は、起き上がろうとするリオスを無言のままにこやかに手で制し、ベッドサイドにおかれていたパイプ椅子に腰かける。


「具合はどう?」


「まだちょっと痛いですけど……大丈夫みたいです」


「そう。驚いたわ、それだけじゃすまない怪我だったのよ?……普通なら」


 どうやら、自分は想像もつかないほどの大怪我をしてここに担ぎ込まれたらしい。そういえば〝死神〟タナトスとの死闘の際、かなりの流血を伴う怪我を負ったような記憶もある。戦闘終了後、自分を抱き抱えながら今にも泣きそうなステラの顔が脳裏に蘇ってくる。

 ということは、先ほどから漂ってくる薬品臭といい、ここが医務室であるということはほぼ間違いなさそうだ。そして彼女が、その医務官であろうことも。


「まあ、何はともあれ元気そうで何よりだわ。早速隊長さんに報告……と、言いたいところなのだけれど。ちょっと今、厄介なことになってるのよねぇ」


「厄介なこと……?」


「この基地、乗っ取られちゃったのよ」


「……はい?」


 リオスは一瞬、彼女の言葉の意味が解らなかった。あまりにもあっけらかんと言うものだから、冗談か何かの類かとも思った。が、そこでタイミングよく外から何者かの話し声がリオスの耳に入る。


「全く、バスカーク准将も無茶苦茶なことをなさる。よりにもよって、味方の基地を乗っ取るとは……」


「今に始まったことじゃないだろう。それに、あわよくば俺たちも手柄を上げるチャンスだ」


「それはそうなんだがな……」


 リオスは絶句した。まさか本当に、基地が乗っ取られている――しかも、本来は味方であるはずの同国の軍隊に――とは、夢にも思わなかった。乗っ取られたということや、外の兵士達の話し声が遠ざかっていかないことを考慮すると、部屋の外にいる兵士達は大方医務室を担当する見張りといったところなのだろう。

 そこまで理解したところで、リオスは女医務官からこの基地の現状の説明を受けた。ルイアナ基地防衛戦にハミルトン隊が駆り出されてしばらくした後、バスカーク准将率いる王都軍が突然基地に押しかけ、基地を武力で制圧した。その後、防衛戦を終えたハミルトン隊の隊員達が帰還したが、おそらくは今もどこかの部屋に閉じ込められているであろうということ。

 そして――リオスだけは治療のため、この医務室に送られてきたということだった。


「でも、どうして……味方なんでしょう? どうしてそんな、味方の基地を占拠するようなことを……」


「そういう男なのよ、彼は。この基地は今や最前線。最前線で帝国軍を追い払って、少しでも手柄を上げようとか名声を得ようとか……そんな魂胆じゃないかしら。占拠については、基地の人間を買収した上で、後で適当にこじつけておけば問題ないとでも思ったんでしょ。……そんなこと、できるはずもないのにね」


「そんな……」


 聞けば王国軍は、戦力では帝国軍に完全に劣っている。そんな中の内輪もめがどれほど無益で致命的な行為か――誰にでも解る道理だ。そのヘイルという准将の保有する戦力がどれ程のものかは解らないが、リオスにはその男の考えが理解できなかった。


「と、止めないとっ」


「ダメよ、怪我人は大人しく寝てなさい」


 痛みを堪えて起き上がったのも束の間、女医務官の細腕に成す術もなくベッドへ押し戻される。「あうっ!?」と奇妙な声を上げてベッドに再び倒れ込んだリオス。何故、という疑問を含んだ視線を送る彼に、女医務官は言った。


「治ってきたとはいえ、本来なら動けないくらいの大怪我だったのよ。戦闘は許可できません」


「でも……」


「でもじゃありません。この部屋までは、彼らも手を出さないわ。だから今はおとなしく寝ていること。いいわね?」


「は、はい……解りました」


 女医務官の発する妙な威圧感のようなものに、思わず素直に首を縦に振ると、医務官は再びにこやかな笑みを浮かべて立ち上がり、また何かあったら遠慮なく呼んでね、と言い残して再びカーテンを閉めた。

 再び訪れる静寂。聞こえてくるのは、先ほどの女医務官が何やら書き物を始めたらしい筆を走らせる音と、見張りの兵士の喋り声だけ。部屋の中は空調により適度な温度に調整されていて、大変なことが起こっているとは思えない程に安らかな雰囲気と布団の温もりが眠気を誘う。

 とりあえずこのまま寝てしまおう。そう思い、目を閉じようとしたその時――。


「……え?」


 寝ているリオスの正面の天井にある通気口から、何者かがじっとこちらを見下ろしていた。無垢で綺麗な瞳と空色の髪色。間違いない、ステラだ。

 だが、あまりに唐突な展開に思考がついていけなかったリオスは、声を発することも叶わずベッドの上で固まってしまう。その間に通気口の蓋を開け、ステラとシエル、ホークが飛び降りた。その際確かに物音がしたが、外にいる見張りは気づいていないのか、幸いにも無反応だった。


「リオス君! よかった、目が覚めたんだね!」


「ステラ……ど、どうしてこんなところに……!?」


 本当はどうして通気口から、など突っ込みたいのはやまやまだったが、医務官の話によるとステラ達もどこかの部屋に閉じ込められていたという。きっとやむを得ず通気口を使ったのだろうと推測して、リオスは胸に飛び込んできたステラを抱き留めた。


「あんなに凄い怪我だったのに、しぶといというかなんというか……」


「だが、その頑丈さが今は好都合だ。手伝ってもらうぞ、お前にも。……不本意だがな」


 呆れたようでいて、それでも彼女なりに心配していたのか、言葉の割に穏やかな苦笑を浮かべたシエルはカードキーでリオスの手錠の電子ロックを解除しながら、隣で不貞腐れているホークへ横目でじとっとした視線を送った。

 今、ホークの内心にはおそらく自分への恨みつらみが渦巻いていることだろう、と、事情を知らぬリオスは推測した。彼にしてみれば、自分もこの基地を占領している准将やその配下と大して変わらぬ存在であろうから。

 だが。


「解りました。まだ身体中痛いけど……僕も力を貸します」


 リオスは、力強く頷いた。医務官にああは言ったが、恩義のあるこの基地を取り戻したいという思いはリオスも同じなのだから。


「ごめんね。……じゃあ、これは返しておくね。私が持ってるより、リオス君が持ってる方が絶対いいに決まってるもん」


 両掌の上に差し出されたネックレス――グロリアスを手にし、リオスは申し訳なさげに俯くステラへ向けて、もう1度しっかりと頷いて見せた。気にする必要はない、これは自分の意思なのだという意味を込めた首肯だったが、ステラはその意をくみ取ってか、顔を上げてもう1度申し訳なさげに微笑んだ。


「さて、それではいくぞ」


「はい。作戦は?」


「可能な限り通気口を通って司令室に近づき、強行突破する。少人数の俺達には、そうするくらしいか勝算はない」


 なるほど、強引なようでいて考えられた策だ、とリオスは素直に感心した。数ではたかが知れているリオス達は、全ての区画を解放していては准将側よりも先に息切れてしまう。だからといって、最初から司令室を目指したとしても正面から攻め入ってしまっては同じことだ。ならば、通気口を通りつつ可能な限り戦闘を避け、最小限の消耗で司令室を目指すのが最も効率的な方法と言えるだろう。


「解りました、それでいきましょう」


「じゃあ戻るぞ。外の見張りに気づかれる前にな」


 にべもなくベッドの上に立ち、天井へ手を伸ばしたホークは一息に通気口の中へと器用に入り込んだ。続いてその穴からロープを降ろし、それを伝ってシエルとステラが上へと上がっていく。

 そして最後にリオスがロープに手をかけたその時、前触れもなくカーテンがさっと開いた。


「あ……えっと、これは……その……」


 先ほど素直に頷いたばかりということもあってか、ばつの悪そうに目を逸らしながらしどろもどろに言い訳を探そうとするリオス。しかし女医務官は叱責するでもなく、まるで出来の悪い弟を見るような表情で大仰にため息をつくと、頷いた。


「……いいわよ、行ってらっしゃい」


「……い、いいんですか?」


「どうせダメって言ったって聞かないんでしょ? でも約束して。終わったら必ず戻ってきて、治療を受けなさい。いいわね?」


「……はい、必ず!」


 短く、それでいてしっかりとした言葉を残し、リオスはロープを登って行った。やがてホークの手によってロープが回収され、通気口の蓋が元通り直される。その間、女医務官はじっとその場に佇んで、誰もいなくなったベッドを見つめていた。

 通気口を伝っていく音が遠のいてからややあって、苦笑とともに一息にため息を吐き出すと、医務官は再び自分のデスクへと戻っていった。

 

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