12・違和感
教室へと急いでいる間、ふと保健室が見えた。
電気は点けられておらず、仄暗い雰囲気が漂っている。
ドアについている小さな窓から覗き込んでみたが、人の気配はしなかった。
鍵もかかっているから、留守なのだろう。
――ドアをよく見てみると、『御用の方は職員室まで』という張り紙が貼られている。
俺は少し気になりながらも、教室へと急いだ。
自分の教室の扉を開けるや、女子の一人が小さな悲鳴を挙げた。
周りを見てみると、女子が体操服に着替えているというのに気付いたのは、数秒後であった。
「きゃああああああああああああっ!!」
興奮しだした女子が、俺に目掛けて物を投げてきた。
「わっ! とっ! あぶねぇ!」
俺は慌てて教室を出る。
――そういえば今日体育があったんだっけ?
そう考えながら、同時に体操服を持ってきてないことを思い出した。
まぁ、忘れたものは仕様がない。素直に体育教師に話しておこう。
そう考えながら、窓から外を眺めると、クラスメイトが体育館の方に入っていくのが目に入った。
体育館でやることがわかるや、俺は逃げるように体育館へと走っていった。
――体育館は結構広く、バスケコートが三つある。
男子は2チームに分かれてバスケをするようだ。1クォーターごとに交代していくという感じで進行していく。
女子はバスケコートひとつはなれたところで、マット運動をしている。
俺はというと、体操服を忘れた罰として、隅っこで見学させられていた。
「御手洗湊! いっきます!」
御手洗がマットの角に立ち、右手をピッと上げ、一息入れるや、助走をつける。
そして、側転からバク転、高く跳ね上がって、月面宙返り。着地したかと思いきや、倒れこむと、腕の力だけで、体を起き上がらせ、ゆっくり倒立の形にしていく。数秒停止した後、倒立前転。
その綺麗な演技にも見とれてしまうが、御手洗の豊満な胸に目がいってしまう。
動けば動くほど、ゆれるのだから、気にしないほうが負けな気もする。
バスケコートにいる男子も、御手洗の演技に見とれていて(演技というよりも胸にだろうけど)、試合どころではないようだ。
「こらぁ。見学だからって、ジロジロ見ない」
五ケ山が俺に声をかける。
「別にジロジロ見てないだろ?」
「そう? 教室に入ってきた時もそんな感じだったじゃない?」
「あれは……まぁ二時限目が体育だったって忘れてたし、事故だったってことで許してくれねぇか?」
俺がそう懇願すると、五ケ山は人差し指を唇に当て、考え込むと、
「よし。それじゃうちのケーキを1ホール買うってことで、どう?」
「一応言っておくけど、俺もう今月の小遣い死んでるんだがな?」
その原因を作ったのは誰だ?といわんばかりに、俺は五ケ山を見つめる。
「あ、そうか。それじゃ来月にでも買ってくれたらいいよ。みんなには慌ててきたからって説明しとくから」
五ケ山はそう言うと、一度周りを見渡すや、俺の耳元に口を近付ける。その吐息があたるので、どうもこちょばゆい。
「それで警察はなんて言ってたの?」
五ケ山は俺が警察に写真を見せたことを尋ねる。
「ああ。鑑識に渡して、詳しく解析するってさ。これで牛頸が自殺したという線はなくなった」
「それじゃ殺されたってこと? いったい誰に?」
それがわかれば苦労しない。
「なぁ。あの海岸は海に沈んだら浮かび上がらないって話とかはないよな?」
そう尋ねると、五ケ山は首を傾げるが、すぐに首を横に振った。
「ううん。あの場所で飛び降りる人がいても、浮かび上がるはずだよ。台風が来ない以上、そんなに波が荒れるような場所でもないし、哭沢女神が泣き女という伝承がある以上、そういうのはないと思う」
「そうなんだよな。神様のご加護以前に、死体は錘でも着けていない以上、浮かび上がる。だから突き落とされた牛頸の死体が、いまだに発見されていないのが一番の謎なんだよ」
俺は少し考えると――、
「あそこに海草なんてあるのか? それに絡んでたら」
そう尋ねると、五ケ山は首を横に振る。
「祠の掃除をする時、岸壁に小船を近付けるから、多分ないと思うよ。あったとしたらオールやモーターの羽に絡まって身動きとれないだろうから」
「そうなると、やっぱり遺体が浮かんでこないのは可笑しいよな?」
俺はふと浮かび上がらないのは、服に水が染み込んで重たくなったという考えが出たがすぐにかき消した。
それなら上八だって同じことが言えるはずだ。
それに流されて発見されることだってある。
「きゃっ!」
突然女子の悲鳴が聞こえ、俺と五ケ山はそっちを見遣った。
倒れているのはたしか、四王寺だっけかな?
その四王寺がマットの上で蹲っている。
悲痛な表情を浮かべ、左足を抱え込んでいた。
「四王寺さん。大丈夫?」
駆け寄った五ケ山がそう尋ねるが、四王寺は痛みで答えられないでいる。
「どうしたんだよ?」
俺がそう尋ねると、御手洗が振り向き、「えっと、ちょっとマットの技教えてたら――」
御手洗が慌てた表情でそう言う。
四王寺を見てみると、倒れていることから、立ち上がれないということがわかる。
「四王寺、ちょっと手を足からどけてくれねぇか?」
俺がそう言うと、四王寺は素直に抱え込んでいた足を開放した。
「ちょ、ちょっとなにやってるの?」
と女子何人かが抗議するが、気にせず、俺は四王寺の足首を摩ると、特に反応はない。となると、立ち上がれない原因は――
――脹脛にそっと触れると、四王寺は顔を歪めるほどに悲痛な表情を浮かべた。
「こりゃ肉離れ起こしてるな」
俺はそう言いながら、御手洗を見遣る。
「なぁ、いったいどんな技教えてたんだ?」
「技って言うより、柔軟体操かな? 四王寺さん、体固いって自分でも云ってたし」
俺の問い掛けに、御手洗は申し訳ない表情で答える。
「四王寺、立てるか?」
うしろから女原が声をかける。四王寺は首を横に振った。
「そうか。先生が保健室まで連れて行くから、お前たちは気にせず授業を続けなさい」
そう言うや、女原は四王寺の目の前で跪き、肩を貸した。
四王寺はゆっくりと女原の肩に腕を回すと、顔を歪ませながら、立ち上がった。
痛みが走っている左足を浮かばせながら、女原に寄り添うようにしている。
「ねぇ? 保険委員の人もついていったほうがいいんじゃないの?」
五ケ山がそう言うと、保険委員の奴山が付き添おうとしたが、「大丈夫だ」
と女原は断り、体育館を後にした。
「それにしてもすごいね。ちょっと触っただけで肉離れってわかったんだから」
五ケ山が俺にそう声をかける。
「自力で立ち上がれないってことは、足を怪我したってことになるだろ? 最初に足首を触ったのは捻挫の可能性があるかの確認。それがないってことは、脹脛の肉離れ、つまり攣っていることになる。これは激しい運動とかをすると、筋肉が――」
俺はそう説明するや、ふとある事に思い出す。
「どうかしたの?」
五ケ山と御手洗が俺を見ながら、首を傾げる。
「教室に入る前、保健室の前を通ったんだけどさ、いなかったんだよ、先生」
「たしか、今日は他の学校の手伝いと研修を兼ねたなにかで、柏原先生、一日留守にしてるからじゃない?」
女子生徒の一人がそう言うと、もう一人が顔を歪めた。
「奴山、急いで女原と四王寺を追ってくれ!」
俺がそう言うと、奴山は困惑した表情を浮かべる。
「可笑しいだろ? 生徒ならまだしも、教師が保健室に先生がいないことを知らないなんて」
「そうね。それにあの先生変な噂があるし」
五ケ山がそう云うと、奴山は急いで体育館出ていった。
「変な噂?」
「あの先生、執拗に女子に声をかけたりするし、去年までいた志登まどか先生が辞めてるんだけど、その原因が女原先生にあるって」
そうこう話しているうちに、奴山が戻ってきた。
「た、大変だよ。先生と四王寺さん。保健室通り越して、空き教室に入っていった」
急いで戻ってきたのか、奴山はゼェゼェと息を整えながら伝える。
「どうしてそんなところに? 普通だったら職員室に入るんじゃないの?」
「私もそう思ったけど、見向きもしないでそのまま入っていった」
俺はそれを聞くや、体育館を後にした。
女原に抱えられるように四王寺は保健室に連れて行かれると思っていた。
しかし、女原の足取りは保健室の前で止まらず、そのまま階をふたつ――三階へと上っていく。
四王寺はどうして保健室に行かないのかを女原に尋ねた。
「今日は柏原先生お休みでな。先生が救急道具を預かっているんだ」
女原はそう言いながら、四王寺を誰も使っていない空き教室へと連れて行く。
三階は理科室や家庭科室などの特別室がある棟と、中庭を挟んだ対面に酒殿がいる一年の教室があり、それを渡り廊下で繋がっている。一、二階も同様の構造であった。
女原はズボンのポケットから教室の鍵を取り出し、扉を開けた。
何ヶ月も使われていない室内は、湿気に近い臭いが漂ってくる。
「先生。あの……」
「四王寺、そこの椅子に座りなさい」
女原は隅に置いてある机一式を指差した。
「で、でも……わたし……」
四王寺は自分は怪我をしているから、そこまでいけないと言おうとした。
「何をしている? 足がなければ、腕を使えばいいだろ?」
そう言うや、女原は肩を貸していた四王寺を突き倒した。
「――きゃっ?」
倒れ込んだ四王寺は、何が起きたのかわからないといった表情で女原を見やった。
「どうした? 怪我を治したいんだろ? だったらこのまま倒れた状態でヤってもいいんだぞ?」
四王寺は一瞬戸惑ったが、這い蹲ってまで机にいくのもどうかと考え、その場に動こうとしなかった。
それを見た女原は、後ろ手で教室の鍵を閉めた。それは微かに聞こえる程度にゆっくりと慎重に閉められたため、四王寺は気付けなかった。
女原が跪き、四王寺の左足を摩る。
「――っ!」
まだ痛みがあり、四王寺は悲痛な表情を浮かべた。
「こりゃ、酷いなぁ。まったくどうしてこんな事になったんだ」
女原は男子がやっていたバスケの審判をしていたため、詳しいところは見ていない。
実際、湊が教えていたのは前方倒立回転であった。
倒立の際、ピンと足を伸ばさなければ綺麗に見えないため、湊は四王寺にそのことを注意していた。
肉離れとも言われる、脹脛の筋肉が攣る痛みは、足を伸ばしたため、筋肉が急激に引っ張られたことが原因である。
うつ伏せに寝転がされた四王寺は、左足に触れる女原の手を肌で感じとる。
女原の手はゆっくりと摩りながら、脹脛よりもお尻の方へと上がっていく。
「――っ? せ、先生?」
四王寺がそう言うと、女原は脹脛を強く掴んだ。
そのことで激痛が走り、四王寺は声を殺した。
「静かにしろ。先生が治してやるといってるんだ」
女原は声を荒げながら、四王寺の左足を撫でる。
吐息をたてながら、四王寺は女原を見やるや、ゾッとした。
――そこにいたのは、涎を垂らした鬼であった。




