Count 18
……。
……?
暗い……?
私は視界から消えて無くなってしまいそうな明かりを、必死で追いかける。
意識が戻ってしまった。戻らなくてもよかったのに……。
体中の痛みでまた気が飛びそう……体中いたる場所がガンガンとしびれて、血が煮えたぎっているみたいに熱い。
目をうっすら開けてみても、闇の色で霞んでうまく見えない。確かまだ昼間で、明るかったはずなのに……私は、すでに視力を失いかけているんだという事を悟る。
それでもまだ嗅覚は残っているのか、やたら鼻につく血の匂いのせいで吐きそうになった。
私は、なんとか赤い数字を読む。
―――00:00:18
あと、18秒。
……帰りたい……。
途切れ途切れの意識の中で、不意にそんな言葉が頭に浮かんだ。
……どこに?
私はすぐに、そう聞き返した。何か答えが返ってくるかと思って待ってみたけれど、無論、答えなんかない。
家族というものの顔も知らない私に、帰りたいと思うような場所はなかった。
物心ついた時にはすでに組織の一員として教育を受けていて、灰色の壁が続くビルの中と、与えられている4畳の部屋が私の全てだった。
……あの部屋へ帰りたいの?
支給されたベッドと着替えだけが置いてある、四角いコンクリートの“箱”。
……ううん、違う。……多分。
今朝まで唯一、自分のプライヴェート・スペースだったあの部屋を思ってみたけれど、特別何の感情も沸かない。だから私は、“多分”、違うと思った。
うっすらと、瞼を上げる。
―――00:00:15
そういえば……。
そういえばさっきから、私は誰と会話しているんだろう。
私の中に居る、もう一人の私。これは、私の知っている人? 知らない人?
自問自答という言葉を聞いた事がある。
文字道り、自分に問いかけ自分で答える、という事だと言っていた。
……誰が? いつ? ……そうだ、ライフルの訓練をしていた時だった。仲間の一人がそんな話をしていた。一体なんの何の話からそこに発展したのかは覚えていないけれど……。
特に興味は沸かなかったので、それ以来思い出した事もなかった。
与えられるミッションとその達成だけが存在の理由だった私には、自問自答なんて無縁だった。
ミッションの数と、その質が私の力量。
そしてそれをきちんと達成する事が、私の価値。
疑問に思った事は一度もたりともない。一瞬も。
でも、こうゆう事を言うんだな……。
私はやけにしみじみとそう思った。
ぼんやりと赤い数字が見える。
―――00:00:11
あと11秒……。
暗闇の中で、揺らめく赤の色……。
それが認識出来る、という事は、私の目は開いているんだろうか。
体ひとつが丸ごと大きな心臓になったんじゃないかと思う程、ズクン、ズクンと全身がうずいて、熱い。
……熱い? ……ような、気がする。
それでも、もう“痛く”はない。
正確には、“痛い”のかどうか、よくわからない。指先も、足先も、唇も、もう動かせなくなった。
……いや、もしかしたら、動いているのかもしれない。でも、それもやっぱりわからない。
耳はもう聞こえない。自分の呼吸の音も、もうしない。
今回もミッションは成功だな、と思った。
相手は10人を超えていた。
2人程殺り損ねたけど、足を折ったのでそう遠くには逃げない。
あと数秒すれば、この建物ごと全てが終わる。
……殺人兵器として、私は優秀?
そういえば……。組織内に、28人を相手に生きて帰った人が居るのを思い出した。命と引き換えではあったけれど、23人を殺った人も。
……最優秀、ではないけれど、まぁ優秀な方だね……。
私は自分にそう言った。
でも別にそれ自体嬉しい事でもなかった。私の中はただ、いつものように無だ。
喜ばしい事でもなければ、悲しい事でもない。
ゆらゆらと揺らめく赤に集中する。
―――00:00:07
となっている。……多分。
歳をわずか19にして、全てが終わるその直前。
私の考える事はどうしてこうもどうでもいい事ばかりなんだろう。
もっと何か……人生について、とか、過去について……とか……。
そこまで考えて、私はその先を考えるのを止めた。
私には、後悔はない。
やり残すような事も、思い残すような事も。
そうゆうものが生まれる程、他の何かを知らない。
1つの疑問も持たず生きてきて、1つの後悔もなく死んでいく。
これは幸せなんだろうか?
嘆く事なく死ぬという事は、幸福な事なんだろうか。
こうゆう終わりに行き着いた、今までの人生は……?
……考えて何になるの?
私は自分を嘲った。
今それについて考えをめぐらせたところで、どの道あと数秒だ。
人間は非常時に追い込まれると、とある瞬間から1秒1秒がものすごく長く感じる。そうゆう脳のメカニズムなんだそうだ。幾度となく身を危険に晒してきた私も、それを何度も経験した。
それにしたって、こんな時にそれを発揮しなくてもいいのに……。
危険な状況であるのは間違いないけれど、そんな能力を発揮したところでもうどうしようもない。もう体は半分以上死んでいるし、意識だって必死で体にしがみついているようなものなのに。
……まぁでも、死ぬ間際くらい、自分と対話したっていいんじゃない。
もう一人の私が言う。
―――00:00:04
あぁ……もうすぐだ。
もうすぐ全部が終わるんだ。
……幸福でも哀れでももうそんなのどっちでも良いよ。
人生が始まって終わるという事は、要はただあるものがなくなるだけの事だ。
それは奇跡でもなんでもない。ただ存在し、ただ消えるのだ。そこには意味すらない。
全てはただの化学反応で、そしてただの現象にすぎないんだと思った。
体はもう痛くなかった。
色々な感覚がもうない。
死んでしまう現実を理解した肉体が、なるべく楽に死ねるようにわざと麻痺しているんだろうか? それとも、実は私の体はもう原型を留めていない程くしゃくしゃで、単純に脳味噌への回路が遮断されているんだろうか。
……どっちでもいい。
今まで、死に対する恐怖はそれなりにあったけれど、こんな風に感覚を失い、何もよくわからず死んでいくなら、別にそんなに怖いものでもないんだなと思った。
あの“死”に対する恐怖心は、何だったんだろう。
私が今まで感じていた恐怖の全ては、あくまでただの想像であって、リアルではない。
私は何を想像して怖がっていたんだろう?
危険に晒される事自体は怖くなかった。でも死はなんとなく怖かった。実際死ぬ事になった今は意外と怖くないけれど、それでもこうなるまでは何かが怖かった。
……何が怖かったの……?
たった数秒の命を目の前にして、生まれて初めて私は自問自答を繰り返している。
どうしてこんな時に。
私は私に、何を求めて問いかけているんだろう?
もしもいつものように軽い負傷で済んでいて、今体が動いたとしたら、私はここからどうやって逃げただろう。
……今までなぜ必死になって生き延びたんだろう。
ミッションを達成しつづければ、何も困らなかった。食べるものも、眠る場所も。
でも極論を言えば、それも全て生きる為だった気がする。
そこまでして生きる理由は私にはなかったはずなのに、生きる理由がある人たちを山ほど殺してきた。
どうして……。
―――00:00:01
……帰りたい……。
自分がどこへ帰りたいのかわからない。けれど、とにかく無性にどこかに帰りたかった。
私がずっと死なずに生き延びてきた理由は、“どこか”に帰りたかったからなんだろうか。
ただ人を無駄に殺してきただけの時間だった。
そして誰の記憶にも刻まれず、誰の心にも残らず、私は消滅する。
やり残す事も、後悔も、思い残す事も思い当たらないという事は、私の人生の時間がそれほど空虚だったという事だ。
私は、それが一番怖かったのかもしれない。
私が死ぬのなら、せめて誰かに私を覚えていて欲しかった。
私という人間のうちの、たった一つでいい。
ずっと忘れないでいてくれる場所が欲しかった。
ただの使えなくなった兵器として、こんな風に消えるのは、本当はものすごく怖かった……。
私は視力も完全に失った。闇の色の中に浮かんでいた赤の色ももう認識できない。
私は生まれて初めて泣いた。
涙が流せたかどうかはわからない。声も出せたかどうかわからない。顔だって、“泣き顔”になったかどうかはわからない。
それでも、私は生まれて初めて泣いた。
帰りたい……。
私がまだ兵器でなかった頃に帰りたい。
ただの人間でしかないただの私でも、十分に価値があった、あの暖かい場所に。
ずっと、帰りたかった……。
―――00:00:00
駄文失礼いたしました><。