四話
「すみませ~ん……」
さすがにこの状況には耐えられない。俺はひっそりと少女の横を通りぬけようとする。間違っても、大男の横だけは通らない。
「ガイモン」
「はいっ」
少女の一言に機敏に反応する大男。俺はすみません謝る時間すら与えられずに捕まった。
大男の動きは速すぎる。これで飛んだらゴキブリだよ。
なんで俺を捕まえるのさ。肩の上で抱えてるのさ。何か怒らせるようなことをしたか? いや、初対面のはずだけど。
その大男、ガイモンというらしい。いやぁ、実に堅実で忠実な声と雰囲気。クラスい一人はいる真面目キャラって所か。
対して少女の方は、見た目は十二、三歳くらい。肩下まで伸ばした黒の髪はかわいらしい。声もかわいらしくて本当にどこかの令嬢のようなオーラを醸している。
ってか令嬢なんだろうな。見た目に似合わずしっかりしていそうだ。ガイモンとやらとの上下関係も分かった。
「あの~。わたくしは一体どうなってしまうのでしょうか?」
「ねぇガイモン、コイツで間違いないの?」
無視ですか。
「はい、お嬢様。我々、とは言っても今回は少数ですが、入念に調べておきました。時空の歪みは、確かにこの少年の家から発生しておりました。時間がありませんでしたので、この少年についてはあまり調べることが出来ませんでした。ですが、時空の歪みが発生する前に家への出入りはなかったそうです。ですので、必然的に能力を使った者がこの少年と判断しました。あと余談ですが、先ほどここから北北東に五百八十キロメートルの地点で、同じく時空の歪みを発見いたしました。場所はコンビニだったそうです。ですが心配はご無用です。そちらには残った二人を調査隊として――」
「あぁ、もう! もっと短くまとめれないの!」
確かに長かった。
「はっ、申し訳ございません。私の不手際でございます。以後、気をつけます!」
ピシッと頭を下げるサングラスの男。堅いイメージに似合わず、以外と若い声をしている。
「あの~、僕はどうすればいいのでしょうか?」
「まぁ、次から気をつけるのことね。今回はモンブラン五つで許してあげる」
「はいッ。ありがとうございます」
また無視ですか。
「それなら帰りにあのケーキ屋に寄りましょう。ガイモンがいればお父様も何も言わないでしょうし」
少女は急に晴れ晴れとした表情をして、目を輝かせた。
モンブランが好きなんだ。
「屋敷のシェフには任せないのですか? 最近は、お嬢様は私のケーキが嫌いなのだろうかと、落ち込んでおりましたが」
「悪いけどモンブランはあの店が一番だから。料理がマズいわけじゃないわよ」
「そうですか。それならば後ほど伝えておきます。シェフもさぞ、喜ぶことでしょう。それでは、帰りは少し遅くなると、そう連絡を入れておきます。ケーキ屋のことは秘密です」
「うん、よくやったわガイモン。それじゃ、早速行きましょうか」
「はい、お嬢様」
「あの~、すみませ~ん」
俺はおどおどとした声で言う。なんとなく入っちゃいけなさそうな空気に入るものだから。
「え? あなた誰?」
顔を少し傾けるお嬢様。同義語として偉そうな少女。
なんと、捕まえられたのに忘れられたってのか。所詮俺などその程度の存在だと、態度で示された。
しかし、こんなことでめげる俺じゃない。これは逃げるチャンスだ。
さっきからコイツらの会話を聞いていたから事情は分かった。
時空の歪み、俺の家、コンビニ……。決まりだろ。秋乃のことだよ。
どういう経緯でか、秋乃が能力を手に入れたことは知っているようだ。ただ、顔と名前は知らないようで、能力を手に入れたのを俺だと決めつけているとは。イジメか!
コイツらの情報によると、俺の家への出入りは無かったらしい。でもそれはおかしい。なんたって、秋乃が俺の家に入ったからだ。秋乃は例の能力を使って帰ってらしいけど、ついた場所俺の家の前で向こうの死角だったのかもしれない。
町中に監査カメラを設置する訳にもいかないだろうし、アニメみたいに、人工衛星を介して監視されていた可能性も……。
一体どこから、そんな金がくるのだろうか? うらやましい限りだよチクショウ!
「お嬢様。モンブランの前に、この少年を運びましょう」
「誘拐の間違いでしょう? でも犯罪には手を染めたくはないし……。本人の許可があればいいんだけど」
そう言って、チラッと俺の方を見る。
勿論、断固拒否する。
「許可するなんて、鼻から牛乳が出るくらい、ありえないですよ」
「鼻から……なんですって? 見かけ通りの下品なヤツね。ガイモン、このハナクソみたいなのを、さっさと連れていきなさい」「了解しました」
ほぅ。ハナクソ……。牛乳とハナクソ、どちらが下品か争うことになりそうだ。
ガイモンは長い腕で俺を抱えながら、百八十度の方向転換をした。そしてそのまま歩き出す。
だがしかし、そんなことで焦りはしない。情報ならこちら側が有利だし、助かる方法ならいくらでもある。
こんなときこそ落ち着いて……
「あんたらさ、なんで俺を捕まえる」
さっきよりも強気な態度で望む。逃げ腰では勝ち目はないからな。
「目的地に到着次第、伝えますよ。大体の事は察して下さい」
ガイモンは答えると、来た道へと歩みを進めた。
察して下さいか。おそらく、俺が時間を操る能力を持っていると思っているコイツらは、何か時間を戻したい物があるのだろう。
あれは人間を超えた便利すぎる能力だ。狙われるのもよく分かる。第一、俺も欲しい。
「分かった。詳しくは聞かない。でも、それなら俺を連れてっても意味ないよ」
「変なことを言わないでくれませんか。言う通りにすれば悪いようにはしないから。それとも何? 耳に百円玉でも突っ込んで欲しいですか?」
耳に百円玉。是非お願いしたい……ってそうじゃない!
頭の中に住み着いた変な虫を追い出し、頭を冷やす。
「ははははは」
俺はいきなり高笑いを始める。勿論、これは演技だ。ちなみにモデルは秋乃。
「な、何? いきなり笑い出して……。へ、変態なんですか?」
リアルに驚くな少女。変態はこんなものじゃないから。思うツボと言えばそのとおりだけど。
「いきなりどうしたのでしょうか」
少女よりも落ち着いてはいるものの、ガイモンも動揺を隠せない様子だ。
馬鹿かコイツら。
予想通り過ぎる反応に、笑いをこらえる。こらえきれなかった部分は、しかし、それがまた不気味な演出をだしていたらしい。二人はさらに困惑と怪訝の目を俺に向けていた。
「いやいや、俺が能力を使えるなんて、一言も言ってないし。っていうか使えないし」
「「………ッ!」」
ガイモンの俺を締め付ける手に、より力が加わった。
少女の方も、目を大きく見開いて驚いている。
ついさっき感じたことだ。
いきなり笑い出すヤツには、絶対何かある! 秋乃の言っていた店員も然り。俺には何もないけど、そう思わせることなら出来る。
「お嬢様。騙されてはいけません。時空の歪みを発見した場所は、確かにこの少年の家でした」
「わかってる。でも……」
「俺の家には、もう一人いたってこと」
俺の演技は止まらない。外から見れば、不思議ちゃんにでも見えているのかもしれない。それに演技なら得意な方だ。俳優だって夢じゃない! ってくらいに。
「しかし、情報によると、最後に出入りがあったのは二日前だそうです。そんなことはありえません!」
「はぁ……。頭堅いですね。能力を使えるのがもう一人だと仮定して下さい。能力を使えば、誰にも見つからずに帰ってくるなんて、そんなに難しいことじゃないのですか」
「でも、あなたは能力に関してよく知ってるじゃない」
少女が言った。
なかなか鋭そうなことを言ってくれる。
「正直あんまり知らないけど、能力の中身は想像しただけ。ただソイツは、二日をかけて旅をしたらしい。けど、帰りは一瞬で俺の家まで帰ってきた。これが事実。……そういえば、コンビニで能力を貰って、その能力を使って帰ってきたらしいけど……」
ピクッと、ガイモンの体が動いた。抱えられている俺には、その振動がよく分かる。
「アイツが現れたのは、多分玄関前ですし。家への出入りはなかったって言ってましたけど、実はそこまで監視出来ないんじゃないですか?」
「……その通りです。よく御存知で」
ガイモンの足が止まった。横を歩いていた少女も、それにつられた。
「どうやって調べたんですか? 時空の歪みとか、俺の家とか」
「企業秘密です。すみませんが、それにはお答えできません」
……まぁいいや。法律とプライバシーだけは守って欲しいけど。
「ねぇ、お兄さん」
少女が、ガイモンの肩の上にいる俺を見上げる。
「能力を使えるのは、あなたじゃないって本当?」
「まぁね」
「じゃあ証拠はある? さっきの説明が嘘ではないことの証拠、あなたの作り話でない証拠はあるの?」
「あぁ。あるよ。――俺、馬鹿だから」
状況的に胸は張れなかったから、代わりに鼻を高くておく。
二人は、しばらくの間キョトンとしていた。
ガイモンが、どこから流出してしまったのか俺の悪成績を暴露すると、少女は「なるほど」と頷いた。
要するに、一瞬でストーリーを作り上げるくらいの頭を、俺は持っていないのだ。
馬鹿って言われても落ち込まないよ。慣れっこさ。
「分かったろ? 俺は無関係だから。それと、能力持ってるのは、向こうの空き地にいるから。早く解放してくれよ」
俺はさりげなく秋乃を売って、解放を訴える。
一番重要な二人はというと、どういう訳か、アイコンタクトをとっていた。
俺には分からないけど、何かが通じている。
そしてしばらく見つめ合った後、二人が同時に頷きあう。会議の末、何かが決められたようだ。
「決まったわ。あなた、私達をそこまで案内してくれます? 知り合いなんですよね、その人と」
「知り合いって……そうだけど、自分たちだけで行ってよ」
俺の元来た方角を指差す。
「いい? ガイモン」
「えぇ、お嬢様。決まりですね」
二人は再び頷き合う。少女は笑みを浮かべると、俺が示した方角へと歩き出した。ガイモンもそれに続く。
「あれ? どうしたの? ちょい、離してくれよ」
なんで俺を抱えたまま行く!
「申し訳ありませんが、ご同行をお願いします」
「大丈夫。悪いようにはしませんから」
今からイタズラをする子供のような顔をするな!
「離せよ、俺が何をしたってんだよ」
無駄かなぁとは心で思っていても、やっぱり抵抗はする。さっきの余裕で不思議ちゃんな俺は、穴の開いた風船のようにしぼんで飛んでいってしまった。
カァーと鳴くカラスすら、俺を助けてはくれない。
「ふふっ。ごめんなさいね、お兄さん」
全く悪びれずに、かわいらしい声で謝る少女。
「お許し下さい」と、堅く言うガイモン。
二人共。謝るのなら離してくれよ……
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歩くこと、約一分。秋乃のいる場所に到着、もとい連行された。
「……アイツなの? 時間を操る能力を持っているのは」
「分かりません。しかし……一体、何をしているのでしょうか?」
「あぁ、本当に何してるんだろうね」
少女、その隣のガイモン、ガイモンに抱えられている俺の順番で、それぞれの感想を述べていく。俺達に共通しているのは、目の前で起きている現象が意味不明なこと。
その中で、少女が一歩踏み出した。
「そこのあなた、これを見なさい! この人質を殺されたくなければ、大人し――」
「ははははは、やっと完成だ」
「………え?」
そこには高らかに笑う人影が一つ。秋乃以外のなんでもない。少女の言葉を完全スルー。
そういえば、俺は人質だったのか。しかし、なんと不思議なことか。
ただの空き地だったこの場所も、秋乃に任せるとどうでしょう? なんと、ミステリーサークルのある空き地へと大変身!
「って何やってんだアイツ……」
呆れてため息も出ない。
少女とガイモンを見ると、二人はこんな生物は見たことがないと、ただ困惑の視線を送っていた。
その反応は正解だと思う。
「ほ、本当にあのカエルの卵みたいな人が、能力者なの?」
「残念ながらそうだよ」
カエルの卵なんて気持ち悪く、更に全く的をえていない比喩表現は気にしない。というより、お嬢様なら少しは自重してほしい。
そしてガイモン、お前は叱れよ。
「お~い、何やってんだ秋乃~」
「ん? おぉ、翔じゃないか。お前こそ何をしているのだ?」
「俺? 俺は今捕まってるんだ。っていうか助けろよ! 今ピンチだから!」
「おぉ、そうか。新しい友達が出来たか。ははは、それはよかったなぁ」
「違ぇよ、友達じゃねぇよ、捕まってるんだよ! アイツら敵なんだよ!」
「ふむ、そうか。いやそんなことよりだなぁ、この円を――」
「ちょっと待った!」
俺と秋乃の会話を少女が無理矢理止めた。
少女は、鷹のような目で秋乃を睨む。
「そこのアナタ、時間を操る能力があるって本当なの?」
「あぁ、そうだぞ。そんなことより見てくれ。遂に完成したんだ」
秋乃はそれをあっさりと認め、更にそれをスルーした。そして、謎のミステリーサークルを指差す。
もしかしなくても、あれで火柱を立てる気なのだろ。直径が十メートル程ある。
あれって魔法陣のつもりか? 呆れて声も出ない。
「よし、始めるか」
と、秋乃がミステリーサークルに近づく。そして両手をパンッと合わせて、それから呪文のような言葉を発した。
魔法なのか錬金術なのか、よく分からない儀式をしている。秋乃が知る、あらゆる知識を総動員したのかもしれない。
……いや、よく聞くと「塩昆布、塩昆布」と、極めて自分勝手な詠唱を唱えている。
ガイモンの肩の上から横にいる少女を見ると、こちらは緊張した顔をしている。
「デカいのが来るわよ!」
いや、何にも来ないから。
「心配はいりません。このガイモン、お嬢様の体には傷一つ、つけさせません!」
いやだから、何も来ないから。
少女をかばうように、ガイモンが前に出る。肩の上の俺に、二人の緊張感がピリピリと伝わってくる。
そして、俺を担いだまま「守る」とか言うなよ。もし何かあれば、明らかに巻き添えくらうじゃん。
三人の視線が秋乃へと集中する中、秋乃は不意にフッと笑った。
「全ての準備は整った」
厨二病全開の発言に、二名は身構えて、一人は呆れた。こちらとしては聞くだけでも恥ずかしいってのに……。
秋乃はミステリーサークルの外に出ると、両手を青空に向けた。
「ガイモン!」
「分かっております」
更に緊張を高めるガイモン。
恐らく、何も分かっていない。あと、身構えるのなら俺をおろせよ。
「いくぞぉおお!」
と秋乃。そして鼓膜が破れそうになる程の砲口を上げた。いや、鼓膜ごとふさいでしまいたいくらいの恥ずかしい声を上げた。
「「「…………?」」」
「…………」
この状況の中、三人は数多の疑問符を浮かべ、一人は呆れてため息をついた。
「な、んだ……と」
ミステリーサークルの前で、呆然と立ち尽くす女が一人。痛々しい。
そもそも、秋乃の予定ではどうなる筈だったのだろうか? そこで火柱が立ったら死ぬぞアイツ。
「何故出来ないのだ! 翔、どういうことだ!」
どういうことだよ。疑問の弓矢は俺に向けられた。
「何故に俺に聞く!? んなもん自分で考えろ!」
ガイモンの肩の上で言う。
すると、秋乃はムカムカしたようで「いいから来い!」と俺に掌を向けた。
うわ~、何やってるのアイツ。とかわいそうな目で見たけど、それもすぐ止めた。
俺の視界が少し青を帯びて、次の瞬間、俺の視界の全てが変わった。
景色がパッと入れ替わる。
「……え?」
どういうことだ? 少し離れた所には、秋乃ではなく、少女と体制を崩したガイモンがいる。
俺のすぐ隣には「何故だ、何故なんだ!」とほざく秋乃がいる。
何がどうなったんだ?
静かになった空き地に、秋乃の声だけが響く。
「え……あっ、人質に逃げられた!」
「なっ! この一瞬で!」
ハッとしたように、少女とガイモンが騒ぎだす。
人質に逃げられた? 一瞬で?
とりあえずは助かった……らしい。
「男の方は逃がしちゃダメよ! ガイモン、捕まえなさい!」
「はい!」
急な事態にもかかわらず、百メートルを九秒台ではしれそうなほど速くガイモンが走ってくる。
そして何故俺が狙われる!? 捕まえるなら秋乃だろ!
「おい、秋乃。逃げるぞ」
「そんなことをしなくても大丈夫だ」
刻々と迫り来る大男などまるでいないかのように、余裕百パーセントの顔をする秋乃。
秋乃の手が、スッとガイモンに向けられる。
が、速い! 間に合わない!
ガイモンのその巨体は、虎のように俺に飛びかかった。
「ぐわぁ!」
…………? なにも感じない。
「ガ、ガイモンッ!? どうしたの!?」
不思議なことに、悲痛な声を上げたのは俺ではなくガイモンだった。
ガイモンは少女の隣で、頭を押さえてのたうち回っている。頭から地面に、思い切りぶつかったのか。
「フンッ、こんなものさ」
秋乃は鼻を鳴らして得意げに笑う。そして砂埃もついていない手を払う。
「一体……何がどうなったんだ?」
「分からん!」
それを胸を張って言うなよ秋乃。
しかし、何はともあれ助かった。
「おし。今度こそ逃げるぞ」
「よし、帰って食い寝しよう」
俺はせかせかと、秋乃は堂々と、帰路につこうとした。その時、
「させない!」
少女が叫んだ。
何事かと振り返ると、少女は両手を重ねて、それを頭上に挙げていた。
そしてその手をを地面に向けて振りおろす。
直後に発生した異変に、俺は気づいた。いや、気づかない方がおかしい。
足元を見ると、俺達の周りには赤黒い円が広がっていた。
「秋乃!」
頭の中で、サイレンが鳴り響く。理由はない。純粋な危険を感じ取った。
横で何も気にしていない秋乃を抱いて、思い切り横に跳ぶ。
秋乃を庇い、背中から落下した。小石が背中に、首に突き刺さり、体が確かな痛みを感じる。
その状況下で、俺はさっきまで俺達が立つていた場所を視界に捉えた。
そこには、地獄の火山が噴火をしたかのように、天高く火柱が立っていた。