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二十四話

おひさしぶりです。


テストも終わり、三話分仕上がったので投稿します。

ちなみに、五日置きに投稿します。



おばあちゃんの家に入った所から始まります。

「こんにちはー」


 玄関に入ってもう一度挨拶をすると、台所の方からドタドタと足音が近づいてきた。長方形の木製タイルがきしんでいるのがよくわかる。


 やがてパジャマのような服を着たおばあちゃんが、俺の死角から小走りでやってきた。


「あらあら、翔君、久しぶりだねぇ。元気だった?」


 俺は改めて「こんにちは」と挨拶をする


「はい、おかげさまで元気です。秋乃も平斗さんも元気にしてます」


「そう、それはよかった」


 おばあちゃんは柔らかい笑顔をしてくれた。


 初めて会ったときと比べればしわは増えたけど、優しい雰囲気はそのままだ。笑った顔はマシュマロをキュッとすぼめたようで、その顔を見るたびに優しさで包まれたような感覚になれる。俺の大好きな顔だ。


 おじいちゃんはもういない。五年前の春、冬に会った時の元気な姿からは想像もつかないぐらいにコロッと死んでしまった。


 おかげで、俺の空手の腕は中途半端なものになってしまった。まったく、どうしてくれるんだか……


「長旅で疲れたでしょう? 翔君、少しでもゆっくりしてきなさゲホッ、ゴホッ」


「あ、おばちゃん大丈夫?」


 俺は立ったまま声をかける。


 心配は……しない。この人はみんなが認める万年死にかけの人で、これぐらい日常茶飯事だ。いちいち慌てていたら心臓が持たない。週に一回は気絶して、すぐにもとに戻る。とても騒がしい人だ。


「うぅ……治ったわ」


 おばあちゃんが息を整える。色々言ったけど、毎回なんだかんだで少しホッとする。


「それはともかく翔君、あなたの隣にいる子は誰なの?」


「隣?」


 いやいや、俺は一人できたんだよ? おばあちゃん、ついに幽霊か死神が見えるようになって――


「はーい、どうもどうも、こんにちはでーす!」


 左後ろに振り返る。


 ……なんでだよ、なんでお前がここにいる。


「おい、お前なにしてんだ?」


「うぅん……。趣味?」


「今すぐ帰れ死神!」


「うほっ、タマちゃんひどい! って痛い痛い! 髪の毛引っ張らないでぇ~」


 俺は青色の長髪を毛根の方からわしづかみ、家の外に追い出そうとする。


 それにしてもこの髪、サラサラとしてて軽い……じゃない! 考えるな、考えるな。


「あ、ちょっと待って。その女の子の名前を聞かせて」


 おばあちゃんの制止にに合って、俺は仕方なく止まる。青髪にだけ聞こえるように舌打ちをしてやった。


「おばあさん、ありがとう」


 青髪がつつましく笑う。どこかのお嬢様のようだ。……この百面相め。


「かわいい子だねぇ、名前はなんて言うの?」


 青髪がおばあちゃんの方に向き直ったから、俺は手を離した。髪の毛が川のように流れ落ちる。


「ねぇおばあちゃん、私のことわからない? 秋乃ちゃんだよ!」


「嘘つけ!」


「じゃあ未来から来た秋乃ちゃん」


「ふざけんな!」


 青髪の頭をげんこつでごつく。骨の硬さが自分の手に伝わってきた。


「痛い、痛いよタマちゃん」


 青髪が頭を両手で抑えて回転しながらもも上げをしている。


 大げさだ、役者だコイツ。


「お前が悪い。おばあちゃんをどうしようってんだよ」


「なにそれ、人のせいにしないでよ……。タマちゃんのケチぃ」


 青髪は地面に顔をそらし、口をとがらせて目だけをこちらに向けている。


 あぁチクショウ、この上目遣いは狙ってやがる! 騙されるな俺、かわいいのは幻覚だ。


 逃げ場を求めるように視線をさまよわせると、おばあちゃんが興味深そうに青髪を見ているのに気づいた。


「秋乃ちゃん……髪の毛染めたのねぇ」


 おばあちゃん騙されないでぇええええ!


「えへっ、かわいいでしょ? 翔君もかわいいって言ってくれたんだよ?」


「言ってない!」


「あはは、照れちゃって」


 青髪が俺に向けてペロリと舌を出した。


 くそ、コイツ絶対許さない……


 屈辱と恥ずかしさで、青髪から目をそらす。


「あはは、タマちゃんかわい~い」


「おばあちゃん、お邪魔します。それとここにいるのは幽霊だから、気にしないでください、そのうち成仏して消えますから」


 俺はおばあちゃんにも目を合わせないようにして、逃げるように部屋にあがった。


「待ってよタマちゃん、さっきの顔もっかい見してぇ~」


 あぁもうやだ、帰りたい!







 それからおばあちゃんが俺と青髪にお茶とお菓子をだしてくれて、骨組みだけのこたつを囲んで三人で食べた。


 青髪が自分は秋乃ちゃんだと言い張っていたのを、彼女じゃないということを執拗に付け足しながら、さっき出会った友達のアオイちゃんだという設定にしてなんとかしのいだ。


 それからおばあちゃんの家のタンスを動かすという仕事を二人ですることになった。


「アオイちゃん、タンス重いけど大丈夫?」


「そんなの任せといてくださいよ! こう見えても私結構力持ちですから」


 青髪が力こぶを作ると、皮膚が集まって盛り上がっただけなくらいに、ほんのりと膨らんだ。


「ごめんね、女の子に力仕事お願いしちゃって」


 おばあちゃんは心配そうな眼差しで青髪を見つめている。


 青髪の「せーの」というかけ声で俺たちはタンスを持ち上げ、横にタンス二個分ずらしておろした。


 重かった。……けど、コイツの余裕はなんなんだ。表情一つ変えずに仕事をやってのけるなんて。


「なぁ青髪、お前俺より力あるよな?」


「ん? 気のせいだよ。そして私の名前はアオイ」


 あ、しまった。


 しかしそう思った時には遅かった。


「翔君、アオカミってアオイちゃんのあだ名なの?」


「え、うん、まぁ、そんなとこかな」


 おばあちゃんの興味の視線が俺たち二人を交互に見つめる。


「ねぇアオイちゃん、アオカミっていうあだ名にはいったいどんな由来あるんだい?」


「それは翔君に聞いてくださいな」


 あ、くそ。俺に振るなよ青助。


 二人の視線が一気に集まる。


「えっと……、由来は……そうだ、コイツ昔からよく早口言葉でかむんだ。名前がアオイで、よくかむから、アオカミ」


 我ながらよく舌が回ったものだ。おばあちゃんが納得したのを見て、俺は安堵のため息をもらす。


「いいあだ名だよねアオカミって」


「あ、あぁ、そうだよなぁ」


「私、結構気に入ってるんだよ」


「へ、へぇ、それはよかった」


「昔からよくかむもんね、私。急いでるときとか」


 青髪が意味ありげな視線を向けてくる。


「うんうん、そうだよな。お前あの時だって……」


「さっき会ったばっかりなのにね」


「そ、そうそう。俺達はさっき……」


 ってしまったぁああ! さっき会ったばかりっていう設定だったんだ!


 青髪が、ニヤリと唇の両端をつり上げた。目がいやらしくアーチを描く。


 ……くそ、狙ってやがる。


 こうして、おばあちゃんの中で俺たちは、小学校以来の幼なじみでカップル一歩手前という設定になった。


 カップル一歩手前ってなんだろうな。絶対に認めないぞ。






 おばあちゃんがお茶とお菓子を用意してくれると言って台所に行った所で、俺はようやく青髪と二人りれた。


 もちろんこの雰囲気が好きだとか待っていたとかいうわけでなく、聞きたいことが一つあったのだ。


「なぁ青髪」


「ん、なに?」


 ハミングをしながら骨組みだけのこたつの下に足を伸ばしている青髪はが俺の方を向いたとき、本当に昔からの知り合いかと思うぐらいに近くにいる気がした。無防備なのか、その必要がないのか。


「一つ確かめたいんだけど」


「うん」


「俺たちが戦うとき、どんなことをしてもこの世界には影響がないのか?」


「うん、まあね。そうしないと大変なことになるし」


 やはりそうだったのか。この前猪守さんと戦った時、猪守さんが『関節増やし』の能力で伸ばした拳で砕いた石のへいは、あとで見てみたら、傷跡一つなかった。


 おそらく最初の日に火柱が立って家が燃えたのは、青髪でも防ぎようがなかったからだろう。秋乃の能力は、それも含めて危険というわけか。


 しかし、あんな大きな火柱が立って、しかも燃えた家がもとに戻ったというのに、あれからほとんどその話を聞かない。誰も気にしていない様子を見ると、その事象自体がなかったことに――いや、そうじゃなくて、みんなの記憶から消えたんだ。


 そのことを考えると、青髪がどこかで奮闘してくれたのだろう。


「わかった、ありがとう」


「どういたしましてー」


 青髪はそう言うと、顔をもとに戻してハミングを再開した。


 俺は目的の部屋に立ち去りかけて、まだ聞きたいことがあったのを思い出してもう一度振り返った。


「あ、もう一つ聞いていいか?」


「いいけど?」


 青髪は両手を前につきだして、体が前後にゆらゆらと揺れていた。尻だけ体を支えてバランスをとっているようだ。


 こんな質問、別に聞かなくてもよかったんだけど……


「なぁ青髪、お前はなんでここに来たんだ?」


 青髪は表情を変えずにしばらく黙っていた。


 この質問は俺の興味でしかなくて、トーナメントに関係あるわけではないから答えてもらえなくても別によかった。


 そして今度はコロッと笑顔になってこちらを向いた。


「暇つぶし、かな」


「ふぅん」


 俺はそれだけ反応して、青髪から他の部屋に歩いてった。


 暇つぶしとは、はた迷惑な。


 そう言わなかったのは、それが本当なのか嘘なのか、その割合すらもわからなかったからだ。





〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓





 相手の能力は「油」。二回戦は相手の能力が事前に知らされているから、互いにある程度の対策が立てられる。これは自分の能力だけでは勝ち目のない俺には、ずいぶん嬉しいことだ。しかも「時計」というよくわからないニュアンスの能力に対しては、対策が立てにくい。ていうか、悲しいのか嬉しいのか、実質対策を立てる意味すらない。


 さて、俺は油について考えなければいけない。


 まず第一に、相手の使う油が潤滑剤としての油、比較的可燃性の低い調理に使うようなものならラッキーだ。


 この場合は、トラップなどに気をつけなければいけない。うっかり足を滑られただけでも大変なことになる。


 対策として必要なのは……油を吸ってくれそうな雑巾と、それからおもりをつけたロープなんかも役に立つかもしれない。


 そして第二に、もし相手の油が石油に代表される、可燃性の強いものだった場合。ただ一つ、これでないことだけを切に願う。もしそうだったら、油をぶっかけられた瞬間に勝負は決まったようなものだからだ。


 対策はどうすればいいのだろうか……。レインコートは……石油製品だ、役に立つどころじゃない。丸焼きになっちまう。


 視点を変えて、火を消すのはどうか。酸素の供給を止めるには……水をかけるだけ、では明らかに足りない。それなら川の近くで戦って、油をかけられたら川に飛び込む……のもだめだ。油は水に浮くから、水面の油に火を付けられたら逃げ場がなくなる。


 じゃあどおすれば……


 時間は刻々と迫ってくる。


 …………。


 だめだ、思いつかない。考え方を変えよう。防ぐ方法でなくて、利用して反撃する方法を考えるんだ。


 相手はおそらくライターやチャッカマンを使って油に火をつけるだろう。油を一回散布してから火を付けるから、こちらもチャッカマンを持っていれば戦略に幅がでる。


 そうだ、それと油を防ぐ燃えない盾もあるといいな。


 どんなものがあるかな……。


 鍋のふたの周りに、切り開いたペットボトルを花びらのように貼り付ければ、即席の盾が完成。……というのはどうかな?


 ……鍋のふたを盾にするって、どっかのゲームにありそうだな。ま、いっか。


 とりあえず思いついたのはこれぐらいだった。


 いつまでも勝てない勝てないと嘆いていても仕方がない。考えて、行動すれば、成るように成るもんだ。


 押し入れから黄色くて細い救援用ロープを拝借し、こぶを作って。水を一杯に汲んだ真ん中にくぼみのあるペットボトルにロープを巻き付けて、セロハンテープとガムテープで固定する。


 引き出しからチャッカマンを捜し出して、さらに脱衣場から雑巾を四枚ほど拝借する。



 おばちゃんに一声かけてナベ蓋を借りて、ペットボトルを切り開いて、パーツに分けて両面をセロテープとガムテープで固定する。


 それらを皮のカバンに突っ込んで肩にかけた。これで準備完了だ


 おばあちゃんに一言告げて、俺は家を出た。







 さて、どうしたものか。何から始めればよいのだろうか……


 危険要素は知っておきたいから、まずはトラップの把握と油の種類の確認。種類に関しては、両方使えるものと考えた方がいいだろう。


 頭の中で考えをめぐらしながら歩いていると、まず一面濡れている道路が目にとまった。


 異様な光景だ。

 今歩いている道路はしっかり乾いているのに、目の前の道路は一面ずっと濡れていて、アスファルトが黒ずんでいる。しかも所々で鈍く色づいていて、これが油なのは一目瞭然だった。


 俺はまず雑巾の片端を道に広がっている油で湿らせ、近くにあった民間の、車と車庫の間にある狭いスペースに体を隠した。


 握り拳サイズの石を拾って、その雑巾でくるんで、ほどけないように結んだ。湿っている部分にチャッカマンで火を付けると、ボウッと勢いよく燃えた。思ってたより熱い。


 ……なるほど、これはちょっと厄介だな。


 石油か何か知らないけど、危険物を好きなだけ生み出せる能力に、俺の能力がかなうはずがない。

ま、もともと能力で勝負しようとなんて思っていないけど。


 相手の能力は油を生み出すことだろう。油を雑巾やロープに染み込ませ、なんとか反撃するつもりだ。


 俺は馬鹿だから、ドラマの主人公のように頭脳的な戦いはできない。でも、できないなりに戦うには、少しでも相手の情報が欲しい。あって困るものじゃないし、それが勝負を決めるかもしれない。


 方法は単純で、相手を近くにおびき寄せて、俺は影から観察するだけだ。青髪の話であったように、この地域一帯にいるまともな人間は、俺と敵さんの二人だけ。さっき人の姿は見ないし、走っている車も、よく見ると無人だったりする。


 敵さんを見たら一発で分かるだろ。


 さて……


 俺は片端が燃えている雑巾の、石をくるんである部分を持って、油で一面湿っている道路に投げた。炎を携えた白い雑巾が、放物線を描いて落ちていく。


 道路に触れた瞬間、炎は瞬く間に広がって、だいたい五百メートルくらいにわたって炎の壁ができた。思っていたよりずいぶん長い。


 これは想像以上。しかも燃え方が俺の考えと一致していない。俺はてっきり爆発的に燃えるのかと思ってたけど……


 予想に反して、炎は長く緩やかに燃えている。緩やかに、とは言っても、熱いどころじゃ済みそうもない。


「ここにいても熱いし。夏だぞ今、冬に来れば良かった」


 汗がTシャツが汗で体に張り付いている。


 チクショウ、炎なんて小春ちゃんだけで十分だっての。あれは熱いってもんじゃないからな、マジで。いや、あれよりはマシか。


 心の中で淡々と愚痴っていた俺は、ふと熱気に揺らめく視界の端に何かを捉えた。


 人だ。


 よく目を凝らしてみると、それが髪の短い男で、俺と同じぐらいに若いことがわかった。腰には大工さんが着けているようなバッグを回している。


 何が入ってるんだろう。武器じゃないといいけど……


 炎が立ち上る道路のそばで、おそらく少年であるその人は、炎を静かに見上げていた。


「……見つけたぜ、油の能力使い」


 唇がぎこちなく左右に引っ張られる。


 しかし、アイツ強そうだな……。秋乃がいてくれれば、あの炎を消すことだって、ここから離れることだってできるのに。


 だめだ、秋乃にたよってばっかじゃ。そんなことを言っても仕方がないじゃないか。まずは冷静に相手を分析して、勝つ方法を探さないとな。


 俺は再び観察を始めた。


 特に変わった点はない。真面目そうな顔つきをして――!


 一瞬、体に電流が逆流してきたかのように震えた。


 気のせいか、今こちらを見られた気がしたのだ。


 いや、おれの居場所はバレていないはずだ。見つからないように、最新の注意を払っていた。


「時計の能力使いさん」


 はずなんだけどな。


 少年は空を仰いで、俺にも十分に聞き取れるぐらいの声量で言った。


 声は太いけれど高く、聞きようによれば女の人の声にも聞こえる。もしかしたら、短髪の少女かもしれない。


「僕は油の能力使い、名前は横山朝日(ひかる)と言います」


 ヒカル君か。ご丁寧に、自己紹介をどうも。ちなみに囲碁はできますか?


 と、心の中で呟く。


 今の言葉だけでは、まだ俺が見つかったということは確信できない。返事はもちろんしない。


「本当に不本意ですけれど、これから僕たちは戦うことになるみたいですね。仙人の予言だから、残念ながら事実です。避けられません」

 青髪のやつ、アイツの前では仙人の姿で現れたのか。


 半分の確率で、仙人が青髪になって現れたわけだけど、今は気にしていられない。


「見ての通り、僕の能力は非常に手加減がしづらいもので、あなたに大火傷をさせてしまうかもしれません。もちろん僕もそうはさせたくはないので……どうでしょう? ここは降参して頂けないでしょうか」


 おそらく少年であろうその人間は、いまだに空を見上げて話している。


「あ、もちろんタダでとは言いません。お金とミカンとリンゴなら、腐るほどありますから」


 どうやら彼は農家の子で、お坊ちゃまらしい。戦いが嫌いなお坊ちゃまか? いや、違う。ただの策略だ。


 策略ならもっとわかりにくく、かつ効果的にやれっての。俺も人に説教できる立場じゃないけど


 俺は無視を決め込むことにした。アイツがずっと空を見上げて話しているのは、俺の居場所がわからないからだと推測できる。


 俺は、アイツがどっか行ってもらうのを待つだけだ。


「あぁ……やっぱり降参する気はないですよね。当然ですよね。でも僕は、今この能力を失うわけには絶対にいかないので、どんな手を使ってでも勝つつもりです」


 その言葉は俺に向けられているものではない。この一帯にいるかもしれない、時計の能力者に向けられているものだ。要するに、俺に聞こえてるといいな、ってぐらいで話しているんだろう。


 そう考えて、俺は動きたくなるのをじっとこらえた。


「さて、始めましょうか。……ところで、いいんですか? ずっと隠れてて。その家、すぐに燃えちゃいますよ?」


 俺はハッとした。


 もしかしたら道だけでなく家の中にも、油が染み着いているのかもしれない!


 あれこれ考える時間はなかった。


 視界の端に小さな炎を捉えた俺は、ほぼ反射的に車の陰から飛び出していた。


「出てきましたね、時計の能力使い……男、でしたか」


 やられた!


 そう思った時には遅かった。俺はあろうことか、敵の前に全身をさらけ出したのだ。


 俺は馬鹿か? あぁ馬鹿だ、しかも阿呆だ。家全体に油が染み込んでいるなら、においでわかるはずだろ。


 油に気づかなかったのは、油の量が少なかったから。家を燃やす量の油なんてなかったんだ。


 俺は、大きな音に驚いて飛び出してきた小動物と同じだ。


 速く思考を切り替えろ、どうしたら逃げきれるかを考えるんだ。


 俺はバッグからコーティング済みのナベ蓋を取り出し、右手に持つ。そして背中を見せないように半身で走って、いままで隠れていた家の裏に回ろうとした。


 絶対笑われたな。


 そんなのいいや。どこから出てくるのかわからないけど、アイツの油を被ったら終わりだ。


「逃がしませんからね、一撃で決めます」


 ソイツはそう言うと、大きく息を吸い始めた。


 するとその胴体は、風船のようにみるみるふくらんだ。妊婦さんのお腹の比ではなく、もはや人体として有り得ないシルエットだった。


「おいおい、まさかそっから出るのか?」


 俺はこの時、ソイツが手に持っていたものに気づかなかった。


 最低限、体が濡れなければいい。ナベ蓋と俺の足でなんとか切り抜けよう。


 その考えが甘かった。


 ソイツの口から吐き出された大きな球状の液体は、一瞬で火球となって俺に飛んできた。


「うぉあ!」


 背中が焼けるような熱気を感じながら、俺はギリギリの所で前転をしてよけた。


 火球は車と同じぐらいの大きさがあり、火球が飛んでいった方向からは水が弾けるような音がした。見てみると、木製の小屋とその周りが燃えていて、さらに広い範囲にぽつぽつと小さな炎がいくつも立っていた。


 どうやら火球の中にある油が飛び散り、その瞬間に引火したのだろう。


「くっそ、そんなのありかよ」


 俺はがむしゃらに立ち上がり、体勢を崩しながら走り出した。


「まさかかわされるとは……。でも、次は逃がしませんよ!」


 敵の声が聞こえても決して振り向かず、とにかく家の陰に隠れることだけを考えて走った。そして丁度角を曲がりきった時、再び背中に熱気が伝わった。


 もつれそうになる足を必死に動かして、家の陰から出ないように他の道に入った。とにかく距離をとるために、いくつかの曲がり角を曲がりながらさっきいた場所とは反対に向かってどんどん進んでいった。

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