二十一話
俺は話題を変えることにした。
「そういえば青髪女、お前秋乃に会ったって言ったよな。それいつ?」
「あぁ、昨日だよ」
すげぇ最近じゃん、昨日かよ!
しかしまぁ……なるほど。それで俺がここにいる理由を知っているのか。納得だ。
「おぉ、そうだ思い出した。君と話したいことがいくつかあったんだよ」
「そういえば、お前は話をしにきたんだよな」
「あはは、そうだった。じゃあ、ズバリ聞く」
ズビッ、と人差し指を向けられる。
「君、タマちゃんは……秋乃ちゃんのことが」
「好きじゃないけど」
「先に言われたっ、タマちゃんはエスパーなの!?」
それはお前だろ。
というか、この流れではそうくるだろうし。
「嘘だ、嘘だ。タマちゅんはツンデレだから、最近増えてるってやつ」
別に増えてはいないし。てかタマちゅんって……
少女は取り乱しているけど、どう見ても演技。話を合わせてもいいけど、シュールでしらけるだけだからやめておく。
「俺は、自分はノーマルだと思ってるよ」
「あぁ、ノーマルに好きなんだ」
「なんでそうなる……」
お前の中では好きなことは確定条件かよ。
そういえば、前にも同じような質問をされたような……。その時はなんて答えたっけ?
記憶をさかのぼっていくと、それは猪守さんと戦った日のことだった。
「うんうん、私にはね~、分かっちゃうんだよ。君と秋乃ちゃんの間には、何かか切っても切れないものがあるね。ほら、その小指に結ばれてる――」
糸なんて見えないけど。
「冗談だろ。勘違いされると困るし、秋乃公認の俺達の関係を教えといてやるよ」
「え、なになに?」
青色が目を大きくして詰め寄ってくる。
どうせ読心術かなんかで心の内は読まれているのだろう。となると、念押しして言うようで恥ずかしい……んだけどな。
「親友」
少女の不思議な目力に負けて言うと、空気に耐えられなくなって、
「だそうだ」
と付け足した。
「ふむふむほうほう」
少女から目を離す。
少女の反応は予想とは違って、深く納得するようだった。心の内を読まれた感覚もない。
てっきりニヤニヤ顔で迫られるかと……。
少女は自分の席に座り直した。
「今失礼なこと考えたでしょ」
お見事、大当たり。
「……うーん、確かに君たち仲いいしね。でもね……」
腕を組み、キリッと俺に目を向ける。
「私は男女の友情なんて信じないから!」
「へぇ、そうなんだ」
「うん」
「…………」
「……うん」
妙な沈黙が落ちてくる。この話題はもう終わり、むこうも納得したんじゃないだろうか。
「はぁ……私が悪かったよ、調子に乗ってしまいましたよ。反省反省」
してるようには見えませんけど。
というか、コイツが反省とかするのって人格破綻してるよな、絶対。
「だから、失礼なこと考えるなって言ってるでしょうが」
またバレた。読心術か? それとも顔に出てたか?
そろそろ心の内を読まれるのも、少し馴れてきた気もする。大切なのは動じない心、と。
「そんにしてもね~、タマちゃんと秋乃ちゃんは仲いいしねぇ……。あれだったりするの? 最近有名な幼馴染だったりするの? 萌えるの?」
「萌えるかっ」
マシンガンのように放たれる言葉の中から、聞き捨てならない言葉を抽出して反論する。
秋乃をそういうものと勘違いするのはいささかおかしい。
まず、朝早くに心地よく起こされるのは俺ではなくアイツだ。
恋愛イベントもなければ、一緒に風呂に入ったこともない。
秋乃という存在はそういう位置にいる人間ではないのだ。
そもそも幼馴染だからといってなぜ恋愛を絡みつける必要があるんだ。いや、ないだろう。どこのどいつが作った幻想だよ。
まとめると、青髪の知識はひどく偏っている。
という話を懇切丁寧に教授してやると、少女はさもありがたくなさそうに、片足を膝に乗せて耳に小指を突っ込んでいた。最後の一言に異様に反応したのもよく分かった。
なんかな、初めて勝った気分だ。
自然と唇が左右に引かれる
「凄く顔に出てるよ」
おっとしまった。
「……まったく、冗談の一つも聞き流せないなんて。しかもこんな長くてつまらない、高校の授業みたいな講説をうけさせられるなんて……。まぁでも、秋乃ちゃんのこと幼馴染だとは認めるんだね」
とは言われてめなぁ。認める……というのがいまいちわからない。認めた、というより少女に乗せられた感じだし、そもそも定義を知らない。
確かに昔は毎日のように遊んだりバカしたりした。他に何人か加わったことはあるけど、家が隣のこともあって二人でいることが多かった。
でもそうなったのは、秋乃が母方の家からおじさんの家にやってきた十年前、小学一年生頃のことで、俺が漫画研究会の友達から聞いた『幼馴染』とは違う。
秋乃は秋乃。今までは特に位置付けや線引きをしてこなかった。俺がする筋合いもなかったし。
だからかもしれないけど、この前『親友』と言われたことは、本当のところ嬉しかったんだ。
「幼馴染の定義がわかんないから、何とも言えないかな」
「そんなことはないね。幼馴染というだけでフラグは立つんだから。まさに特殊スキルだよ」
意味がわからんよ。
小さく肩をすくめて、あくまで答えない。
「ちなみにね」
少女は人差し指を立てて顔を寄せてくる。
「幼馴染とは『幼い時、よく遊んだ人』という意味なんだよ。以上、広辞苑から引用ですよ。タマちゃんと秋乃には当てはまりそうだけどな」
確かに。小学一年生は、今となって見ればごく幼い年頃だ。友達から聞いたのとはちょっと違うけど……まぁ、俺達も偏ってたってことだ。
次からアイツの言うことは、半分間違っていると思って聞かなきゃな。本格的に。
「それじゃ、俺達は幼馴染なんだな。ただ、勝手にフラグを立てるな」
「へへっ、立てるのは私じゃないしっ。ひとりでに立ったんだよ!」
心霊現象みたいに言うな。
どこから持ち出したのか、懐中電灯を顎の下から当てて雰囲気を作り出そうとしている少女だけど、なにしろ昼間で太陽サンサンなわけだから、怖いというより馬鹿を見てるみたいだ。
「それはさておいて」
少女は懐中電灯のスイッチを切ると、窓を開けてそのままバナナの皮を投げ捨てるように放り投げた。というか捨てた。
いいのかよ、おい。
「さっきタマちゃん言ってたじゃん? 秋乃ちゃんは、タマちゃんにとってそういう位置にいる存在じゃないんだって」
含みを持たせた笑い顔で顔の距離をさらに近づけてくる。
この、子供顔のくせに妙に色気のある表情や仕草は、狙ってやっているのだろうか。そうだ、そうに決まってる。
にしても、俺がいつそんなこと言ったっけ?
「その顔は……覚えてませんって顔だね。ウソ付くんじゃありません!」
「そんな、ウソなんてっ……ボクはそんなことができる人間ではありません!」
「演技したってダメだから!」
チッ、ダメか。
ゲフン、と咳払いをして普段通りに戻る。
少女はじれったくなったようで、頬を風船のように膨らませた。そして何を思ったのか、俺の頬を片方ひねった。
「さて、さっさと自供しろぉおお」
「見に覚えがありません」
すかさずもう片方の頬もつままれる。
「言わないと殴るぞぉ」
「えんじゃいはいけないと思いまふ」
バチンと音の鳴りそうな勢いで、少女は俺の頬を引っ張って離した。
痛い……
少女は手加減というものを知らないらしい。今俺は、頬に人生で一番の痛みを感じている。たぶん。
俺が頬をさすっていると、少女は足を組んで向かいのシートに座り直して目を閉じた。
「ふっふっふ。そちらがそういう態度なら、こちらにも考えがありますわ」
これまたどこから取り出したのか、紫色の扇子をバサリと開いて口周りを覆っている。
懐中電灯の次は扇子か。どこかに四次元ポケットでもあるのだろうか。何にせよ、コイツのやることには注意しなければいけない。
まだ痛む頬から手を離して身構える。
片手で扇子を閉じると、隠れていた少女の口は艶やかに笑っていた。
次の瞬間だ。
少女は持っていた扇子を針のように鋭く投げつけてきた。
ほぼ反射的に両手を前に出して防ごうとしたけど、扇子はその手をすり抜けて飛んできた。
驚く暇はなく、俺はただ目を閉じた。
そして――扇子は当たらなかった。
違和感が遅れてやってくる。
手をすり抜けて痛みを感じない扇子。そんなの幻覚に決まってる。騙されたんだ。
そう思って恐る恐る目を開けると――心臓が止まるかと思った。
前に突き出した二本の腕の間に、少女の細い体が入り込んでいたからだ。
顔を前に出せば唇と唇が触れ合いそうな距離に、恐ろしいほどに整った顔がある。長く流れるような青色の髪が腕に当たる。
少女は潤んだ目で俺を上目遣いに覗きながら、両手を体に這わせてくる。
片手は膝の上に、もう片手は胸を滑るように登って頬に添えられた。
頬の痛みなどもはや感じない。一度は止まったように感じた鼓動は、真夏のセミよりもうるさく響く。
「じゃあ……」
少女の顔がさらに近づく。そのたびに心臓が高鳴る。
脳味噌は沸騰でもしているかのようだ。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、何をどうすればいいのかすらわからない。
「キスしてあげるから……」
艶やかに湿った薄いピンクの唇が、誘うように動く。
理性はもうカケラほども働いていない。そこに吸い込まれてしまいそうになりながら、でもなにがなんだかわからずに、ただ背もたれに張り付きながらその顔を見つめていた。
近づけてくる唇。少女がその大きな瞳を閉じた瞬間、魔法が解けるように、眠っていた蚊ほどの理性がハッと目覚ました。
「待て、待て、待ってくれ」
俺は慌てて少女の肩を掴んで遠ざけた。少女は驚きながら、シートに落ちるように座り直した。
運動をしたわけでもないのに、鼓動が酷くて息は荒い。顔も焼けるように熱い。
「ま、待ってくれ……はぁ、はぁ……」
「わぁ、顔真っ赤……。息も荒いし……大丈夫?」
か、確信犯だ。お前のせいだっつの!
少女の顔は俺のことを本気で心配してくれているようで、たった今起こったことなんて知らないような表情だ。
どうしたらこんな表情ができるんだよ。あぁもう、カワイイとか思うな俺!
「タマちゃんて、頑張り屋さんだね。私の誘惑に耐えるなんて……」
「な……何が頑張り屋さんだ、んなものに乗せられてたまるうっ」
言い切る前に、まったく見えないスピードで少女に口をふさがれた。そのまま後ろのシートに押さえつけられる。
少女の顔が再び近づいてくる。あどけなさを残していた雰囲気から一気に異性としての魅力があふれる雰囲気に変わる。
少女に見つめられては、その瞳から目が離せない。
「ふふ、とりあえず及第点。でもね……」
少女は笑い、俺の耳元に口を近づける。
そして囁くように、
「別に我慢とかしなくてもいいんだよ」
吐息がかすかにかかる声に、全身に電流が走るように震える。
「そうだなぁ……」
困ったように悩みながら、サラサラとした柔らかい手で俺の首筋を撫でる。
「決めたっ。キミの童貞、ワタシが貰ったげる」
そう言った少女が青いワンピースの裾をを持ち上げようとしたその瞬間、どうしてか正常な自分が戻ってきた。
「だぁあああああ! もうやめろ!」
「うわぁ」
少女の腕を振り払いながら立ち上がる。
少女は尻餅をつくようにシートに座り込んだ。
「おーおー、いったいどうしたタマちゃん」
「要求はなんだ……なんでも言うから、もうやめてくれないか」
息は荒いままだ。
俺が言うと、少女はしてやったりと言わんばかりにニヤニヤ笑いを始めた。
「そりゃあもちろん、タマちゃんにとっての秋乃ちゃんの立ち位置、存在の位置だよ」
この顔、ニヤニヤレベル最高値だ。本当に表情がコロコロと変わるな。魔性か馬鹿かどっちかだ、絶対。
馬鹿にするような表情だけど、そのおかげで俺の高ぶった心はどんどん落ち着いていく。
「ちょっと待て。それに関してはさっき言っただろ。もう忘れたか?」
「君達が親友だってこと?」
「その通り」
俺は頷くが、少女はいぶかしげな表情をする。
「……嘘だね。タマちゃんて演技得意らしいし」
「それは嘘だっていう理由にはなってないぞ」
「ううん、さっきはタマちゃん『親友、だそうだ』って言ってたじゃん。だそうだ、って付け加えたのは、それはタマちゃんの言葉じゃなくて、秋乃ちゃんがそう言ってたってことでしょ」
「言ってないよ……だそうだ、なんて」
「いや、私は聞いたよ」
「親友、だもんだって言ったんだって」
「じゃあ聞いてみる? 録音してあるけど」
少女が、これまたどこから取り出したのか、小型の音楽プレイヤーを取り出した。ボイスレコーダーのたぐいだろうか。しかしスピーカーのようなものは付いていない。
ったく、なんでもありだな。懐中電灯からボイスレコーダーまで。
……仕方ない、録音されているなら負けを認めるしかない。ま、最初からごまかせるとは思ってなかったけど。
俺はため息をついて降伏の意志を伝える。
「わかったよ。言ったよ、言いましたから。だから、そこに録音した音声を今すぐ全て削除しろ」
「おぉ。認めたってことは、やっと話してくれる気になったね。……削除? これはウォークマンだだよ?」
チクショウ、本当に音楽プレイヤーだったのか! なんだそのオチは。たく、墓穴を掘ったのか俺は……
「よし、それを俺にくれ。前から欲しかったんだ」
だが俺はすぐにポジティブに思考を切り替える。この際だ、貰って売ろう。このウォークマン、売れば何週間の食費が浮くか……
「や~だね」
しかし現実は厳しい。
少女ベーと舌を出すと窓を開けて、ウォークマンをバナナの皮でもポイ捨てするかのように窓の外に投げ捨てた。
あぁ、俺のウォークマン……。ってかいいのかポイ捨ては。
「さ、早く話してよね。私はもう待ちきれない」
「ウォークマン一つで手を打とう」
「え~、あれ高いんだよ?」
「お前なら万引きでも工場潜入でもなんでもできるだろ」
「わっ、見た目に違わず黒いねタマちゃん」
「冗談だよ」
「うん、知ってる」
……知ってたのかよ。それなのに俺に合わせてくれたというのは、なんとまあ心の広いことよ。
「だから作ってくれよ。お前ならできるよな?」
「22500円になりまぁす」
「金取るのかよ……」
しかも定価より高いし。
少々はファミレスの店員のようにニコニコと笑っている。
こりゃだめだな。俺は肩をすくめた。
「さて、約束だからね。秋乃ちゃんのことどう思ってるのか、ちゃんと聞かせて貰うよ」
「……はぁ。やだな……」
「こら、文句たれない。」
好きにさせてくれよ。
もういいや。別に話してどうなるというものでもない。
「はいはい、話しますよ」
「ハイは一回でよろしい!」
いやもうホント、好きにさせてくれよ。お前は俺のなんなんだ。
……保護者か疫病神か。
「別に大した話はできないけど、さて、どこから始めようか……」
少女は胸を踊らせながら、俺が話し始めるのをまっている。演技だろ、どうせ。