表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/29

一話

 窓から太陽の光がさんさんと射してくる、そんなうららかな正午。三連休の終わり。


 家の扉を開いたその先には、自身に満ちた顔をした女が立っていた。


 サラサラの肩下まで伸びた黒い髪に、半袖半ズボンのラフな格好をしている。春としては少し早い服装だ。見つめる黒い瞳は深く、身長は俺より少し低い。


 別にコイツが現れたからといって驚きはしない。よく知った顔だ。


 俺は「何か用か?」と聞こうとしたけど、コイツは俺に言葉を発する時間を与えてはくれなかった。


 コイツは開いたドアに体重をかけ、自身に満ちた顔を崩さずにこう言った。


「翔、お前のプリンを返しに来たぞ」


 ……と。



〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓



 二日前。




 三連休の初日。時刻は三時。天気は穏やかな晴れ。


 人々は何をしているだろうか。寝ていたり、遊んでいたり、色々な人がいると思う。三時ぴったりの時間にプッチンプリンを食べている人もいると思う。


 三時のおやつにプッチンプリンを食べる。そんな人間の一人に、俺もなるはずだった。


 だが、なれなかった。ささやかな、俺の平凡な日常破壊されたのだ。


 俺のプリンを、俺のプリンを……


「一体どうしてくれとるんじゃあああああ!」


「うぐっ……す、すまん」


 時刻は三時を少し過ぎた頃。俺は目の前で正座をしている秋乃(あきの)に向かって、恨み、怒り、妬み、憤り、苦しみ……その他諸々の感情を様々な負の感情をぶち込んでいた。


 秋乃はジーンズの半ズボンにTシャツというラフな格好をしている。いつものドデカい態度とは違い、今は殻の中に入ってしまったカタツムリのように身を小さくしている。


 珍しく申し訳無さそうな顔をしているが、んな事は知らん。


 謝罪? 反省? んなもん知るか! 今日に限り、俺は一切の悪を絶対に許さない!


 こんな事になったのは全てコイツのせい。


 思い出すだけでも、はらわたが煮えくり返りそうになる、その事件が起きたのは数分前の事だった。




 時はさらに数分前にさかのぼる。




 俺は我が家自慢の振り子時計により、時刻が二時五十七分を回ったことを確認した。


 小さな机を見る。それは古い木製の机で、その上にはプラスチックのスプーンと、白に細い青のラインがプリントされた小皿が置いてある。窓からそそぐ光に、道具が照らされている。


 これで道具の準備は整った。


 何をしているかって? そんなことは決まっている。プッチンプリンを食べるんだ!


 プッチンプリンは三時のおやつ。そんなことは俺の常識だ。


 うららかな春の午後。窓から差し込む日差しが気持ちいい。そんなことを考えてから、俺は気を引き締める。


 プリンを食べる手順は、まず五十五分から冷凍庫に入れておいたプッチンプリンを取り出す。次に裏に付いている凹凸を倒し、出来るだけ香りを逃さないように開封。『プッチン』を成功させるのだ。


 ここで重要なのは、五分前に冷凍庫に入れ、凍らない程度に冷やすこと。一連の作業を迅速、かつ滑らかにこなすこと。プリン一つにも自分なりの工夫があるのだ。


 プリンを食べることは、毎日三時、もう十年以上前から毎日欠かさず続けてきたこと。


 ここまでくると、もう生理運動とも言えるんじゃないだろうか。しかし、俺は決して手は抜かない。


 そう。今日も俺は、プッチンプリンをより美味しく食すための努力を惜しまない。


 ……おっと、もうこんな時間か。


 時計を見ると、三時まであと三十秒しかない。大変だ。


 俺は小皿を視界の隅に確認すると、冷凍庫の取っ手を握る。


 あと十秒……


 五、四、三、二、一、……


「よし!」


 かけ声と同時に冷凍庫を開ける。俺は長年かけて習得した秘技、奥義を余すことなく使い、作業に取りかかる。


 途中、玄関からドアの開閉する音が聞こえた。が、そんな事は気にしていられない。してはいけない。俺の集中力を揺るがす訳にはいかないのだ。


 取り出して、空気穴を開けて、開封!


 よしっ、後はプッチンだけだ! と、そう思ったその時だった。



「翔、大変だぁあああ!!」


 耳をつく、聞き慣れた声。


 叫びながら、厄災の塊が玄関と台所の間にあるドアを蹴り開いたのだ。いや、今のアイツを形容するのには厄災という言葉だけでは足らなさすぎる。


 姿が見せたソイツは物凄い形相で走ってくる。……だけなら、どれだけ良かっただろうか。


 あろうことか、ソイツは俺の目の前でつまづきやがって……


 ……そう。それは『プッチン』の擬音語で言う、『プ』の部分だったと思う。


 秋乃の手が、プリンのカップの端を器用に突き上げた。プリンは容器にくっついたまま飛んでいく。


 空中で回転し、黄色のプリンはカップから飛び出た。


 そして俺が言葉を発する間もなく『ベチャッ』と言う悲惨な音を立てて砕け散った……






「それで、どうしてくれるんだぁこれ!?」


「本っ当にすまん。このとうりだ。許してくれ」


 借金の取り立てみたく怒鳴り散らす俺に、土下座までして謝る秋乃。


 秋乃とは、家が隣で年が同じで付き合いも長い。


 とはいえ、婦女子である秋乃をプリン一つで土下座させているなんて、俺以外のヤツらならないだろう。見られたら周りにボコボコにされるに違いない。


 土下座してる本人もどうかと思けど……。プライドはどこにある。


 だが、んなもん知るか! プリンを天秤にかけたら、命でも置かない限り釣り合わない俺の脳味噌が許さない。


「お前プリン舐めてんじゃねぇぞ……土下座したって許さねぇよ」


 プリンは俺を裏切らないというのに……


「すまん! 何でもするから、何とかするから! だから――」


 顔を上げて頼みこまれた。そんなことは、余計に俺を怒らせるだけだ。


「はぁ? この期に及んでまだ許せだと? 遅えよ! 何でもする? 何とかする? いや、何もいらねぇよ! 地位も名誉も金も女もついでに世界平和もいらねぇんだよ! 何でもするっつーならなぁ、何とかするっつーならなぁ……」


 俺は大きく息を吸い込み、


「俺のプリンを返せ! プッチンを返せ! 俺が積み上げてきた日々を返せぇええええ!!」


 怒りに身を任せ、秋乃をナイフでメッタ刺しにする勢いで叫んでやった。本音を言えば刺したかった。


 秋乃は、俺の手に刃物が無かったことに感謝すべきだろう。命拾いしたな。


 コイツは俺のプリンを台無しにしたんだ。言った言葉に後悔はない。




〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓




 ――と、これが二日前の出来事である。そのあと秋乃は家から追い出してやった。


 かなり感情的になったかといえば、その通りだ。今は、すべてではないが熱は冷めた。許す許さないという観点ではなく、怒りが消えていった。


 そして今日この時、連休最後の正午。


 帰ってきた秋乃が俺の家に上がりこんだ。冷蔵庫のある、台所のある、プリンが潰れたあの部屋だ。


 ぼんやりとした青白い光。目の前で起こっている意味不明な出来事に、俺は二日前のことを思い出していた。


 思い返せば、あの日に言った気もする。


 俺のプリンを返せと。


 俺のプッチンを返せと。


 俺の積み上げてきた日々を返せと……


 でも、


「何これ?」


「何って、お前にプリンとプッチンと積み上げてきた日々を返す為のだなぁ――」


「いや、そんな事はもうどうでも良いから。……だからお前、何で手が光ってるんだ? 発光現象が起きてるんだ?」


「これか? だから、お前にプリンとプッチンと積み上げてきた日々を返す為の――」


「それはもう分かった。分かったから、何で手が光るんだよ!」


「何度言えば分かるのだお前は。だから、これはお前にプリンとプッチンと――」


 ダメだ、会話を成り立たない。


 同じ様な事ばかり話す秋乃に、半分呆れて半分困惑している。


 その半分の困惑の現況となっているのは、テーブルの上の青白い光。秋乃の手から発せられている。


 部屋の明るさはあまり変わらない、ぼんやりとした光。秋乃の手が青白く光り、テーブルだけが薄い青に染まっている。



 プリンの事件から二日が経った今日だが、実は俺が怒鳴った後から今まで、秋乃は行方不明となっていた。


 殺しても死ななさそうなヤツだからあんまり心配しなかったし、むしろ反省してるのかなぁと思って感心していた。


 高校が休みだったせいか大事にもならず、秋乃の父親も週に一度しか帰って来ないから特に探しに行く人はいなかった。


 そうそう、秋乃の父親には本当にお世話に……じゃなかった。


 秋乃が行方不明となっていたんだけど、そんなヤツが今日ひょこっと俺の家に現れて、さっきの発言。


「お前のプリンを返しに来たぞ!」


 って。


 プリンを返すとは、二日前に潰れて飛び散ったアレのことだろうか? 

 普通に考えて弁償、または同じ物を買うことを返すというんだろうけど……。コイツはいったい何をするつもりなんだ?


 極々普通の高校生である俺には、手が青白く発光するなんて言う怪奇現象が信じられる訳がない。


 魔法とかも、あったらいいな~、程度で本気で信じていないんだけど。


 変わらずに光り続ける手は、そこだけ別の世界にあるようだった。


「なぁ、秋乃。お前何か変なもの食べちゃった? 変なキノコとか」


「一体私を何だと思ってるのだ。今日は塩昆布しか食べてないぞ」


 それもまた凄いな。


「じゃあ、その塩昆布が光ってたとか……」


「いや、そんなことはない」


「じゃあ、実はそれが塩昆布じゃなくて、だし昆布だったとか」


「毎日の塩昆布を欠かさない私が塩昆布の味を間違えるとでも? そもそも塩昆布とだし昆布を間違える阿呆がどこにいるのだ」


 そうだよな。コイツの塩昆布愛は俺でも少し引くくらいだからな。きっと、今日も右ポケットに入ってるんだろうな……


 聞くと、秋乃は『塩・塩・昆・布』を食べたという。『塩・塩・昆・布』は、秋乃がよく食べる塩昆布の一つだ。塩加減が絶妙らしいけど……光とは関係なさそうだ。



 そんな事どうでもいい。


 改めて、空間に手をかざす秋乃を見る。


「ううむ……もう少しだな」


 秋乃が呟いた。


 秋乃の手は、もう十分近く光り続けているが、未だに何の変化も見られない。


 本当に何かあるのか?


「もう少しって、あとどれくらいだ?」


「あと、二時間程……かな」


 よし、撤収。こんなことに二時間もかけてられない。


 俺は古い財布をポケットに入れて、玄関に向かおうとした。


「おい、待て。どこへ行くんだ翔」


「馬鹿か! 二時間も待ってられねぇよ! 俺は明日のプリン買って来るから。ほら、お前も早く出てけ」


 しっしっ、と手で秋乃の立ち退きを命じる。


 二時間もまってられるかってんだ。時は金なり。時間を無駄にするのはもったいない。


 しかし出ていけとは言ったが、秋乃は自分の手を見つめたまま鼻で笑うだけで、そこから動く気配を見せない。


「そちらこそ阿呆だな。誰が二時間も待てと言った? 三十秒あれば十分だ」


「はぁ? 二時間なのに三十秒? 意味が分からん」


 どこか得意気笑う秋乃。よく分からないけど、三十秒ならと、また光に目をやる。


 何度見ても不思議な光で、見つめていると吸い込まれそうな感覚に陥る。青白い光がただ光っている。


「……怪奇現象だな。お前、この二日の間に何があったんだ?」


 青白い光から秋乃の顔へと視線を移す。化学とか光学とかその他の理屈を差し置いて、それが気になった。


「話すと長くなるが……」


「じゃあ要約してくれ」

「あぁ、分かった」


 秋乃は軽く返事をした。そして一呼吸置くと、いつになく真剣な表情を作ってこちらを向いた。


「実はな……」


 あまりにも真剣な雰囲気に、息を呑んだ。


 秋乃は色々なことを考えるように、静かに自分の手を見つめた。


 そして俺の目をしっかりと見て、


「実は……時間を操る能力を手に入たのだ」


 秋乃は豆腐のテイストのごとく、あっさりと言った。



 じかん。それって……あの時間? 「もうあの頃には戻れないの!」っていう、あの時間?


 一分が六十秒で、一時間が六十分で……えっと……三千六百秒が一時間の、あの時間?


 時は金なりで有名な、あの時間?


「凄いだろう」


 鼻を高くする秋乃をさらに困惑しながら見ていた俺は、はっとした。


 まさか、その能力で俺のプリンを!


「ははは。その顔だと理解してくれたみたいだな。もう少しだから、よく見とけ」


 秋乃はフンッ、と鼻を鳴らす。


 その言葉には魔力でも込められていたのだろうか。俺はその言葉通り、秋乃の手から溢れるように光る青白い光をまじまじと見つめた。


 俺がこんな不思議不可解極まりない話を信じたのは、秋乃の手が光っていからである。


 あともう一つ、コイツが嘘をつけるようなヤツじゃなかったからだ。密かに魔法を信じていたのもその一つかもしれない。


「もうすぐ来るぞ!」


 おぉ、ついにか!


 秋乃の手がかざす空間を見つめ、その神秘的の事象の前座に胸を高鳴らせる。


 何もない場所に、何か特別なものを感じる。


 そしてついにその時は来た。


 光る掌の先の空間に黄色い物体が現れた。……プリンだ!


 本当に突然だった。だんだん見えてくるのかなぁ、と思っていた俺は、ポン、と出るように現れたプリンにかなり驚いた。


「「おぉ!」」


 と感嘆しながら、穴があきそうなくらいプリンを見つめていた俺と秋乃。だけど、当のプリンはその視線が恥ずかしく感じたのだろうか? 重力に逆らわず、逃げるように落ちていった。


 当然そこにお皿なんてない訳で、そのまま『ベチャッ』なんて音が聞こえてくるのは当たり前のことであって――


「……って、おい! ダメじゃねぇか!」


「はっ、しまった」


 テーブルの上で潰れたプリンは、周りにも飛び散った。床に、服に、顔にまでプリンとカラメルが飛び散って、なんていい光景だ。


 あぁ、なんという。二日前と同じような光景がここに……


 少し戸惑っていた秋乃の顔に、焦りの表情が見え始める。


「…………さ、さぁ、食え」


「食うかぁあああああああ!」






「ま、まぁ、なんだ。……元気出せ」


「お前が言うセリフじゃねぇだろ! ……まぁ、別にいいけどさ。過ぎたことは気にしない」


 俺の肩に遠慮気味に置かれる秋乃の手を、軽く払う。


 でも気にしないと言ったのは本当のことだ。だってそうだろう? プリンは三時に食べるものだ。別に二日過ぎてから貰っても嬉しくもなんともない。次は許さないけど。


 今はそんなことより、改めて考えてみよう。突然秋乃に宿った能力について。


 少し冷静になってみれば、今の出来事の現実性のなさすぎることがよく分かる。問題はプリンが飛び散ったことではなく、プリンがここに現れたこと。秋乃の手が青白く光ったこと。


 この二日間で何があったのだろうか? 想像もできない、という言葉の使いどころがよく分かった。


 それにしても、いったいなぜ……?


 すべての理由を、秋乃は知っているのだろうか?


 気づいた時には、俺の生活が日常ではなくなっている気がした。

やさきはです。

ちょっと読み返してみたんですけど、なんだか始まり方が地味なような……。読者を引きつけるには、派手な方が良いらしいですね。最近知りました。



物語はまだまだ始まったばかりです。それと、急に加速するようなことにはならなさそうです。


感想、批評、意見などがあればお願いしますm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ