十六話
秋乃に助けを求めたはいいけど、肝心な俺の居場所を伝えるのを忘れていた。
急ターンで方向転換して、公衆電話のある場所まで走った。
財布から二つの硬貨を取り出して、その中から十円掴んで入れた。受話器を乱暴にとり、ボタンをプッシュしていく。
呼び出し音が聞こえたその時初めて、今日のプリンが消えていった。
そして五回の呼び出し音の途中であと、秋乃が電話にでた。
「おい秋乃、聞こえるか」
『あぁ、聞こえるぞ』
しかしその声を聞いた瞬間、さらなる違和感が俺を飲み込んだ。
声が、秋乃の声じゃない……?
受話器の向こうの声は、秋乃の声とはまったく違うものだった。
『あはは、残念でした。わたしは秋乃ちゃんじゃありませ~ん』
……は?
聞こえてきたのは、どこにでもいそうな女の声。からかうような笑い声が特徴的だった。
秋乃じゃない? もしかすると番号を間違えたか? ……いや、それはない。じゃあ、コイツは……
「誰だ、お前は」
『あれ、分かんないの? わたしだよ、わたし。クラスが――』
「うるせぇ! ワタシワタシ詐欺には騙されねぇぞ!」
『何でそうなんのよ! わからないの? わたしよ、あんたと同じだからクラスで窓際の一番前に座ってる――可憐な純情の美少女』
窓際? 一番前? ……あぁ、思い出した。秋乃大好き生徒Aだ。俺の中で美少女カウントされてないから分からなかった。
「あぁ、お前か」
え~と、名前名前……
「え~、お前。どうして秋乃の携帯にお前が出るんだ」
『今、わたしの名前忘れてたよね? ……まぁいいけど。秋乃ちゃんならもう行っちゃったわよ。部活が終わったすぐあとにあんたに呼び出されて、着替えもせずに飛び出して行っちゃった』
ありがたいが、手遅れか。……いや、まだ早い。方法ならまだある。
「なぁお前、悪いけど秋乃に伝えてくれないかな、公民館まで来てくれって」
『ははは、パーフェクトだね』
「はぁ?」
何を言ってるんだコイツは。
『それはともかく、あんた、秋乃ちゃんに何する気?』
それはともかくって……
「何って……何でもねぇよ」
まさかジェントルマンと戦わせます、なんて言えるわけないし。
『一つ忠告しておくわ。秋乃ちゃんに手を出したらただじゃ済まさないからね』
「出さねぇよ」
出されるかもしれないけど。
『信じられないわね。告白するくらいならいいわよ、粉々に砕けてちょうだい。でも……ハ、ハグとか、キキキ、キスとか、かくなる上は、べ、ベベベベベットとか――』
「馬鹿か、話飛びすぎだ。てか日本語おかしいぞ……」
ダメだコイツとは話にならない。何か違う方法はないだろうか……
俺は少し考えて、生徒Aにメッセージを残すことに決めた。秋乃が俺のミスに気付いて生徒Aの所に戻るか、親切にも生徒A自身が秋乃に伝えに行ってくれたりするかもしれない。
それまで俺は公民館のトイレにでも隠れていよう。
「お~い、少ねぇええん」
「って、なぜお前が現れる!」
間が悪すぎる。アイツ、ここまで来れたのか。
声のした方向を見てみると、道路の向こう側で男がジョギングをしてきていた。相変わらず黒いシルクハットを被っていて、黒いスーツみたいなものを着ている。あれは彼のソウルか何かなのだろうか。
なんにせよ、アイツがこちらに来るには時間が必要だ。その間に伝言を伝えよう。
「いいか生徒A。秋乃に公民館に来てくれ伝えてくれ。出来るだけ早い方がいい」
『うるさい! 秋乃ちゃんはわたしのものだぁあああああ!』
知るかぁあああああ!
生徒Aの叫び声を最後に、公衆電話が切れた。十円玉の限界だった。
これは本当にまずいことになった。しばらくは秋乃なしで戦わなければいけないのか。
俺はジェントル男の方に振り返る。ジェントル男はやはり歩道橋の渡り方が分からないようで、その場を右往左往していた。
これはチャンスではないか。まずは公民館から離れると見せかけて、戻ってトイレに隠れる。やり過ごしたら秋乃を待とう。生徒Aには伝えることは伝えたし、秋乃が来るのも時間の問題だ。
と、そう思えたのもつかの間だった。
俺は驚愕した。
「行くぞ少年、スクラッチ」
聞いたことのある叫び声がした。すると男の腕がその身長の三倍ほど伸びて、歩道橋の手すりの真ん中あたりを掴んだ。
男が手を少し縮めると、その体が宙に浮いた。さらにそのまま、ターザンロープの要領でこちらに向かってきた。
「ちょ、待て。そんなのありかよ、こっち来るな」
「ははは、少年よ。縁があるとはことことだ。さて、正々堂々私と――」
男はそこで手を離し、その勢いでこちらの歩道にジャンプをした。
「勝負だ!」
ジェントルはスタリと着地して、俺の目の前で口の両端をつり上げた。
ヤバい、この距離からじゃあ逃げきれない!
この絶望的な間合いを少しでも離そうと、俺は地面を強く蹴ってジェントルから離れる。
ヤバい、ヤバい、まずは角を曲がって公民館の陰に隠れよう――
「ははは、捕まえたよ少年」
二本の手が俺の腹部にまわってきた。そのままキツく絞められる。
もはや手を伸ばす必要もなかったらしい、能力すら使わずに捕まった。その長い腕の中に、俺の体はいとも簡単に捕らえられた。
「クソッ、やめろっ」
体にからみつく手を、腕を引きはがそうとするが、それは石像のように動かない。腕力が桁外れている。
俺はそのまま持ち上げられた。
「さて、正々堂々と勝負してもらおうかな?」
ニヤリと笑う男の顔が浮かんだ。
「ふざけんな、てかいい加減にしろ。嫌だっつったら嫌なんだよ」
男は俺の話に、耳も貸そうとしない。そもそも、俺が何を叫んだところでやめてくれるわけではない。
最後には腕を噛んでやろうと考えたけど、どんなに首を回しても俺の歯は届かなかった。
俺は慌てながらも打開策を考える。けれど、持ち上げられて冷静でいられなく、いい方法はまったく浮かんでこない。
「少年よ、いい加減に折れてくれないか」
男が半ば呆れるように言った。
しかし、この俺にどう折れろというのか。に戦えない俺は、折れるに折れられない。諦めてどうにかなるわけでもないか。
「無理なんだよっ、そもそも人違いだから」
「頑固な少年だな。そうだなぁ……まずは適当な場所に張り付けようか」
なんでそうなる!
そんなんじゃ勝負以前の問題がある。下手したら殺されるかもしれない。そうでなくとも、無傷では帰れなさそうだ。
それにもし負けたら、俺の大切なものが取られる。たしか、この戦いのルールだった。
男は俺を縛るための支えとなるものを探しているようで、辺りを見回していた。
そもそも縛るためのヒモすらないのに。いや、ある。男の腕自体が伸びるんだった。
この男の長い腕に縛り付けられている自分自信は、あまり想像したくないものだった。
……俺は、手違いで死んだりはしないだろうか? ……違う、それはなかい。あの青髪は、このトーナメントで命を落とすことはないと言っていた。
でも、怪我や病気には保証がない。たとえ骨折をしようと大量出血をしようと、そんなことは知らんということだろうか。それに、怪我や出血などによる間接的な『死』まで面倒を見てくれるとも限らない。
秋乃に無理な治療をさせるわけにもいかないだろう。
という点と、そもそも痛いのは嫌だという点から、出来るだけ怪我はしたくない。
じゃあ、さっさと降参してしまえばいいんじゃないのか?
このあいだまでは確かにそう思っていた。敗者は大切なものを失うと聞いたけど、よくわからなかった。
それが何であれ、俺は無事でいられるのだろうか。あの時引き裂かれた二人のように、すべてが変わってしまうのでは……
男が俺を道路脇の木に押し付け、片腕を伸ばして締め付けた。
「さて、戦うと言ってもらおうか。私はいい場所を知っているのだがね」
男の言葉を、俺はほとんど聞いていなかった。
降参は……したくない。多分、よくわからない大切なもののため。わからないけど、わからないから、なくしちゃいけないんだ。
そんな、変なことを考えていた。
そして突然、俺の視界が青白くかすんだ。
それはここにあるはずのない光で最初は信じられなかったけど、心が妙な安心感に包まれた。
男の額にシワができる。その疑問に満ちた顔を見たのを最後に、俺の視界が変わった。
気づくと、俺は地面に立っていた。
青い空は変わらないし、白い雲も変わらない。少し見上げたところには歩道橋があって、その先には公民館の入り口が見えた。
地面はアスファルトで、向かいの歩道では黒いスーツに似た服を着ている男が驚いている様子が見える。
公民館を通って向こう側に行く前に戻ってきたらしい。
俺は男から目を離して、ここの近くのどこかにいるはずの秋乃を探した。
秋乃は、思ったよりすぐに見つかった。
「お~い、翔! 私だぞ、助けに来たぞ!」
聞き慣れた声が上の方から聞こえて、そちらに目を向ける。そこに歩道橋があって、そのちょうど真ん中あたりで、秋乃は手手すりから身を乗り出していた。手を大きくふって俺を呼んでいた。
……こういうときは素直に「ありがとう」と言うべきなのか、それとも「遅ぇよ、馬鹿野郎」と格好をつけておくべきか。
そんなどうでもいいことを考えると、不思議と笑えてきた。
「お前は早すぎるって、この馬鹿野郎」
「ははは。よく分からんが、すまないな」
自分でもなんでこんなことを言ったのかわからなかった。素直じゃないのか、ただ馬鹿なのか。それとも……
俺は歩道橋の堅い階段を、二段飛ばしで駆け上がった。
前回と今回は短めだったので、テスト中ですがなんとかなりました。
……さて、次話を書こうかな。