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十四話

大変遅くなりました。……と、独り言のようですが。

今回のジェントルマン編は、多分三話で完結です。よければ感想の方、特に評価の方をよろしくお願いします。

 青髪が少女が来てから一週間が経った。特殊な……というより役に立たない能力を貰ったけど、あれからは特に何もなくて、まったくの平穏無事な日々だった。


 そして今日は土曜日。その昼時のことだった。


 丁度昼飯のふりかけご飯を半分食べ終えた時、安っぽいチャイムの音が部屋に鳴り響いた。


 こんなうららかな昼時に、いったい誰だろうか。


 まず最初に、秋乃の顔が思い浮かぶ。でも、そんなはずはない。時計では、長い針と短い針が一番上で重なっている。いわゆる十二時。秋乃は今日部活をやっているて、帰ってきて一時だ。帰ってくるまではまだ一時間くらいある。部活が早く終わったと言えばそれまでだけど。


 箸を茶碗の上にに置いて、椅子を立つ。薄暗い玄関へと向かった。


 秋乃か、それともおじさん……はいないよな。別に約束のある友達も、親戚も知り合いもいない。秋乃を訪ねた、けどいなかったから俺の家に来た、という境遇の知り合いの可能性もあるかな? いやいや、さすがに考え過ぎか。それなら、一週間前に俺の家に来た二人、青髪とミラミラさんは……律儀にチャイムなんて押さないよな。絶対に不法侵入する。


 俺は玄関まで来たけど、考えても思い当たる相手はいない。誰だろうかと玄関ののぞき穴を覗くと、しかしそこは真っ黒だった。


 イタズラか?


 どっちでもいいやと思って、俺はドアノブに手をかけた。


 ……なぜだろう。一週間前と同じように、開けてはいけない気がする。本当に、直感的に。


 さすがに気のせいだろうと、ゆっくりドアを開ける。すると、薄暗い玄関に光が入ってくる。


 そしてそのドアの向こうから――


「ハロー、少年」


 ジェントルマンで陽気な声が聞こえた。


 開いたドアのすぐ向こうに、人の顔が見える。見上げる先に、その顔は斜め四十五度から伸びている。首から下は見えないけど、身長の高さが伺い知れた。


 俺はその顔をしばらく、何も言えずに見ていた。そしてやっと出た言葉が、


「はい?」


 だった。


 はい? というより、誰? といった方が、俺の心中に近かったかもしれない。全く知らない物だった。


 性別は男、年は四十代後半に見える。髪は白髪のくせ毛で、クルクルと弱々しくカールしながら肩までのびていた。細い目に縦に長い顔。何より一番目立つのは、その頭にかぶった黒いシルクハット。


 なるほど、これはジェントルマンだ。などと余計なことを考えて、すぐに消した。


「少年よ、この出会いを女神に感謝しようではないか」


 怪しすぎるジェントルマンだった。


 とりあえずドアを一度閉めよう。そして落ち着こう。知らない人にはついて行っちゃダメだ。……じゃなくて、考えろ。俺の家に来るなんて怪しい人間、どこのどいづだ。


 ドアが叩かれる音を無視して、考え続ける。


 そして結論。これは宗教勧誘だ。それなら、ジェントルマンであるのもなぜか納得できる。神の変わりに女神とは、なかなか新しいじゃないか。その方が綺麗だとでも考えたのだか。


 だが、俺には年会費みたいなのを払う余裕がない。信じる信じないの問題ではないのだ。


「少年よ、話を聞いてくれないか。私は決して怪しい者ではないから」


 怪しすぎるから。


 ドアを叩く音が続いている。かなりしつこいけど、乱暴な叩き方でない。そこらへんは信用出来そうだ。


 宗教勧誘ならまずは断ろう、と再びドアを開ける。案の定、さっきと同じ顔が同じ場所にあった。


「あ、すみません。宗教勧誘なら間に合ってますので」


 これ以上ないくらいの善人顔で断った。すると男は、目を見開いて驚いた。


「なんですと? 宗教勧誘? いやいや、私は宗教とは無関係だよ。それにしても、宗教に間違われるとは……あぁ、なるほど、勘違いだな。私は女神に感謝しようとは言ったが、崇めようとは言っていないよ。ただ少し、話がしたいんだ。丁度いい場所があってね。向こうの公園だよ。ちょっと行かないか?」


 話が勝手に進んでいく。


 しかしまぁ、ジェントルマンの言葉は無視して……これは宗教勧誘じゃないのか? じゃあ、なんなのだろうか。


 目の前の男のイメージが、怪しいから不思議に変わった。こうなると、また不思議なものだ。警戒心の中に好奇心が生まれてくる。


 いや、ダメだ。知らないジェントルマンにもついて行ってはいけない。


「とりあえず、要件を言ってください。あなたが誘拐犯かもしれない」


「ハハ、馬鹿なことを言うな。こんな貧相な家の子供なんて誘拐しないさ」


 誰が貧相な家の子供だよ。


「それに、誘拐するなら力ない少年少女だろ。君に腕を噛まれたら痛そうだ」


 男は顔を斜めにしたまま、高笑いをした。


 なぜだろうか。物凄くムカつく。


「公園まで行くの面倒だから、とりあえず、早く要件を言ってくれよ」


 このジェントルマンに敬意はいらない。さっさと要件を言って、さっさと帰ってほしい。


「おっと、悪かったね。何か失礼な事を言っていたら謝るよ」


 気づけよジェントル。貧相とか言われんの、けっこう傷つくんだぞ。


 俺の態度に怒りを感じたのか、男は謝罪の言葉を口にした。しかし男の謝る気がなさそうな顔に、さらにイライラが積もる。


「いいから、話すことがあるなら早く言ってくれよ。手短に、簡潔に」


「おぉ、注文が多いねぇ」


「サービスしてくれよ。こっちは金の代わりに時間使ってるんだから」


「時は金なり……だね。少年、君もやるねぇ」


 なにがだよ。とにかく、早く要件話して出てけ。一刻も早く、この男に帰ってほしい。


 俺が早くしろと心で念じたのが通じたのか、ジェントルマンな男は「あはは」と笑って表情を和らげた。


「時間も大切って意味なんだよねぇ。そうだね、いつまでも無駄話していても話は進まないし、率直に言わせてもらうよ」


 それでは改めて、と言って、男の顔がドアに隠れた。そしてついに、ドアの向こうに男の全体が見えた。


 俺は今、その容姿をただ一言で表せた。


「高い……」


 男の身長は百八十くらいだろうか。上下、ドアの上にぶつかりそうな大きさで、ずいぶんと見上げる格好となった。ずいぶん細身で、デカいというより、高いという印象を受ける。


 ともあれ、やっと終る。払う金もないし、事件性もなさそうだし、早くふりかけご飯の残りを食べたい。


 しかし、男はそんな俺の心情に、まったく気づかないようだ。


「さぁ、少年。手をとりたまえ」


 なぜだろう。男のその大きな手が、ドアの隙間から入ってくる。逆光のせいで男の姿が陰で見にくい。


 白い歯を少し見せて、男は笑った。


「正々堂々、私と闘おう!」


「…………」


 ドアを閉めた。


 理解した。あの男とは、同じ世界に住んではいけない。あんな戦闘狂とはなれ合えない。宗教の数百倍は怪しい。


 さぁさぁ、早く鍵をかけて……


「しょ、少年。私の手を挟まないでくれないか!」


 閉まってないだと!?


 見ると、男の腕がドアに挟まっている。一体何を求めているのか、指がうねうねと動いている。


 向こうから悲痛なうめき声が聞こえてくる。


「は、早く開けてくれぇええ」


「うおお! 引っ張るなよ!」


 男がドアを開けようとすると、逆にドアノブを掴んでいた俺の手が引っ張られた。


 持って行かれてたまるかと、足を踏ん張って、こちらからもドアノブを引く。余った片手で壁の出っ張りを掴んで、さらに引く力を強める。


「腕が、腕がぁあああ!」


 男のさらなる悲痛な叫びが聞こえる。


 絶対に男を中に入れてはいけない。その一心だったけど、男の腕は一向に外に出て行かない。


 俺が引っ張っているから、それは当然なんだけど……


 考えても、頭を整理する余裕などない。俺はただドアを閉めようと、男はドアを開けようとする。


「ぐわぁああ! 腕が千切れるゥウウウ!」


 もはやジェントルマンの声ではなかい。ドアからはみ出ている手がこわばる。


 いやしかし、なんでなのだろうか。普通に手を放せばいい話なのだろうけど。逃げる者は追いたくなる心理と同じなのかもしれない。


 頭の中でよく分からない思考を繰り返した俺だが、次の瞬間、ドアの横のあるものが目に入った。


 それはまるで神のごとく、光をまとっているような気がした。


 ……これを使えば、すべて解決するじゃないか。


 なんで今まで思いつかなかったのだろう。俺は両足で踏ん張る用意をして、壁の出っ張りを掴んでいた片手を離した。


 ドアノブに持って行かれそうになる体を足で踏ん張って、ドアの横に手を伸ばす。


 カチャリ。


 俺は、ドアのチェーンを閉めた。


「――少年?」


 ふぅ、一件落着だな。


 俺は安心して、ドアノブから手を離す。


 実に平和的な解決だ。さて、早くふりかけご飯の残りを食べようか。


 俺は逃げるように、部屋に戻ろうとする。


「ちょ、ちょっと待ってくれ少年。あの……この手がドアから抜けないのだか……」


「そうなのか。それは残念だな……」


「残念? 君はそう思ってくれているのかい? じゃあ、早くこれを外してくれ」


 イヤだよ。あんな紳士派な長身武道家。そりゃあガイモンさんやミラミラさんよりかは小さいけど、勝てる気がしない。そもそも怪しいんだよ。


 俺は無言で玄関を後にする。


「しょ、少年よぉおおお!」


 この世の無情を嘆くかのように、男は大声を上げた。


 男はガチャガチャと手を抜こうとするけれど、チェーンの短さと手の大きさからか、一向に抜ける気配はない。


 これで解決したな。


 俺は部屋に戻って、テーブルの上にぽつんと置いてあるふりかけご飯と対峙する。もうご飯はカピカピになっていて、新鮮味が感じられない。まぁ、食べられれば文句は言わないけど。


 箸を手に取り、さぁ食べようと――


 ガコンガコンガコン。


 ……ドアとか、壊れないよな。大丈夫だよな……


 男がドアを引いているのか。なんて力任せな。でも、さすがにそこまで古いドアじゃないだろう。チェーンも、サビていても壊れはしないだろう。……多分。


 気を取り直して、さぁ、食べよう――


 ガコンガコンガコンガコンガコンガコンガコンガコンガコンガコン。


 うるせぇえええ!


 そんなんやっても外れねぇよ。……多分。


 チェーンが壊れないことを祈りたい。上手く手だけ抜けて、そのまま帰ってくれるのが一番嬉しいけど。


 向こうは戦いたいと言っている。それは難しいかもしれない。


 ガコンガコンガコンベコリガコンゴカンベッコン。


 ……あれ? 何か今変な音が聞こえたような……。ベコン、とか。


 …………。


 …………。


 なんだか、逃げなければいけない気がしてきた。頭の奥の方の……第六感なのか、不確かなものが俺に問いかけるように。


 逃げる決心は簡単についた。そうなれば、次はどうするかだ。


 まずは外履きの靴。これは大丈夫だ。俺は使い古した靴を家にとってある。こんなこともあろうかと思ってだ。すぐに捨てるのももったいな……地球温暖化に貢献しているのだ。決して、もったいないとか、貧乏だからということではない。


 ……何はともあれ、靴は確保出来た。次は逃走経路。


 俺は部屋の中を見渡す。


 玄関は論外だ。俺の部屋にも窓はあるけど、部屋に行くまでには玄関を通らなければいけないから、これはダメだ。あのジェントルマンとは、出来れば接触したくない。


 この部屋には窓が一つ、ベランダが一つある。窓のむこうは外の景色がよく見える。そういえば、一週間前にミラミラさんが飛んでいったのもこの窓だ。対してベランダは、その先にほんの小さな庭に通じている。手入れをするのが面倒だから草は伸びていて、周りは針葉樹に囲まれている。


 正直、庭は歩きたくない。ということで、窓から出ることにした。


 ……今度、庭の手入れでもするかな。


 これで逃走経路も決まった。では最後。もし、男がこの部屋に入ってきたら、とられてまずいものはあるか。


 再び部屋を見回して……


 通帳と財布は持って行った方がいいだろう。これがないと飢え死にだ。


 他には、古い家電に仏壇など。家電のように、大きくて金にならない物を盗むヤツは普通いない。それに仏壇を盗むなんて罰当たりな輩は……まぁ、ジェントルマンならしなさそうだ。


 これで持って行く物も決まった。財布はいいとして、通帳にはかなりの額が入っている。とられる訳にはいかない。


 それでも念のため、財布は持って行くことにした。


 それから財布と通帳を持ち出して、財布をポケット、通帳を斜めがけのカバンに入れる。カバンをかけて、窓を開ける。俺はベランダに靴を見つけ、それを窓の外に投げる。


 ガコンゴカン。


 玄関から、ドアが揺れる音が聞こえる。


 ……早く言った方がいいかな。


 頭の中から、そんな早く行けと声が聞こえるようだった。俺は窓枠に足をかけて、一メートルくらいの落差を見下げる。


 高くはないけど、この窓から飛び降りるのも何年ぶりだろうか。思い出すのは、まだ小学生だった自分。まぁ、だからなんだという訳ではないけど。


 飛び降りる寸前に、ついでにプリンを買っていこう。そんなことを考えて、俺は窓から飛び降りた。





〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓





 プリンは今日、土曜日の三時をもって無くなってしまう。財布を持ってきたのは正解だったな。


 それにプリンを買うという目的がなければ、これからの行き先がなくなっていた。ただ歩き回るというのも、なにかつまらない。


 窓を出た俺は、反対側の細く入り組んだ路地を回って、少し大きな道に出た。これから道を三回曲がって、その道をまっすぐ行けば、スーパーに着くはずだ。


 確か今日は、四時から全品一割引のセールがやっていたような……。そうだったら、また後で来よう。一割はまあまあ大きい。


 財布の中には、幸いなことに百二十円があった。これなら金が足りなくなることはないだろう。


 俺は遠くに見えた曲がり角が、だんだんと近づいてきた。


 スーパーまでは、そう遠くはない。ジェントルマンな男はどうしているだろうか。ずっとあのままにして置くわけにはいかないし……


 歩きながら考えよう。俺はそう決めて、曲がり角を左に曲がった。


 そして、その刹那の出来事だ。


「「あっ」」


 俺が曲がり角を曲がった――いや、曲がろうとした。偶然か必然か、二つの声が重なった。


 これは奇跡だ。いや、奇跡と言うより、運命なのか。どちらでもいいけど、あまりいい言葉にはならなさそうだ。


 それと、人間は有り得ないことが起きると、一時思考が停止するらしい。これも本当かどうか……。ただ、今の俺はその状況にあった。……たぶん。


 落ち着かない脳味噌では、今、目の前にいる人間を認知出来ていないのか?


 違う。そんなことはない。視覚はいたって正常だ。正常なはずだ。


 ではこれは……神のイタズラ、もといイジメなのだろうか。


 と、俺の能力で数えたところの一秒間の思考。だが実際のところ、考えたことの意味は分かっていない。


 俺はどうでもいい思考を一瞬で切り捨てる。とどのつまり、俺の言いたいことは……


「なんでこの腐れジェントルマンがここにいるんだぁああああああ!!」


 最高の反射速度で体の向きを変えながら、アスファルトの地面を蹴って、来た道を全力疾走で走り出す。俺はジェントルマンから逃げ出した。


「しょ、少年よ、待ってくれ。私は無害だ」


 信じられるかっ!


 後ろから男の声が聞こえて、振り返る。男はその腕を直角にして、それを振り回しながら走ってきていた。


 角張ったような、シャカシャカとしたやけに特徴的な走り方なのに、なぜそんなに速いんだ。


 俺も足にはかなりの自信がある。クラスでもトップレベルのはずだ。しかし、その差を開くことが出来ない。


「ま、待ってくれ! 私は君と戦いたいだけなんだ!」


「この戦闘狂がっ! 俺が戦いたくないんだよ!」


「ホワァイ? なぜだ!?」


「知るかボケ!」


 何を好きこのんで戦わなきゃいけないんだよ。俺は普通の人間だ!


 俺はスピードを緩めずに、弧を描くように曲がり角を曲がった。景色が変わる。コーナーも、まあまあ得意だ。これで差を広げられるかと思って顔だけ振り返ったけど、男はなんと、一瞬で勢いを殺して曲がり角を直角に曲がって来たのだった。


 なんて力業だよ。足にはものすごい負荷がかかっているはずなのに。


 しかし、やっぱりキツかったのか、男の声が少しだけ遠ざかった。余裕が出来た俺は、その男の声を聞くことが出来た。


「なぜ逃げるんだね、はぁ、はぁ、少年。君の能力なら、はぁ、十分に戦えるだろう」


「はぁ、はぁ……俺の能力……?」


 能力。…俺の耳には、確かに聞こえた。信じたくない現実ではあるけど、本当にそう聞こえたのなら思いあたることは一つしかない。


 頭の中で俺のクズ能力が踊り出す。勿論、そんな能力の化身なんてオプションは付いていないけど。あのケチ女め。


 いやそもそも、なんであいつが能力のことを知っている? まさか戦いたいと言うのは……


 嫌な予感が胸をよぎった。


「少年よ、私は正々堂々と、君と向かい合うよ。君の能力と!」


「気持ち悪ぃよ! だいたいアナログ時計とストップウォッチな男と向かい合ったって、なにも変わらないだろ」


 俺のような軟弱能力を持った人間と闘いたいとは、コイツはサドか?


 どちらにせよ、アイツも能力を持っている確率が高い。さて、どうしようか……。


「はぁ、はぁ……少年! 君の能力を見せてはくれないか? はぁ、ただの興味だ。殺しはしないよ」


「馬鹿かよ! そんなこと前提条件なんだよ。とにかく闘いたくないんだよ、俺は!」


 俺の能力で闘え、なんて死刑宣告と同じだ。逃げる以外にどうしろと? 今から百メートル走の計測でもってしろってのか? 一億分の一秒までなら計れるぞ。


「頼む、止まってくれ。正々堂々、勝負したいんだ!」


 なんでだよ。アイツは俺の能力を知っているらしいが、じゃあなんでそんなに勝負することにこだわるんだ? まさか短距離走をしたいってわけじゃないだろうし。


「もう追ってくんなよ! だいたい俺の能力ってのはなぁ、時計とストップウォッチと――」


「言わなくても分かっているよ。君の能力は、神の使うような――時間を戻す能力なんだろう?」


「違ぁあああああああう!!」


 なんでそうなる、人違い。そもそも誰だよそれ、俺じゃなくて秋乃じゃねぇか。


 なんで勘違いなんかしたんだ? ……そうか、あのクソ女神さんか。どこまで俺を苛める気だよ。


 会って、絶対に文句言ってやる。そんなことを考えたけど、今はそれどころじゃない。まずはあの男の説得からだ。


 もはや、逃げている場合ではない。俺は走りながら後ろを向いて、ゼェゼェ言いながら走っている男に大声で話しかける。


「お~い、ジェントルマン。かなり省略して言うが、実は俺は、お前が探してる人間じゃないんだよ。人違いなんだよ」


「はぁ、はぁ……もう体力が、はぁ、持たない。……悪いけど、先制攻撃をさせて貰うしかないかな。すまない少年。言っていることと矛盾してしまっているし、何より私は卑怯なことをしたくない。しかし、逃げられるわけには……」


 ……何を言ってるんだ? もしかして、俺の声聞こえてないかな?


 遠くでぶつぶつと独り言を言っているようだが、声が小さくてよく聞こえない。


 遠くに分かれ道がある。あれを曲がれば、逃げ切れるかもしれない。


 後ろを振り返ると、もう走りという走りをしていない男が、まだぶつぶつと何かを呟いている。


「すまんおっさん。また今度な。っていうかもう来んな!」


「――なはずだな。それなら、もう仕方がない」


 さっきから何を言っているのだろうか。俺には関係がないといいけど……


 先に見える曲がり角。右に行けば山に、左に行けば住宅街に入るはずだ。だけどどちらに行くのが最前なのかよく分からなかったので、曲がりやすい左に行くことにした。


 もう一度後ろを振り返ると、男はただ立っているだけだった。


 しかし、どこか不自然だ。男は片手に作った握り拳を前に突き出して、しっかりと俺を見据えていた。


 あんな変な行動をとるのは……もう諦めたからだろうか?


 体力にも自信はあるけど、さすがにもうキツい。俺は気にしないで走り続けようとした。そして、男の声を聞いた。


「いくぞ少年! スクラァアアアッチ」


 スクラッチ?


 いきなり何を言い出すんだ。


 そう思った直後、俺の右耳を質量を持った肌色がかすめた。


 風をうねらせたその肌色は、この先の行き止まりの壁までまっすぐに伸びていった。そして壁をえぐり、石のくずが飛び散った。


「なっ!」


 俺は驚愕した。その肌色を目で追っていくと、そこには、たがうことなきジェントルマンの腕があったからだ。


 手が伸びて、石の塀をえぐった。


 俺は冷静になれず、足がもつれそうになるのをなんとか持ち直す。


 男は少し顔を下に向け、苦々しい表情をした。


 そして叫んだ言葉は――


「手がぁあああああ!」


「えええええええ!?」


 余計に意味が分からなくなった。

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