九話
赤い夕日がいっそう赤くなった。遠くに続く一本道には、今は誰の影もない。ただむなしさがこみ上げてきて、いつも自分見ている光景にはとても感じれない。
前から風が吹いてくる。目が乾いて、長くはない髪がもっていかれる。
「ふぅ……」
これで全部終わったのか? でも、どうにも気持ちよくない。
後ろにいた秋乃の気配が動いた。
「翔、私はもう家に返るぞ。今日は父さんも帰ってくる」
そういえば、今日は秋乃の父親が帰ってくるんだったか。
色々あったせいか、そんなことは頭の中にはなかった。
俺は大きく息を吸って、一気に吐き出した。
「あぁ、俺も帰るよ」
秋乃は体を百八十度回転させて、家の扉へと向かった。その背中を途中まで見送ってから、俺も自分の家に向かって歩き始める。
ほんの十数メートルの距離。帰れば、多分今日は終わる……。
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家の扉の目の前で来た。そしてここまで来て、家の鍵をかけていなかったことに気づいた。思い返せば、俺は秋乃に無理やり連れて行かれたのだ。
今更どうでもいいか、とドアノブに手をかける。でも、ドアノブを握ったその手が、それ以上動かせない。
さびかけた青い鉄のドアが目の前にある。それをあわない焦点で見ていた。
なんなんだ……。家に入ったら、すべて手遅れになる気がする。俺の家には、帰りが遅いと叱る父がいなければ、台所で料理を作っている母もいない。特段、何かがあるわけでもないのに。
単なる勘かもしれないけど、手を動かせない。ドアノブをひねれない。自分の中の『何か』が手を止めている。
今日起きたことが頭の中をで駆け巡る。まだ未練があるのか、満足がいかないのか。それとも……
……いや、さすがに考えすぎかもしれない。もう何もないじゃないか。他人の俺がいつまでもこだわり続けることじゃないんだ。
妙に納得がいった。
覚悟を決めてドアノブをひねる。キィ、と金属のこすれる小さな音がして、ドアノブは回る。
ここでまた迷った。だけど、いつまでも止まっているわけにはいかない。
すべてを断ち切るように、いっきにドアを開け――
「あっ、帰ってきた帰ってきた。君、おかえりね~」
ドアを閉めた。
……。……?
俺、疲れてるのかな? 俺の家には誰もいないはず。なのにどうしてだ?
今見たのは、身長が百六十センチで、髪の毛が青くて、フリフリのドレスを着ていた女の子が、まさにプリンを食べようとして……プリン?
「ちょっと待て! 俺のプリンをどうするつもりだ!」
俺はすぐさまドアを開けなおす。が、そこに立っていたのは――
「おぉ、翔じゃないか。どうしたのだ?」
「……あれ? 秋乃?」
玄関のすぐ上には、塩昆布をしゃぶっている秋乃が立っていた。いかにも自然な表情でこちらに問いかけてくる。
いやいやいやいや、ちょっと待て。なんでここに秋乃がいる? コイツはさっき家に帰ったよな?
確かに鍵はかけてなかったけど、俺の家と秋乃の家の間は一本道だ。なんせ隣の家だし、途中で追い越せるはずがない。じゃあ向こう側の窓から入り直したか? それなら不可能じゃない。けど……なんのために?
俺が自問自答を繰り返していると、秋乃は俺の所へと近づいてきた。そして塩昆布の袋に手を突っ込み、一本を取り出した。
「どうだ、一本食うか?」
秋乃は俺に塩昆布を差し出し、確かに、そう言った。
……ほぅ、そういうことか。
俺は理解した。足に力を込めて、一気に跳ぶ。跳び蹴りの用意。
「テメェは何者じゃああああああ!!」
言葉とともに前に飛び、そのまま秋乃に飛び蹴りを――いや、エセ秋乃に飛び蹴りをくらわせた。
「ひゃあ!」
見事、腹に当たった。しかしソイツは、秋乃が死んでも出さなさそうな悲鳴を上げた。このすこぶる高い声は、明らかに秋乃じゃない。
「さぁて、何者なんだお前はぁ?」
目の前のエセ秋乃の頬を引っ張り、髪の毛を引っ張る。
まずはこの顔だよな。顔全面をマスクで覆っているのか? この髪はカツラが?
「うぐぅ、いはいいはい~。はなひぃて~」
手足をバタバタとさせて脱出をしようとしているエセ秋乃。秋乃と違ってあまりにも頼りない力でもあるし、その声はもはや別人のものになっていた。
「クソッ、なかなかとれねぇな……」
マスクを被っているならその感触でなんとなく分かると思うけど、これは人肌の感触。髪を引っ張る感触も妙にリアルにだ。
「あはひゅ~」
エセ秋乃はとても力ない悲鳴を発する。
……もしかすると秋乃のそっくりさんか? 双子がいるなんて聞いたことないし……
考えながらもエセ秋乃の顔をいじる手は止めない。
しかし次の瞬間。
「……あれ? 誰この子?」
目の前にはエセ秋乃ではなく、空色に透き通った長い髪の女の子。その顔は俺の手によって引っ張られて、アイスブルーの瞳はうるうると湿っている。
「ふいあへ~ん、はひゃふはひゃひへひょ」
すごくかわいそうな顔で、何かを懇願するように言っている。
離してくれと言ってるのか? ……しまった!
「だ、大丈夫?」
あわてて両手をし、体をどかす。女の子の顔を見ると、頬は赤く、髪はぐしゃぐしゃになっていた。
「ふぅ、命拾いしたよ」
んな大げさな。
女の子は頬を抑えながら立ち上がるり、着ていたフリフリのスカートを手で払った。スカートの丈は長くて、足首まで隠れていた。
女の子は、身長は百四十と少し。年の頃は十二歳くらいだろうか。俺が最初に家に入った時に見たヤツと、似てるような、似てないような……。背もこんなに小さくはなかった気がする。
「私は大丈夫だよ、君。気にしないでくつろいでいいよ」
「え? はぁ、じゃあ……ってここは俺の家だろ!」
俺から逃れた女の子は、急に態度をデカくして台所のある部屋へと歩いていった。
「おい、ちょっと待て。人の部屋に勝手に入るな!」
俺は走って女の子を追いかける。部屋の中では走らない、なんて教訓は頭の外。全力疾走した。
俺が二秒で部屋につくと、周りを見回した。すると女の子はすぐに見つかった。足を組んで椅子に座っている。さらに、さっき秋乃が持ってきた新聞まで読んでいる。
「人の家の椅子に勝手に座るな。何様だよ!」
「え? 別にいいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないし。……それにしても、なんか座り心地悪いよね、この椅子」
悪かったな、フカフカなソファーじゃなくて。
俺はさらなる追随をしようとしたが、しかしそれは、いきなり横から入ってきた声に止められた。
「あの~、すみません。お風呂を借りてもよろしいでしょうか?」
「やぁぁぁめぇぇぇろぉおおお! 俺の家の水道代とガス代をを上げるなぁあああ!」
今度は風呂場に走った。
「いや~、まったく。お風呂も貸してくれないなんて、ケチだね、君」
「私も、まさか断られるとは思いませんでした。……ケチですね」
「黙りやがれ侵入者ども。文句があるなら今すぐ出てけ」
何をケチケチぬかしとるんじゃコイツらは。悪かったな、ケチで。
ついさっき俺の家に突然現れた二人が、なぜか俺の椅子に座っている。玄関で見つけた空色の髪の子は、椅子の上でドカンとあぐらをかいている。対して風呂場にいた長い金髪のツインテールの女性は、いかにもキチッとした座り方をしている。ここから、二人の性格がよく分かる。
金髪の女性は見た目二十代で、すらっとしている印象を受ける。細い眉に細い口。何より背が高い。それこそガイモンくらいに。とにかく、すらっとした印象を受けた。隣の女の子が小さいせいかもしれないけど。
「ねぇ君、何か飲み物ない?」
チビの方が聞いてきた。
「悪いね、ちょうど切らしてるよ。水道水と生ゴミならあるけど」
「しけてんな~」
……クッ、生意気なガキめ。
麦茶が少し残っていた気もするけど、コイツにやるのはもったいない。
ぶつぶつと文句を言っている青髪に対して、金髪すらっとは黙っている。
ここで改めて二人を見てみると、この部屋にはその青髪と金髪はいかにも現実離れしていた。特に青髪。この世に生まれて始めて見た。
青髪の子のことを考えていると、不意にさっきのことを思い出した。
さっき、玄関にいたのは確かに秋乃だったんだけど……俺の見間違いか?
「貧乏も楽じゃないってところかね。それはともかく、タマちゃん」
「誰がタマちゃんだっ」
女の子の視線は、あくまで俺に向いている。
名字の『玉石』から取ったんだろうけど、センスの無さが浮き彫りだ。
「まぁまぁ、落ち着いて。どーどー」
このガキ……
目がつり上がるのを感じ、右手に力が入った。
「いやね、ちょっと話があって来たわけよ、私たちは」
女の子はあぐらをといた。それから椅子に座り直して、足を組んだ。
「残念だけど、お菓子ならやらねぇよ」
「ないでしょ、こんな家に」
何も言い返せなかった自分が腹立たしい。
「分かったよ。ちゃんと聞くよ」
はぁ、とため息が漏れる。話しの内容がどうであれ、あまり乗り気にはなれない。
ったく、何が嬉しくてこんなガキの――
「こんなガキの言うことを聞きたくないって顔だね」
「うっ」
ギクリとした。その通りだった。
今、俺の考えが読まれたか?
「ふうん、大当たりか。ま、普通の感情だとは思うけど。ガキの話しを聞くのが嫌なら、こっちにも考えがある」
「考え……?」
ふと金髪の女性の方を見たけど、その感情のない目で見られていたことに気づいて、視線を逸らした。
考えとは大人の色気みたいなものなのだろうか。ただ金髪の女性には、間違っても色気はない。胸はぺしゃんこ、妖絶というよりは堅物。クラスに一人はいそうな。残念ながらメガネはかけていない。
この人には、バレーボールをやらせるといいと思う。それくらいすらっとしていた。
「ちょっとタマちゃん、私を見てくれないかな」
「は?」
女の子の言った言葉に、なんだコイツは? と思った。でも見ない理由があるわけでもないし、自然と目が動く。
見た。けど、特に何もない。空色の髪の毛はそのままで――
「――ッ!?」
違う、そのままじゃない。髪の色は同じだけど、確かに違う!
顔と体のバランスが変わった。雰囲気は全体的に落ち着いて、小さい、と素直に思えなくなった。髪は少しだけ長くなっていた。それになにより、胸のあたりに見える不自然な膨らみが……その……
「あの、どうかされたのですか?」
「へ?」
金髪の女性に聞かれた。女の子の変化に気づいていないのか?
「違うよミラミラ。タマちゃん、私に一目惚れだってさ。この通り、すごく見てくるし」
一目惚れでない。何回か見た。
けど、見つめているのは本当だ。死んでも言わないけど、見とれてしまったのも事実。見た目はかわいい。でも俺が女の子、いや、少女を見ていたのにはもっと違う理由がある。
「君って、そんなに大きかったっけ……?」
口が開いているのに気づいて、急いで閉じた。金髪の女性は、頭に疑問符を浮かべている。
「これでもうガキじゃないから。話、してもいいよね?」
そこにいた青髪でチビの女の子は、同一人物ながら、別人に変わっていた。
青い髪の少女は怪しく笑った。