竹内東は本を読む
授業が終わり、帰りのホームルーム。意味があるかもわからない学校生活のアンケートを済ませ、足早に学校を出る。
学校前の駅から電車に乗り、隣町へ十一分。駅から出てまっすぐ歩くと、この町で一番大きな商店街に出る。
アーケードを歩いたら、右手に細い裏路地が目に入る。その奥に小さな古本屋がある。
私、竹内東のバイト先。『古本 たちばな書』
「いらっしゃいませ~」
正面から入ると、声が聞こえる。
「たちばなさんこんにちは、お疲れ様です。」
「東ちゃん、こんにちは。学校お疲れ様。」
この古本屋の店長、たちばなさん。白髪が生えているのに腰はピンとしているおじいさんだ。
「今日もよろしくお願いします。」
「よろしくね。また準備できたら声かけてよ。」
そっと頷き、後ろの扉を開けて裏に入る。
引き出しにある黄色いエプロンを取り出し全身鏡の前につく。肩にひもをのせ、鏡に背中を向けて結ぶ。
エプロンのポケットからボールペンを取り出して、勤怠管理表に現在の時刻を書く。
このお店は店長のたちばなさんと、バイトの私だけだ。店長は基本ずっと働いてるし、私だけのために数万する機械を買うわけなく、勤怠管理はアナログだ。
「じゃあ裏で作業してくるから、レジは頼んだよ。買取のお客さん来たら呼んでね。」
「はい、わかりました。」
準備が完了し、店長と交代する。
私は昔から、本から気を感じる。
本に触れると、その本と持ち主の記憶や感情の欠片を感じるのだ。
「いらっしゃいませー!」
私より人生の経験が短そうな女の子がやってくる。
隣の父親のような男が本をこちらに差し出す。
「買取お願いします。」
カウンターには恋愛小説が置かれる。本を触ると、ベッドに顔をうずめ、バタ足をする様子が浮かぶ。
同級生の男子でも思い浮かべながらキュンキュンしているのだろうか。
「買取してもらいたいんだけど。」
30代ほどの女性がやってくる。
『手帳術』と書かれた本を3冊ほど受け取る。
本からは何も感じない。きっと、本を揃えるだけで読まなかったのだろう。
私は買取はできない。本の値段は全て店長のたちばなさんが決める。
私が店長を眺めていると、また新たな客がやってくる。
「いらっしゃいませー!」
見た目は私と同い年くらい。十八歳だろうか。気の良さそうな男だ。
「本を売りたいんですけど。」
バッグから10冊ほど本を取り出し、カウンターに置かれる。
その本の山の一番上の本に触れると、微かに違和感を覚える。
「どうかしましたか?」
「え?あ、いいえ、大丈夫ですよ。査定しますので店内でお待ちください。」
男はカウンターから少し離れる。
上から一冊、一冊、背表紙に指を付ける。
これじゃない、これじゃない、これじゃない…これだ。
私が七冊目に触れた本。『空席のままの食卓』
(この本があれば、僕は大丈夫な気がする)
本からそう聞こえた。ポジティブな言葉、普通ならそう聞こえる。
なのに、どこか黒いような、大量の粒が広く拡散する様子が浮かぶ。
気になってページをはじめからパラパラとめくる。
左親指が持つページが残りわずかとなったころ、ドサっとページが一気に動く。
破られていた。
「あのー、お客さん」
まだそれほど離れていなかった男に声を掛ける。
「この本なんですけど…」
「あ、破れてたら売れないですよね。持って帰ります。ほかの本は多分綺麗だと思いますので。」
確かに破れている本は買取できない。こっちで代わりに処分することはできるけど。でもそうじゃない。
「この本、大切な本なんじゃないですか?」
私はどうしてもこの本から聞こえた声が気になっていた。
(この本があれば、僕は大丈夫な気がする)
そして、この本は確かに大切にされていた。ほかのページに折れはなく、本のカバーは傷一つない。帯もとても綺麗な状態で残されている。
なのに、ページが破られている。
「もういいです。」
はっとして男の方を見る。
不機嫌。誰が見てもそう感じる顔だった。
「キャンセルします。全部。」
本を乱暴に取り、バッグに入れる。
「お客さん、失礼しました。」
その様子を見ていた店長が声を掛ける。男は何も言わず背を向け出て行った。
私は石の様に固まっていたと思う。
気づいて何秒、何分経ったか考え冷や汗をかきそうになる。
「東ちゃん、大丈夫か?」
たちばなさんと目が合う。
「すみません、私のせいでお客さんを。」
「気にするな。一旦水でも飲んで来るか?」
温かい言葉に、私はため息をつく。
「おい、それは?」
たちばなさんの視線の先を見ると、そこには一枚の栞。さっきの男だろうか。
私は目の前の栞を手に取り、出入り口に駆ける。
「お客さん!」
店の外に出てあたりを見渡しても、男の姿はなかった。
店の外がすっかり暗くなって、中もエアコンの音が耳に入るほど静かだった。
「東ちゃん、そろそろ帰るか?」
「いいんですか?それではお言葉に甘えて、お先に失礼します。」
たちばなさんの方を見ながら、裏に入る。
エプロンの紐をほどき、畳んで引き出しに入れる。勤怠管理表に記入しようとしたところ、エプロンの中にボールペンがあることを思い出し、もう一度引き出しへ手を伸ばす。
その時、お店の出入り口が開く音がした。
「いらっしゃいませ、ああさっきの。」
さっきの?私は良い行いではないことを承知で、カウンターにつながる扉に耳を近づける。
「栞。ありますよね。」
イライラした声色。栞。私が怒らせてしまったあの男か。
私の過ちのしわ寄せが、たちばなさんに行ってしまった。
「本は乱暴に扱ったのに栞は取りに来るのか。」
「は?なにが言いたいんですか?」
「いや、今日はうちが迷惑をかけた申し訳ない。」
たちばなさん、大丈夫かな。
「お詫びと言ってはなんだが、この本をサービスする。だからもらってくれないか?」
「なんなんですかこのお店は。本はもらいますけど、もう来ないですからね。」
出入口の扉の音を確認してから、私は表に顔を出す。
「たちばなさん、大丈夫ですか?」
「東ちゃん、聞こえてたか。大丈夫だよ。あの男は、きっとまた来る。そして、東ちゃんはよくやった。」
あの男は、なぜ本を受け取ったのだろう。そして、私がよくやった。あんなの誰が見ても失敗でしかないはずだ。
「それより、もう帰れるのか?」
「いや、管理表がまだ…」
「わしが書くから、もう帰りな。今日は疲れただろう。」
「はい、ありがとうございます。」
紙を破る感触は、思いのほか軽かった。
壊したかった。今まで大切にしてきたものを。信用なんてしなければ、裏切られることもなかった。
僕には実の母がいない。
中学二年生の夏の夕方、部活が終わり学校の門を出る。ルールを破る度胸もない僕は、今朝以来はじめてスマホを開く。
そこには大量の不在着信の文字。
母は、買い物帰りの駅のホームで、身を投げたのだ。
葬式では親戚が集まった。みんな僕に「久しぶり」というが、祖母の顔以外、誰の顔も覚えていない。
それより気になったのは、人が死んだというのに憐れむどころか「人様に迷惑かけて死ぬなんて。全く稲葉家の恥だ。」と故人に非難の声も多かったことだ。
僕は、母が大好きだった。物心ついた頃から、僕が挑戦したいことには否定せず見守ってくれた。小学校に上がってからも、しつこい干渉もなく自由にさせてもらえた。
なのに僕が困った時にはとことん向き合ってくれる。たとえ仕事で忙しくても。
長期休暇は必ず父方の祖母の家に行っていた。自由で我儘な僕を見て祖母は度々、子育ての仕方に文句をつけた。
小学三年生の冬休み、母が泣きながら祖母に何か言っていた日最後に、祖母の家にはいかなくなった。
そのため、親戚からは良く思われていない。
母が亡くなって1年後、父が突然女性を連れて来た。
「馬場澄香さんだ。実は、再婚しようと思うんだ。」
僕に義母ができた。だけど認められなかった。どこの誰かも知らない女が、大好きな母の代わりになんかなれるわけがない。
お義母さんなんて呼びたくないので呼び方は澄香さん。澄香さんとは最低限の会話のみで、基本的に無視をした。最初の方は父に注意もされたが、しばらくすると何も言われなくなった。
そんな生活が半年続き、中学を卒業後の春休み。僕の人生を変える出会いがあった。
父と、高校の受験勉強で使った参考書を古本屋に売りに来た。『古本 たちばな書』という小さい店だった。
査定を待っている途中に、店の奥にある100円コーナーを覗いていると、とある小説の帯が目に映る。
『母親じゃない人と、家族になれますか?』
僕は、帯しか見ていなかった。そこからは速かった。父がトイレに行っている隙を狙い、レジでお会計をしたらすぐにバッグにしまう。
夕飯と風呂を済ませ、自室のベッドで初めて小説のタイトルを見る。
『空席のままの食卓』
この話は僕と同じ、母亡くし義母が出来た主人公の物語だ。
主人公はずっと義母が母に代わろうと、母の席を奪おうとしているとばかり思っていた。
でもそうではなかった。食卓ではいつも母が座ってた席は空いており、新たに椅子を買って自分の席を作っていた。
最後に主人公は「義母は母の代わりじゃないんだ。空いた母の席を、一緒に抱えに来たのだ。」と言っていた。
僕はずっと澄香さんのことを認めたら母がいなくなるとばかり思っていた。でもそんなことはなかった。
そういえば澄香さんも母が座っていた席と違う席に座っていた。
その小説のおかげで、僕は澄香さんに向き合ってみようと思えた。
えらい感情移入してしまい、一気に読み切ってしまった。スマホを見たら午前2時になっていた。
慌てて寝る体勢に着いたが、なかなか寝付けず朝になってしまった。
リビングへ降りて僕は昨日の夜から考えていた言葉を口に出した。
「お義母さん、おなかすいた。」
2人とも、驚いた顔でこちらを見ていた。
今では、澄香さんを信じるなんてやめておけばよかったと思っている。
この名前を出すだけでも心がざわつく。
初めて『お義母さん』と呼んだ日から2年半ほど経った。僕と澄香さんは程々に仲良くなれたと思う。
何も知らない人から見れば、普通の家族と見えるほど。
なのにあの女は、他に男を作って出て行った。
『絶望』という言葉は、その時の僕を表すには力不足だった。
僕は全てを裏切られた。あいつのどこまでが本当のあいつだ?僕らの日々は嘘だったのか?どれだけおまえのせいで僕が振り回されたと思ってる。
あいつを受け入れたから、こうなった。この本があったから、僕はこんなにも怒っている。
この時は衝動的だった。手に持った本のラストのページを破った。
そのページは、主人公が義母を受け入れるシーンだった。
高校三年生の夏、僕は誕生日を迎えて成人になった。
成人になってやりたいことが一つあった。僕の部屋にある本を全て売ることだ。
僕は澄香さんに裏切られた後、本にも裏切られたような気がした。だからこの本たちを全て処分したかった。
普通に処分しても良かったのだが、澄香さんに裏切られたショックで、遠いゴミ処理場まで行く気力がなかった。
父に頼もうにも、理由を聞かれたらめんどくさい。そもそも澄香さんが出て行ってから、父も信頼できなくなってまともに口を聞いていない。
そんな日々を過ごしていたら、気づいたら十八歳。本を売れるようになってしまった。
せっかくならお金に変えてしまおうと、僕はバッグに自室にある本を全て詰めた。
僕が裏切られる原因となった本屋。『古本 たちばな書』
そこで売ろうと思ったのに、店員に止められたように気がしてイラついて帰った。
家に着き、衝動的にバッグを逆さまにする。せっかく本を持って行ったのになんなんだあいつは!
心が鎮まるまで、散らばった本たちを眺める。しばらくして、家の鍵が開く音がする。
父だ。この光景を見られたらまずいと思い焦って片づける。
衝撃で開いてしまった本を閉じていると、僕は冷や汗をかく。
栞がない。
今手にしている小説に挟んであったはずの栞がない。
その栞は、母が僕に作ってくれたものだった。心あたりは、あの古本屋。はあ…
店に栞を取りに行ったら一冊本をもらった。僕は断れなかった。その本の帯に、『その牢獄の名は家族』と書かれていたからだ。
その本を僕はまた自室のベッドで開く。タイトルは『鍵のない部屋』
主人公は、周りからはいい家族と言われる家庭で育った。
でも主人公からするとそんなことは無い。親は常に主人公を気に掛ける。「そんな遊んでていいの?勉強は?」「女の子で夜遅く歩いたら危ないでしょ?放課後はすぐ帰ってきなさい。友達とは週末に遊べばいいじゃない。」
この人達は優しい。でも、安心できる居場所ではない。
物語の後半、主人公は家を出る決断をする。憎んでなんかない。ただ、自分を守るために。自由になるために。
最後の一文はこうだった。
『家族を受け入れなくてはいけないというルールはない。自分を見失わなければ、それでいい。』
僕はそこでページを閉じた。
少しだけ肩の力が抜けた。僕は、家族を受け入れなくてはいけないとばかり思っていた。いや、それは正しいのかもしれない。未成年にとっては、家族がいないと生きていけないから。
でも高三になった僕には選択肢がある。ありすぎてパンクしそうなほどに。
もう、家族に振り回されなくていい。
表紙を見ると、『空席のままの食卓』と同じ作家だった。
またあなたのせいで人生が動きそうだ。
一か月ぶりに、たちばなさんに会いに行く。
私は受験勉強のため、夏休み前からバイトを休んでいる。
目の前には『古本 たちばな書』の看板。
私はすこし緊張しながら、扉を開ける。
「いらっしゃいませ~」
いつもの、優しい声。それと、もう一つの声があった。
「僕、県外の大学行って一人暮らししたいんです。」
「いいじゃんか。自分だけの城、最高だぞ~。」
誰かがたちばなさんと話している?その相手を確認した瞬間、思わず声が出た。
「春樹くん。」
稲葉春樹。私が本の買取を辞めさせ、怒らせた男。
たちばなさんが本をサービスしてから三日後、春樹くんはたちばなさんの予言通りやって来た。
そのままカウンターに来て「面白かったです。」とだけ言って帰っていった。
それから度々来ては、店長とお話をして、今ではプライベートな話までしているらしい。
春樹くんが感想を言いに来た週の末から私はバイトをお休みしたので、私の知らない間に二人はすごく仲良くなっていた。
次はたちばなさんから口を開く。
「春樹くん。春樹くんの好きな作家の本入って来たよ。買う?」
「すみません、やめときます。好きな作家の本は新刊で買わないと。作家にお金入らないんで。」
ちゃっかりしてるなと思いつつ、会った時よりも元気そうな声で、少しほっとした。
私は春樹くんの事情は知らない。
あの時売ることを止めても良かったのだろうか。
やっぱり私は、本を触っても全てはわからない。
私は、帯しか読めない。




