水面に揺れる、遠い記憶
「アルケオン 第二章 感情の色を探して」
彩葉たちの活躍から、十年――。
世界は大きな戦乱もなく、静かな平和を取り戻していた。
日本・大阪府大阪市。
その街に、一人の守護者が存在していた。
イラストから生まれた守護者――ユズ。
絵を描くことを愛する彼女は、
しかしひとつの欠落を抱えていた。
それは――
“色で感情を表現できない”こと。
どれだけ描いても、そこに宿るはずの“想い”が分からない。
色が、ただの色にしか見えないのだ。
そんなある日、ユズは一体の想霊と出会う。
苦しみの上位想霊――
感情体「サファリング」。
感情から生まれる存在である彼女は、
ユズの“欠落”に興味を抱く。
そしてユズもまた、
“感情とは何か”を知るため、彼女と共に歩むことを決める。
タブレット端末を手に、
二人は旅に出る。
喜び、怒り、悲しみ、愛――
さまざまな感情から生まれる“想霊”を探すために。
これは、色を知らない守護者が、
“感情の色”を探し出す物語。
そして――
世界に隠された、新たな異変へと繋がる物語でもあった。
奈良の静けさを背に、
ユズとサファリングは新たな地へと歩みを進めていた。
「希望」と「絶望」。
相反する二つの感情を胸に刻み、
ユズの中には、確かに“色”が増えている。
けれど――まだ足りない。
知らない感情は、まだいくつもある。
「滋賀県……どんなところなんですか?」
電車の中、窓の外を流れる景色を眺めながらユズは尋ねた。
「水が多い場所……日本で一番大きな湖がある」
「湖……」
ユズの瞳が、少しだけ輝く。
「きっと、また違う色が見れそうですね」
サファリングは、小さく頷いた。
「……たぶんね」
電車は、静かに進んでいく。
大阪や奈良の街並みが遠ざかり、
やがて視界は開けていった。
広がる空。
のどかな風景。
そして――
「……わぁ……!」
ユズが思わず声を漏らす。
窓の向こうに広がっていたのは、
果てしなく続く水面だった。
太陽の光を受けて、きらきらと輝く大きな湖。
「これが……」
「琵琶湖」
サファリングが静かに言った。
滋賀県――琵琶湖近く。
電車を降りた二人は、ゆっくりと湖のほとりへと向かう。
風が、水の匂いを運んでくる。
穏やかな波が、岸辺に打ち寄せる音。
どこか懐かしいような、
落ち着くような、不思議な空気。
「……なんだか、ここ……」
ユズは胸に手を当てる。
「落ち着く……?」
サファリングが、少しだけ先に言った。
「……はい」
ユズはゆっくりと頷く。
「初めて来たはずなのに……どこか知ってるみたいな感じがします」
その言葉に、サファリングは静かに湖を見つめた。
「……それが、この場所の感情」
「え?」
サファリングは、ゆっくりと口を開く。
「ここには、“郷愁”の感情を司る上位想霊感情体がいる」
「郷愁……」
聞き慣れない言葉に、ユズは首を傾げる。
「簡単に言うと、“懐かしさ”とか、“思い出”……そんな感じ」
「懐かしさ……」
ユズはもう一度、湖を見る。
夕方の光が水面に反射し、
まるで記憶の断片のように揺れている。
「その子の名前は――『ノスタルジア』」
静かに、名前が告げられる。
「ノスタルジア……」
どこか柔らかくて、静かな響き。
「彼女は、おとなしい部類……その場所を犯さなければ無害」
「犯さなければ……?」
ユズの声に、少しだけ緊張が混じる。
サファリングは、湖の奥を見つめたまま言った。
「“思い出”っていうのは、とても繊細だから……踏み荒らすと、壊れる」
その言葉は、静かだったが、重みがあった。
「だから……無理に踏み込まないこと」
「……はい」
ユズは、少し真剣な表情で頷く。
風が、やさしく吹いた。
湖面が揺れ、光が揺れる。
その中に――
何かが“いる”気がした。
「……あれ」
ユズは、目を細める。
遠く。
水辺の近くに、誰かが立っているように見えた。
長い髪。
静かに佇む姿。
まるで、その場所と一体になっているかのような存在。
「……あの子が」
サファリングが、ぽつりと呟く。
「ノスタルジア」
その名前が、風に乗って溶けていった。
ユズは、一歩踏み出す。
胸の奥で、何かが静かに揺れている。
懐かしさ。
思い出。
まだ知らない感情。
けれど――
きっとそれは、優しくて、少し切ない色。
湖のほとりで、
新たな感情との出会いが、静かに待っていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




