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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

硝子の箱庭

作者: 鯉の甘露煮
掲載日:2026/01/24

あの日のことを思い出すとき、音よりも先に、肌を刺すような空気の冷たさが蘇る。


2011年、春。

5歳だった僕は、福島県郡山市にある幼稚園の、2階の体育館にいた。

体操教室の終わりを告げる笛の音が、冷え切った空気の中に吸い込まれていく。


「今から大きな地震が来るんだって」

「なにそれ、私にはまだ来てないよ?」


お母さんたちの、そんなのんきな笑い声が、僕の知る「日常」の最後の音だった。

その直後、世界は飢えた猛獣のように暴れ始めた。



2011年3月11日 14時46分18秒

東日本大震災 発生



1歳の弟を、折れそうなほど強く抱きしめて、お母さんが僕の方へ走ってくる。

恐怖で強張ったその顔は、僕の知っている優しいお母さんとは、まるで別人のようだった。

揺れ狂う床の上で、先生の叫び声が響く。

「危ない、これはガスで動いてる!」

先生は、今にも倒れそうなヒーターに向かって飛び込み、必死にそれを押さえ込んでいた。

5歳の僕には、その背中がどれほど死に物狂いの決断だったのか、知る由もなかった。

避難通路を抜け、グラウンドに出ると、そこには残酷な境界線が引かれていた。

お母さんの腕の中にいる、僕。

親の迎えを、ただ震えて待つ、友達。

その中の一人の男の子が、僕のところへ寄ってきた。

「一緒にいたい」

何度も僕の家へ遊びに来た、親友だった。僕の親の顔を知っていたから、救いを求めてきたのかもしれない。

けれど、非情にも先生の声が彼を呼び戻す。

「先生と一緒に待っていようね」

彼は小さく頷き、僕たちを振り返って、心細そうに手を振った。それが、彼との最後だった。


帰りの車中、お母さんは「外を見るな」と繰り返した。

後部座席のモニターは、ニュース番組から、唐突にアンパンマンのDVDに切り替えられた。

けれど、僕は隙間から外を覗き見た。お母さんの怯えた声が、かえって僕の目を外へと向けさせたのだ。

郡山駅前。

歩道に散らばったビルの硝子が、午後の光を浴びてキラキラと輝いていた。

逃げ惑う大人たちの足元で、砕け散った「昨日までの普通」が、まるで宝石のように美しく光っていた。

その日のうちに、僕たちは磐梯熱海にある母方の実家へ逃げ込んだ。


農家だったその家には、自家発電機と井戸水があった。停電した街から逃れてきた僕たちにとって、そこは泥沼に浮かぶ「箱舟」だった。

夜になっても、地鳴りと余震は止まない。

暗闇の中で揺れるたび、何かが、決定的な何かが終わっていく予感に震えていた。


大人たちの会話は、いつしか「水」の話ばかりになった。

「水道の水は、絶対に飲ませないで」

蛇口を捻れば飲めるはずの水が、毒に変わった瞬間だった。

それ以来、食卓には遠い土地から届くミネラルウォーターのボトルが並んだ。山梨の親戚から届く支援物資を、僕たちは命を繋ぐようにして消費した。


卒園を三ヶ月後に控えた頃、会津若松への引越しが決まった。

「少しでも放射能から遠い、安全な場所へ」

その理由を、あの時すでに理解していたのか、後から記憶を補完したのかは分からない。ただ、父の仕事と僕たちの安全を秤にかけた結果、そこが終着点になった。


引越しの準備中、両親と祖父だけが、かつてのアパートへ片付けに向かった。

僕は連れて行ってもらえなかった。後で見せられた写真の中には、僕の知らない「家」があった。

倒れた箪笥、天板に空いた大きな穴、床一面に散乱した食器の破片。

僕たちの「普通」は、そんな風に音を立てて歪んでいたのだ。


農家である祖父母は、自分たちが手塩にかけて育てた野菜を食べなくなった。

代わりに食卓に並ぶのは、遠い九州から届く野菜。

幼稚園の給食は消え、お母さんは毎日、見えない敵から僕を守るようにして、硬く閉ざされた弁当箱を持たせた。


小学校に上がる頃には、会津の空の下で、僕は外を走り回れるようになっていた。

震災から一年。世間は少しずつ「落ち着き」を取り戻し、入学式の日には雪が降っていた。


僕の喉には、それから毎年、冷たい機械が当てられるようになった。

甲状腺の検査。何のために、何を探しているのかも知らされないまま、僕はただ、それが「儀式」なのだと受け入れていた。


僕が引越しという形で

あの幼稚園を去ってから数年後。

ニュースが、あの幼稚園に「室内砂場」が完成したことを報じていた。

二つの教室を潰して作られた、屋根のある砂遊び場。

雨の日も、目に見えない灰を気にすることもなく遊べる場所。

それは、僕たちが奪われた「自由な空」の、寂しい代用品だった。

あの時、駅前で見た硝子の破片。

それは今も、僕の心の奥深くに突き刺さったまま、時折、冷たく光を反射する。

必死に守ろうとした大人たちと、見てはいけないものを見てしまった子供。

それは、僕たちが奪われた「自由な空」の、寂しい代用品だった。

僕の幼少期は、あの屋根の下の砂場と同じだ。

安全な囲いの中で、歪な守護の中で、静かに、そして決定的に歪んでいった。


今も地図の上には、誰も立ち入ることのできない「帰還困難区域」が黒い影のように残っている。

許可証がなければ、かつての自分の庭にさえ一歩も踏み込めない場所。

世間はそれを「復興」という言葉で塗り潰し、あるいは「風化」という箱にしまって忘れようとしているけれど、僕の身体は、今もあの境界線の向こう側に置き去りにされたままだ。


不意にスマホから鳴り響く、緊急地震速報。

その音を聞いた瞬間、肺の奥からどす黒い吐き気がせり上がり、心臓が狂ったように警鐘を鳴らす。

抜けない硝子の破片。

地図の上に残る空白。

僕はその両方を抱えたまま、終わりのない2011年を生きている。

本作は、2011年3月11日の東日本大震災における筆者の実体験に基づき、当時の記憶を再構成したものである。


震災から十五年近くが経過しようとしている。街は再開発され、かつての傷跡はコンクリートで覆い隠された。しかし、今もなお地図の上には「帰還困難区域」という空白が残り、許可なしには故郷に触れることさえできない人々がいる。

僕の身体もまた、その空白の一部だ。


あの日僕は、緊急地震速報の音に喉を焼かれるような吐き気を覚え、震えが止まらなくなる呪いを引き受けた。


「復興」という言葉の影に隠された、決して終わることのない日常。


それを書き記すことが、あの日、屋根の下の砂場に閉じ込められていた五歳の僕に対する、今の僕ができる唯一の誠実さだと思っている。

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