硝子の箱庭
あの日のことを思い出すとき、音よりも先に、肌を刺すような空気の冷たさが蘇る。
2011年、春。
5歳だった僕は、福島県郡山市にある幼稚園の、2階の体育館にいた。
体操教室の終わりを告げる笛の音が、冷え切った空気の中に吸い込まれていく。
「今から大きな地震が来るんだって」
「なにそれ、私にはまだ来てないよ?」
お母さんたちの、そんなのんきな笑い声が、僕の知る「日常」の最後の音だった。
その直後、世界は飢えた猛獣のように暴れ始めた。
2011年3月11日 14時46分18秒
東日本大震災 発生
1歳の弟を、折れそうなほど強く抱きしめて、お母さんが僕の方へ走ってくる。
恐怖で強張ったその顔は、僕の知っている優しいお母さんとは、まるで別人のようだった。
揺れ狂う床の上で、先生の叫び声が響く。
「危ない、これはガスで動いてる!」
先生は、今にも倒れそうなヒーターに向かって飛び込み、必死にそれを押さえ込んでいた。
5歳の僕には、その背中がどれほど死に物狂いの決断だったのか、知る由もなかった。
避難通路を抜け、グラウンドに出ると、そこには残酷な境界線が引かれていた。
お母さんの腕の中にいる、僕。
親の迎えを、ただ震えて待つ、友達。
その中の一人の男の子が、僕のところへ寄ってきた。
「一緒にいたい」
何度も僕の家へ遊びに来た、親友だった。僕の親の顔を知っていたから、救いを求めてきたのかもしれない。
けれど、非情にも先生の声が彼を呼び戻す。
「先生と一緒に待っていようね」
彼は小さく頷き、僕たちを振り返って、心細そうに手を振った。それが、彼との最後だった。
帰りの車中、お母さんは「外を見るな」と繰り返した。
後部座席のモニターは、ニュース番組から、唐突にアンパンマンのDVDに切り替えられた。
けれど、僕は隙間から外を覗き見た。お母さんの怯えた声が、かえって僕の目を外へと向けさせたのだ。
郡山駅前。
歩道に散らばったビルの硝子が、午後の光を浴びてキラキラと輝いていた。
逃げ惑う大人たちの足元で、砕け散った「昨日までの普通」が、まるで宝石のように美しく光っていた。
その日のうちに、僕たちは磐梯熱海にある母方の実家へ逃げ込んだ。
農家だったその家には、自家発電機と井戸水があった。停電した街から逃れてきた僕たちにとって、そこは泥沼に浮かぶ「箱舟」だった。
夜になっても、地鳴りと余震は止まない。
暗闇の中で揺れるたび、何かが、決定的な何かが終わっていく予感に震えていた。
大人たちの会話は、いつしか「水」の話ばかりになった。
「水道の水は、絶対に飲ませないで」
蛇口を捻れば飲めるはずの水が、毒に変わった瞬間だった。
それ以来、食卓には遠い土地から届くミネラルウォーターのボトルが並んだ。山梨の親戚から届く支援物資を、僕たちは命を繋ぐようにして消費した。
卒園を三ヶ月後に控えた頃、会津若松への引越しが決まった。
「少しでも放射能から遠い、安全な場所へ」
その理由を、あの時すでに理解していたのか、後から記憶を補完したのかは分からない。ただ、父の仕事と僕たちの安全を秤にかけた結果、そこが終着点になった。
引越しの準備中、両親と祖父だけが、かつてのアパートへ片付けに向かった。
僕は連れて行ってもらえなかった。後で見せられた写真の中には、僕の知らない「家」があった。
倒れた箪笥、天板に空いた大きな穴、床一面に散乱した食器の破片。
僕たちの「普通」は、そんな風に音を立てて歪んでいたのだ。
農家である祖父母は、自分たちが手塩にかけて育てた野菜を食べなくなった。
代わりに食卓に並ぶのは、遠い九州から届く野菜。
幼稚園の給食は消え、お母さんは毎日、見えない敵から僕を守るようにして、硬く閉ざされた弁当箱を持たせた。
小学校に上がる頃には、会津の空の下で、僕は外を走り回れるようになっていた。
震災から一年。世間は少しずつ「落ち着き」を取り戻し、入学式の日には雪が降っていた。
僕の喉には、それから毎年、冷たい機械が当てられるようになった。
甲状腺の検査。何のために、何を探しているのかも知らされないまま、僕はただ、それが「儀式」なのだと受け入れていた。
僕が引越しという形で
あの幼稚園を去ってから数年後。
ニュースが、あの幼稚園に「室内砂場」が完成したことを報じていた。
二つの教室を潰して作られた、屋根のある砂遊び場。
雨の日も、目に見えない灰を気にすることもなく遊べる場所。
それは、僕たちが奪われた「自由な空」の、寂しい代用品だった。
あの時、駅前で見た硝子の破片。
それは今も、僕の心の奥深くに突き刺さったまま、時折、冷たく光を反射する。
必死に守ろうとした大人たちと、見てはいけないものを見てしまった子供。
それは、僕たちが奪われた「自由な空」の、寂しい代用品だった。
僕の幼少期は、あの屋根の下の砂場と同じだ。
安全な囲いの中で、歪な守護の中で、静かに、そして決定的に歪んでいった。
今も地図の上には、誰も立ち入ることのできない「帰還困難区域」が黒い影のように残っている。
許可証がなければ、かつての自分の庭にさえ一歩も踏み込めない場所。
世間はそれを「復興」という言葉で塗り潰し、あるいは「風化」という箱にしまって忘れようとしているけれど、僕の身体は、今もあの境界線の向こう側に置き去りにされたままだ。
不意にスマホから鳴り響く、緊急地震速報。
その音を聞いた瞬間、肺の奥からどす黒い吐き気がせり上がり、心臓が狂ったように警鐘を鳴らす。
抜けない硝子の破片。
地図の上に残る空白。
僕はその両方を抱えたまま、終わりのない2011年を生きている。
本作は、2011年3月11日の東日本大震災における筆者の実体験に基づき、当時の記憶を再構成したものである。
震災から十五年近くが経過しようとしている。街は再開発され、かつての傷跡はコンクリートで覆い隠された。しかし、今もなお地図の上には「帰還困難区域」という空白が残り、許可なしには故郷に触れることさえできない人々がいる。
僕の身体もまた、その空白の一部だ。
あの日僕は、緊急地震速報の音に喉を焼かれるような吐き気を覚え、震えが止まらなくなる呪いを引き受けた。
「復興」という言葉の影に隠された、決して終わることのない日常。
それを書き記すことが、あの日、屋根の下の砂場に閉じ込められていた五歳の僕に対する、今の僕ができる唯一の誠実さだと思っている。




