『創世記と恋物語-守護-』 【09.5】復活
その日、澪は中間テストからの帰路についていた。今日は得意な教科ばかりで、ほとんどが落書きをして遊んでいる時間だった。
さて、今日はどこに寄り道して帰ろうか。彼女がそんなことを考えていた矢先、ことは起きた。
「え!?わ、何っ!?うわ――――っ!」
自転車に乗っていたところ、いきなり曲がって来た車に道を阻まれ、澪は道のど真ん中で転んだ。
「痛って~……。っ!?」
身体を地面に打ち付けた痛みにも負けず起き上がろうとした途端、澪は怪しい薬を嗅がされ身体がくたっと地面に崩れ落ちる。
それを全身を真っ黒な服装に包んだ大人たちが抱え、車へ荷物のように放り込んだ。
澪が、何者かに拉致された。
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(暗っ。どこ、ここ!何!?てか縛られてる!?口塞がれてる!?苦しいんだけど!)
「むぐぐ。ぐ!」
「目が覚めたようですね。外してやってください」
「むぐ!」
澪は自転車で転んだあと目隠しをされて、どこかに連れて来られたようだ。外されると、そこには目を背けたくなる光景が広がっていた。
「!?」
(ここは……。ライブハウス!?てか何これ、床に太鼓がいっぱい!?ステージは……!?)
円形に並べられた、たくさんの太鼓が怪しい雰囲気を放っている。ステージに目を向けると、かつて澪が炎上覚悟で打ち壊したはずの「文音さま」の姿がスクリーンへ大写しになっていた。
「ぐっ……」
「ヒカリさんが文音さまの映像を全部コマ送りした結果見つけ出した、究極の1枚だ……。本当に美しい」
「素敵でしょう?私たちの絶対的な神、文音さまの美しい叫びの横顔」
ヒカリと呼ばれた女の、耳にまとわりつくような声がする。いかにも怪しい、黒いローブを纏ったヒカリが澪の前に立ちはだかった。
(何が「素敵」だって言うの……。どう考えても苦しんでるじゃん……。なんでこんな所に私は……)
「それを、あんたがぶち壊しにした」
「っ……!」
周りからも「そうだそうだ」「この悪魔め」と澪を罵る声が上がった。皆「文音さま」の信者で、10人ほど集まっている。
「私は、あんたを絶対に許さない」
(これは想定外だった。まさかこんな……。文音さま信仰がガチの宗教みたいになってたなんて。というか、振り落とせたと思ってたのに!まだ、文音ちゃんの可愛い所を発信するのが足りなかった!?)
「私たちは今日ここで、新生・文音さまを顕現させる。あんたはその文音さまを召喚するための囮に過ぎないし、私たちが正しいとここであんたに証明する」
並べられた太鼓たちは、そのためだった。もし文音がここに居合わせたら、中学生の頃の苦しみと戦っている真っ最中の彼女が正気でいられるはずがない。
間違いなく、苦しむ姿が美しいだとか健気だとか称えられる『文音さま』の再来だ。
「あんたが文音さまを穢したことでどれだけの人間が苦しみ、生きる希望を失ったか。ここに集まったのは私の同志たち。あんたは何も分かっちゃいない、俗な世界に引きずり落としたクズだ」
(いいや、分かってないのはそっち。何者か知らないけど、文音ちゃんは『文音ちゃん』だから可愛いの。「文音さま」はこいつらみたいな奴が作った嘘の姿。文音ちゃんは本気で苦しんでいたのに!)
澪は反対したくても口をテープで塞がれて何も言えない。
「ヒカリさん、文音さまのSNSが動きました。DMです」
「何ですか」
「奴を攫った瞬間を、ドリームテイルの誰かに目撃されたようです」
(え、気持ち悪!?なんで文音ちゃんのDM読めるの!?まさか、アカウントを乗っ取って……。てか文音ちゃん、二段階認証してないの!?)
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一方、文音は自宅で足音を控えつつダンスの練習をしていた。
本来の自分を取り戻したことを宣言する、澪がプロデュースしたあの曲『めろめろバングは反抗期』の練習だ。そんな時文音の携帯に通知が届いた。
(……何?)
次の瞬間、文音の顔から血の気が引いた。それは今日澪と直接会うはずだったというドリームテイルの一員からの深刻な知らせだった。
『澪が車にぶつかられた』
『轢かれてない!転んだけどピンピンしてる』
彼女の早とちりかと文音が胸を撫でおろした直後、3つ目のメッセージが送られてきた。
『澪がそのぶつかってきた車に連れていかれた』
何か返信をしなくては。それなのに、恩人の危機に文音の指先は言うことを聞かない。
『地図で見たら多分街の方』
『何だかやばそう。文音さまがどうのって聞こえた』
(まさか……。私のせいで……)
『少なからず私に責任があります。場所はどこかわかりますか』
文音は練習着にしている中学のジャージのまま自宅を飛び出した。
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「文音さま、外出されたようです!」
「少々手順は狂いましたが次に移ってください」
「はい」
澪のポケットに入れっぱなしだった携帯が震え出した。縛られて取り出せそうにないが、この震え方はSNSからの通知だ。
(あいつらの話から何となく分かる……。文音ちゃん、こっちに来てる。多分場所を言ったかここに誘導してるんだ。こんなところ、来ちゃいけないのに……。誰か罠だって言ってやってよ……)
「文音さま、最寄り駅で下車されました!」
「ふふっ……。遂にこの時が……」
(本当ダメだって文音ちゃんっ……!気づいてっ……!)
ただ、誰かが澪を助けに来るとしたら文音くらいだろう。澪は1つしかない扉を見つめていた。
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街の中心地から少し離れた、小さなライブハウス『ターコイズ』を前に文音は息を切らしていた。
「澪さんっ……」
文音は力を込めて、ライブハウスの重い扉を細く開けた。
「っ…………!?」
隙間から少しだけ見えたのは、縛られた澪でも、ヒカリたちでもなかった。
ついこの前のことなのにはるか昔のことに思える、「文音さま」として心が潰れそうになった自分の顔だった。
文音の心臓が、この上なくバクバクと悲鳴をあげる。胃から嫌なものがこみ上げてきた。扉に背を預け、静かに座り込む。
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ライブハウスの中には外の音がほぼ聞こえず、空調の音だけが静かに響いていた。沈黙に耐えられないらしい信者の1人が口を開く。
「ヒカリさん……。文音さま、なかなか来られませんね」
「ええ。そろそろ到着なさってもおかしくない頃なのに」
(もうこの際、この騒ぎに気づいた誰かでもいい……。私を解放してほしい……。そうしたら私が文音ちゃんを止めるのに……。あれ?今……)
扉がほんの少し開いた気がする。見間違いかと思い澪は身を乗り出した。
ヒカリたちもそれを見逃さない。
「奴、さっきからやたらと扉の方を見ていませんか?」
「……文音さまを待っているのでしょう」
「待っているだけにしてはすごく前のめりですよ」
「んぐっ!」
澪は身を乗り出しすぎて、床に座らされた状態から転んでしまった。
「んぐっ……!」
「まさか誰かいるのでは!?」
「文音さま……!?」
ヒカリが勢いよく扉を開けると、それまでそこにもたれていた文音が飛び上がって、顔色を悪くしていた。
「文音さま!文音さま、どうぞこちらへ……!」
「い、嫌っ……。離してっ、くださいっ……!」
文音はそのまま、バックステージの方に連れて行かれる。
「ぎ、儀式の準備だみんな!」
「ああ、そうだった……」
文音がこの場にやってきたことへの歓喜を隠し切れないまま、信者たちがいそいそと動き始めた。
澪は身動きが取れないままだ。道で自転車ごと転んで、ここでも頭から倒れこんで、体中に鈍い痛みが響き続けている。
(なんで……。なんで私はこんな所を寝っ転がって見てることしかできないの……!)
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ライブハウスのバックステージで、文音とヒカリは2人きりになった。
2人の間に、文音が「文音さま」として世間に祭り上げられることとなった元凶の曲『新月宵祭』で使った衣装……に似せて作られたものがトルソーに飾られている。
本物は丁寧に様々な素材を組み合わせて作られたが、これはほぼすべてがサテンでできており、艶が悪目立ちしている。
「ようやくお目にかかれました……。光栄です、文音さま」
「澪さんを、返してください……」
僅かな空調の音にも消えてしまいそうな声で、文音は告げた。
「こんなことをして、何になるというのですか……」
「またご冗談を。文音さまの姿に救われた者が何人いたことか。そして、奴のせいで希望を失った者が1000人単位でいたのです。だから……」
ヒカリの声色は、澪に向けられたものとはまた異なる、恋心を真っ黒に焦げるまで煮詰めたような声だ。
「私たちは、元の『七星文音』が覆い隠した『文音さま』を、蘇らせるためにあなたをここに召喚したのです。さあ、それをお召しになって私たちをお救い下さい」
「嫌だ、と言ったら……?」
「強行するだけです」
(ことを荒らげたくはないが……。意図がまったく分からない……)
「私は、これから何をさせられるのですか……?」
「文音さまを、蘇らせます」
それ以上、ヒカリは何も言わなかった。
文音は抵抗を諦め、その衣装を自ら纏った。新品の布特有の匂いが神経を逆撫でする。
「あぁ、文音さま。本当に、お美しい……」
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(何なんだ、この地獄は……)
澪は目の前の景色に吐き気すら催していた。隅に固まっていた信者たちはいそいそと儀式なるものの準備を進めている。ライブハウスの真ん中、円形に並べられた太鼓1つ1つの前に彼らが立った。
(完全に、文音ちゃんの押しちゃいけないスイッチを押すためだけの何か……。なんでこんな……。1番守護らなきゃいけない時に私はこんな……!)
ヒカリの声がライブハウスに響いた。音響を通さなくても、妙に通る声だった。
「皆さん、文音さまのご降臨です!」
それと共に、信者たちは太鼓を叩き始めた。1番苦しんだ頃の文音でも、ここまでどろどろとした音は出さなかっただろう。
ヒカリに背中を押され、文音はあの衣装姿で皆の前に現れた。
「おお……!文音さま……!」
「文音さま……!」
(どうして私は……。1番文音ちゃんがピンチの時に限ってそばにいてあげられないの……)
「さあ、真ん中へ」
文音は踏ん張って抵抗したが、1歩ずつ前に進められてしまう。
(いや、それよりもこの地獄……。私、こんなんじゃ守護者失格だ……)
太鼓の輪の真ん中に入れられ全方位からその音を浴びせられる文音は、かつて酷い冷やかしに遭った以上の恐怖を植え付けられようとしていた。
くるくると体の向きを変えるが、どこを見ても大して景色は変わらない。ある者は下品な笑みを浮かべながら、またある者は恍惚とした目つきで太鼓を打ち鳴らす。
一定なのに不気味で、儀式的なリズムだった。
「もう、やめてっ……」
文音は耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「文音さま……!あと少しです……!あと少しで、奴のかけた悪い魔法が解けますっ……!」
ヒカリの声に煽られてますます太鼓の音は大きく、激しくなる。
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澪と文音が絶望の底の底まで落とされる中、ヒカリは狂信的に愛してきた存在が今目の前にいることへの喜びを隠しきれなかった。この状況は、ヒカリにとってはまさに「文音さま」復活の時だ。これまでの苦労が、走馬灯のように思い返される。
ヒカリと呼ばれるこの女、本名は聖耀。彼女は成人式をとうの昔に終えた年頃だ。
彼女が思い返せば、耀の子ども時代や青春と呼ばれる時代は酷いものだった。
唯一自由が許された小学生の頃、高学年になってからの3年間耀はずっと器楽部にいた。隅の席で、音楽の授業の延長かのようにリコーダーを吹き続けていた。
耀は、特に何も言われなかった。何か言われるとしたら、弱冠小学生にして金管楽器に挑んだ勇気のある子が褒められたり怒られたりしていたくらいだ。
中学校に上がったら、「進路」という言葉がついてまわる。耀は両親から過剰に期待されて、大企業に入るため「いい学校」に入れと受験勉強を強いられた。
高校生の頃も、似たようなものだった。学校行事も"それなりに過ぎ去った授業のない1日"に過ぎなかった。
ある日、帰り道の電車の窓に映った耀の顔は、草臥れた会社員のそれのようだった。1度恋愛に走ろうともしたが、耀は見た目で周りに劣っていて誰からも相手にされなかった。
大学に上がったところで、結局は就職の予備校のようなものだ。社会に放り出される列が進む中に混ざり、上級生が出荷されていくのを見届けては耀の心が澱んでいく。
目目指すことにされていた大企業にも落ちて、耀の大学から行った人が多いという会社へと流されるように入った。
ずっと、誰も愛せず誰にも愛されず、耀の人生は灰色だった。
それを何にも染まらない色で塗りつぶしてくれたのは『文音さま』だった。
自分より年下の人間が注目されている事への妬ましさも少しはあったが、文音さまは年齢など関係なくこの世で最上級の存在として耀の目に映った。
巷のアイドルがよく見せる浅はかな可愛らしさとは正反対で破滅的なパフォーマンスを繰り返している。文音さまは耀の全てになった。
「文音さま……!」
小さな身体で歌い、叫び、太鼓を叩き続けるその姿に耀の目は釘付けになっていた。
映像はコマ送りで一挙手一投足を目に焼き付けて、イベントやライブでは歓声ひとつ出さず、文音さまの歌と演奏に聴き入っては拍手を送る。
その日々が、どれだけ幸せだったか。
それを壊されたことが、どれだけの苦痛だったか。
突如ドリームテイルのSNSに大量投稿された、文音さまのあられもない姿に耀は酷く傷つき、休職した。それは澪への恨みに満ち満ちた、文音さま奪還作戦の始まりだった。
澪が『文音さま』から『文音ちゃん』を取り戻そうとしたように、耀は『文音ちゃん』から『文音さま』を取り戻そうとした。
SNSの片隅で静かに組まれたコミュニティには、『文音さま』が消えていくことを惜しむ人々が1000人ほど集まった。彼らは今日まで作戦を練り、情報をかき集めて今日に至った。
澪の通う学校は明かされていなかったが、耀は澪の投稿から執念で探り当てた。文音のアカウントを覗けたのも、耀たちがあらゆるパスワードを打ち込み続けた結果だった。
アイドル活動と小説に夢中な文音と、『文音ちゃん』を取り戻すことと『めろめろバングは反抗期』作りに夢中な澪はこの異変に気づけなかった。
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(文音ちゃんっ……。縛られた手でも、頑張ればポケットに入れっぱなしな携帯を掴めそう……。でもダメだ、着替えさせられたら多分文音ちゃんが携帯持ってない!)
(このままごろごろじたばたしたら、文音ちゃんに近づいて何か……。ダメだ、あいつらに囲まれて近づけない……)
ポケットで震え続ける携帯を、澪は藁にもすがる思いで手に取った。
滝のように流れる通知は、全てドリームテイルのアカウント、今はその『中の人』の澪に向けられた人々からのリプライの嵐だった。
ヒカリの作戦が動き出したことで文音さま信者から寄せられた罵詈雑言ばかりだったが、中にはそうでないものもある。
『澪ちゃん大丈夫か!?』
『誰か、場所分からないのか!?ファン同士のいざこざに本人巻き込んじゃダメだろ……』
『澪のおかげで文音ちゃんの魅力に気づけたから感謝してる。戻ってきて!』
(一か、八かだけど……!)
この爆音の中なら、シャッター音ひとつがバレるとは考えにくい。
澪は1枚、ほぼ真っ黒な写真をアップした。
しばらくすると、扉が勢いよく開けられた。
「澪ちゃん!」
「文音ー!」
数人の大人たちがなだれ込んできた。その場は騒然とし、儀式は中断される。
「な、何ですかあなた達は!」
ヒカリが怒鳴ると、彼らも言い返した。
「ドリームテイルのアカウントに、いきなり位置情報つきの画像が上がったからそれを見て来た!」
「私たちが文音をまた苦しませようとしてる連中を放っておくとでも思ったの!?」
(よかった、味方だ……!)
「澪ちゃん、あの写真はもう消した方がいい。これ以上集まると大変なことになる」
澪はファンの1人にようやく拘束を解かれた。
「もちろんです、向こうの援軍が来たら詰むから賭けだったけど、先に気づいたのが味方でよかった」
位置情報つきの写真をさっと消して、澪は立ち上がった。
「あんた、ヒカリとか言ったよね」
「……悪魔が何をほざく」
「私が悪魔に見えるって?私にはあんたらの方がよっぽど悪い奴らに見えるんだけど。私も厄介オタクはたくさん見てきたけど、ここまで筋金入りだと笑えてくる」
澪は、初めて人間に拳の1発でも入れてやらなくては収まらない気持ちが煮えたぎっていた。しかし愛しい文音の前で、そんな野蛮な姿は見せたくない。純粋に文音を想う気持ちが彼女の拳を引き止めていた。
「澪、さん……」
轟音が止み、耳鳴りの向こうから澪の声がする。文音はそっと顔を上げた。澪は駆け付けたファンに向き直る。
「……ごめんなさい、みんな。せっかく来てもらったのに。後は私たちの話だから、外で待っていてもらえますか」
ファンたちは2人を危ない所に残すことに躊躇いつつも、そう告げる澪の覚悟を感じさせる表情にそっとこの場を後にした。
「今更悪魔が何を言う!」
「儀式を止めるな、あと少しだ!」
「嫌っ…………」
文音の小さな悲鳴は、彼らの耳まで届かなかった。残された信者たちは、再び一心不乱に太鼓を叩き始める。轟音の中で、澪は声を張上げた。
「この際だから全部言うけど、あんた本当におかしいよ!」
「おかしい……?どこが」
「……全部。推しの苦しむ顔を見たいオタクなんて存在してたまるかってところ」
「誰が文音さまのお姿を『苦しんでいる』と決めつけたの?」
「決めつける……?決めつけてるのはそっちだよ!誰がどう見ても、文音ちゃんはこの数ヶ月、ずっと戦ってた!」
「へぇ、あんたも案外分かっているのね。そう、それこそ文音さまの最も伝えたかったこと。現実世界での苦しみや怒り、悲しみ全てをあの音色で鎮めてくれる、まさに鎮魂歌」
「……ばか」
澪のネオンシアンの瞳が、きっとヒカリを睨みつける。
「文音ちゃんは、ずっと悔しがってた。こんなことになったのは、「自分を制御できなかったせいだ」って。文音ちゃんはずっと自分のために、自分と戦ってたんだよ!」
「いや……。違うっ……。文音さまは、私たちの苦しみを背負ってくださり……」
ヒカリの的外れな妄信っぷりに、とうとう澪の堪忍袋は丸ごと爆発した。
「ふっざけんな……!文音ちゃんのこと、何にも知らないくせに!」
「何を言う、私は文音さまの全てを……!」
「じゃあ分かるでしょ、答えてよ!」
澪には確信に近いものがあった。ヒカリを黙らせるには、文音の本来の魅力を直接分からせるしかない。
「文音ちゃんの誕生日は!?」
「何を言い出すかと思えば。6月18日でしょう?」
「メンバーカラーは?」
「常識じゃない。黒でしょう?」
「ふんっ、じゃあ文音ちゃんの本当に好きなものは?」
「……っ」
「そもそもメンカラの「黒」の由来は!?文音ちゃんが1作だけ手を出したマンガとその推しは誰!?」
ヒカリの顔を、冷や汗が伝う。なぜ、文音さま信者の第一人者である自分が、たった1人の小娘にここまで追い詰められているのか。彼女の凝り固まった頭では理解が及ばない。
「文音ちゃんがアイドルになった、本当の理由は?」
「……ええい、黙れ、黙れ黙れ!」
「黙るもんか!」
そう叫ぶと、澪の身体がずきりと痛んだ。車に轢かれかけた勢いで自転車から転げ落ちた身体の痛みは、ずっと前から限界を超えている。
「文音ちゃんは……。ずっと文音ちゃんだった……。っ。シャイで、前髪重ためメガネっ子な陰キャで、低めで吐息たっぷりな声と前髪から覗く綺麗な赤い目がチャームポイント……」
当の文音は、澪の思いに応えるかのように顔を上げた。ステージの上で、ヒカリが狼狽している。どうしてそうなのか、文音にはまだ分からない。
「趣味は読書で、その好きが高じて自分で小説書いちゃうくらい……」
澪は文音の本当の魅力や好きなものを洗いざらい語り尽くす。ヒカリは彼女にとってこれまでにないほど忌まわしい存在だが、お互いあの『七星文音』が好きという点では同族なのだから。
「あと、マンガの『クリミナル・クリスタル』が大好きでマリンきゅんとサンドさんにお熱……。あくまで太鼓は、秘密の姿……。あんなのは、文音ちゃんが望んだ姿じゃないっ……!」
「黙れっ……。文音さまを、穢すな……。うあっ……。ぐっ……」
ヒカリの中で、『文音さま』の絶対的な姿が音を立てて崩れていく。澪があの日々に拡散した、文音の姿が脳内を駆け巡っていく。
ダンスの練習で尻もちをつく姿、静かに書き物をする姿、そして小さなぬいぐるみと共に練習室の床で眠り込んでしまった姿……。ヒカリは頭がふらついてその場に崩れ落ちた。
「ヒカリ、絶対、分からせるからっ……。ぐっ、文音ちゃんの、本気で可愛いところを……っ」
澪も、ひどく痛む身体でとうとう立っていられなくなりどさりと床に崩れ落ちた。
「ヒカリさん!」
あのヒカリが論破された。信者たちは太鼓を叩く手を止め、彼女に駆け寄る。蹲る澪の元に、文音も飛び出した。
「澪さんっ、澪さんっ……!どうして、どうしてここまでっ……」
かれこれ10年近く文音を想い続けた澪も聞いたことがない、文音の悲痛な声がこだました。彼女が澪の身体を揺さぶると、すぐにいつもの3枚目な澪が戻ってきた。
「痛、痛いって……。自転車で大横転して、身体全部ぶつけてるから〜っ……」
「澪さんっ……!よかった……」
「いっ……たぁ〜〜っ…………」
文音に抱きしめられ、澪は増す痛みを堪える。その一方で、ヒカリは遠巻きに信者たちから囲まれているだけだった。
「ヒカリさん、気を確かに……」
「ヒカリさん」
ヒカリはゆらりと立ち上がる。文音がここにやって来た時や、ステージ上で文音さま降臨を告げた時の紅潮した顔が嘘のようになっていた。
「もう、何も信じたくない……っ」
「あ、ヒカリさん、危ないっ!」
辺りに鈍い音が響いた。覚束ない足取りでステージ上を彷徨った挙句、そこから落ちてしまったのだ。
痛みに顔を歪めながら目線をあげると、そこには文音が立っていた。
「あやね、さま……」
「……私は、神ではありません」
信者たちも、文音の言葉に息を呑む。
「私は所詮、小説の題材欲しさにアイドルを始めた愚かな人間にすぎません」
文音の足はまだ震えていたが、項垂れるヒカリに静かな調子で語りかける。
「アイドルとして努力を重ねる中で味わう悔しさ、苦しさ、達成感。誰かと時間を共にすることで生じる一体感や衝突、和解。その全てを、ちゃんとこの目で見ておきたかった」
そこにいたのは澪ですら忘れかけていた、アイドルでもない『文学少女』としての七星文音だった。
「何の経験もしていないのに、どうして魅力的な物語が書けると言えるのでしょうか。……できるわけがない」
「あなたはきっと、これまで……。壮絶な体験をされたのでしょう。仲間を集め、澪さんの学校を特定した。この場所や人の確保をし、澪さんの拉致までした。ここまでの行動に至るまでの人生でも色々あったのですよね」
文音は、ヒカリの前に膝をついた。
「顔を上げてください」
絶望に満ちたヒカリの視界にはぼんやりと、それでも確かに文音の姿が映っていた。
「もし、まだ私を「神」と崇めるのなら……。筆を執り、あなたに眠る物語を描いてほしい。こんな私から言える、唯一の神託です」
ヒカリにとっての絶対的な神がようやく授けてくれたお告げに、彼女は号哭した。
無事にライブハウスから出てきた文音に、ファンたちは声をかける。それに続き、信者たちに身体を支えられたヒカリも出てくる。
「文音、大丈夫だった!?」
「私は、平気です……。それより澪さんが……」
結局、澪とヒカリはまとめて病院に担ぎ込まれた。
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消灯時間が迫る夜の病室に、澪とヒカリは隣同士のベッドで寝かされていた。
万が一のために行われた検査の結果、2人とも大した怪我ではなかったため翌日には退院する。
静まり返る病室で、澪はそっと口を開いた。
「ねえ、その漢字……。『ヒカリ』って読めそうにないんだけど」
「あんたこそ、その字で『れい』とは変わった名前なのね」
「……だから初見の人には『にしきみお』って呼ばれるんだよ。そっちはなんて読むの、それで」
「聖耀。『ヒカリ』はただのネットでの名前」
2人の年齢は干支がひと回りしそうな程離れていたが、本音で罵り合ったのだからそんな垣根はとうの昔に越えていた。
「私、今回の件で分かった。『文音さま』から『文音ちゃん』を取り戻すことが嫌な人もこの世にはいた。むしろそっちの方が多かったってこと」
「それでも、文音さまを消してしまうのでしょう?」
「……どうだろう。私はただ、文音ちゃんに苦しんでほしくないだけ。そのためには『文音さま』のイメージを壊すしかないって考えてたけど、それだけじゃないんだよなって」
澪は痛みを堪えつつ身体を耀の方に向けた。
「あのさ、もし万が一……。文音ちゃんが苦しみを乗り越えて、その上でかっこよく太鼓を叩ける日が来たらどうする?」
耀は少し考えた後、確かな声で答えた。
「きっと、それこそが真の意味の『文音さま』なんでしょうね。あの方の演奏が鎮魂歌ではなく福音になることを、私たちはこれから黙々と祈ることにします」
「……。なんだか難しいけど、強引な手でどうこうしないってこと?」
「そういうことです」
澪は大きなため息をついて仰向けに戻った。
「はぁ……。よかった〜〜……」
『創世記と恋物語-守護-』 【09.5】復活 おわり
これは、澪が文音を「文音さま」から「文音ちゃん」に戻そうとする過程で起きていたであろう反発を描いた番外編です。
ただでさえ現実離れしている本編よりさらに現実味がないため、それとは分けて掲載しました。
私自身が「推し」というものを信仰の対象のように見ていると感じていたことと、文音が神として祭り上げられた以上、激しい信仰と反発は避けられないというところから耀は生まれました。
耀は確かに悪役です。とんでもないことをやってのけました。
それでもすべては「文音さま」への狂信的な愛ゆえの行動です。
澪だって、単なるヒーローとは言い切れません。いつも過激なことばかりをしています。
それでもすべては「文音ちゃん」への一途な愛ゆえの行動です。
2人の「文音が好き」という気持ちはほとんど同じです。文音のどんなところを愛したかは大きく違いました。
澪はかつて、控えめで可愛らしい女の子が和太鼓部だったことで文音により惹かれていきました。
耀にも、必死で太鼓を叩いていた「文音さま」の控えめで可愛らしい女の子としての魅力を受け入れてくれる日が来ることを信じて、あとがきと代えさせていただきます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




