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第五話『鏡花水月』

『……絶望ですわ』


『………………わたしだけで一日ちゃんの家に行っちゃったのは謝る』


『そのことではないですわ!』


『ん~、じゃあ、何の話~~?』



好きな四字熟語は? と聞かれれば迷うことなく、『鏡花水月』と答える。自分の名前のこととはさほど関係なく、彼女はその言葉が好きだった。語感と漢字の美しさもさることながら、目には見えるが手に取ることのできないもの、といったはかなげな意味合いも風情があり、心をくすぐられた。

 いつの間にか大好きになっていた名前。それと同じくらいに彼女が大切にしているもの、それは――。

「――キヒンあふれるおじょう様になることですわ!」

「…………」

「がんばれ~」

 勢いよく宣言した鏡花がおやと首を傾げる。一日の聞いているのか、聞いていないのかよく分からない返事はいつも通りだからいい。しかし、明姫が何も合いの手をいれないのは珍しい。

「どうしたんですのん、明姫さん?」

「…………ふと、思ったんだけど」

 赤い瞳をつと向け、はっきりとした声色で、とある問いを投げかけてくる。特段言いよどむこともなかったから、彼女としては本当に気まぐれな問いでしかなかったのだろう。しかし、それは思いかけず、彼女の芯を揺るがすことになる。

「鏡花ちゃんはどうして、おじょう様を目指してるの?」



 平たく言うなら、鏡花にとってのお嬢様は憧れだ。恋焦がれて、惹かれて、心が良い意味でざわざわとする。いつしかその憧れは自分もそうなりたいという動機になり、お嬢様言葉を使ったり、相応しい振る舞いを勉強したり、そういった努力を始めたわけだ。

 ……というのが答えではあるのだが。

「……そういえば、なぜわたくしはおじょう様にあこがれているのですかしらん」

「ん~、なんで~?」

「…………今の答えで十分だけど、……まあ、それも聞いてみたい」

 声質のせいかぼそぼそ言っているのにばっちり聞こえてしまう。照れているのが丸わかりで、鏡花も顔が熱くなってくるのを感じる。

「え、えっと、た、確か、あこがれ始めたのは幼少のころですわ。何かを見て、キョーレツに心をひかれて……」

 はて、何を見たんだったか。バラエティー番組、アニメ、ドラマ、母、父、同級生、絵本、おもちゃ、人形、水族館、動物園、遊園地、あとは――。

「――おやしきですわ」

「おやしき~?」

「……………」

 それは小学校に入る前のこと。親戚の誰かが持っていた大きな家へと訪問したときだった。そこには、お姫様がいた。……無論、どこぞの王族ではなく、その家のオーナーの娘さんだった。ただし、その娘はただの女の子というには上品で綺麗で。元からある美しさだけでなく、薄い化粧やドレスによって飾られた立ち姿は凛としてこれ以上なく似合っており。

「…………………」

 鏡花が言葉を失うのに十分だった。

 彼女はお姫様ではなかったものの、大きな屋敷を所有する親の娘ではあった。幼少の頃から裕福な暮らしをしており、淑女としての英才教育も受けてきたらしい。お作法とか立ち振る舞いはもちろん、バレエやピアノ、そういった令嬢然とした習い事、学問も専任の家庭教師を雇って教わっていたりで、惚れ惚れするほどのお嬢様だった。

「――だから、わたくしは彼女のような美しい女性になりたいと思ったのですのよん」

「これが、鏡花ちゃんのつーるってやつだね~」

「…………ルーツだと思う」

 ルーツ。一日が珍しく、核心となる言葉を言った。……厳密には言ってないけど言った。

 鏡花は頭の中に再び、あの時見たレディの姿を思い浮かべる。スラッと背が高く、背筋もピンとしていて、瞳には力があった。……鏡花が思うには、彼女が立派な淑女足りえたのは、環境による要因だけでも、本人の類まれなる努力だけでもなく、芯の通ったその意志が大きかったんじゃないかと思っている。……そう思う根拠は、人に言えば弱いと言われるかもしれないただ一つ。

「――ごきげんよう」

 その言葉を口ずさんだ時の柔らかな微笑み。そこに浮かぶ余裕が、彼女の存在を際立たせていたからだった。

 ……彼女と会うことはそれ以降なかったが、心の中では今も強く根付いている。…………そういえば、彼女のような微笑みを最近どこかで見たような気がする。そう、それは時折り、お嬢様のような気品を見せる自分よりも少しだけ、ほんの少しだけ背の高い少女。

「…………どうしたの?」

 じーっと見つめていればそりゃ気付く。……それでも見つめるのを止められず、鏡花の胸にはとある感情が去来する。そして。

「絶望ですわ」

 きっかけを作った少女の口癖を意図せず意趣返しのように呟くのであった。



「……色々と思い知ってしまったんですのん」

 明姫が買ってきてくれた水をこくりと飲みながら、天を見上げる少女。まだ真昼だというのにかなり黄昏れていらっしゃる。

「……思い知った?」

「ええ。…………わたくしなんて、おじょう様にはほど遠いんですわ」

「……なんで、そう思うの?」

 明姫は、俯く鏡花の前に立ち、まっすぐな瞳で見つめる。彼女の誠実さ、気高さを象徴した振る舞いにさらに胸がキュッと締め付けられる。

「……………」

 満足に口を開くことができない。言葉に出してしまえば、自分の弱さをさらけ出してしまうことになる。……鏡花にだってプライドはある。おじょう様を目指すならこんなところで弱音を吐いてなんていられない。でも――。

「……あの日見た女性のようにはなれていないんです。それに――」

 ――彼女を友達だと思うなら、伝えなければいけない、そう感じたから。

「――わたしよりも、明姫さんの方がずっとおじょう様をしています」

「…………そんなこと」

 否定しようとした明姫のほっぺを一日が突然掴む。

「鏡花ちゃんがそういうってことは~、きっとそうなんだよ~」

「…………そう、かもしれないね」

 今日の一日は悟りを開いたかのように核心へと迫ってくる。……当人は何も気付いていない様子。

「……わたしがおじょう様っぽかったとしても、鏡花ちゃんと比べる必要なんて」

「ないですわね。……でも、比べてしまうんですのん」

 明姫はあの人に雰囲気が似ているから。憧れを追い求めてしまう。

「……わたくしは、言葉遣いも、立ち居振る舞いもまだまだで。……しょみんのわたくしができることなんてそれぐらいしかないのに」

 島であるがゆえに、習い事は限られている。家族だっているんだから、身分の方は本物のお嬢様になることはできない。中身がなれないなら、外面だけでも。その一心で今までやってきたわけだが。

「…………明姫さんのようになりたいのに」

「………………」

 しばらく何かを考えていた明姫は徐に鏡花へと近づいてスッと手を伸ばす。そして。

 ナデナデ。

 優しく頭を撫で始める。

「!?」

「一日も~」

 優しく背中を撫で始める。

「!?」

 動揺する鏡花をよそに、明姫はいつになく柔らかな声を投げかける。

「……鏡花ちゃんは、そのままでいいと思うよ」

「! そ、それって」

「おじょう様になるのをあきらめろって言ってるんじゃないよ。……鏡花ちゃんは鏡花ちゃんなりのおじょう様になればいいってこと、だよ」

「そういうことだよ~」

 二人がかりでそんなことを言われて目をパチクリとさせる。きれいごとなんかじゃない。本気でそう言っている。

「で、でも」

「……理想のおじょう様像も捨てる必要はないと思う」

 心を読むかのように先回りをし、言葉を紡ぐ少女。にこりと笑い、彼女は鏡花の長い黒髪をすいていく。

「今は理想から遠くても、目指したころよりずっと近づいてるはず」

「そ、それは、確かにそうかもしれませんですけれど」

「それに、そもそも鏡花ちゃんは最初からずっとあきらめてなんかないでしょ」

「! あきらめられるわけ――」

「なら、大丈夫」

「大丈夫~」

 髪から手を放し、もう一度正面へと立つ。赤い瞳がキラリと輝き、鏡花を見据える。鋭さはあれど、その眼差しは優しさも秘めていて。

「自信を無くしても、道のりが遠いと分かっても、鏡花ちゃんは決してあきらめない。立ち止まらないなら、いつかはたどり着く」

「! あ、明姫ちゃん」

 言葉に込められた思いを感じ取り、目が潤む。涙が流れそうになるのを我慢して、一度深呼吸。鼓動を落ち着け、ようやく自分の思いに向き合うことに成功する。

 憧れの女性に、自分よりも淑女に近い友達。己を誰かと比べるのは悪いことじゃないにしても心は滅入ってしまう。そんな中でも立ち止まるなんて選択肢はなかった。それはつまり。

「……希望ですわ」

「………………うん、似合ってる」

 今日一番の笑みを浮かべ、手を差し伸べる。なぜか先に一日が手を伸ばし、次いで鏡花が手を乗せ、二つの小さな手を握る。

「……心配をかけましたわね。もう大丈夫ですわ」

「……なら良かった」

「良かった~」

 にこにこと微笑みあう三人。これにて一件落着。気を取り直して、今日も元気におじょう様しよう。そう改めて誓い、彼女はうふふっと上品に笑った。



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