第三十話『死より深い絶望を』
『! ようやく、一緒に来れた!』
『おう、そうだな。……それにしても』
『ん、すごく、綺麗、でしょ?』
『……ああ、本当に』
某月某日。例の絶景ポイントへと訪れた二人は、オレンジ色の絶景を眺めながら簡単に身を任せていた。これを初手で退いた明姫はかなりの豪運、だと思ってからくすりと苦笑する。
「このタイミングで引き当てる俺もかなり運がいい」
「私のおかげ、でしょ?」
ずいっと近づき、じと目で見上げると、直人は仏頂面でそうだなと頷く。自身でも気付いていたことなので、より面白くないと感じられた。……まあ、直人も大人なので、華麗にスルーして視線を海へと向ける。
数分とはいえ時間が経ち、陽光はさきほどよりも陰りを見せている。それでもキラキラと輝く海は幻想的で思わず、息を呑む。
「……久しぶりに見たけど、やっぱりいい。…………直人が一緒だとよりいっそう」
「お、おう」
チラリと隣を見てみると、夕日に照らされた彼女は景色に負けないくらい綺麗で。……頬が朱に染まっているのは、夕日のせいか、さきほどのセリフのせいか。……すごく自然に言っていたからおそらく前者だろう。…………自分だけ恥じ入っているのがなんとも複雑な心境だった。
「……そろそろ暗くなってきそうだし、上に戻るか」
「うん」
名残惜しく思いながらも踵を返し、二人並んで上へと戻る。……スッ手が伸びて当然というように手を繋いで。
特に気にすることもなく、人が行き来したおかげか、すっかり通りやすくなった道を歩いていく。
「…………それにしても、これでやっと肩の荷が降りた」
「? どういう意味?」
こてんと小首を傾げる。こういう仕草はいくつになっても可愛らしい。微笑ましくなりつつ、質問に答えてやる。
「あの景色を一緒に見たら、死よりも深い絶望を与えるって宣言もなかったことにしてくれる話だっただろ?」
「……………あぁ」
「え、何、そのそんな話もあったなって表情!」
自分の中では割と重要な約束だったのに彼女はさほど大切ではなかったのか。
「だって、それ、ただの口実、だし」
「え?」
口実と言われて一瞬思考が停止する。ぽかんとした直人を見て、明姫はやれやれと首を振ったあと、じとーっと湿り気のある視線を向ける。
「やっぱり気付いてなかった。……あんな色気のない宣言、本気なわけがない」
「えぇ」
すごい鈍感呼ばわりされたが、何度か確認した際、その都度、宣言し直していたはずだ。直人だって、宣言自体に意味はない可能性があることくらい分かっていた。
「…………いや、待て。口実だったってのは分かったが、じゃあ、何で一緒にあの景色を見られればいいってことになったんだ?」
……結局、今にまで延びてしまったからいいものの、早々に見にいけてしまう可能性もあったはずだ。そうなってしまえば、明姫が言うところの口実がなくなってしまい、彼女の下から離れていく可能性も無きにしも非ずだった。……そんな口実なくとも兄妹としてならずっと一緒にいただろうに。
「…………やっぱり、鈍感」
「え?」
やっぱりというところが非常に引っ掛かるが、彼女の意図が分かっていないので否定することもできない。
「………………認めるから、教えてくれよ」
「…………………うん」
長いためののちに頷いたかと思えば、また沈黙し始める。そうしているうちに通路を抜け、外に出てしまう。
「……明姫?」
「………………伝えるつもりだった」
ぽつりと言葉が飛び出る。目的語がなく、鈍感らしい直人には分かってやれない。
「…………伝えるって?」
「…………気持ちを」
「気持ち…………」
ここに来てようやく気付く。絶望を与えるというのがただの口実だったってことは、絶景を一緒に見るというのにも特別な意味があってしかるべきだった。
「…………あの景色見ながら、告白するつもりだったってことか」
「!?」
薄暗い中でも分かるくらいに彼女の顔が赤くなる。同時にぽすぽすと殴りつけてくる。
「……わざわざ、言わなくてもいい」
「…………図星だったんだな」
「!?」
殴る力が少し増した。
「あ、明姫。さすがにちょっと痛いぞ」
「直人が、いじわる言うのが悪い」
やっと殴るのを止めたと思ったら頬を膨らまし、キッと睨みつけてくる。やはり凄みはなく、可愛らしさが先立つ。にやにやしてると、本気で怒らせてしええまったのか、たったと先に行ってしまう。
「…………ちょっとやりすぎたか」
内心反省しながらあとを追うと、もうすぐ街が見えてくるといったところで直人を待っている彼女の姿が見えた。夕日はすっかり落ちているものの、雲間から望む月明りが彼女を照らす。幻想的な雰囲気に息を呑みつつ、明姫を見返す。彼女は、相変わらず機嫌を直していないらしく、腰に手を当てて、直人を待ち受けていた。
「…………直人がそういう態度を取るなら、私にも考えがある」
「…………考え?」
ふんすと鼻息荒く頷いた彼女は、いつかみたいにビッと直人を指差し、一転してご機嫌な声で言い放つ。
「やっぱり、死よりも深い絶望を与えてやる!」
「えぇ」
「今度こそ、本気、だから!」
合わせた瞳が確かに本気っぷりを彩っている。……しかし、今の関係においてそこまでの絶望を与えようなんて方法が限られてくる。例えば――。
「例えば、…………直人が私の一番じゃなくなる、とか」
一瞬言い淀んだような気がしたが、直人にとってはそれどころではないほどに衝撃的な宣言で。
「い、一番じゃなくなる、だと」
「…………うん」
脳裏をとある推測が駆け巡り、顔を青くさせる。
「ま、まさか、他に好きな男ができたのか!?」
今までそんなそぶりなかったはずなのに、いつの間に。自分の知らない交友関係が存在したのか。それとも、自分も知っている相手とできていたのか。
「………………影野とできていたのか」
特にこれといって根拠もないのに、急にそれが真実のように感じられて、心がざわざわと荒れていく。不安に苛まれたその心を救ったのは、一周回って予想通りに不安にさせた当の本人で。
「……あの人、女、だよ」
「マジで!?」
すごい大きな声が出た。
「いや、ここ数年でそんなそぶり何回かあったけど!」
まさか、今明らかになるとは思っていなかった。
「お、おおい、お前が変なこと言うから、頭が混乱してるんだが!」
「…………なんか、ごめん」
二人して深呼吸をして、話を元に戻す。
「で、一番じゃなくなるってどういうことだよ」
「……この期に及んで、あの人が女って気付いてないし、直人はやっぱり鈍感くそ野郎」
「くそ、とか言うなよ」
「……もう子どもじゃないんだから、いい、でしょ」
微かに頬を赤らめ、そっぽを向く。……鈍感でもある程度にまでなってくると意味を察してくるもので、彼女の照れた様を見て妙なドキドキを覚える。……彼女が小さかった時を知るものとしては、言い知れぬ背徳感があるもので。
「………………え?」
その拍子に、というかなんというか、直人が唐突に彼女の様を見て閃く。一番じゃなくなるってことは、別に大切な人ができるという意味で、その人物はきっと身近な人間で。
「明姫――」
「――とにかく、私は決めた」
意図してか、偶然か、直人の言葉を遮って、彼女はニヤリと笑う。
「その鈍感が直るまで、直人にちゃんと絶望してもらうために――」
言葉を切り、いつも通りビシッと指を突きつけてくる。
「一生一緒にいてやるから」
「っ! お、おう」
いつにも増して、可愛くどこかカッコいい様に心臓が早鐘を打つ。思えば、ここ最近彼女にはやられっぱなしのような気がする。…………さっきいじわるをしてしまった気もするが、まあ、やられたらやり返すのが礼儀だろう。
「……俺としては、鈍感が直っても、絶望したとしても、一緒にいたいと思ってるが」
「! そ、それは、私だって……」
焦り出した彼女を見返してニヤリと笑ってやれば、顔を赤くして小さな声でうぅと唸っている。
可愛いなぁと思いながら、その彼女の手を握り直し、再び歩みを進める。
「さあ、家に帰ろう」
「…………うん」
優しく微笑んだ直人に毒気を抜かれ、明姫は至極素直にキュッと手を握り返す。仲良く連れ立って、二人は夜の島を、懐かしの我が家に向かって歩き出すのだった。




