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第二十三話『黒岩直人』

 黒岩直人は今から二十五年前、平凡な家庭の長男として生まれた。冬の寒い時期に生まれたものの、体は丈夫だったようで特段大きな病気になることもなくすくすくと育っていった。

 物心ついた時、直人は気付いた。父親がろくでなしということに。共働きではあったものの、収入は母親の方が多く、父親の方はほとんど家に生活費を収めない。さらに、家にいることも疎らで、たまに直人の相手をする程度で、家事は一切しない。元からなのか、結婚して変わってしまったのか、今となっては分からない。なぜなら、その父親はすでに他界してしまっていたから。

 

 ……その訃報を知ったのは、両親が離婚してからしばらくのことだった。……関係性は冷えていたから離婚自体は不思議なものではなかった。しかし、払われるはずの養育費は払われず、女手一つで育てることになった母親は心労によって若くして体調を崩し、直人が働き始めてからは家で療養していた。それも長くは続かず、母は二年前に亡くなってしまった。……そして、一年前、父親も亡くなり天涯孤独となった。……いや、厳密には少し違った。

 それこそが、明姫に語った弟、それと義母の存在だった。彼らは父親がひそかに築いていた家庭だった。弟とは腹違いの兄弟らしく、年齢から察するに、まだ離婚していない頃から関係があったと分かった。……直人は少し勘違いしていた。自分の親父は、ただのひもで誰かを愛すことができないんだと思っていた。……子どもは誰にしも親に愛されたいと思う、だからこそ、父が親に向いていなかったと思い込むことで、無意識に傷つくことをさけていた。……しかし、現実は非情で、いきなりできた弟と義母はちゃんと父親に愛されていた。……つまり、自分と母親は明確に父親に見放されていた。母親がすでになくなっていたのが幸いなのか、父親が新しい家庭で幸せにしていたことは訃報が届くまで発覚することはなかった。

 

 ……直人としては、二人に対して思うところはあった。しかし、すでに大人となっていた直人は、わだかまりを抱えつつも二人を恨んだりすることはなかった。……別に仲良くする必要もなかったものの、弟の方に懐かれたこともあって、たまに会うような関係性にはなっていた。……義母とも今更母親と呼ぶことはできなくとも、大人として普通に接してはいた。……それ以上に仲良くなることがなかったのが災いしたか、想定外の出来事が起きた。

 弟の病気の発症。それに伴う解決策。シンプルな話、難病であってもお金さえあれば十分に治せる病だった。しかし、当然父親の収入も失い、貯金もすずめの涙といった状態では払うこともできず、直人が出したとしてもその事実は変わらなかった。だから、出資してくれるという男の出現は渡りに船だった。……その男に下心がなければ。だが。

 あくまで直人が独自に調べた結果だが、彼は器の小さい人間だった。外資系の会社に勤めており、高額収入。実家もお金持ちで、アメリカに別荘を持っているほど。年齢は三十代後半で、結婚の経験はなし。結婚意欲と経済力からして、この年まで結婚できなかった理由は彼の性格にあると思われた。……実際に会ってみた直人の主観としても、好意を寄せている義母たちはともかく、その他に関しては見下しているような節があり、どことなく亭主関白な印象を抱かされた。細かいところは分からないものの、これと再婚することはないだろうとなんとなく思ってはいたのだが。

 金の工面に焦ってすっかり見落としていた、この男がこういった強硬手段に出る可能性を。……多分、浅からぬ縁であるらしい義母は、お金が必要となった時点で彼のことを思い描いたはずだ。だが、直人に相談するでもなく、しばらくは病院での療養を続けていた。……早い段階で声を掛けられていたのかどうかは分からないが、少なくとも彼のことを簡単に頼れるほどには心を許していなかったに違いない。……それでも、義母は決断した、すべては息子の命のために。かくして、弟と義母は治療のために、男と共にアメリカへと旅立っていくわけだが、話はそれだけではなかった。

 

 ……おそらく、そのことは義母に話してはいないだろう。直人に対して複雑な感情を抱いてながらも、愛した旦那の息子ということもあって一定の信用は置いていたはずだ。そんな彼女に知られたら、さすがに幻滅されると思ったのだろう、内密に直人に連絡を取ってきた。要件は簡単、今後、弟と義母たちに会うなというもの。彼らが海外にいるうちはそれでもいい。そのまま海外暮らしになるのなら仕方ないと思う。しかし、彼が言うには彼らが日本に帰ってきても連絡を取るなとのことだった。……どうも、男は義母の夫の座にいた父に嫉妬していたらしく、結局往生して勝ち逃げした形となった父に言い知れぬ感情を抱いていた。そのはけ口に息子たる直人が選ばれてしまったらしく、会ってすぐに慕われた恨みも相まって仲を引き裂く凶行にまで及んだわけだった。

 当然、直人としてはNoと答えたかった。だが、彼は手切れ金を用意した上で、受け取らなければ、弟の命は助からないと脅してくる。男としては、彼女がいれば子どもはどうでもよく、弟が懐かないなんてことになればいつか処分されてしまう可能性だってあった。……今すぐではなくとも、その可能性を残してしまえば、義母ともども安心して寝ることができない。……そうなれば、選択肢はもう実質一つだった。直人は男に制約を交わし、手切れ金を受け取り、弟たちと相手に知られることもなく縁を切ることになった。

 こうして、直人は手切れ金を手に入れ、誘拐に失敗したにも関わらず、大金を手にした。……その用途も同時に失われてしまったが。……これからどうするのか。ちょうど誘拐から三ヶ月ほどが経過し、明姫との付き合い方について真剣に考え始めた時、突如として現れたのが影野たちだった。彼らの話により、道は強制的に決められてしまった。

 

 直人は明姫を影野から守るために動くことにした。最初から彼女を見捨てて自分だけ心機一転幸せになろうとは思わなかった。むしろ、自分を犠牲にしてでも彼女をこの不幸から、親に捨てられた絶望から救おうと思った。……彼らからの前金だけ受け取って二人で逃げようかとも思った。しかし、裏の人間が相手では裏道も通用せず、いずれまた見つかってしまう。そんないたちごっこでは彼女を幸せにすることは叶わない。……だからこそ、直人は明姫、天璋院美咲を殺すことにした。……影野たちには、実際には死んでいないことは簡単にバレてしまうだろう。ただ、社会的に死んでいるのであれば、見逃している可能性はいくらかあるはず。明姫の処分はあくまで主の命令を忖度したものなのだから。

 ……直人はその可能性にかけ、満を持して出頭した。……誘拐および殺人。懲役刑は避けられないだろう。場合によっては、死刑になる恐れだってあった。それでも、直人は彼女を、自分をお兄さんと呼ぶ妹のような少女を救いたいと思った。……今度こそ、自分の手で大切な人を絶望から救い出したいとそう願った。


 かくして、黒岩直人は、世間的にも犯罪者、それも大罪人となった。



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