第二十一話『過去編その六』
『あっという間の三ヶ月だったよな』
『……うん。……思ったより色々あった気がする』
『まあな。…………で、あの日が来るわけだ』
『…………………』
「――よし、これで全部だな」
買い物を終えた直人はエコバッグを肩にかつぎ、帰路へと着く。
「……車を使えれば楽なんだが」
完全プライベートなので、社有車は使えない。……臨時収入で中古の軽自動車くらいなら買えそうだが、気持ち的にあまり気乗りはしない。
「…………まあ、これもそのうち考えないとな」
先日のアキとの会話を思い出し、苦笑する。
「いい加減課題を書き出しておかないとな」
……今、専念すべき問題。アキの将来がどうなるかは未知数とはいえ、どんな道を選んでも幸せになれるような準備はしておく必要がある。
「学校には行けるようにしてやりたいし、あとは養育費。今の俺の収入だと厳しいから、他にバイトでも始めるか。いつまでも男装もできないだろうから、天璋院家から離れたところに引っ越さないといけないな。その資金もためておかないと。あとは――」
誰に言うまでもなく、ぽつりぽつりと呟く。やることは多くある。一つ一つ長い時間をかけて成し遂げないと。そんなことを思いながら、ぶらぶらと歩いていると。
「?」
ふと、違和感を覚える。
「…………誰かに見られている?」
いや、今歩いているのはさっきまでいたス―パーが面する大通り。車の通りは多いが、開けた道だから、誰かに凝視されていればさすがに気付く――。
「ん? そういえば、今誰かとすれ違ったような――」
「動かないでください」
「!?」
反射的に振り返ろうとした直人の体がピタリと止まる。背後から向けられる有無を言わせない多大な圧力を含んだ気配。それから、背中に当てられた冷たいもののせいで、硬直せざるをえない。それに、彼だか彼女だか分からないこの人物の顔すら見ていない、見ているはずなのに、すれ違ったはずなのに、覚えていない、その事実がうすら寒いものを抱かせる。
「…………一応、聞いとくが、背中に当ててるのはなんだ」
「知らない方がいいですよ」
くすくす笑いながら暫定彼は、当てていたものをはずし、耳元で声を発する。
「少し、話があります。付き合ってくれますよね」
「…………買ったものが悪くなるかもしれないから手短にな」
半ば強制的に頷かされてしまったせめてもの反攻に苦言を呈してから大人しく、道を進み路地裏へと入る。人気がなくなったところで許可を得て振り返る。そこにいたのは思っていた以上に華奢で、それでも性別の判断がつかない人間で。
「…………お前、何者だ」
これまでのやり取りでこの人物がやり手、それも裏の世界に精通していそうなことは分かっている。……ついこの間までは少し裏のことを知っている友人がいたくらいで心当たりがなかった。しかし、今の場合、高い確率で家で待っているはずのあの子に関係している。……うかつにこちらから情報を渡すわけにはいかない。それくらいの思考は巡り、身構える。
「私は影野。天璋院家諜報部隊の長、といった方が分かりやすいでしょうか」
「っ!?」
びくりと体が震える。天璋院家という名前が出されてしまっては、認めるしかない。アキ、美咲は捨てられたと言っていたが、その実、きっちり彼女を捜索してはいたんだ。……諜報部なんて怪しい組織が動いたとなれば、何もかもバレている可能性は高い。
「…………天璋院家? の人間が何か用か?」
「くふっ。分かっているでしょう? 貴方のことはすべて調べています。美咲お嬢様がアパートの一室にいることも掴んでいますよ?」
「………………」
予測していたのに反応してしまう。諜報部の人間が彼だけであるとは限らない。家まで知られているとなれば、、すぐに彼女は連れ戻されてしまう――。
「――主人の命令はお嬢様の奪還ではありませんよ?」
心を見透かされたかのように先回りをされる。いまいちつかめないこの人物の象に頭が混乱してくる。
「…………じゃあ、何が目的だ」
一周回ってアキの推測が正しかったのだとすると、なぜわざわざ接触してきたのか。場合によっては今の生活を続けられる可能性もある。淡い期待を抱いて影野を見返すと、彼はにこりと爽やかに笑い、
「お嬢様から手を引いてください」
いとも容易く非情な要求を投げかけてきた。
「…………俺が見放したら、アキ、美咲はどうなる?」
かすれた声で分かり切った質問を投げ返す。もしかしたら、天璋院家に戻る以外に道が残されているかもしれない。そんな一縷の希望は、
「もちろん、処分するしかないですね」
すぐに否定される。
「っ! そ、それも主の命令か?」
「いえ、そのような命令はされていないですよ? 直接的には、ですが」
「……どういうことだ」
終始浮かべた笑みからは感情を読み取ることはできない。嘲りのようなものは感じないが、この物腰の弱らかそうな振る舞いが返って不気味さを醸し出していて、言い知れない恐ろしさを覚える。
「我々の仕事はお嬢様の現状を確認することでした。しかし、主の望みは、身代金を得られなかった誘拐犯が逆上して人質を殺してしまっている、という結果です」
「! ま、まさか、そんな」
アキと同じく、影野は到底信じられないようなことをまるで常識かのように口にする。……彼女の父親は、娘の死を望んでいる。あり得ない、と思いたいのに、現状がそれを証明してしまっている。
「――残念ながら、現実は主の望み通りではありませんでした」
「…………確認が命令ならありのままを伝えればいいだろ」
「そんなことをすれば、主はきっと気に病むでしょう。そして、いつか戻ってくるのではないかと怯えられるはずです」
「…………」
影野たち諜報部の忖度もさることながら、天璋院家の当主がなんて器の狭いことか。どんな理由があってアキを嫌っているのか分からないが、年端のいかない少女を捕まえて排斥しようなんて父親の風上にもおけない。
「…………多分、あいつに戻る気はないぞ」
そんな親ならこちらから捨ててやればいい。そう言わんばかりにキッと影野を睨みつける。すると、予想外にも彼はええと頷いたあと、肩をすくめる。
「お嬢様は聡いお方ですからね。主の考えも分かっているでしょう」
「なら!」
「ですが――」
言葉を遮り、一拍前よりも数段冷たい声で言い放つ。絶対にどうにもならない厳然たる事実を。
「主はそれを信じられない」
「っ!」
言葉の中身もさることながら、口にした影野の色のない表情がさらに怖気を呼び起こしてくる。
「今は姿を消していてもいつか表舞台に戻ってくるかもしれない。捨てようとしたことを恨んで復讐を考えているかもしれない。……ただ単純に再び目の前に現れるのが怖い。そういった考えに支配され、満足に眠ることもできない」
続けて並べ立てられる言葉に、直人は思わず息を呑む。分かっていたことだが、それは決して娘に向けるような想いではない。これでは、アキが何のために生まれてきたのか分からない。
ふつふつと湧く怒りに握った拳がフルフルと震える。発散しようにも怒りの対象はここにおらず、ストレスはたまるばかり。どうにか堪えて、影野を見返し、今日何度目かも分からない睨みを効かせる。
「…………つまり、あの子はいない方がいい、そういうことか?」
「理解が早くて助かります。なので――」
「ふさけるなよ?」
ガッ。
……何一つ堪えることのできていなかった怒りが爆発し、影野へと掴みかかる。裏の世界の者だから軽く避けられるかもしれないと考えていたのに、容易く肉薄することができる。しかし、その表情はまったく変わらず、神経を逆撫でされる。
「っ! あいつが、アキが何をやったっていうんだよ! きっとアキは何も悪くない。悪いのは周りの大人だろ! だったら、あいつにだって幸せになる権利くらいあるはずだろう」
声を荒げ、さらに迫る。と、その時。
「わたしに言われても困りますね」
冷静に手を振りほどいた影野が一歩退く。ついで、彼の部下と思しき者たちが周囲へ直人を囲むように現れる。
「………俺も処分する気か?」
「いえ、貴方は命令の対象外です。……我々の邪魔をするならその限りではありませんが」
浮かべていた笑みを引っ込め、ザッと音がなるように殺気が生じ、突き刺さる。ごくりと唾をのみ、寒気の走る全身を奮い立たせ、その場の全員へと視線を送る。……誘拐という悪事に手を染めた以上、ある程度の報いを受ける覚悟はできている。影野に叶わなかったとしても、騒動を起こしてアキが捕まるのをふせぐことができるかもしれない。
「(ただ、そんなに上手くいくとは思えない)」
今、この場で取るべき行動それは一体――。
「――そういうわけなので、貴方には潔くお嬢様から手を引いていただきたいんですよ」
思考を巡らせる直人をよそに、影野は気を取り直したように、話を続け始める。そういえば、これが元々の彼の要求だった。……断った気になってまだ答えてなかったらしい。……ここで頷けば、少なくとも自分の命は助かる。
「(なんて、あり得ない選択肢は考えるまでもないとして)」
他に打てる策といえば。
「…………分かった。手を引こう」
「…………おや、急に随分と素直になったじゃないですか」
「(なってないよ)」
心の中、それと表側でも怪しい笑みを浮かべて、直人は一世一代の勝負へと出ることにする。
「……だが、まさかタダでとは言わないよな」
「……ほう」
影野が目を細める。いまいちどういうリアクションか分からないが、怒らせたわけではないなら、このまま推し進めるしかない。
「誘拐という罪まで犯したのに、俺は何一つ得していない。これで、あっさりと手を引いてしまったら何をやってたか分からないだろ」
「そうですね。きっと主が子どもを愛していれば、多額の身代金を受け取ることができたでしょうね」
「…………俺には金が必要だ。相応の額を払わないとおいそれと手を引くわけにはいかない」
周囲を黒服たちに囲まれたままで、胸を張り啖呵を切る。内心では冷や汗ものだが、ここでやめるわけにはいかない。
今までの話を聞いた限り、主の命令はアキの生死を確認すること。それを拡大解釈し、命を奪おうとしているのが彼ら諜報部。権限がいかばかりかは分からないが、諜報部に天璋院本家ほどの財力はないはずだ。予算ももらってきているわけではないだろう。すなわち、金銭の要求を呑むことはできないはず。……だからといって引いてくれるとはあまり思えないが、これが何かの糸口になれば――。
「分かりました、お支払いしましょう」
「………………え?」
素で戸惑いの声を上げる。よっぽどまぬけな顔をしていたのか、影野はくすりと笑い、胸ポケットから封筒を取り出す。
「言わなかっただけで、手切れ金、というよりは口止め料は用意していたんですよ」
あっけにとられる直人の肩にポスッと打ち付ける。反射的に手に取り、その想定外の分厚さにさらなる動揺が走る。
「百万円あります。貴女がお金を必要とする理由は知りませんが、足しにはなるでしょう。今日の手持ちはそれだけですが、本当にお嬢様から手を引いたと確認できればもっとお支払いすることも可能ですが、どうしますか?」
「…………正直、俺はこれ以上お前と絡みたくない」
本音である。
「……だから、この金で良しってことにしてやる」
……受け取るお金の額はこの際なんでもいい。今、この瞬間不審に思われなければそれでいい。
「――交渉成立ですね」
ニヤリと笑い、影野が合図を出す。それに応じて、直人を囲んでいた人々が包囲を解き、一歩下がる。
「……ただ、手を引くにしても準備が必要だよな」
ここからが本番だ、内心で緊張感を高めながら影野を見る。手を引けと言うくらいだから手筈くらい用意しているはずだが。
「貴方の方ですることはありませんよ。家を空けている間に我々がお嬢様を攫う。それだけです。まあ、お嬢様の存在を周囲に知られているようなら、引っ越しの必要はあるかもしれませんが、それもさきほど渡した資金があれば容易でしょう」
「…………なるほど」
どうやら、直人から言い出さずともこういう流れに持ってくることになっていたらしい。……特に怪しまれているようでもないからそれはいいとしても、このやり口は少し困る。場合によっては今すぐに攫うということも可能だからだ。せめて一日は稼がないと本当に手を引いたことになってしまう。
「…………表に出す気はなかったが、あいつの姿をお隣さんには見られてる。……どうやって攫うかは知らないが、今すぐだと俺ともども怪しまれるぞ」
注意している方にみせて牽制する。果たして、影野はこくりと頷き、すぐに次の案を出してくる。
「分かっています。なので、早朝までに外に出る準備を済ませておいてください。彼方がいない間にお嬢様を連れ去っておきましょう」
「…………おう」
思った以上に猶予が短い。色々と難儀だが、それは努力でなんとかするしかない。
「――お嬢様がまだ寝ている時間、朝の五時ぐらいに伺いますので、それまでに家を出てくださいね? もしまだいた時は、一緒に攫ってしまうかもしれませんから」
どこか含みを持たせた笑みを浮かべ、付け加えられる。要するに、ノロノロしてたらアキともども処分されてしまう、何か企むなら容赦しない、のような意味合いなのだろう。……時間を提示してくれたおかげで、リミットが分かりやすくなった。あとは、このタイムリミットに間に合うように動けばいい。
「…………分かった、気を付ける」
「では、私からの話は以上です。協力いただき感謝いたしますよ?」
いちいち張り付いた笑みを浮かべてきてイラッとする。演技も思惑も関係なく、彼をしっしっとその場から追い出すように手を払う。
「用が済んだなら、早くどこかにいけ」
影野はともかく他の連中は妙な圧迫感を醸してきて落ち着かない。……気配を上手く殺せているという意味では彼の方がよっぽど恐ろしいと言える。
「分かりましたよ。私たちはさっさと去りましょう。――懸命な判断をありがとうございました」
手をヒラヒラと振って、その場をあとにする影野。少しして、完全に気配が無くなり、直人はため息を吐く。最後まで無駄に変なプレッシャーを放ってくるやつだった。
「……さて、俺も動き出すか」
そう言ってスマホをポケットから取り出す。それから、視界に入った買い物袋を見てぽつりと呟く。
「……食材が悪くなってたら、許さないぞ」
顔をしかめ、さらにヘイトを溜める。その反骨神を原動力に、誘拐の時よりも確固たる覚悟をもって事に挑み始める直人。
「……アキ、お前は俺が助ける」




