閑話5『ただの少女、黒岩アキの一日』
『……………ひま。…………ひまわり。ひまわりの歌。…………………歌、自信あるけど、一人で歌っても、つまらない。…………お兄さんに聞かせるタイミング、もない。…………………………絶望ひま』
黒岩アキの朝は早い。……天璋院家にいた時と比べれば。
「…………おはよう」
「ああ、おはよう」
平日、休日問わず、大抵直人の方が早く起きており、二人は挨拶を交わす。時刻は午前七時。平日、学校に行く場合であれば、おおよそ妥当な時間帯。どこかの誰かに誘拐されているアキは登校することはないものの、いつまでも寝ているわけにもいかない。居候をさせてもらっている立場としては、規則正しい生活をしてポイントを稼ぐ必要がある。……誘拐されている立場としては、もっと図々しくていいという意見もあるが、アキは必要以上に発現せず、直人の指示に従っていた。誘拐犯に逆らうのは得策じゃない、という考えは特になく、共同生活の相手として建設的な会話をしようとしているだけだ。
そんなわけで彼女は、休日すらも早めに起きてテキパキと自分の仕事、掃除をこなし、学生の本分たる勉強をしている。小学生の学習内容なので量はさほどなく、長くても午前中には完了し、午後には暇を持て余すことになっていた。
この日も例外なく、ノルマを終わらせたアキは部屋をうろちょろとしていた。直人はすでにどこかに出掛けてしまっている。よって、一人で暇を紛らわせなければいけなかった。
「…………お兄さん、どこにいったんだろう」
せっせと勉強をしつつ、独り言ちる。仕事の日ならともかく、休日にまで家を空けて、どこかに行っているというのも大分謎だ。
「…………まあ、いいや」
考えても仕方ない。首を振って、お昼ごはんの用意をする。
「…………レイトウ食品しかないけど」
何か作るにしたって火を扱うのは禁止されているし、包丁を使うのもせめて直人がいる時ということになっていた。そもそも、天璋院家のお嬢様という時点で家で料理を作る機会はなかったので、料理に関する知識はせいぜい学校の家庭科の授業で習ったことくらい。作れるのは、頑張ってカレーくらいだった。
「……今度一緒に作ろう」
静かに誓って、冷凍ピザを温めて解答する。レンジから取り出し、トロトロにまで溶けたチーズとトマトソースに舌鼓を打つ。……実家で食べていたような品のある味ではなかったものの、こういうジャンクな食べ物も悪くない。最近はそう思う様になってきていた。
「……お兄さんが帰ってくるまで、まだけっこう時間ある」
仕事ではないのだが、もっと早く帰ってきてほしいと思う。悶々としながら、テレビで流れる昼のニュース番組を見る。特にこれといって面白くはない。
結局、DVDプレーヤーは購入していないで、何かDVDを見ることもできない。……観たい映画とかないにしても観たい状態にしておいた方がよかったか。
「…………お兄さんが早く帰ってくればそれでいい」
こくりと一人頷き、ノートを取り出す。勉強はすでに終えているので、書き出すのは学問とはまったく別の内容。
「………時間があるし、書こう」
それは、日々の出来事や心情を記録するためのもの。暇すぎた時にふと思いついて始まった趣味とも言えない趣味だった。
「…………今日も書くことない」
初手で手詰まり感が蔓延し始めた。……誘拐に対しての所感や、現在の気持ちとかは大体書いてしまったので、後は今日あった出来事を書くしかないのだが、これが上手くいかない。
「…………まあ、いいや」
しょうがないので、朝起きてからやったことを書いてみる。一日前と変わっていないが、そこはお愛嬌。いつか、毎日日記に書き留められるような充実な日々を送りたい。そんなこと考えながら、ひとまず書き終える。ふぅと息を吐いてから空いたスペースに何か書きたいとじーっと見る。
「…………写生ぐらいしかしたことがない」
アニメとか漫画とかのキャラのイラストを書くことはできないし、動物とか人間の絵を何も見ずに書くのは苦手だった。ただ、見本を見ながら描くのは得意で、遠足で書いた風景画が賞を取ったことがあるくらいだった。……クラスメートに一目置かれるようになったが、父親が自分を見てくれるようにはならなかった。
……何はともあれ、鉛筆を取り出し、周囲を見回す。部屋の中にある目ぼしいものはほぼほぼ書いてしまった。花など自然のものはなさそうだし、外に探しに出ることもできない。しばらく考えてから、明姫はぽんと手を叩く。
「…………けんさくしよう」
以前買ってもらった子どもケータイを取り出して、ぽちぽちと操作する。……兄役として直人の指示で有害なサイトは見れなくなっているとはいえ、花の画像は問題なく見れる。数分かけて好みの画像を選び出し、表示する。
「すみれ」
ぽつりとつぶやき、ノートへと書き写していく。一色なので藍色の花弁を表現はできないが、濃淡によって立体感は表され、人目で上手だと分かるぐらいのできに仕上がっていく。
「…………でも、色は付けたい」
絵具もしくは色鉛筆があればもっと色々書けるのに、そう考えてから首を振る。
「……あまりぜいたくは言えない」
お嬢様気質で色々ねだってしまうのは申し訳ない。誘拐してしまった罪悪感から、直人は大抵のものを買ってくれるが、明姫は彼を恨んでいたりはしない。だから、無暗に負担になる要求はしたくなかった。
「…………まあ、色鉛筆くらいは別にいいかも」
ネット調べる限り、大した値段はしないっぽい。今度聞いてみようと決心しつつ、出来うる限りの技術を盛り込んだすみれの鉛筆画が完成する。
「よし」
満足げに頷いてからノートを閉じる。そして、再びやることがなくなった。
「…………絶望だ」
ぼうっと天井見つめながら独りごちる。小さくため息をつき、ぼーっとしているうちに、ガチャとドアが開き、直人が帰ってくる。急に入ってきたような形になったのでびくりと体を震わせるはめになる。
「た、ただいま」
「…………おかえり」
ギンッと睨みつけられて家主の方がたじたじになっている。……間違って、目つきが悪くなってしまったが、アキとしては直人がようやく帰ってきて嬉しいと感じていた。できるなら、二人で何か遊びたいな、と思っていたりもしたが、今日もすでに夕飯の時間に入りつつあり、それは叶わない。……直人曰く、じきに一段落つくと言っていた、果たしていつになるのか。内心不安になりつつ、アキは直人の手伝いとして夕飯の準備する。……いつか、火の扱いと包丁の使用を許可されたときには、もっと積極的に料理をしよう。そんなことを考えながら、彼女は、準備したコップにお茶をそそいだのだった。
夕食後、軽く言葉を交わしてから、アキが先に風呂に入り、次いで直人が入り、各々布団に入る。……今更だが、布団は並べて敷いてある。元々一人暮らし用の部屋であるため、別室にする余裕はなかった。なので、兄妹仲良く川の字で寝るしかなかった。
「…………おやすみ」
「おう、おやすみ」
とはいえ、子どものアキはやることがないということもあり、早々に寝てしまうのだが、直人はまだやることがあるみたいで、小さな明かりをつけて何やらごそごそやっている。
「………………」
ここで絡んでいくべきかどうか、アキには判断がつかず、もやもやが頭の中を覆う。が、そのもやもやは晴らされることもなく、暗澹とその場に滞るということもなく、ただ放っておかれる。……睡眠欲が強いのか平穏な生活を送れているおかげなのか、彼女はあっという間にすーっすーっと寝息を立て始める。その寝顔を気になる相手に眺められていることも知らずに。
かくして、居候少女アキの一日は幕を閉じ、次の一日の幕が上がる。




