第十九話『過去編その四』
『…………しれっと心読むなよ』
『…………何となく分かることってある、よね?』
『…………ないとは言わないが』
『あるの?』
『急に反応したな!?』
「……これから、どうするの?」
美咲の言葉が思考停止に陥っていた直人の脳を叩き起こす。目をしばしばとさせ、意識を目の前の少女へと向けた。
そうだ、これからのことを考えなくてはならない。身代金が望めない以上、美咲と一緒にいる必要はない。彼女が上手く証言してくれれば罪に問われることもない、かもしれない。しかし、美咲が家に帰れないとなると話が変わってくる。変に家に帰そうとすれば、何をされるか分かったものではない。かと言って放り出しても何もいいことはない。……そもそも一緒にいた期間は短くとも、少女を見捨てるのは忍びないと思うくらいには情が湧いている。彼女にはこれ以上不幸になってほしくはない。
「(かといって、俺にできることなんて)
家庭の事情にはすでに若干首を突っ込んでしまっているが、おいそれと解決できるものではない。どこか育ててくれる人を探すにしたって、今の彼女は行方不明の令嬢。正体を明かすことはできない。……いくら目立たないようにしたとしても、控えめに言って美少女である美咲がいつまでも潜伏していられるとは思えない。……下手すれば引き取ってくれる相手が誘拐犯とされてしまうかもしれない。つまり、迂闊に他人には任せられないということ。ならば――。
「…………俺が、お前の面倒を見る」
それが、考えなしに誘拐してしまった自分の責任。何が何でも彼女が幸せになれるようにしなくてはならない。
「…………」
美咲は黙って直人を見返している。今までは協力的だったが、流石に見知らぬ男と暮らすのは抵抗があるか。……彼女が嫌がるようなら別の策を考える必要があるが。
「…………分かった。………………でも」
思いがけずこくりと頷いた美咲は、自身の長く綺麗な黒髪を撫でる。
「……このままだと見つかる」
……直人としてもそれが懸念点ではあった。なるべく外出させないにして限界がある。ニュースになったばかりの今は特に危険だった。
「……そこは、変装してもらうしか」
どこまで通用するか分からないが、とにかく天璋院美咲であることが分からなければ
それでいい。……直人には別居している妹がいる。この家に連れてきたことはないから、いざとなればそれで誤魔化すしかない。
「…………分かった」
思考を巡らせていると、美咲は覚悟を決めたように強く頷くと、徐に立ち上がり、洗面台の前へと出る。
「な、何を」
声をかけかけた直人が言葉を途切れさせる。当の本人がいつの間にかくすねていたらしいハサミを取り出したから。
「ま、まさか!?」
「…………そののまさか、だよ」
直人に視線を向けることなく、彼女はスッと髪にハサミを刺す。
ザクっ!
「!?」
直人が止める隙もなく、美咲は臆さず自らの髪を切り落とす。一度始めてしまえばた後は早く、みるみるうちに長かった黒髪は肩にかかるくらいまで短くなってしまう。
「…………わたしの技術ではここまで」
唖然とする直人をよそに美咲の方はちょっと悔しそうにしている。一体どこを目指しているのか。
本人は満足していないみたいだが、全体的に長さはおおよそ均一で、見た目としても大分様になっている。元々の素材が良いおかげで、ミディアムカットとなった今も相応に似合っており、目を惹くものがある。
「……まだ、少し目立つな」
「…………そう。じゃあーー」
美咲はそそくさと今度は風呂場へと行き、シャンプーを持ってくる。
「?」
「…………実は、わたし、かみを黒くそめてる」
言うなり、彼女はシュコシュコとシャンプーを手に出す。
「……短くなったから洗いやすい」
「ま、待て、詰まるから切った髪は回収させてくれ!」
テキトーにゴミ袋を取り出し、切り立てほやほやの髪を手で掴み中に入れていく。妙に手触りがよく温かみがあり、何かいけないことをしているような気分になってくる。
「(落ち着け、俺。ただ髪をかき集めているだけだ)」
自分に言い聞かせながら作業を続け、ようやく洗髪可能な環境が整う。
「……髪を洗うのはいいが、服、大丈夫か?」
「…………多分、大丈夫」
ザパァッ。
水を思い切り出し、シャワーモードへ切り替える。髪を頭ごと洗面台の上へと持っていき、ひとまず湿らせる。美咲の手際は思いの外よく、服に飛沫がついたりはしていない。次いでシャンプーで洗い始めてもそれは同じで、みるみるうちに髪色が変わり黒く染まった液体が流れていく。
「ふぅ」
小さく息をつき、周囲を見回す。直人が未使用のタオルを渡してやると、ありがとうと軽く礼を告げてからポンポンと髪を拭き始める。……髪を洗っている時もそうだったが、行動が豪快な割には仕草が丁寧で、自然な上品さが感じられた。……それにしても、お嬢様にしては自力で洗うのに慣れているように見えた。大金持ちといえど、髪を染めたり、入浴したりする時は、使用人の手を借りることなく、自力でことをなすのだろうか。
「……………できた」
美咲の呟きで現実に引き戻される。見てみれば軽く髪を整えた彼女が至近距離で直人を見上げていた。どうだと言わんばかりに自慢げでつい苦笑してしまう。
「…………お兄さん?」
「いや、何でもない」
どこかの弟を彷彿とされ、気が緩んでしまった。今はいかに誘拐犯だとバレないようにするかという大事な話をしている。度々気が抜けるやりとりをしているが、そろそろ真剣に取り組まねば。
「えっと、大分印象が変わったから、多分すぐにはバレないと思う」
今の美咲は、明るい茶色の髪をしており、長さも短くなっているからお嬢様というよりはギャルのような印象が与えられる。……まあ、淡々と話し方や立ち居振る舞いを見れば、ギャルと間違われるということなないだろうが。
「…………次は、服」
バッと両腕を広げ、自分の格好を眺める。一目でわかる良質な服。こんなアパートにいると若干違和感が生じてしまう。
「……服についてはアテがある。サイズも多分同じくらいだから着れる、はずだ」
「…………なら、いい」
どんなアテだろうという疑問が浮かんで消えた。やましいことはないから、ここは別に飲み込まなくていいところだ。
「俺には弟がいるんだ。その服を借りてくればそれっぽくなるだろう。ただ……」
「……男のフリ、しないといけない?」
「……ああ」
た ……小学生なので、男女差はそこまでないからボーイッシュな妹で通せなくもない。しかし、周囲には弟がいるとは言ってあっても妹がいるとまでは言っていない。実は妹だったと言い張ることもできるが、今回の場合は美咲のことがバレてもいけない。なので、性別すら偽るのが無難と言えた。
「……分かった」
頷くなり、ペタッと自らの胸に手を当てる。年齢的に胸の膨らみはなく、性別を誤魔化すのは、体型的には難しくないと思われる。
「………………友達はもっと大きいのに」
嫉妬の混じった呟きは聞かなかったことにする。
「あとは、声だが」
美咲の声は女子にしては低めではあるものの、しっかりと性別が分かるくらいには品があり、聞き心地いい声をしている。そこまで特徴的なというわけではないから、声から身元がバレるということは多分ない。
「……普段からその話し方じゃないよな」
「…………、外ではもっとちゃんと話します」
背筋をピンと伸ばし、会ったばかりの丁寧な口調に戻る。先ほどは気づかなかったが、敬語モードだといくらか声が高くなるらしい。
「…………まあ、これなら大丈夫か」
「…………うん」
口調が戻る。どことなくムッとしているように見えたが、それは置いておくとして。
「他に考えとかないといけないのは――」
「……名前」
「あぁ、一番重要なのを忘れてた」
誘拐されているんだから当然本名は名乗れない。そもそも弟のフリをさせるなら
男っぽい名前にする必要がある。幸い、直人は会ったばかりなので、何とでも呼べる。しかし、当人はそうはいかない――。
「アキ」
「え?」
「……黒岩アキを名乗る、ことにする」
まっすぐに目線を合わされ、なぜか妙な圧を覚え、言葉に詰まった。『アキ』であれば、男でも使われる名前だから否やはない。ただ、ここまですんなりと偽名を思いつくというのもやや不自然だ。
「(……さっきの母親を奪ったって話も含めて、何かあるんだろうな)」
これ以上は聞けないと判断し、思考を続ける。
「――あらかじめ、決めておくことはこんなもんだな」
生活を続けていればトラブルも相次ぐだろうが、その辺りは都度都度考えることにする。……未来のこともおいおいどうにかすることにする。……あらゆる難事を先延ばしにしつつ、直人は頭の鈍痛を無視して、共犯となった少女を見据える。
「これからよろしく、アキ」
「…………うん」
差し出した手を彼女は躊躇いなく握る。赤い瞳に怯えはなく、割となんとかなりそうかもと淡く夢想する。
かくして、縁もゆかりもなかった二人の同居生活の幕が開いたのだった。




