第十六話『過去編その一』
『……意外と長引いてちゃったな』
『…………』
『あいつも待っているだろうし、急がないと』
『…………』
某月某日。夕方は当に過ぎ、夜のとばりが降りようとしていた頃。直人は焦りの色を浮かべながら車を自宅に向かい走らせていた。
本来なら日が落ちるまでには終わるはずだった仕事がここまで長引いてしまったのには明確な理由があった。
「営業先の署長さん話が長いんだよな」
直人はとある電気量販店の地方店舗で働いていた。規模は小さく、家電製品の配達や企業間とのやり取りも直人がやることになっていた。客商売がそこまで得意ではないから、こういう仕事はこういう仕事でよかったのが、仕事が終わる時間がまちまちというのがよくなかった。店舗担当だったらもっと融通が利いたかもしれないのに、これでは妹を待たせるどころでは済まなくなる。
「異動願いは出してるけど、いつになるか分からない」
ただでも自分、自分たちには時間があまり残されていない。早々に結果を出すにはやはり。
「儲かる仕事に転職するか」
そんなものがあれば苦労しない。けど、他の手段よりは希望があると思える。……合法であることに拘らないのなら――。
「んんっ!」
変な思考に陥りそうになったのを強引な咳払いで振り払う。
「そんなことより、早く家に帰らないと」
今、直人が乗っているワゴン車は会社が所有している車両ではあるが、使用頻度が多い直人が占有して使っていいことになっている。さすがにこのワゴン車をドライブに使わないだろうが、プライベートの使用は一応禁じられている。
「…………家に一旦帰ってから出掛けるのはグレー、のような気がする」
だが、やる。というわけで、直人はいつもの道を走っていき、自宅たるアパートへと到着する。
「さて、さっさと用意をするか」
仕事用の鞄を手に取り、アパート二階の自分の部屋へと戻ろうとする。
「…………いや、待て」
今日は製品の納入を行ったため、トランクを開けて中を改めている。別に今見る必要はないが、開けっぱなしで離れることがあったので、何か紛失していないかだったり、逆に変なものを入れられていないか見ておく必要がある。
「まあ、閉めた時は何も入ってなかったし、問題は――」
ガコン。
トラックのロックを解き、上開きにバックドアが開いた瞬間、直人の言葉が途切れる。
「………………ん?」
何か見に覚えのないものが入っていた気がする。
ガコン。
とりあえず閉めた。
「…………気のせいだよな」
このドアを閉める前にはなかった物、というか者があったような気がするが、きっと目の錯覚だ。
「………………よし」
ガゴン
再度、バックドアを開く。中には思い描いた光景が――。
「………………ん」
――広がってはいなかった。声まで出されたもう認めるしかない。
「な、なんで、トランクの中に女の子が!?」
すぅすぅと寝息を立てて眠る闖入者に声を荒げる。知り合いの可能性を考えるも、兄弟を見間違えるはずもない。思い当たる節があるとしたら、車を停めていた場所が住宅街だったこと。かくれんぼだか家出だか。なんらかの理由でこの娘が車に侵入した。そういえば、ドアを閉めてから車に乗って出発する前にトイレを借りたような気がする。そのまま車を発進させてしまったがために見落としてしまったようだ。この娘もかなりきわどいタイミングで乗り込んできてくれたものだった。
「…………んん」
小さな声を上げて、少女が目をこすりながら起き上がる。彼女は色々と物が置かれている一角に寝転がっていた。スペースとしては狭いながらも、車の振動のおかげか、睡眠欲の強い子どもなのか、盛大に昼寝をしていたようだ。
「…………んん?」
どこまで熟睡していたのか、彼女は未だにむにゃむにゃ言っている。無理に起こすのも悪い気がして、直人も彼女が我に返るのを待つ。その間、体を起こしたことで見えやすくなったその姿を今一度確認する。
歳は十、十一くらい。つやの入った黒髪ロングをしていて、寝ぼけ眼に目をつぶれば、上品な雰囲気を漂わせている。整った顔立ちをしており、将来は美人になるだろうと思わされるほど。あと特徴的な部分と言えば――。
「――赤い瞳か」
自分が普通の黒目だから、余計に視線がいく。充血などとは違い、瞳そのものキラキラした輝きはどうにも目を引いてくる。そうやって無遠慮にじろじろと見てしまっていたからか、あるいはようやく目が覚めたのか、少女がキョロキョロと辺りを見回す。
「……………ここ、どこ?」
さきほどいたところが結構移動したので、きっと校区外に出ており見知らぬ場所だというのも頷ける。
「えっと、ここは、君がいたところの、隣の隣の市だな」
「!」
問いに答えたら、ビクリとされた。寝起きで直人のことが見えていなかったらしい。
「………………この、車の、持ち主、ですか?」
状況を思い出したらしく尋ねてくる。知らない人と話してはいけない、なんて言ってる場合ではなく、物怖じしつつもじっと見つめ返してくる。
「………ああ、そうだ」
「……………勝手に乗ってしまい、もうしわけありません」
幼さの残る声でいやに丁寧に謝罪の言葉をくれる。ほわほわとした雰囲気に反し、礼儀の正しい娘だった。
「…………気付かなかった俺も悪いし、今となっては別にいいが」
どうせ親に返したら時に散々怒られるだろうし。あれこれ言うことはしない。むしろ、ここでガミガミ言うと怖がらせて話ができなくなってしまう恐れもある。意外と平然としている今のうちにどうするかを決めなくては。
「えっと、家の人とか呼べるか?」
「…………スマホを置いてきてしまいました」
「誰かしらの電話番号を覚えてたりは?」
「…………覚えてないです」
「…………おう」
固定電話の番号くらいなら知っているかと思ったがそんなこともなかった。しっかりしているようでいてしっかりしていない。……こうなったら直人にできることはほとんどない。
車に乗せて元の位置まで戻ってから彼女を家に送るにしても、人目が気になる。……個人的にはそこまでの時間かけたくもない。となれば、あとは警察に届けるしかないか。
「……駅前に交番があるから、そこまで一緒に行くか」
「…………はい」
小さく頷き車からスタッとおり、直人を見上げる。
「よろしくお願いします」
「…………ああ」
頷いてから、まだ名前を聞いていなかったなと思い出す。……名前を呼ぶタイミングもないし別にいいか。でも、少し歩くし、呼び方を決めておかないと不便だろうか。一人難しい顔をしていると。
「……いかないんですか、お兄さん」
「…………」
お兄さんという呼び方に少しドキリとした。うちの下の子はアニキと子分のような呼び方をするから新鮮ではあった。歳も同じくらいだし、親近感が湧く。
「……君、名前は?」
と、ついつい聞いてしまう。答えてもらえないかとも思ったが、少女はきょとんとしたあと、無表情のままにはきはきと答えてくれる。
「……美咲、天璋院美咲、です」
「美咲……、いや、天璋院さんか」
直人は頷き、彼女に向き直る。
「ちょっとの間だけど、よろしく」
「…………はい」
かくして、無事知り合った二人は、交番までの道のりをようやく進み始める、ということはなく。
「…………天璋院?」
直人は今一度少女に目を向けた。
――これがすべてのきっかけとなる出来事、のちに『黒岩明姫』と名前を変える少女との出会いだった。




